稲荷神Inari-no-kami or Inari-sin・稲荷大明神Insari-dai-myoujinを祀る神社を稲荷-神社shrine 稲荷神-社templeと呼びます。稲荷神は 元来は 五穀豊穣を司る神でしたが、現在では 商売繁昌 産業興隆 家内安全 交通安全 芸能上達の守護神としても 信仰されます。神道の稲荷神・御饌津神Mituke-no-kamiは 宇迦之御魂神Uka-no-mitama-no-kami(倉稲魂命) 豊宇気毘売命Toyouke-bime-no-mikoto 保食神Ukemoti-no-kami 大宣都比売神Oo-Getu-hime-no-kami 若宇迦売神Waka-Ùkame-no-kami 等で、仏教では 荼枳尼天Dakini-tenです。「https://ja.wikipedia.org/wiki/稲荷神」寺院である稲荷も この項目で 紹介します。 Shrines enshrined Inari-no-kami or Inari-dai-myoujin called Inari-jinjya/shrine or Inari-sya/temple Inari-no-kamis were the goddesses who preside over huge harvest of cereals originally, Inari-no-kamis are believed as guardian deities for business-success , the rise of industry, safety of their families , road safety improvement in the performing arts and so on too at the present time Inari-no-kami “Miketu-no-kami” of Shintoism are Uka-no-mitama-no-kami, Toyouke-bime-no-kami, Ukemoti-no-kami, Oo-Getu-hime-no-kami, Waka-Ùkame-no-kami and so on , and Dakini-ten in Buddhism Inari-sya as temple are included in this item ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります
江戸時代の 江戸では 多い物の例え に稲荷 伊勢屋 大火事 犬の糞と 言われました。それ程に 日本の神社の中で 1番多い神社です。少し大きい屋敷や ビルの屋上にも 良く祀られています。これらを 数に入れなくても 6万は 遼に超すとされます。簡易郵便局を入れても 日本の郵便局は2万強ですので その多さが知れます。「https://ja.wikipedia.org/wiki/稲荷神」 It is told that Inari shrine, Iseya store, bid fire and feces of dog were the example of many things during Edo era As any statement, Inari-shrines were most common shrine of shrines in Japan It was enshrined on the roof of big houses and buildings usually It is said that Inari shrines are built much more than sixty thousand even except roof-shrines Post offices including postal agencies were just over twenty thousand Compared to the number of post offices, you can understand how many Inari Shrines are built
稲荷神社は欽明天皇Kinmei-tennou(539~531年即位)が幼い頃「秦大津夫Hata-no-Ootutiを 仕えさせよ。さらば天下は納められる。」と告げる神の夢を見ました。。和銅4年(711年)2月初丑に秦伊呂巨Hata-no-Iroko・秦鱗・秦伊呂具Hatano-Iroguが 氏神として 伏見稲荷を 建てました。秦氏は 朝鮮から帰化した一族です。「伊奈利社創祀前史|沿革|伏見稲荷大社とは|伏見稲荷大社 (inari.jp)」 Kinmei-tennou/Emperor made Hata clan to conduct government business in order to the dream in his childhood that the goddess told “make Hata-no-Ootuti to serve the employer Having done that, you can rule over the whole country safely” Hata-no-Iroko who was a descendant of Ootuti, built Husimi-Inari-jinjya/shrine as the guardian goddess of Hata family in 711 Hata clan who was formerly a citizen of Korea, is a naturalized family in Japan
稲荷神の専女御饌津神Toum--Mituke-no-kamを 専女三狐神Toume-Miketu-no-kamiと 何故か 多分故意に書き間違えた事から 狐が 御崎稲荷Misaki-Inari(神の先祓いのお使い)になりました。そして 専女三狐のイメージから 狐が女に化けると 考えられるようになりました。御饌津神は 御化津紳Miketu-no-kamiとも 書きます。当時の人には 狐の鳴き声が 今のコーンとかコンコン に聞こえたのでなく、ケツケツとかキツキツと 聞こえたのでしょう。それで〔けつね〕とか〔きつね〕と 狐を2呼びました呼びました。「https://ja.wikipedia.org/wiki/稲荷神社」 Fox became Misaki-Inari “divine messenger” because 専女御饌津神Taueme-ketu-no-kami/Toume-no-Mikotu-no-kami "goddess of elderly woman-foods" who is Inari-no-kami, was written専女三狐神Taume-no-miketu “goddess of elderly woman-three foxes" by mistake intentionally for some reason The reason that people have come to think that foxs transform to the wemen, must come from impression of 専女三狐 who is written 御化津紳Miketu-no-kami too A cry of fox "kitune" is heard ko-n・ko-n or kon・kon for present people, but was heard ketu・ketu or kitu・kitu for people of former days, so they called fox ketune or kitune
案田 稲荷神社 Inari-jinjya in Anda
