京都府京都市東山区祇園町北側625番地 北緯35度0分13秒・東経135度46分43秒にある 八坂神社は 全国にある八坂神社や 素戔嗚尊を祭神とする 約2300社の関連神社の総本社です。元の祭神である 牛頭天王は 祇園精舎の守護神でしたので、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院Gion-kansin-in」等と呼ばれていましたが、慶応4年=明治元年(1868年)の神仏分離令に従い「八坂神社」と 改められました。牛頭天王は 疫病神であったため 高天原で厄介視された 素戔嗚命と同一視され 習合しました。八坂神社や 祇園神社等 元牛頭天王や 素戔嗚命を祀る神社を 通称 祇園さんと呼ばれます。「https://ja.wikipedia.org/wiki/八坂神社」 家内安全 病気平癒 試験合格 良縁成就 商売繁昌 除災安全 開運成就の御祈願等が ご利益です。 ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります
案田 祇園神社 Gion-jinjya in Anda
案田隠居下タInkyo-sita228-2番地から 東に 化気神社に向い 300m程進むと 即ち鋭い角度の西に向いて下る 稲荷神社への参道があります。案田稲荷神社の拝殿に荒神Kou-jin/Ara-gamiとして祀られます。主宰神は牛頭天王Gozu-tennouですが 牛頭天王と習合した素戔嗚命Susa-no-o-no-mikotoであるかもしれません。 稲荷神社:北緯34度54分21秒・東経133度49分2秒 荒神川:案田810・952(北緯34度54分22秒・東経133度48分26秒)・953・956-957・961・962番地等 荒神前:案田・946番地等 荒神之脇:案田949番地 稲荷:案田353・358番地 稲荷神平:案田355番地 平成25年(2013年)5月23日
井原 寄峰の祇園神社 Gion-jinjya in Yorimine
井原向い327番地の北に建つ空屋は 井原新屋敷135番地です。そのお宅の北側の林 北緯34度53分39秒・東経133度45分50秒に お堂が建っています。 お堂の中には 三宮社を挟んで 一宮社が 左右に1社ずつあります。 三宮社の内の左の厨子は 八百万神宮Yao-yorozu-no-kami-guuで、中央の厨子は 森神社で、右の厨子は祇園神社である 荒神社です。 堂ノ脇・堂ノ䏮:井原82番地 才ノ前鼻:井原87番地 六万坊上:井原112番地 城山:井原148-153番地 五林山:井原179・184番地等 堂免:井原203・333番地等 午王ノ前:井原213番地 登亀:井原246番地 金子谷:井原270・321番地等 平成29年(2017年)6月3日
井原 天神堂の祇園神社 Gion-jinjya of Tenjin-dou
落合加茂市場線(66号線)の亀山八幡宮辺りから 南西の下土井に戻り 直ぐ長田駐在所付近から西に向かい、井原出シ上943番地より 西に 墓場を幾つか越え登ると 頂上付近 倉木池の東の北緯34度53分50秒・東経133度45分26秒に 地神搭と共に井原天神堂が 建ちます。堂内の広い間に囲炉裏が有り 五宮社の両脇に 一宮社が 祀られます。向かって左の一宮社は 祇園神社で 須佐之男大神Susa-no-o-no-ookamiが 祀られています。 祇園山:井原658-665番地 尾龍谷:井原667・668番地 馬引免:井原921・922番地 地蔵前:井原924・1367番地 天地ノ山:井原939-940番地 出シ上:井原943-945番地 平成25年(2013年)3月10日
上田西 国近の祇園神社 Gion-jinjya・八坂神社 Yasaka-jinjya in Kunitika
下土井下加茂線(372号線)を 松尾神社に向かう途中 大きく曲がりますが、その中間地点付近の上田西ノットメ395番地と上田西林ノ後口514番に挟まれる南に向かう分岐に入ると 百姓王国の門があるので 門を潜り進むと、変則四叉路(見かたにより五差路)となります。四叉路の南に飛躍の郷「ひだまり」会館が 見えます。「ひだまり」の会館に添って 南西に向かう右の道に進むと 直ぐ先に「ひだまり」に 向いた山道があるので 登ると 北緯34度53分3秒・東経133度47分51秒に 祇園社が建っています。
境内に入ると左側に 一宮社の荒神社が 建っています。その奥に 角を持った石があり 一宮社が祀られ 注連縄simenawaが 張られており、木札に盤の字が 読めますので 磐境だったのでしょう。村人によると 元宮跡とされます。杜の東側の茂みの中に ご神幸のお旅立ち所が あります。ご神幸では 神輿mikosiを 始め 祭列は 社と御旅所を3周していたそうです。左の小社は 国近荒神社で、右の石碑は 地神碑で、中の小社には妙見神社 愛宕神社 屋船久久迺駆大神Yahune-kuku-no-ti-no-ookam 屋船豊受姫大神Yahune-toyouke-hime-no-kamiが 祀られます。祇園社と上田西公会堂の間 北緯34度53分3秒・東経133度47分47秒近くに 小さな平坦地が有り、神輿を置き用と思われる石組みが有ります。 百姓王国の門:上田西 北緯34度53分2秒・東経133度47分49秒 飛躍のひだまり:上田西 北緯34度53分16秒・東経133度47分52秒 国近荒神社:上田西 北緯34度53分3秒・東経133度47分51秒 祇園山:上田西859・1386番地(飛躍のひだまり)等 本宮免:上田西2171・2197番地等 林後口:上田西498・501番地等 林ノ後口:上田西503・526番地等 坂ノ堂:上田西502・509番地等 神子免:上田西516・623番地等 ノットメ・の津ト免:上田西380・515番地等 平成25年(2013年)5月28日