北緯34度54分20秒・東経133度49分2秒に稲荷神社が建ちます。案田奥池田282-2番地から 化気神社方向に左手を見ながら進むと 赤い鳥居が見つかります。坂を下ると 両脇に燈籠Tourouが立ち、その下にi稲荷神社が 建っています。拝殿内には 多数の小社( 稲荷神社 御崎宮 惣御崎社 稲荷大明神 幽冥大神Kakurigoto-no-ookami 八坂神社.祇園宮〔荒神社2社〕 稲荷神社)が 祀られています。案田地区の4荒神等が 遷宮されたものです。 小本宮:案田343-348・375-380番地 青木谷:案田349・350・354・361-363・365-374番地 稲荷:案田353・358番地 稲荷神平:案田355番地 稲荷上へ:案田356・357番地 稲荷東:案田364番地 赤早稲田:案田381・399-401・548-551番地 平成28年(2016年)4月8日
上田東 松尾神社の稲荷神社 Inari-jinjya in Matuo-jinjya
上田東御崎506番地 北緯34度53分33秒・東経133度47分44秒に松尾神社が建ちます。松尾神社の境内の西に 末社や摂社が 並んでいます。その中央の右の大きい一宮社が 稲荷神社のようです。月読乃命Tukuyomi-no-mikoto 三面の神像と狐の像が祀られています。Tukuyomi-no-mikoto, a statue of god with three faces and statues of fox were enshrined in the Inari-jinjya 宮前:上田東484番地 御崎前:上田東489・494番地等 宮本:上田東496番地 御崎・御嵜:上田東501・506番地等 御崎山・御嵜山:上田東505番地 荒神後口:上田東536・538番地 平成28年(2016年)4月8日
上田東 柏尾八坂神社の八坂神社の大宮社 由加社 Oomiya-sya and Yukasya of Yasaka-jinjya in Kasiwao
上田東柏尾下モ前Kasiwa-o-simo-mae1155番地の庭先を通り 山道を北に向かうと 北緯34度53分59133度48分148分1秒に 八坂神社が 建ちます。何時の頃か いかなる役割を果たしたのか解りませんが 城跡とされます。本殿には 素戔嗚尊が 祀られているのでしょう。御蔦社 由加社 大宮社 若宮 紳明社 愛宕神社 大山罪神社 建布都社等が合祀されていると言われます。 大宮社:種々の宮で使われる名です 大宮姫を祀る神社でしょうか 「https://ja.wikipedia.org/wiki/大宮神」ちなみに 久米郡美咲町百々671番地の大宮神社の祭神は猿田彦大神で、岩手県盛岡市本宮字大宮51番地 北緯39度41分3秒・東経141度6分56秒の大宮社の祭神は豊受皇大御神で、千葉県山武市松尾町折戸648番地 北緯35度35分56秒・東経140度28分17秒の大宮神社の祭神は大山咋命 大己貴命 少彦名命 嚴嶋姫命で、千葉県流山市平和台5-40番地 北緯35度51分17秒・東経139度54分28秒の大宮神社の祭神は天鈿女命で、和歌山県岩出市宮75番地 北緯34度15分15秒・東経135度18分45秒の大宮神社の祭神は日本武尊で、長野県上田市常入字上常田723-1番地 北緯36度23分40秒・東経138度15分29秒の科野大宮社の祭神は大己貴命・事代主命です 由加社:岡山県倉敷市児島由加2852番地北緯34度30分21秒・東経133度51分4秒の由加神社本宮の祭神は彦狭知命:玄松子の祭神記 (genbu.net) 神直日神 瑜伽大権現(由加大権現)手置帆負命 天之御中主神 素盞鳴命 倉稲魂命 菅原道真公 大綿津見命で、和気郡和気町大田原438番地の由加神社の祭神は息長帶姫命 豐受大神 素盞嗚尊 八幡大神です 柏尾下モ前:上田東1155番地 平成25年(2013年)5月20日
上野 大日稲荷神社 Dainiti-Inari-jinjya
旧加茂川町農協上野主張所 上野要木903番地から南に進み、上野長尾佐635番地の隣の高原上野公民館の前を通り、右手を見ながら進むと 北緯34度50分48秒・東経133度46分42秒に広場が 有ります。そこに神輿Mikosi置き場に石組が有り、右手奥に 小社が 建ちます。天満神社の御旅所・神祇場です。 更に道を下ると 道が 「くの字」に曲がる右手 北緯34度50分55秒・東経133度46分40秒に 大日稲荷神社の赤い鳥居が 見えます。稲荷信仰の中心は 稲荷大神で 宇宙全体を覆うものが 稲荷大神ですので、大日如来の性格に 似ています。稲荷大神の中心となる神は 宇迦之御魂大神Uka-no-mitama-no-ookamiで女神です。佐田彦大神Sata-hiko-no-ookami( 猿田彦命) 大宮能売大神Oomiya-no-me-no-ookamiも稲荷大伸の構成員です。国津神の中心である 佐田彦と天津神の精力的な 大宮能売大神が稲荷信仰の中核にあるのです。それに田中神 四之神Si-no-kamiが加 わります。神仏が習合すると中心の宇迦之御魂大神は釈迦如来 佐田彦大神は阿弥陀如来 大宮能売大神は薬師如来 田中神は不動明王 四之神は毘沙門天がそれぞれ本地仏とされました。大日稲荷神社は、大日神社(大日如来と習合した天照大御神を主祭り神とする神社)と稲荷神社を合祀する神社か、大日神社の事と思います。 田中神・田慰神・田の東神・田の起神:大国主命の異名です。 四之神:三輪神Miwa*no*ksmiと同体とされます 奈良盆地の青垣山の内の三輪山は 形の整った円錐形の山です 御諸山Minoro-yama・美和山Miwa-yams 三諸岳Mimro-no-okaとも言われます大物主Oo-Mono-nusi-no-kamiの住む神体山で 三諸神奈備Mi-okamu-nabiとも呼ばれます。山の草木に 神が宿るとして刈ったり 切ったりしません 才仁伍:上野19-31・33・34番地 要木:上野632・826-913番地 天満:上野661-717番地 廣常:上野794-825番地 平成25年(2013年)5月9日
円城 医王院の根本稲荷 Konpon-Inari-in Iou-in
根本稲荷は 円城前720番地の医王院の裏手 北緯34度53分26秒・東経133度48分22秒に建ちます。京都鈴鹿山根本稲荷明神:京都鈴鹿山は 烏丸通三条上ル場之町(北緯35度0分34秒・東経 135度45分34秒)にある 山車に 鈴鹿権現・瀬織津姫Seoritu-hime-no-mikoto(祓戸大神の4神の一柱 祓神 水神 瀧の神 河の神)を 祀ります。荼吉尼天は 閻魔天の眷属の一尊で 奪精鬼(地獄の門前で死者から生命力を抜き取る獄卒)であるので 一度祀ると 命と引きかえに 最後迄 信仰を続けないと 没落したり 災禍を受けたりすると されます。日本では 一般に白狐に乗 る天女で 剣 宝珠 稲束 鎌等を 持ちます。インド神話では 強風を起こし 虚空を飛ぶ魔女で、ヒンドゥー神話では 屍林を求め 彷徨い 敵を殺し 血肉を 飲食する 女夜叉です。狐は 風葬された屍体を 食べる事があり、人の精気を奪う動物ともされているため 荼枳尼天は この狐と結びつきのある 神道の稲荷神と 習合しました。「https://ja.wikipedia.org/wiki/荼枳尼天」「tesshow.jp/tama/fuchukunitachi/shrine_wakamatsu_hitomi.html」 根本仏教:原始仏教 主流仏教とも 呼ばれるがますが、「原始」「根本」「主流」と 表現されるだけに、それぞれ異なる価値が 含まれます 「初期仏教」は 釈迦の時代から およそ150年から200年の間の盲信的な原始的宗教から 脱しようと試みた と思われる仏教で、教典を持たず 布教した時代です。 平成25年(2013年)8月23日
大木 ミノクチの稲荷神社 Inari-jinja in Oogi-Minokuti
大木Oogiミノクミ666番地の南東の山 北緯34度54分51秒・東経133度47分9秒付近に一宮社が3社並んでいます。豊岡上小森線(371号線)を井原から 小森に向かい、大木の天計神社お休処(豊岡下青木82番地の東隣地)を 少し過ぎた地点にある 新青木橋で 豊岡川を渡り 川に沿って進み、付近の民家の横を抜け 急な山道を しばらく上ると 右の高台に 墓場が見つかります。高台に 登ってみると 平坦地の約半分が 切り取られおり 墓場に なっています。北側の平坦部に 金比毘羅神社と 地図上では記されていますが、実際には 丸支天宮・稲荷神社 丸支天宮 稲荷神社の3社が祀られています。 御崎前:大木554-557・560番地 金刀比羅地:大木588番地 ミノ口・ミノクチ:大木654・669番地 平成23年(2011年)7月12日
尾原 八神稲荷神社 Hassin-Inari-jinjya
地元の人達はヤカン(八上)さんとか ヤガン様と 呼んでいますが、岡山県神社庁では 八神神社を通称、ヤガミ稲荷稲荷神社と 呼んでいると紹しています。旧社格は 無社格です。 村人によると「昔 この新山は 凶作が続き 多くの餓死を出した。そこで新山城跡に 安永元年出雲の国から 八上比売命を 勧請奉祀し、五穀豊穣の神としてに祈った。元治元年十二月に 火災により社殿を 類焼した。 翌歳二年正月、現在の地に奉遷し 八神大明神と呼んだ。」そうです。北緯34度54分56秒・東経133度45分35秒 尾原土井下モ405-1番地に 出雲大社教場と共に建ちます。宮司宅の電話番号は 0867-35-1197です。
拝殿内には 多くの提燈 飾り物 幟が 奉納されています。拝殿に 向かい左手に出雲大社教の教場で 拝殿と教場の中間点に 鳥居が有り、石の階段が 裏山に登ります。この山道を ジグザグに登ると 小社が有り 大元尊神 罔象女神 五帝龍王が 祀られます。手前の小社は 古く陶器製の白狐が祀られています。八神稲荷神社の主な 祭典は9月1日の火燈祭と 10月第4土曜日からの例祭です。例祭は 稲荷神社としての収穫祭で、出雲大社教道場と 共同開催します。夜籠りし 翌日に当屋籤kijii等の御神幸を 行います。かつては 神輿も 担がれましたが、現在は 神輿の担ぎ手が居なくなったそうです。岡山県神社庁によると 元治元年(1864年)12月社殿で 火災のため類焼しました。翌2年正月に 現在地に奉遷し 八神大明神と称し、五穀成就 災害防除の神として 信仰されているそうです。昭和10年4月に 社殿 幣殿 拝殿を 改築しました。「https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17527/」 八神稲荷神社:尾原土井下モ405-1番地 北緯34度54分58秒・東経133度45分28秒「https://www.jinja.in/single/85643.html」秋の大祭は 隣接する出雲大社教教場と共催します。 昔新山地方は 凶作が続き 餓死する者が多く出しました。そこで旧新山城主(1772年)が 出雲の国から 八上比売命を 勧請 奉祀し 五穀豊穣の神として 祈りました。 元治元年(1864年)12月 社殿は火災のため類焼しました。 翌2年正月に 現在地に 奉遷し 八神大明神(八上比売命)と 称し、五穀成就 災害防除の神として 信仰されています。 昭和10年4月に 社殿 幣殿 拝殿を 改築たしました。 「https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17527/」 土井下モ:尾原405-407・421番地 寺屋敷:尾原408-410番地 城山:尾原457・494番地等 ウドフザコ:尾原480・492番地等 御堂坂:尾原482番地 夘堂坂:尾原483・491番地等 平成24年(2012年)7月1日
加茂市場 萩の坊の稲荷神社 Inari-jinjya in Hagi-no-bou
萩の坊は 加茂市場老僧畑2080-1番地 加茂市場地慶上道上エ2179-1番地 加茂市場押谷2022番地の東 北緯34度51分51秒・東経133度秒 加茂市場元兼mitotaneにある観音堂です。その境内の北側に稲荷神社が祀られています。 萩防:加茂市場2187・2197番地等 福山:加茂市場2198-2200番地 大手後:2218・2252番地等 十力越:加茂市場2233-2235番地 大手後口:加茂市場2236・2249番地等 西神:加茂市場2306 馬場:加茂市場2292・2298番地等 平成28年(2016年)7月20日
加茂市場 井上稲荷神社 Inari-jinjya of Inoue clan
高梁御津線(31号線)の宇甘川の浜崎井堰の辺り 加茂市場清水田929-2番地から 西に登り、加茂市場久方804番地の分岐を南西に折れ 金比羅神社の参道を 登ります。金毘羅神社 北緯34度51分49秒・東経133度45分9秒のやや手前の右手の西の山 北緯34度51分51秒・東経133度45分9秒に 一宮社が 3社建ちます。左の一番大きい社は 十二神社で、中央の小さい社は 稲荷神社で、右の社は 摩利支天社です。 神原:加茂市場912・939番地等 金屋:加茂市場1096・1467番地等 燈明田:加茂市場1097・1105番地等 才神:加茂市場1099・1100番地 平成28年(2016年)9月3日
加茂市場 町上の最上位経王大菩薩社 Saijyoui-kyou-ou-daibosatu-sya in Matikami
落合加茂川線(66号線)の加茂市場と下土井の境・加茂市場町上1505番地 北緯34度52分17秒・東経133度45分17秒に建ち、最上位経王大菩薩を祀ります。 最上稲荷山妙教寺.高松稲荷:岡山市北区高松稲荷71234度42分3242分32秒・東経133度50分0秒に建ち、本尊は 久遠実成本師釈迦牟尼仏、祈祷本尊は最上位経王大菩薩です 町寺川:加茂市場1503番地 町:加茂市場2307-2308番地 祝祠免:加茂市場1509・1513番地等 町:加茂市場1500・1558番地等 町上:加茂市場1505番地 能登面東:加茂市場1507番地 平成29年(2017年)1月3日
正月の行事を「当開きTou-biraki」と言います。当屋が神社に門松を立て 注連縄Simenawaを 張り替えて 新年を待ちます。神社の拝殿に 当連中が 集まり 新年の挨拶を神様と仲間達に 行い その年の安全と 五穀豊穣を祈願し、次いで当屋の世話で 酒と肴を頂き 思いっきりの酒宴を 行います。これを「初会参Hatu-kaisan」と言います。又 7月27日 当屋の世話で「灯点Hi-tomosi」と言う 火燈祭を行います。病気に成り易い夏を 健康に過ごすことを 祈願するのです。10月9日に 稲荷神社の大祭の前日「夜籠Yo-gomori]をします。10月10日は 近在の3集落の者が参加し 大祭を行います。大祭は 何処にでも見られる普通の秋祭りです。用いられる 神輿Mikosiは 小森天津神社の末社の愛宕神社より 譲り受けた物です。「覚Oboe」が 神輿に付けられていて 天保12年(1841年)この神輿を 愛宕神社が買い求めた時、小森の川戸に 到着した事が示されています。そして1年の締め括り(として 飯盛祭を 迎えます。小森の飯盛祭は 稲荷神社と荒神社の当家祭りです。一種の新嘗祭Niname-saiであり 荒神祭りです。11月の寒い朝、当屋で当屋の女主人を中心にして 料理を作ります。午後になると 当連中の男達が 神主と共に 当屋に集まり、神事の後、酒盛りを行います。 小森稲荷神社:北緯34度54分58秒・東経133度48分20秒 小森古城跡皇霊碑:北緯34度55分16秒・東経133度48分23秒 育麦庫:北緯34度55分14秒・東経133度48分23秒 小森天津神社:北緯34度55分41秒・東経133度48分40秒 小森峯田1012番地 愛宕神社:北緯34度53分19秒・東経133度46分38秒付近に朽ちています 小森の川戸跡:北緯34度56分38秒・東経133度48分48秒 湯所:小森16・247番地等 城山上:18・43番地等 堂溺doutawa:小森86番地 平成23年(2011年)11月7日