上田西 津江田の祇園神社 Gion-jinjya in Tueda
429号線の道の駅かもがわ円城の北に有る品野集会場より 東に進み 上田西i行田2340-1番地の東の林の中の ハートフル浄水場の西 亥の子神社の南隣の北緯34度53分39秒・東経133度49分4秒に 祇園神社が 建ちます。祇園の神は牛頭天王ですが この祇園神社の祭り神主祭神は牛頭天王と習合した素戔嗚命かも知れません。 品野集会場:北緯34度53分34秒・東経133度48分50秒 ハートフル浄水場:北緯34度53分41秒・東経133度49分4秒 亥の子神社:北五34度53分39秒・東経133度49分4秒 本宮免:上田西2171・2197番地等 山ノ神:上田西2173・2175番地 油免:上田西2248・2284番地等 行田:上田西2325・2349番地等 津恵田・ツエダ:上田西2303・2318番地等 品野:上田西2327・2333番地等 ホイトウ谷:上田西2359・2367番地等 平成26年(2014年)6月28日
上田西 立石の祇園宮 Gion-guu in Tateisi
上田西立石Tateisi1066番地の北西 北緯34度52分53秒・東経133度47分17秒に建つ 共愛公会堂の堂内に 祇園社が祀られています。祇園宮 祇園牛頭天王 五男三女八柱命が 祀られます。堂内の1番左の社は 三宝荒神社で 次の社との間に 三宝荒神社 金比羅社 祇園社 御崎社の名が示された木札と 三所神社のお札が納められます。次の社には 三面で 腕が隠れた三宝荒神が 祀られています。次の小さい社は 金比羅宮で 右端の社は 祇園宮です。 丸山:上田西869・881番地等 祇園山:上田西859・864番地等 立石:上田西876・1115番地等 鳥泊リ:上田西894・915番地等 八柱命:八柱命 即ち牛頭天王の八王子、あるいは建速須佐之男命と天照大神の誓約の時に産まれた神々である五男三女八柱命(八柱御子命(Yahasira-no-mikogami-no-mikoto・御子神Miko-kamiみ)でしょう。 平成25年(2013年)5月30日
上田東 柏尾の八坂神社 Yasaka-jinjya in Kasio
吉備高原北部広域農道(奥吉備街道)の三谷方面や 貢mitugi方面に向かう十字路を 貢方向に進むと 変則5叉路があります。南に進み 次の丁字路を 道なりに東に進み 塚神様の横を通ると 上田東柏尾下モ前Kasiwao-simo-mae1155番地に出ます。上田東1155番地の庭先を通り 山道を北に向かうと 北緯34度53分59秒・東経133度48分1秒に 八坂神社が 建ちます。本殿には 素戔嗚尊が 祀られているのでしょう。何時の頃か いかなる役割を果たしたのか解りませんが 城跡と されます。御蔦社Mikomo-jinjya 由加社 大宮社 若宮 紳明社 愛宕神社 大山罪神社 建布都社 等が 合祀されていると言われます。 御蔦社:薦神社は大貞八幡宮とも呼び 大分県中津市大字大貞209番地 北緯33度34分02秒・東経131度13分5秒に建ちます。 祭神は応神天皇 比売大神Hime-no-ookami 息長帯比売命Okinaga-tarasihime-no-mikotoです。 大宮社:大宮神社は 処々に祀られる名前の神社で 種々の神々が祀られます 京都市西京区川島北裏町 北緯34度58分32秒・東経東経135度42分5秒(阪急桂駅の西口の南)の大宮社の祭神は大山咋神Ooyama-kui-no-kamiです 建布都社:徳島県阿波市市場町香美字郷社本18番地北緯34度5分0秒・東経134度17分56秒に建つ 建布都神社の祭神は 建布都神Take-hutu-no-kami(建御雷之男神Take-mikaduti-no-o-no-kami) 経津主神Hutu-nusi-no-kami 大山祇神Ooyama-tumi-no-kami 事代主神Kotosiro-nusi-no-kamiです。
一番奥の石像は魔法宮で、奥の社は 金比羅宮です。手前の社は 荒神社で、手前に 地神碑が立ちます。左端の石碑は 七宮社で、二つ並ぶ左の石碑は 金神Konjinの字は 読めますが 上の刻字は 読めません。大きい石碑の刻字は良く読めませんが 艮金神Usitora-no-konjin\かも知れません。右の石碑も金神です。 塚神様:上田東1153番地の左の小道を 北に少し進むと北緯34度53分55秒・東経133度47分56秒に円墳があり、一宮社が 2社即ち塚神宮 摩利支天王宮が 建っています。 由加社:倉敷市児島由加に由加社の本宮が有ります。 祭神は彦狭知命Hiko-sasirii-no-mikoto(大工の神)神直日神Kami-naobi-no-kami(凶事 罪悪 災害等の改め神) 由加大権現(本地仏:阿弥陀如来 薬師如来)手置帆負命Taoki-Hooi-no-mikoto(大工の神)天之御中主神Ame-no-Minaka-nusi-no-kami(高天原の最高司令の神・宇宙の根源神・天地創造の神・国土守護の神・寿命の神) 素盞鳴命Susa-no-o-no-mikoto(祇園の神・荒神の祖紳・農業紳・疫病の神・水の神・除災招福の神・武紳) 倉稲魂命Uka-no-Mitama-no-mikoto(稲荷神社の主宰神・穀霊神・農耕紳・商工業神・食物神・養蚕紳・殖産興業神・屋敷神・家庭紳・地域神) 菅原道真公Sugawara-no-Dousin-kou(学問の神・雷神) 大綿津見命Oo-Watatumi-no-mikoto(海の神・水の神・航海の神)が祀られます。 若宮:多くの神社の始まりや、遷宮した時に使われる名前です。 ここでは「若水取りと関連した神を祀る神社で 歳神を祀るのでしょう。」と 村人が 教えてくれましたが 信じがたい説明です。 紳明社:天照大御神Amayterasu-oo-mikamiを祀る神社です。 愛宕神社:火の神である火之迦具土神Hi-no-kagututi-no-mikotoを祀る神社系列です。 妹の土の神・防火の神である埴安姫命Haniyasu-hime-no-mikoto、母である伊弉冉命Izana-mi-no-mikotoと共に祀られる事が しばしばあります 大山罪神社:大山祇神Ooyama-tumi-no-mikotoを祀る神社でしょう。 鉱山の神・山の神・火の神・酒の神等の性格をもちます。 家門岩:上田東1150番地 塚曽祢:上田東1166・1174番地等 柏尾下モ前:上田東1155番地(北緯34度53分56秒 ・東経133度48分1秒) 齋ノ免:上田東1035番地 柏尾:上田東1057・1282番地等 貝尾墓前:上田東1063番地 墓東大段:上田東1065番地 荒神免:上田東1110番地 平成25年(2013年)5月20日
円城 横倉の祇園社 Gion-sya in Yokokura
429号線の上田東森マヘ1943-3番地の土井橋から 土井・横倉方向に南西に進むと 円城横倉935番地が有ります。西に向かうあぜの道を60m程 進むと 林の中 北緯34度53分46秒・東経133度48分27秒に 一宮社が3社あり 右手に燈明用の石グロが 1基、輪塔が2基あります。3社の中央の大きい社は 祇園社です。向かって東の社の神様は お留守です。右の社の神様は 不明です。持ち回りの荒神社(祇園社)なのでしょう。 森マヘ:上田東1936-1943番地 横倉:円城866・1085番地等 石橋・イシバシ:上田東1831・1919番地等 搭楽坊:円城853-855 平成30年(2018年)2月2日
上加茂 祇園加茂神社の祇園神社 Gion-jinjya of Gion-Kamo-jinjya
北緯34度51分6秒・東経133度49分22秒 上加茂宮坂Miyazako71番地に鴨神社が 建っています。境内に 金刀比羅宮があり、木山神社 地神社 川上神社 素盞嗚神社 番神社 今宮 系普神社 御玉神社 幸神社 祇園神社 山神社 加茂神社 水神社 武甕槌神社 大山社 愛宕神社 厄神社 森神社 龍神社 神納社が 合祀されています。 宮米:上加茂408・491B産地等 觀音堂下タ:上加茂412-414番地 原:上加茂426・576番地等 宮坂:上加茂443・481番地等 平成25年(2013年)1月13日
上加茂 三宅の祇園社 Gion-sya in Miyake
429号線から 加茂川を渡り 津賀小学校の脇を通り 上加茂和田2556番地の北北東の隣家の空き家 上加茂神納Kannou or Jinnou2345番地の東北から始まる山道を 竹藪の脇からドンドン登り 墓場の前を過ぎ 頂上のやや手前 北緯34度50分41秒・東経133度48分30秒の近くと思われる地点に三宅荒神と三宅祇園社が 建ちます。立派な石垣の上に 巨岩を右脇に備える 一宮社が2社有ります。左の小さい社は祇園社です。 三宅:上加茂2166・2353番地等 神納:上加茂2339・2379番地等 石佛:上加茂2463番地 湯谷:上加茂2464・2467番地等 寺屋敷:上加茂2466・2469番地等 阿仙坊:上加茂2470番地 アセンボウ:上加茂2471番地 寶田:上加茂2472番地 寶殿:上加茂2474・2485番地等 ホフデン:上加茂2477・2492番地等 和田:上加茂2547・2580番地等 平成25年(2013年)6月17日
上加茂 清経荒神社 Kiyotune-Koujin-sya・清経祇園宮 Kiyotune-Gion-guu
北緯34度50分55秒 ・東経133度48分2秒の近くに 清経荒神社、すなわち清経祇園宮が建ちます。 429号線の津賀小学校の前の橋を渡り 清経集落の峠となっている辺りの上加茂山白Sanpaku811番地の横の山道を 少し登ると Y字路に 出ます。左を選ぶと 左手奥に 植林地が有り、加茂八十八ヶ所霊場7番清常阿弥陀如来の清経札所が 建っています。これを廻るように登ると 清経山頂上に達する山道に出ます。その少し前の平坦地 に 清経荒神社が建ちます。この荒神社は 祇園宮ですので 祀られる神は 牛頭天王Gozu-tennou(スサノオ)でしょう。右手の極小さい社は 菊の紋が付けられいて これも祇園社です。大きい祇園社の10月の祭の1週間後に 小さい祇園社の食祭をするそうです。荒神祭りは 秋に藤井禰宜が 司り行います。当屋は 荒神の小祠を持って来て お祓いを受け 酒席 食席で お弁当を頂き 次回当屋を決め、仲人を置いて 当夜送りをします。小祠は 床の間に安置され 毎日神饌sinsenとして ご飯を供えます。正月には 山の荒神社で 御祓いと 祈願を行います。 清経・清常:上加茂846(北緯34度50分52秒・東経133度48分11秒)・1011番地等 清常荒神:上加茂906・909番地 山白:上加茂808・828番地等 仮屋:上加茂861・902番地等 平成25年(2013年)5月3日