下加茂 日吉神社の稲荷神社 Inari-jinjya-in Hiyosi-jinjya
北緯34度51分46秒・東経133度49分25秒の下加茂稗谷1479番地に 日吉神社が建ちます。拝殿の右の社は 稲荷神社です。赤い鳥居の前と奥に 何やら不思議な岩が祀られています。稲荷神社の右の小社は 天満神社と 注連神社が 合祀されています。天満神社には 菅原道真Sugawara-no-Dousin公の像が祀られ、注連神社Sime-jinjyaには 天鈿女命Ame-no-Uzu-me-no-mikotoが 祀られています。その近くに 常夜燈が立ちます。 日名荒神:下加茂1121・1128番地 日吉神社:下加茂1121・1129番地等 宮荒神:下加茂1374番地 京見谷:下加茂1414-1426番地 稗谷:下加茂1479・1505番地等 平成23年(2011年)11月3日
高富 加財神社 Kazai-jinjya in Tennou-zan
加財神社は 旧社格では 無格社です。北緯34度55分12秒・東経133度48分54秒 高富天王山Tennou-zan667番地 即ち 429号線沿いの小森温泉の1.5Km東に 位置します。氏子は 高富地区の人達で、主な行事は 11月第3日曜日の秋祭です。本神社の創建は天暦2年(948年)と 伝えています。かつての本尊は 本宮山毘沙門寺の守護神で、明和6年(1769年)頃は 梶井天王Kajii-tennouと称していましたが、文政年間(1818〜)には 嘉財天王kazai-tennouと改称し、更に 明治初年に 加財神社と称する事になり、祭神も 宇迦之御魂神(Uka-no-mitama-no-kamiとなりました。「加財神社(加賀郡吉備中央町) | 全国神社ドットコム (jinja-jpn.com)」
村人は「境内には地神碑 荒神が祀られている。本殿と荒神社の鍵が 紛失していて長い間、開けられていない。本殿には 少彦命Sukuna-hiko-no-mikotoあるいは 事代主命Kotosiro-nusi-no-mikoto等 出雲大社の神々が 祀られていると聞いている。出雲大社に 参詣しなくても 加財神社を 参詣すれば 出雲大社に参詣した事になる.。 荒神社は上の写真の右手の社で、他に13社が 祀られているのだが、いかなる神々か 記憶にないし、誰も調べようとした事もない。」と 語りました。境内の一段下の平坦地に 財宝の仏神でもある毘沙門天の搭が 建っています。毘沙門天は 事代主命と習合しています。 花ノ門:高富605番地 天王山:高富611・667番地等 寺屋敷:高富619番地 ビシャモン:高富620・627番地等 ヒシャモン:高富664・666番地 天王:高富624番地 平成24年(2012年)8月25日
豊岡上 前相模の最上位経王菩薩社 Saijyouikyouou-bosatu-sya in Toyooka-kami
正確には寺院ですが 神社として扱います。金子谷に沿って北上し 豊岡上狐穴762番地で 右折し荒神社や八幡神社を過ぎると豊岡上幸槌or奉槌1318番地が有ります。そこの道向に 今迄上って来た道と 鋭いY字路を造る分岐があるので 分岐に入ると 椎茸栽培地になっていて、その外れに 一宮社が建っていて 最上位経王大菩薩が 祀られています。 最上位経王菩薩・最上位経王大菩薩・最上尊・稲荷大明神:最上位経とは 法華経の事です この菩薩の像容は荼枳尼天と同じで 右手に鎌 左肩に稲束を負い 白狐にのる天女姿です「https://ja.wikipedia.org/wiki/最上稲荷」 狐穴:豊岡上755番地 土動地狐穴:豊岡上758・763番地等 土動地京免:豊岡上771・772番地 前幸槌堂屋敷東:豊岡上1316番地 幸槌:豊岡上1317-1319番地 前相模地蔵乢後久保:豊岡上1323番地 地蔵乢:豊岡上1331・1332番地 平成29年(2017年)6月16日
豊岡上 相模岩山神社の稲荷神社 Inari-jinjya in Iwayama-jinjya
豊岡上小森線(371号線号線)の上光寺から 北に上り 土動地池の北側で 豊岡上高ノ甲1561-1番地の前の峠を 少し下ると 左手に 登る道が有り 北緯34度54分48秒・東経133度48分40秒 豊 岡上岩珠1583番地に 岩山神社が建ちます。その境内の磐長姫命Iwanaga-bime-no-mikotoの使いが 棲むと言われる汲川の近くに 稲荷神社が建ちます。宮司への連絡先は 電話番号0867-35-0103です。 高ノ甲:豊岡上1528・1582番地等 岩山:豊岡上158番地3 岩屋:豊岡上1584番地 轡休上:豊岡上1587番地 齋ノ免:豊岡上1588-1592番地 齋免:豊岡上1454・1455番地 平成29年(2017年)6月23日
豐岡下 湯の瀬の金比羅大御神社・家財大御神社
豊岡上小森線(371号線号線)の湯の瀬温泉郷キャンプ場の南西の大曲り辺りに 豊岡下妙見1517-5番地と豊岡下妙見1517-1番地が有ります。両家の間を北に登り 道なりに右に曲がると 突当ると 北緯34度54分48秒・東経133度47分21秒に 石碑と一宮社があります。石碑には 金毘羅大御神・家財大御神と 刻まれており、一宮社は 明見社です。地元の人は 妙見社を荒神様と呼んでいます。家財大御神は 宇迦之御魂命の異称でしょうか、毘沙門天の異称でしょうか。加財神社の祭神でしょうか。 西納:豊岡下1467番地 妙見:豊岡下1483・1532番地等 湯ノ瀬:豊岡下1508・1616番地等 ハテノ場:豊岡下1555・1586番地等 薬師堂:豊岡下1558番地 平成29年(2017年)4月29日
豊岡下 船堀上稲荷神社
豊岡上小森線(371号線号線)の豊岡上船堀上の豊岡いきいきプラザと 豊岡下堂ノ前d126-1番地の間の道を 北西に60m程 向かうと 奥屋谷川が 有ります。橋を渡り 山に向かうと 直ぐに南西に向かう分岐が あります。分岐を南西に90m程進み 北に向かいます。道は次第に北西に曲がりますが 道なりに210m程 登ると なだらかになる辺り 北緯34度54分48秒・東経133度46分23秒と想像する辺りが 広場となり 便所と炊事施設が あります。 広場の北端に 小さな一宮社の 稲荷神社が 建っています。地元のご婦人は 荒神様と呼んでいます。 堂ノ前:豊岡下126・130番地等 堂ノマヘ:豊岡下1899-1901番地 亀納大段下タ:豊岡下141番地 太鼓場:豊岡下466・495番地等 タイコ場:豊岡下471番地 舟堀:476・680番地等 平成29年(2017年)5月4日
豊岡下 屋根尾の當疒神社 Toubyou-jinjya in Yaneo
上述の船堀上稲荷神社より 更に 東北に 山道を登る広い道が あります。右に行と 直ぐに行き止まりになるので、左に進むと 西に大木集落を見渡せる眺望良好地を過ぎた辺り 北緯34度54分50秒・東経133度46分19秒に 壊れか けた土壁造りの創庫らしき建物が 有ります。その庭に 當疒神社が建っています。近くに狐の置物が転がっていので 稲荷神社かも知れませんが、当病平癒を祈る神社でしょうか。道通神・トウビョウを祀る神社かも知れません。「https://www.kasaoka-kankou.jp/spot/276」 導通神社:岡山県笠岡市横島1389番地 北緯34度28分59秒・東経133度31分25秒に建ちます 主祭神は猿田彦命で、商売繁盛 出世海運 交通安全のが利益が得られます また瀬戸内海地方各所各地の「道通様」の総本山的存在で、腹痛や神経痛に御利益があります 道通様・トウビョウは 小さなヘビで 人に憑いたり祟ったりします 大切に祀れば幅広いご利益が得られるとされます 城落:豊岡下355・356番地 城落:豊岡下778・780-782番地 鳥居場:豊岡下365番地 鳥井場:豊岡下372・776番地等 土井大師堂:豊岡下414番地 太鼓場:豊岡下466・495番地等\ タイコ場:豊岡下471番地 平成29年(2017年)5月4日