下加茂 梅原の祇園神社 Gion-jinjya in Umebara
国道429号線を加茂橋から広面に向い 梅原団地の西の梅原橋を 北に宇甘川を渡ると 下加茂梅原818番地があります。その西北の隣地 北緯34度51分45秒・東経133度48分3秒に 祇園荒神社等が 建ちます。そこには小さい3社と 大きい堂があります。1番奥の小さい祠には 何も祀られていなおいので 古い祇園荒神社と思われます。右の小さい社は 祇園荒神社で 牛頭天王が 祀られるのでしょう。屋根で囲われた小さい社は 祇園神社(祇園宮)です。かつては この社は 鍋山の中腹の大手城に有りましたが、参詣に不便を感じたので ここに降ろされたそうです。この右手に大師堂が、その傍らに若宮社が建っています。 祇園神社:牛頭天王あるいは素戔嗚命を祀る事を強調した 或いは祇園神社を合祀する荒神社と思われます 大手:下加茂582番地 梅原:下加茂114・310番地等 平成25年(2013年)7月8日
下加茂 大手の祇園神社 Gion-jinjya in
下加茂の梅原橋(下加茂梅原出張818-1番地の南)の北西 谷口橋の西北西 北緯34度51分7秒・東経133度48分1秒付近が「大手城跡」です。郭 堀 石垣を残します。鍋谷城の主郭の曲輪より350 m程下った所の 張り出すような尾根には 狭い平坦面が 3か所あり、その一つは 大手城跡です。 梅原団地と梅原公会堂のほぼ中間地点の 下加茂梅原出張i818-1番地の民家に向かい 宇甘川を渡る梅原橋があります。民家の前の畑の畔を 左(西)に 数m行くと 山に向かう小道があり 小道はすぐに 分岐し 左手に 小社群があります。右手の急坂の 不規則に 石が階段状に配置されている所を過ぎると 小社群から90m程の所に 石垣が見えます。石垣の上の平坦地が 大手城跡です。神様が お留守になった 荒れた小社が 建っています。梅原に降ろされた 祇園神社です。平成24年(2012年)5月26日
下加茂 和中の祇園神社 Gion-jinjya in Wanaka
高梁御津線(31号線)を 宇甘川に沿って 加茂市場 美原 長瀬 和中に進み 和中集落の和中バス停(高谷の東側村外れの北の宇甘川の大曲の北)から 上田西皿井野に登る道を北に 和中川に沿って150m程上田西に向かい登ると、和中川は 東に曲がります。川を渡り 道なりに60m程登ると下加茂和中488-1番地付近から 北に登る急坂の分岐が あります。分岐を 50m程登ると 左下に向かう分岐があり その先の平坦地 北緯34度52分12秒・東経133度47分21秒と想像する地点に 虚空蔵菩薩堂があり、その北側 一段上に 和中荒神社が 建ちます。元の山道を 更に20m程登ると 北緯34度52分14秒・東経133度47分20秒と想像する所に 祇園神社が建ちます。三宝荒神太諄守護Sanpou-koujin-Hitonorito-syugoと 記されたお札が 奉納されています。 下谷:下加茂540-561・567番地 和中:下加茂461(北緯34度52分5秒・東経133度47分22秒)・488(北緯34度52分8秒・東経133度47分223秒)・607(北緯34度52分2秒・東経133度47分27秒)・611(北緯34度52分3秒・東経133度47分26秒)・615(北緯34度52分6秒・東経133度47分24秒)・622(北緯34度52分3秒・東経133度47分225秒)-647番地等 日名山:下加茂425-435番地 平成25年(2013年)7月16日
高富 柿山の素盞嗚神社 Susa-no-o-no-jinjya in Ksakiyama
五明口から柿山集落に向い 集落の入り口の高富公民館の隣地の十字路を 右に折れ 東に進むと、Y字路を 二つ繋ぐ(つなぐ)よう交叉点に出ます。左に折れた後 北に進むと 右手に加茂八十八ヶ所の霊場の札所があり、その北でY字路となります。右手に廻ると 桜の道の終点地があり、大黒天と観音菩薩像が 祀られています。その奥 高富中曽根2088番地の西 高富ソラ2678番地の北西西 北緯34度55分33秒・東経133度49分47秒に 素戔嗚神社が建ちます。境内には 拝殿 本殿の他 一宮社二社と石組みの祠 及び 手水鉢Tyoudu-batiがあります。奥の大きい一宮社には いかなる神が祀られているか 村人に尋ねましたが 分かりませんでした。 小さい社は 護王神社で 丸い石が 奉納されていいます。手水 鉢には 祇園の刻字が 見て取れます。 案面後:高富2031・2075番地等 ドウメン:高富2145-2148番地 牛王:高富2149・2150番地 オフクラ:高富2151・2152番地 大庫:高富2153-2155番地 祇園後:高富2610番地 祇園下タ:高富2611・2666番地等 祇園山:高富2663・2670番地等 祇園前:高富2671・2760番地等高富 ソラ:高富2676・2683番地等 ソラ2678番地:北緯34度55分30秒 ・東経133度49分46秒 中曽根:高富2088・2138番地等 コウジンマヘ:高富2100・2130番地等 平成25年(2013年)9月12日
当屋は持ち回りで たいした持成し(もてなし)は 行われないそうです。大王の地名の由来は 天王様(素戔嗚尊)に有ると言われます。富永には王地の地名がありますが 長尾地区の谷筋(凹地:集落地)で 大王地域ではありません。 愛宕山後:富永631・639番地等 王地後:富永641・678番地等 王地:463-465・669番地 休床:富永644・649番地等 假社:富永1648-1650番地 神子田:富永1658・1663番地 行安:富永1734・1793番地等 丸山:富永1764番地 神子田:富永1794・1808番地等 行者脇:富永1811番地 墓ノ後:富永1812番地 平成24年(2013年)3月13日
豊岡上 亀山八幡宮の祇園神社 Gion-jinjya of Ksameyama-Hatiman-guu
亀山八幡宮は豊岡上亀山184番地 北緯34度53分59秒・東経133度45分35秒の亀山に鎮座します。本殿の右側に 大きな一宮社と 小さい一宮社と 三宮社が建っています。大きい社は竈神社・へっつい様で、小さい一宮社は 斎宮です。三宮社の左の厨子は 若宮社で 中の厨子は祇園神社です。右の厨子は護王神社(一般には和気清麻呂と姉の和気広虫が主祭神)らしいのですが 天児屋根命Ame-no-koyane-no-mikotoが 祀られているそうです。 斎宮:斎宮とは天皇に代わり 伊勢神宮の天照大神に仕える斎王の住まう所でした 斎神社:津山市沼430番地 北緯 35度4分40秒 ・東経134度0分48.秒の斎神社(祭神:稚日女尊W-hiru-me-no-mikoto 天宇受売命Ame-no-uzume-no-mikoto 倭姫命Yamato-hime-no-mikoto) 滋賀県湖南市菩提寺1305番地 北緯35度2分18秒・東経136度4分23秒の斎神社(祭神:月読命Tukuyomi-no-mikoto 大日孁尊Oo-Hiru-me-no-muti-no-mikoto) 兵庫県養父市長野字東山265番地 北緯35度17分12秒・東経134度45分20秒の斎神社(祭神:天太玉命Ame-no-Hutotama-no-mikoto 手置帆負命Taoki-Hooi-no-mikoto 彦狹知命Hiko-Sasiri-no-mikoto) 姫路市実法寺214番地 北緯34度52分19秒 134度38分20秒の斎神社(祭神:天満大神Tenman-ookami 市杵島姫命Itikisima-hime-no-mikoto)茨城県日立市入四間町752番地斎神社Sai-jinjya(祭神:天御中主神Ame-no-Minaka-nusi-no-kami 高皇産霊神Takami-Musubi-no-kami 神皇産霊神Kami-Musubi-no-kami 八衢比古神Yatimata-hiko-no-kami 八衢比賣神Yatimata-hime-no-kami) 御供田:豊岡上70・105番地等 正面:豊岡上135-181番地等 地頭原:豊岡上143-161番地 宮地:豊岡上166・179番地等 亀山:豊岡上181・184番地等 平成29年(2017年)10月8日
豊岡下 天計神社の荒神社 Koujin-sya of Amahakari-jinjya
北緯34度55分31秒・東経133度度46分30秒の豊岡下大勝Ookati2667番地に 天計神社が建ちます。拝殿の左に 荒神社(祇園神社Gion-jinjya 天神社が 右に若宮が 祀られています。寛弘の頃 舟掘上の3社を 青年達が 背負い遷宮したと言われます。天神社は かつて 天神山に有って、山を神輿が 1周する旅神幸を行っていたと言います。天神山は 豊岡下市場107番地の南240m程の処 北緯34度54分37秒・東経133度46分37秒にあります。「村人口伝」 天神山:豊岡下天神原6-1番地の東 北緯34度54分37秒・東経133度46分37秒 往生瀧東:豊岡下2458番地 堂坂:豊岡下2467番地 大日:豊岡下2493・2502番地 カフホフ東:豊岡下2508番地 大勝:豊岡下2510・2772番地等 平成23年(2011年)7月12日
豊岡下 常江田の祇園神社 Gion-jinjya in Tune-eda
豐岡上小森線(371号線)の新青木橋と 岩崎橋の中央付近を 北に 九十九Tuzuraに上ると、変則6差路の峠の六地蔵と 愛唱される 広まった場所に出ます。右に折れる2本の道の内の 北側の道を行くと 常江田城跡に向います。頂上を過ぎると 左手に墓場が有り 右手は急斜面となっており、斜面の下は 広大な平坦地が広がります。その斜面の中腹 北緯34度55分1秒・東経133度47分1秒に 祇園神社が 建っています。雨除け小屋の中には 一社宮が 2社祀られます。 大きい社が 祇園神社で、小さい社は 摩利支天神社であったそうです。注連縄は 新しいのですが、神様はお留守なので常江田城山の頂上へ遷宮されたのでしょう。 常江田城・豊岡城・大手山城:豊岡下toyooka-simo舟掘下unabori-simo576番地の東 北緯34度54分59秒・東経133度47分2秒 六地蔵:行政に関する地名ではありません 付近の六地蔵を祀る墓場に向かう引き込み道がある六差路蛾であるので、便宜上六地蔵と呼ばれます、 平成25年(2014年)2月26日
豊岡下 常江田城の祇園宮 Gionjinjya in Tune-eda-jyou