豊岡下 屋根尾 の倉稲魂神社と當疒神社 Uka-no-mitama-jinjya and Toubyou-jinja in Yaneo
上述の 大木集落を見渡せる 當疒神社より 道なりに 北北東に登ると 左手 北緯34度54分52秒・東経133度46分12秒に 一宮社が2社建っています。古く新しい社は 倉稲魂神社で、比較的新しい小さい社にはいかなる神が 祀られているか解りませんが、前述の當疒神社と大きさ 構造 新しさとも同じなので 當疒神社でしょう。ここより北に向かうと 竹吉屋敷を通り 屋根尾集落に出るのでしょう。 荒神下:豊岡下214-216番地 荒神下:豊岡下1727番地 荒神下タ:豊岡下2256番地 竹吉屋敷:豊岡下227・228番地 鐘ツキ堂:豊岡下236・264番地等 鐘突堂:豊岡下3189番地 屋根尾:豊岡下238・785番地等 矢納尾:豊岡下254・番地 屋納尾:豊岡下342・378番地等 平成29年(2017年)5月4日
平岡 中井谷の稲荷神社 Inari-jinjya on Nakai-tani
竹部加茂市場線(366号線)を北上し、旧加茂川町農協上野出張所 即ち上野大原903番地に出、変則5叉路の一番右の道を進むと Y字路に出るので 北(左)の道を選び進むと 北緯34度51分0秒・東経133度47分3秒に 河野資財置き場の有る複雑な交叉点に出ます。道なりに左に回ると 直ぐに右に入る山道が有ります。山道を下るように進むと 北緯34度51分4秒・東経133度47分10秒の左手に平岡南札所の大師堂(平岡中屋36蛮地の西南西 約50m)の裏側が見え、その手前に小さな祠の平岡中井谷稲荷神社が 見つかります。 墓ノ下:平岡639番地 千日:平岡724・865番地等 大仙山:平岡659・660番地 千日荒神西:平岡665番地 中屋:平岡768・953番地等 大原:上野914-979番地 平成25年(2013年)5月10日
広面 風神社の稲荷神社 Inari-jinjya in Huu-jinjya
429号線を下加茂から吉備新線(72号線)に向かうと 左手に 道路拡幅工事の際に 向きは逆さにされたの道標Mitisirubeがあります。この道を 左に下ると 右手 広面奥1269番地 北緯34度49分18秒・東経133度48分35秒に風神社が建ちます。その摂末社に建勲神社Takeisao-jinjya/Kenkun-jinjya 若宮神社 龍神社 淳霊神社 稲荷神社 金刀比羅神社 雨坪神社 荒神社 等が 有ります。 納坊河内:広面1211・1247番地等 供養石元:広面1248・1249番地 神幸場:広面1261番地 ミユキバ:広面1264番地 神納河内:広面1262・1267番地等 宮ノ後:広面127番地 ドンド:広面1277・1278番地 平成24年(2012)5月7日
福沢 飯ノ山の稲荷神社 Inari-jinjya on Ii-no-yama
飯ノ山集落は 以前は数軒の集落でしたが、現在は2軒となりました。おばあさんに 飯ノ山城跡への登り道を尋ねて教えられた道を登ると 北緯34度56分24秒・東経133度43分8秒に古びた社があり、白狐が4個程祀られていました。鳥居に書かれた文字は読めません。上房郡史によれば、飯ノ山城は飯山兵部尉が 築城したといわれます。築城の時代は解りません。虎倉合戦の会戦の前の城主は 伊賀三郎五郎 あるいは 新山玄蕃充家住と言われます。山県三郎は 甲斐の武田氏族が 安芸に移住した時に 従い 毛利氏の将と なりました。毛利軍が 虎倉城を 攻撃した時には、飯ノ山城は 大将毛利輝元の本隊に攻撃され 奪われました。その跡を 任され 山県三郎兵衛が 城の防衛に当たりました。甲斐の諏訪神社を 祀り備中攻略に加担しました。 諏訪神社:長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です 諏訪大社の祭神は「諏訪大明神」で,建御名方神Take-Minakata-no-kami(軍神 農耕の神 五穀豊穣の神 等)とその妃の八坂刀売神Yasaka-to-me-no-kami(五穀豊穣の神 夫婦和合の神 等)です 城山:福沢1086番地 イノ木川西:福沢1126番地 寺尾:福沢1146・1153番地等 平成24年(2012年)7月1日
美原 長瀬能勢神社の稲荷神社 Inari-jinjya in Nose-jinjya
北緯34度52分26秒・東経133度46分55秒 美原祇園曽根Gion-sone307番地に通称 祇園様と親しんで呼ばれる 能瀬神社が 建ちます。 本殿は 拝殿より少し離れた高台に 建っています。 本殿脇の本殿側の小社は 稲荷神社で 埴山比賣神Haniyama-hime-no-kami 保食紳Ukemoti-no-kami 稲倉魂神Uka-no-mitama-no-kami 比売社大神Hime-yasiro-no-ookamiが 祀られています。 堂免:美原9・84-93番地 荒神畑:美原42・58番地等 祇園曽根:美原301・307番地等 荒神林:美原305番地 平成25年(2013年)5月2日
和田 江羅の稲荷神社 Inari-jinjya in Era
小坂より和田上に向かう途中 北緯34度53分22秒・東経133度44分53秒の近くに江羅の稲荷神社が建ちます。 東50mに程の所に 和田稲荷1291番地が あります。 エラ田:和田1165・1173番地等 エラ:和田1210・1215番地等 權現:和田1145・1157番地 稲荷:和田345番地 稲荷:和田1197・1292番地等 平成.25年(.2013年)1月12日
和田 平河内の稲荷神社 Inari-jinjya in Hirakouti
富永から和田川に沿って北西に進み 和田鳥井下タ212番地 和田中屋敷324番地や 和田上組の荒神社を 過ぎ そのまま西北に130m程進むと 和田曽祢454番地があり、その南隣地の畑に 曽祢摩利支天社が 建ちます。 その南に北東に下る道があり 60m程 進むと 墓場群に挟まれた左手に 亀森・石盛祖霊社が建ち、和田平河内曽根441-1番地の道向いの林の中 北緯34度53分33秒・東経133度44分26秒に朽ちかけた社があり、 狐らしき置物が奉納されています。 稲荷:和田345番地 堂之内:和田349番地 平河内曽祢:和田371・539番地等 植神:和田372・470番地等 荒神:和田373・374番地等 平河内:399・408番地等 平成30年(2018年)1月7日
上竹 村社天満宮の保食神社 Ukemoti-jinjya in Tenman-guu
上竹惣道の上竹宮ノ前1207番地の北・上竹惣堂761番地 北緯34度51分13秒・東経133度40分42秒に 村社天神社が建ちます。 大津神社の左手奥に一宮社の2祠が 祀られています。 大きい祠は 保食神社Ukemoti-no-kami-syaで、 田中十社大神(上竹)田中地区から集められた諸神社) 立五社大神(上竹立地区から集められた諸神社) 山神三社大神(上竹山神地区から集められた諸神社)が 祀られています。 聖坊:上竹986・1005番地等 田中山:上竹1006・1036番地 タチ・立:上竹792・854番地等 山神:上竹1539・1551番地等 的場・マトバ:上竹1521-1529番地 惣堂: 上竹761番地 ソフドウ:上竹762番地 鳥居ノ内:上竹1204・1211番地 宮ノ前・宮ノマヘ:上竹1205・1212番地等 平成25年(2013年)3月7日
上竹 月原御歳皇神社・稲荷神社 Mitosi-sume-no-kami-sya・Inari-jinjya in Tukibara