豊岡下舟掘Hunabori576番地の東 北緯34度54分59秒・東経133度47分2秒の山が 常江田城山です。周囲は 曲輪に囲まれ 曲輪は 数段となる部分が有ります。その山の頂上の平坦地のほぼ中央に 一宮社が 建っており 祇園宮神と魔利支天大神が 祀られています。 土井大師堂:豊岡下414番地 後休殿前:豊岡下417番地 太鼓場:豊岡下466・495番地等 舟堀:豊岡下476・680番地 荒神ノ上:豊岡下491番地 御子呂免:豊岡下620番地 神子呂免:豊岡下622-626番地 城山:豊岡下628・727番地等 大手:豊岡下637・・647番地等 川田:豊岡下673・676番地 合田:豊岡下691・1454番地等 平成23年(2011年)7月12日
豊岡下 引撫の妙見神社・祇園神社
豐岡上小森線(371号線)の湯の瀬温泉の西の大曲を曲がった所の鋭角な分岐を真地や引撫に向かって約300m北に向い登ります。豊岡下小河内1811番地のS字カーブを 曲がり終わった少し北の右手 北緯34度55分18秒・東経133度47分11秒に 二宮社が 建ちます。左の厨子は 妙見神社で天御中主命Ame-no-Minaka-nus-n-mikotoが祀られ、右の厨子は祇園神社で疫神天皇が 祀らせます。疫神天皇は 素戔嗚命(牛頭天王と習合)の異称しょう。 荒神下:荒神下:豊岡下1727番地27番地 堂ノ溺・堂の溺・堂溺:豊岡下1736・2271番地 寺:豊岡下1740・1461番地等 小河内:豊岡下1791・1816番地等 矢送場:豊岡下1806・1809番地等 堂砂道西:豊岡下1817番地 祇園後口:豊岡下1818番地 引撫:豊岡下1847・2339番地等 平成29年(2017年)4月29日
広面岩目 祇園神社 Gion-jinja 沼名前神社 Numakuma-jinjya
広面岩目2469番地の北の山の頂上の大岩の上 北緯34度49分49秒・東経133度48分59秒に 一社宮と五社宮が 建ちます。一宮社は 荒神社と龍王宮です。五社宮の左端の厨子は 摩利支天宮で、左より2番目の厨子は祇園神社であり 八坂社神であり 沼名前神社でもあります。中央の厨子は 三寶荒神社で、摩利支天宮-八社神社-愛宕神社-祇園神社-長園神社でもあります。右より2番目の厨子は 愛宕宮で 祇園宮でもあります。右端の厨子は 長園神社です。 沼名前神社:大綿津見命Oowatatumi-no-mikoto 素戔嗚命Susa-n-o-no-mikotoを祀ります 広面2469番地:北緯34度49分42秒・東経133度48分53秒 岩目:広面1612・2853B産地等 ミコイワ:広面1661-1663番地 サイノコ:広面1739・1764番地等 平成29年(2017年)4月1日
溝部 木山神社の常夜燈 Jyouya-tou of Kiyama-jinjya
恩義ダムの下流に 溝部與利光1078-1番地 北緯34度56分15秒・東経133度44分33秒が あります。その少し北の道の東側に 木山神社の常夜燈が 立っています。岡山県真庭市木山1265-1の木山神社の信者の者が 立てました。 木山神社:京都祇園の八坂神社を勧請しました。「www.kiyamajinjya.sakura.ne.jp/」岡山県真庭市木山1265-1番地番地 龍王山:溝部1043・1087番地等 與利光:溝部1061・1088番地等 萬代:溝部1091・1119番地等 平成29年(2017年)6月23日
三納谷 三納谷奥集会場の祇園社 Gion-jinjya in Minoutani-oku
三納谷minoutani妙見myoukenn735番地の北東 北緯34度53分7秒・東経133度46分38秒の当たりに 三納谷奥集会場が建ちます。三納谷城の出城と されている場所です。地神宮の石碑等が 構内の入り口の岸に 祀られます。集会場内には 向かって最右の宮は 荒神社で 妙見様と素戔嗚(Susa-no-o-no-mikoto)が 合祀されています。右から2番目の宮は 妙見宮です。右から3番目の宮は 三宝荒神社で 三宝荒神が 祀られており、中央の宮は 祇園社です。左から2番目の大き宮には いかなる神が祀られているか解りませんが 御崎神社と思われます。最も左の宮は 愛宕宮です。三納谷に点在していた神社が 管理上の理由で集められているのでしょう。 神納鼻:三納谷276番地 明見:三納谷710・830番地等 平成25年(2013年)3月13日
拝殿の中に 祭壇が有り、奉納絵馬や写真が掲げられています。拝殿の前を通ると 左手奥に3個の石製の祠が有りますが、村人に尋ねましたが いかなる神が祀られるのか解りませんでした。その奥に 組石が そびえていますが、古代信仰の遺跡でしょうか。拝殿から 右手に登ると 本殿と2つの一宮社が 有ります。本殿には 廣峯神社の守護札が 納められていると言われます。秋祭りは 素盞嗚神社の宮司が 司ります。宮司宅の電話番号は0867-35-0380です。 廣峯神社・広峯牛頭天王社: 兵庫県姫路市の広峰山山頂の神社で 牛頭天王を 祀る神社の総本宮です。 長瀬公会堂:北緯34度52分13秒・東経133度46分51秒 牛頭天王宮・素戔嗚神社:和田129番地・林道宮の谷線の終点 北緯34度53分31秒・東経133度44分50秒付 通称を山王様と言われます。 砂防ダム:北緯34度52分46秒・東経133度46分43秒 入川:美原170・178番地等 中屋屋敷西:美原195番地 前:美原137番地 荒神林:美原305番地 祇園曽根:美原301・307番地等 岩屋敷:313番地 平成25年(2013年)5月2日
和田 江羅の祇園社 Gion-jinjya in Era
和田宮田1420番地の西の道を北に登り 山道を東に進み 山道の交叉点を左に曲がると 右手奥 和田久元1569番地のやや西 北緯34度53分17秒・東経133度44分56秒に 祇園社が建ちます。小さい一宮社が 2社有り、左の小さい社には 神が祀られていません。右の社が祇園社です。 エラ:和田1213・1221番地等 恵ら:和田1215番地 和田社:和田1369・1431番地等 宮田:和田1420-1422番地 朔日箱:和田1509・1534番地等 祇園前:和田1562・1570番地等 荒神田:和田1577番地 法師龍之段:和田1581番地 平成25年(2013年)8月16日
上竹 月原の祇園神社 Gion-jibjya in Tukibara
高梁御津線(31号線)の正田橋で 宇甘川を渡り 南に進み 変則的な四差路を 西西北に向かうと 北緯 34度51分14秒・東経133度41分6秒の上竹ソ子Sone534番地に出ます。その庭の南端に 一宮社が2社祀られます。腹痛にご利益があるとされます。祇園神社と木野山神社でしょう。高倉神社の可能性もあります。 高倉神社:12世紀後半・平安時代末期の平家全盛の時代で 髙倉天皇(以仁王の弟)を退け 平家ゆかりの安徳天皇を 即位させる等 平家の横暴は 眼に余りました。 源頼政は 平家が 皇室を軽視する事を見かね 後白河天皇の第2王子以仁王Motohito-ouを担いで 平家打倒の戦を 起こしましたが、以仁王は 宇治で敗戦 頼政は平等院で自刃しました。 以仁王は 落ち延びる途中に 光明寺下で 流れ矢により 命を落としたふりをして 頼政の領地・丹波路に落ち延びました。 そして当地吉備郷で 以仁 その矢傷が原因で 治承4年(1180年)6月9日「後世の庶民の腹痛の悩みを 吾が代わって救わん。」との 言葉を遺し 29歳で亡くなりました。翌・養和元年(1181年)9月9日 王の神霊を 奥谷の森の髙倉(現在地)に移し「髙倉天一大明神」として 髙倉神社が 創建されました。「http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/12/49/index.html」 イワイメン:上竹524番地 ソ子:上竹534・536番地 土井ベリ墓ノ前:上竹537番地 馬場・ババ:上竹558・621番地等 施鬼免:上竹572番地 信経寺・シンキヨジ:上竹588・720番地等 平成29年(2017年)10月24日
黒山 多木神社の祇園天宮 Giont-tenguu of Taki-jinjya
黒山後谷364-5番地の西隣 北緯34度47分47秒・東経133度46分16秒の山を妙見山と 呼びます。かつて妙見宮が建っていましたが 完全に破壊され 鳥居の残骸と手水鉢2個が 妙見山の東の麓に 放置されています。現在妙見山には 多木神社が祀られています。トタンぶきに囲いの中に 三宮社が祀られています。左の社は 提婆宮Daiba-guuです。中の社は 稲荷宮であり 祇園天宮であり 提婆宮です。右の社は 今宮不動山王宮です。 高長寺:黒山250・260番地等 馬乗岩:黒山253番地 寺山:黒山256・327番地等 観音免開:黒山281・282番地 齋免:黒山345-349番地 宮ノ脇:黒山360・361番地 後谷:黒山363・373番地等 平成26年(2014年)9月19日
田土 陰地の祇園神社 Gion-jinjya in Tado-Ondi
高梁御津線(31号線)沿いの田土京免1055番地の 田土ライスセンタ-から 田土長左衛門屋敷1628番地や 田土中圓569番地に関る 変則的な五叉路に向かいます。五叉路から 西に向かい 変則的な四差路を進行方向 即ち 西に向かうと 田土陰地1677番地が 建ちます。田土1677番地の東の藪の中に 2組の盤座が有ります。入り口に近い盤座には 陶器製の小さい一宮社である 祇園神社が祀られ、奥の盤座には 陶器製の小さい一宮社が2 社祀られています。一社は 金比羅神社ですが 残りの一社に祀られる神は いかなる神か解りません。 京免:1047・1055番地 才ノタワ・才ノ峠:田土1442・1468番地等 七日殿:田土1469・1470番地 トアミ田:1509番地 渡阿弥陀:田土1511番地 ヲンジ・陰地:田土1481・1677番地等 阿弥陀:田土1510番地 塚原:田土1519・1583番地等 交合岩:田土1532・1586番地等 地蔵ノタワ:田土1541・1662番地等 平成29年(2017年)9月9
豊野 峠信の廣峰神社 Hiromine-jinjya in Kasenobu
尾原賀陽線(369号線)が 矢野川を渡りますが その南の豊野田淵3723番地の変則的十字路を 東に進むと 矢野川を渡ります。次いでT字路・豊野福井2808番地に出るので そこより南の細い道を進むと 竹藪があり 東に山道が分岐します。分岐を 峠になる所迄 登ると 変則的な四差路となっているので 左・東北に進むと 廣峰神社の鳥居が見え、その奥 北緯34度53分22秒・東経133度43分11秒に石グロ (石組の祠)に 囲まれた 一宮社の廣峰神社が 建っています。その脇に 地神碑が立っています。 荒神ワキ:豊野2752番地 福井東:豊野2773番地 堂ノ乢・堂ノタワ・堂ノ己わ:豊野2753・2772番地等 福万:豊野2787・2794番地等 クロ間:豊野2789番地 福井:豊野2807・2808番地 平成29年(2017年)7月16日