高梁御津線(31号線)の正田橋を南に上り 2つ目の十字路を西(左)に折れると 上竹ハナヤ沖530番地の北西 北緯34度51分13秒・東経133度41分47秒に 観音堂と共に稲荷神社が建ちます。 御歳皇神Mitosi-sume-kamiの札が 奉納されています。 赤い鳥居と 赤い社なので 稲荷神社でしょう。 堂ノマエ:上竹479・480・500番地 イワイメン:上竹524番地 正田橋・竹荘清水田1664番地の南 北緯34度51分27秒・東経133度41分5秒 馬場:上竹558・599番地等 才タワ:上竹454・455番地 丸山:上竹484番地 土井ベリ墓ノ前:上竹537番地 平成26年(2014年)5月2日
上竹 月原稲荷神社 Inari-jinjya in Tukibara
高梁御津線(31号線)の正田橋を 南に上り2つ目の十字路を 西(左)に折れると 上竹サ子ソフマヘSanesou-mae426番地の北西 北緯34度51分11秒・東経133度41分8秒に 山上堂 (本尊 神変大菩薩)が建ちます。 その近くに 稲荷神社が 建ちます。 上竹月原公会堂:上竹サ子ソフマヘ426番地 北緯34度51分14秒・東経133度42分0秒 サ子ソフマヘ:上竹424・515番地等 ドウドウ・堂頭:上竹441・442番地 實ソウ前・箕ソウノ前:上竹435・513番地等 トフトフ:上竹444番地 マ子ン:上竹443・498番地等 才免:上竹450・451番地 平成26年(2014年)5月2日
上竹 離小屋城の稲荷神社 Inari-kjinjya in Hanare-goyajyou
高梁御津線(31号線)から入り 賀陽総合スポーツ公園の手前の変則5叉路を カヨー中央観光バスサンデーツアーズ(賀陽自動車教習所前)から 西に下り 上竹小ヤ5718番地の南の山を登ると 北緯34度49分25秒・東きょう133度39分32秒に6社を祀る建物があります。 最左の一宮社は 火之御崎神社 次の大きな一宮社は天神社で 菅原道真Sugawara-no-Dousinの石像神が 祀られ 絵馬が 2枚奉納されています。 正面の小さい社は 荒神社で 丸い自然石が祀られていて 潤雨の祈願が叶った事が感謝されています。 右手の次の一宮社は 稲荷神社で保食大神Ukemoti-no-kamiと豊受大神Toyouke-no-ookamiが祀られ、 その右の隠れて見えない一宮社には 如何なる神が祀られているか 解りません。 その隣の左から2番目の二宮社は伊豆那神社とその末社で、右端の二宮社は 稲荷神社とその末社です。 小ヤ:上竹5645・5752番地等 大坊ジリ・大坊シリ:上竹5615-5618番地 般若坊・ハンニャ坊:上竹5629-5633番地 キョウノマヘ:上竹5634番地 平成25年(2013年)12月8日
上竹 離小屋城の煙草神社 Tabako-jinjya in Hanare-goya-jyou
上竹の小屋天神社等の社の1段上 即ち離小屋城山の頂上 上竹小ヤ5718番地の南の山 北緯35度25分46秒・東経132度37分46秒に 煙草神社が建ちます。 かつて 備中煙草の産業が盛んであった頃に 賑やかに祭られたと言われます。 祠内には 由緒書らしき木札が納められ 豊受比賣大神Toyouke-bime-no-ookami・煙草神社神霊Tabakosin-sya-sinreiが 祀られています。 備中煙草:明治時代から 大正時代に主に 備中北部で 生産された葉煙草の銘柄です。 高瀬舟で運び出されました。 竹荘の豪商が高瀬舟一杯の煙草と玉島の卸問屋の持つ安徳利とを交換した伝説が 吉備中央町に残ります。 離小屋城跡:大村寺の西方の山の頂上 北緯34度50分1秒・東経133度39分28秒とその周辺、および 有津井の佐与谷川沿いの離小屋城山の頂上 北緯35度25分分46秒・東経132度37分46秒にあります 般若坊・ハンニャ坊:上竹5629-5633番地 キョウノマヘ:上竹5634番地 小ヤ:上竹5645・5752番地等 アイガ谷・アイヶ谷・アイヶタニ:上竹5651・5662番地等 平成25年(2013年)12月8日
上竹 宗久稲荷大明神跡 Ruins of Inari-daimyoujin in Munehisa
高梁御津線(31号線)の正力交差点から 北東に上竹陰地に向うと 上竹宗久4606番地の北東に宗久稲荷大明神が 建っていました。近くに亀山杉・合戦の松が 植えられているそうですが 松の木は 辺りに見付かりませんでした。恐らく合戦の松は 枯れてしまったのでしょう。亀山杉の案内石碑には「亀山杉 亀山藩で第十一代鹿島新当流家元として 藩内で剣法の指南役だった 大月開平・藤原将国Hujiwara-no-Masakuniの祖父 大月平三郎・藤原義則が、延享元年(一七四四)備中松山藩の石川総慶Isikawa-Husayosiの亀山藩への移封に従がって 亀山へ出て行く時 異郷での大月家の武運長久と 本家大月家の安泰を記念して植樹した。」と 刻まれています。 正力交差点:上竹正力 北緯34度50分10秒・東経133度40分9秒 鹿島新当流・鹿島新當流:鹿島神宮(鹿嶋市宮中2306-1番地 北緯35度58分8秒・東経140度37分53秒)の祭神は 武神 剣の神 雷神等である武甕槌大神Take-Mikaduti-no-ookami(建御雷命Take-Mikaduti-no-mikoto)です。建御雷命の神妙な一太刀の術を 鹿島流と言います。 塚原卜伝tukahara-bokudenが 鹿島神宮に千日参詣し、最終日に神懸かり 一太刀の妙理を授かり 剣術の新流派・鹿島新當流を確立しました。 鹿島新當流の剣豪には山本勘助 松岡則方 諸岡一羽 等が います。 石川総慶:江戸時代中期の人で 山城淀藩の第3代藩主 備中松山藩主 伊勢亀山藩の初代藩主です。 延享元年(1744年)板倉勝澄Itakura-katuzumiと交代し 伊勢亀山藩主となりましたが、度重ねた 移封資金 朝鮮通信使饗応資金、板倉勝澄の残した借金があったため 倹約令等で 藩財政立て直し、藩教学奨励に力を尽くしました。 六地蔵:上竹4551・4569番地等 六ジゾウツンゴシ:上竹45534556番地等 ウシロ免田:上竹4575番地 後免田:上竹4577番地 丸山:上竹4596番地 宗久:上竹46034606番地等 札場ノ下:上竹4608番地 荒神ノマヘ:上竹4609・4670番地 正連寺田:上竹4617番地 平成26年(2014年)4月24日
黒土 今宮八幡神社の稲荷神社
賀陽町舎から 南東へ1km・高梁御津線(31号線)の天田口バス停と小桜バス停の中間点辺りの黒土前で 南の階段を、次いで山道を登った頂上付近 北緯34度51分41秒・東経133度42分15秒 黒土前783番地に 今宮八幡神社が 建ちます。拝殿の右手奥に 伯楽神社と不明の宮が 左手奥に稲荷神社が 祀られています。 境内末社として 他に王子宮 山神宮 恵美須宮 龍王宮が 祀られるそうです。 今宮:本宮から神霊を 分けて、新しく祭った神社 無量山:黒土761・775番地等 地蔵堂:762・763番地 前:黒土764・809番地等 ババノ前:770番地 宮ノ前:黒土779・782番地等 森屋:黒土789・833番地等 平成24年(2012年)8月20日
黒山 多木神社 の稲荷宮 Inari-guu in Taki-jinjya
黒山後谷364-5番地の西隣の北緯34度47分47秒・東経133度46分16秒の山を 妙見山と 呼びます。かつて妙見宮が 建っていましたが 完全に破壊され 鳥居の残骸と手水鉢2個が 妙見山の東の麓に 放置されています。妙見宮には 天之御中主命Ame-no-minaka-nusi-no-mikotoが 祀られていました。現在 妙見山には 多木神社が 祀られています。トタンぶきに囲いの中に 三宮社が祀られています。左の社は 提婆宮Daiba-guuで、中の社は 稲荷宮と 祇園天宮と 提婆宮です。右の社は 今宮不動山王宮です。 観音免開:黒山281・282番地 齋免:黒山345-349番地 妙見:黒山357・359番地等 宮ノ脇:黒山360・361番地 後谷:黒山363・373番地等 平成26年(2014年)9月19日
竹荘 赤砂稲荷の稲荷神社Inari-jinjya in Akazako