豊野 東豊野神社の廣峯神社 Hiromine-jinjya of Higasi-Toyono-jinjya
豊野北屋1408番地 北緯34度52分14秒・東経133度41分55秒の東豊野神社の境内末社に 廣峯神社があります。 廣峯神社兵庫県姫路市広嶺山52番地 北緯34度52分26秒・東経134度42分1秒の主祭神は 素戔嗚尊Susa-no-o-no-mikoto 五十猛命Iso-Takeru-no-mikoto(素戔嗚尊の子で、大家津姫Oo-Yatu-hime 都麻津姫命Tumatu-hime-no-mikotoの兄)を 正殿に祀り、左殿に 奇稲田姫尊Kusi-Nada-hime-no-mikoto(素戔嗚尊の妻) 足摩乳命Asina-tuti-no-mikoto(奇稲田姫尊の父) 手摩乳命Tena-tuti-no-mikoto(奇稲田姫尊の母)、右殿に宗像三女神Munakata-san-jyosin(田心姫命Tagori-hime-no-mikoto 湍津姫命Tagitu-hime-no-mikoto 市杵嶋姫命Itikidsima-hime-no-mikoto) 天忍穂耳命Ame-no-osihomimi-no-mikoto 天穂日命Ame-no-hohi-o-mikoto等を 祀ります。 六地蔵:豊野1330・1348番地等 地蔵田:豊野1349・1350番地 才ハナ・才はな:豊野1351-1354番地 北屋:豊野1359・1410番地等 平成24年(2012年)7月15日
吉川 久保の祇園神社 Gion-jinjya in Kubo
吉川八幡宮より 南下し、町立吉川小学校の前を 通り 吉川東刈尾938-4番地に出、その民家の東から東北に向かう山道を進むと 高台の頂上 北緯34度49分0秒・東経133度45分21秒に着きます。頂上には 石塔様構造物の奥に2基の石で組まれた盤座が あります。北側の盤座に 金比羅宮の社が最近まで残っていたそうですが 現在は見つかりません。もう一つの盤座には 祇園神社があったそうですが 同じく無くなっています。これらの神社は 吉川八幡宮に合祀されているのでしょう。 吉川八幡宮:北緯34度49分10秒・東経133度45分8秒 平成26年(2014年)10月6日
吉川 千木の祇園神社 Gion-jinjya 御園宮 Misono-guu 祇園天王宮 Gion-tennou-guu
吉備中央公園から 西に向い 2番目の大きな十字路(吉川掛坂5099番地の近く)を右(北)に折れると 千木川Sengi-gawaに 沿って道は 西に曲がります。久兵衛橋を渡り 橋供養碑を左に見て T字路を右(北)に進み 直ぐ Y字路を右に折れ 次のY字路を右(東)に進むと 直ぐに左手に細い分岐が 上るように別れるので 登ると 墓場が有ります。墓場の奥の 北に向かう細道を登ると 直ぐに 石垣と 石段に護られるように 一宮社が建っています。御園宮(祇園天王宮 社内には2柱の神が祀られます。)で、 天御中主大神社Ame-no-Minaka-nusi-no-ookami-sya 五帝龍神 罔象女神Mizuha-no-me-no-kami\が 納められています。 吉備中央公園:日の上Hi-no-ue 北緯34度49分57秒・東経133度45分38秒 吉川5099番地:北緯34度49分38秒・東経133度44分54秒 橋供養碑・久兵衛橋:北緯34度49分59秒・東経133度44分38秒 千木祇園社:北緯34度50分29秒・東経133度44分44秒 丸山:吉川4914-4943番地 城:吉川4940・4972番地等 掛坂:吉川5047・5100番地等 猩々:吉川5079・5294番地等 古城:吉川5199・5263番地等 平成26年(2014年)8月9日
吉川 千木虎倉山の祇園神社 Gion-jinjya on Kokura-yama in Sengi
吉川槇谷線(307号線)の新千木橋の西の道を 北西に上り 2つ目のT字路(次の十字路には人差し指の刻まれた道標があります)を 右(北)に向かうと その先で 道はなくなりますが 沢に沿った畔を 北東に進み 沢を渡ると、吉川虎倉山の山道が始まるので 道なりに北西に進むと 左右に小社への取り合い取り合い道が あります。右の取合い道の奥 北緯34度50分15秒・東経133度45分10秒付近に 石組みの祇園神社が 祀られています。道向かいの道の左の取り合い道の奥に 摩利支天皇社が 祀られています。 虎倉山:吉川7048番地や吉川屋敷7049番地の東北約300m 織田氏対毛利氏の対立の最前線であった吉備中央の備前地域の多くは 宇喜多直家配下の伊賀久隆の所領でした。 伊賀久隆は 大変優秀な人でしたので、宇喜多直家は 自分亡き後に 必ずや 自分の地位を 久隆に奪われると 疑心暗鬼し 久隆を毒殺しました。 久隆の子の家久は 宇喜多氏の追及を避けるため 備中地域の多くを支配下に置いていた 毛利氏の小早川隆景の誘いもあって 居城である虎倉城を捨て 吉川千木に移り住みました。 故郷を偲び 神々を祀った山を 虎倉山と名付けました。 新千木橋:北緯34度50分5秒・東経133度45分20秒 人差し指の刻まれた道標:北緯34度50分11秒・東経133度45分4秒 千木芝下:吉川7227・7336番地等 山神:吉川7320・7348番地等 山ノ神:吉川7324番地 小倉:吉川7344・7427番地等 才免・斎免・左以免:吉川7352・7398番地等 平成27年(2015年)11月16日