豊野小学校から賀陽有漢線(156号線)を 西に進み 下市川を渡り 直近の十字路を 北に曲がり 道なりに 北西に登ると 竹荘下尾ソネ3980番地を過ぎ た地点で大きく戻る方向にカーブします。カ-ブの手前の3980番地から別れるY字の分岐を北に進み 2番目のY字路の左の道を選択し 竹荘花ヤ3966番地の東側のT字路を北(右)に 即ち竹荘花ヤ3942番地に 向き進み 竹荘3942番地の東の道を 北に進むと 右手上 北緯34度52分31秒・ 東経133度41分12秒に 山上堂が建ち、その隣地に 稲荷神社が建ちます。木枠の拝殿の奥に 本殿が 祀られています。 堂ノ峠:竹荘3717・3744番地等 石佛:竹荘3745・3746番地 花ヤ:竹荘3942・3974番地 花屋:竹荘3944-3950番地 ハナヤ:竹荘3954番地 サイノウ:竹荘3972番地 才尾:竹荘4046・4049番地等 平成29年(2017年)9月24日
竹荘 山田 助年の稲荷神社 Inari-jinjysa in Tanaka-Suketosi
高梁御津線(31号線)の正田橋の北の細い道を北西々に向うと、竹荘寺前1694番地に出ます。竹荘石切1729 番地と竹荘寺前Tera-no-mae1694番地の間の北に向かう道に入ると 直ぐ右手の引き込み道の奥 北緯34度51分32秒・東経133度41分0秒に 竹荘八十八ヶ所霊場巡礼76番観音堂札所が 建っています。境内の奥に 社が 建っており 2社の陶器製の社が 納まっています。左の社は 荒神社で、右の神社は 稲荷神社です。 正田橋:宇甘川の北緯34度1分30秒・東経133度41分9秒に架かる橋 助トシ:竹荘1598・1760番地等 スケトシ:竹荘1667・1719番地等 寺ノ前:竹荘1692・1693番地 寺前:竹荘1694-1697番地 寺ノまへ:竹荘1698番地 切石:竹荘1701・1748番地等 キリイシ:竹荘1749番 平成26年(2014年)4月16日
田土 土生紙屋の稲荷神社 Inari-jinjya in Habu-Kamiya
高梁御津線(31号線)の土生橋で宇甘川を渡り 土生庭園に向かうとヘアピンカーブが S字状に続き、2つ目のヘアピンカーブの終わりの西(右)側に進むと 田土前3452番地に出ます。そこと田土紙屋3528番地の間に山道が有るので 登ると 直ぐに墓地があります。墓地を過ぎると 廃屋が 田土紙屋3538番地にあり、その近く 北緯34度51分32秒・東経133度43分23秒と想像する所に 二宮社が建ちます。左の厨子には 狐の置物が奉納されていますので 稲荷神社でしょう。右の厨子には 五輪塔が納められています。その左手に〇〇菩薩の墓が あります。 荒神前・荒神ノ前:田土3456・3469番地等 堂ノ前:田土3471番地 要宗・用宗:田土3514・3676番地等 ハブヤシキ:田土3521・3530番地等 紙屋・カミヤ:田土3524・3533番地等 平成29年(2017年)5月10日
田土 権現山の稲荷大明神 Inari-daimyoujin in Gongen*yama
高梁御津線(31号線)の吉辰口を 北西に登り 川東吉長公民館の100m程 手前のT字路を 左に曲がり 北西西に100m程 進むと 道は 北向きになります。北上すると 左手に分岐する道端に、金鳥様 王子権現社 稲荷大明神の案内の立て札が 立っています。案内板には「五穀を司る神を祀った社 近年は各種産業の神として 一般の信仰を集めている。 吉長の稲荷社は 大字田土1469番地字七日殿に有ったが、明治三十九年の神社合祀令で 川合神社に合祀されている 手水鉢(文化四年)一基が 残るのみである。平成十年三月吉日」と 示されています。さて 立て札から 南に 鋭い角度の分岐を進み 次のY字路を西に向かうと 田土小左衛門家敷1700番地が有るので、その西側の山道を北西に登ると 権現山の頂上に至ります。頂上には祭神の解らない 陶器製の社が 石グロ(釜・小祠)の中にあります。稲荷大明神が 祀られているのでしょう。戻る方向に 西側に下る山道が有るので進むと 左手の平坦地 北緯34度52分12秒・東経133度43分29秒に 稲荷大明神社が 祀られています。 七日天:田土1719番地 七日殿:田土1720・1722番 七日殿:田土1469・1470番地 渡阿弥陀:田土1509・1511番地 阿弥陀:田土1510番地 地蔵ノタワ:田土1541・1662番地等 小左衛門ヤシキ:田土1699-1703番地 雲仙庵:田土1709・1741番地等 宮廻リ:田土1711・1712番地 才ノ元:田土1725・1731番地 寺ノ前:田土1752・1759番地等 交合石:田土1756・2425番地等 大光庵:田土2061番地 辻堂:田土1787・1788番地 平成26年(2014年)8月15日
田土 陰地の稲荷神社 Inari-jinjya in Onji
高梁御津線(31号線)沿いの田土京免1055番地・田土ライスセンタ-から 北東に登り 途中のT字路を右に回り 吉長川を渡ると T字路になるので、西に向かうと 再び吉長川を渡ります。北に向かうと 田土長左衛門屋敷1628番地や 田土中圓569番地に関る 変則的な五叉路に出ます。五叉路を西に向かい 変則的な4差路を進行方向 即ち西に向かうと 田土t陰地1677番地が建ちます。田土1677番地の北の崖上 北緯34度52分3秒・東経133度43分32秒に稲荷神社が建ちます。 才ノタワ・才ノ峠:田土1442・1468番地等 七日殿:田土1469・1470番地 トアミ田:田土1509番地 渡阿弥陀:田土1511番地 ヲンジ・陰地:田土14814・1677番地等 阿弥陀:田土1510番地 塚原:田土1519・1583番地等 交合岩:田土1532・1586番地等\ 地蔵ノタワ:田土1541・1662番地等 平成29年(2017年)9月9日
豊野 吉倉の稲荷神社 Inari-jinjya in Yosikura
豊野吉倉Yosikura鍛冶屋1846番地・豊野タワ1862番地の南に 吉倉生活改善センターが 建ち、その東に鋭い角度を持った分岐があります。本道と 分岐に挟まれた所 北緯34度52分59秒 ・東経133度42分2秒 豊野桑ヶ市2060番地の北に稲荷神社が建ちます。王子社と稲荷神社の間に 焼火大権現takuhi-daigongen 稲荷神社の右に地神 三穂大明神の石碑が 祀られています。 八王子権現社:祇園社の牛頭天王の眷属神や 日吉大社の山王権現の眷属神の王子姿の八柱、病気を払う 霊威あらたかな神です。「https://ja.wikipedia.org/wiki/八王子権現」「八王子権現とは - コトバンク (kotobank.jp)i」 焼火大権現:大日孁貴尊Oo-Hiru-me-no-muti-no-mikoto(天照大神Amaterasu-oo-mikami)航海安全守護神「https://ja.wikipedia.org/wiki/焼火神社」 三穂神社:北緯33度58分340秒・東経 132度46分'32秒 愛媛県松山市北条782祭番地に建つ神社で、祭神は事代主の命Kotosiro-nusi-no-mikoto(えびす様)です
御穂神社の三穂大明神:静岡県静岡市清水区三保1073蛮地北緯35度0分0秒・東経138度31分15秒に 建つ神社で、祭神は 三穂津彦命(大国主命・大己貴命)と三穂津姫命(美穂津姫命)漁業及び商業の守護神「https://ja.wikipedia.org/wiki/御穂神社」 王地タワ:豊野1921番地 桑ヶ市・枽ヶ市:豊野1906・2353番地等 才乢・才ノタワ:豊野2010・2021番地等 十源寺:豊野2033番地 龍王山:豊野2090番 平成29年(2017年)8月11日
豊野 東豊野神社の善覚社 稲荷神社 Zenkaku-sya and Inari-jinjya in Higasi-Toyono-jinjya
豊野北屋1408番地 北緯34度52分14秒・東経133度41分55秒の東豊野神社の境内末社に 善覚社や稲荷神社があります。 善覚社・善覚神社・善覚稲荷神社・善覚稲荷木山神社:岡山県真庭市木山1212番地 北緯35度1分2秒・東経133度42分54秒の医王山感神院木山寺には 牛頭天王と善覚稲荷大明神が 祀られています。 昔 小山善覚坊なる修験者が 伏見稲荷より稲荷神を勧請しましたが、神の力は強まり 善覚坊の力の及ぶ所で 無くなったので 奥宮と木山寺の間 木山1265-1番地に 善覚神社を建て祀りました。 祭神は倉稲魂命Uka-no-mitama-no-mikoto 赤衾衣奴大住日子佐別命Akabusumakonu-oo-Sumihiko-sawake-no-mikoto 木山八幡神社の神 稲作の神々五柱 猿田彦神 等 計九柱の神々です。 六地蔵:豊野1330・1348番地等 地蔵田:豊野1349・1350番地 才ハナ・才はな:豊野1351-1354番地 北屋:豊野1359・1410番地等 平成24年(2012年)7月15日
豊野 殿畑の善覚様 Zenkaku-sama in Tonohata
豊野t天田Tenda殿畑4731番地の南の道向かい 北緯34度51分58秒・133度42分22秒に 善覚社が 建ちます。左に供養碑と地蔵菩薩像が建ち 次に赤い小い祠が2社立ち 更に地神碑が立ち 石製の祠と大きい赤い屋根の祠が 建ちます。一番左の赤い祠と石製の祠は 善覚様で 他の2祠は 地の御前様です。 善覚:小山善覚坊なる修験者が寺に伏見稲荷から勧請しましたが、稲荷神の神の力が 善覚坊の力より勝り「善覚神社」を立て稲荷神を祀りました 本光寺:豊野4606・4767 番地等 天田坂:豊野4620・4665番地等 鳥井まえ:豊野4628番地 定地免・定冶免:豊野4643・4702番地等 善光坊山:豊野4673番地 頭免:豊野4686・4710番地等 荒神田:豊野4687・7115番地等 京免:豊野4715番地 ネキ・禰宜:豊野4724-4728番地 殿畑:豊野4730・4736番地等 ババ・馬場:豊野4747・4795番地等 宮ノ西:豊野4773番地 御崎山:豊野4774・4797番地等 鳥居場:豊野4775・4782番地等 平成28年(2016年)11月27日
稲荷神社の鳥居の右脇に 石塔状の石碑が立ち その奧に 対の石柱が立ち、その左奥に 休憩場なのでしょうか 上部が平らになった円形の石や テーブル状の石があります。最奥に 本殿である石祠が 灯明用の石グロを伴い 祀られ、狐の置物が 奉納されています。対の石柱には「大正十年二月吉日 氏子中」と 記されています.稲荷神社は 西矢城182-1番地の北方 約130mに 位置します。 矢城子:西152-202・204・206・207・209番地 令和5年(2023年)1月20日
湯山 御北神原家の稲荷神社 Inari-jinjya of Okita-Koubara family
高梁御津線(31号線)から 宇甘川の川合橋を渡り、更に直ぐに 吉川川の下竹公民館橋を渡り 湯山1069-8番地で右(南)に折れ 進むと 湯山990番地に着きます。湯山990番地の西 北緯34度51分18秒・東経133度44分26秒に 既に 廃墟状態になっていますが、御北神原家屋敷が残ります。屋敷跡に 庭園跡があり かつては 素晴らしい景観であった事が 遺跡から推測されます。北方に稲荷神社が 祀られています。神原惣右衛門は 森大蔵の居城であった小谷城を落とし、伊賀太郎次郎を住まわせました。「家来が城北に居住すると 城が栄える。」との 言い伝えから、城の北に屋敷を 築きました。これが御北神原家の始まりです。太郎次郎は 神原太郎右衛門久良と名乗り、横部神原家(安藤神原家)を 興しました。稲荷神社には金山毘古神(Kanayama-hiko-no-kam 金山毘女神Kanayama-hime-no-kam 味耜高彦根大神Adisuki-Takahikone-no-ookamiが 祀られています。その下に比較的新しい社が建ちます。太郎次郎(神原太郎右衛門久良)の子の 神原冶左衛門久益の木像が 祀られていましたが、現在は 安藤神原家の屋内に 祀られています。 稲荷神社に向かう道から 右に進み 分岐の先に、陶器製の小社があります。摩利支天神社です。 神原冶左衛門久益:神原太郎右衛門久良(伊賀太郎次郎)の子で、横部神原家初代です。 川合山の石の宝殿を 現在の川合神社(北緯34度51分28秒・東経133度44分17秒)の地に 移したとされますが、事実と異なる可能性が 高いと思われます。 伊賀太郎次郎:伊賀久隆の子 即ち伊賀家久の弟で、岡山城の宇喜多氏の追及を恐れ 吉川に逃げ、伊賀惣右衛門(神原惣右衛門)を頼り 湯山に移りました。 金山毘古神:イザナミが 火の神カグツチを産んだ時に 火傷をし 苦しくて吐いた「たぐり 吐瀉物」から 化生した神です。 金属加工の守護の神 金山鉱山守護の神 金山毘女神:金山毘古神と同時に 化成した 双子の妹であり 金山毘古神の妻です。 鉱山の守護神 味耜高彦根大神:大国主命の子 天稚彦命Ame-no-wakahiko-no-mikoto(高比売命Taka-hime-no-mikoto,Sitateru-hime-no-mikotoの夫)の義理の兄 農業の神 雷神 不動産業の神 安陳防:湯山990番地 安ヂン坊:湯山991番地 宮ノ前:湯山998番地 鳥居段:湯山1000・1012番地等 宮油免:湯山1003・1004番地 神子田:湯山1024-1026番地 塚ノ本:湯山1027-1029番地 井手免:湯山1030-032番地 神子岩:湯山1044番地 シブリ谷・仕フリ谷:湯山1058・1119番地等 小丸山:湯山1060番地 御崎免:湯山1084番地 平成25年(2013年)12月25日
吉川 吉川八幡神宮の瑜伽社 Yuuga-sya in Yosikawa-Hatiman-guu
北緯34度49分11秒・東経133度45分07秒 吉川苅尾3932番地に吉川八幡宮が建ち、多くの摂末社が合祀されています。その中に苅尾坂の上の瑜伽社や八幡神社境内-稲荷神社があります。 瑜伽神社: 奈良県奈良市高畑町1059番地の 瑜伽神社の主宰神は 宇迦之御魂大神Uka-no-mitama-no-ookamiです 由加神社:岡山県 倉敷市児島の由加山の由加神社yuga-jinjyaの 祭神は 彦狭知命 神直日神 由加大権現(本地仏:阿弥陀如来 薬師如来) 手置帆負命 天之御中主神 素盞鳴命 倉稲魂命Uka-no-mitama-no-mikoto 菅原道真公 大綿津見命です 込堂:吉川930・1075番地等 苅尾・刈尾:吉川938・1191番地等 苅尾:吉川3924・3932番地等 刈尾:吉川3935-3937番 階道崎:吉川939番地 金鑄場:吉川940番地 城ヶ畝:吉川994番地 上ヶ畝:吉川997番地 城ヶ鳴:吉川999番地 平成24年(2012年)7月7日
吉川 吉川八幡宮の稲荷神社 Inari-jinjya-in Yosikawa-Hatiman*guu
北緯34度49分11秒・東経133度45分07秒 吉川苅尾3932番地に吉川八幡宮が建ち、多くの摂末社が合祀されています。本殿の裏に稲荷神社 若宮神社 龍王社が祀られています。 稲納屋:吉川3807・3869番地等 刈尾:吉川3924・3937番地等 苅尾:吉川3932番地 宮ノ前:吉川3933・3934番地 黒喰:吉川3938・3972番地等 城ノ先・城ノ崎:吉川3980・3994番地 城ノ下:吉川3926・4094番地等 城下:吉川392・4000番地等 城ノ元:吉川3966・4002番地 平成24年(2012年)7月7日
疫神ノ前:吉川6880番地 寺ノ后:吉川6912番地 屋敷・屋シキ:吉川6904・7145番地等 堂免:吉川6804-6809番地 千木縄手:吉川7209番地 神ノ後:吉川6810番地 薬師ノ後口:吉川6813番地等 千木芝下:吉川7227・7267番地等 山神:吉川7320・7348番地等 山神:7326番地等 平成26年(2014年)8月8日