水神Suijin/MIzugamiは 水に関する神々の総称です。農耕のためには 水は 最も重要な因子の一つであり 水の過不足により 収獲の質や量が 左右されるので 水神は 田の神と 結びきました。このような水神は しばしば 田の脇や 用水路沿いに 祀られます。また、水源地に 祀られる水神・水分神 Mikumari-no-kamiは 山の神と 結びつきました。日常生活で 用いられる水質の安全 安定的供給を 祈るため 水神は 井戸や水汲み場に 祀られます。日本神話には 水神として 罔象女神Mizuha-no-me-no-kami 闇龗神Kura-Okami-no-kami ・高龗神Taka-Okam-no-kamii 天之水分神Ame-no-Mikumari-no-kami・国之水分神Kuni-no-Mikumari-no-kami 瀬織津姫神Seoritu-hime-no-kami 若宇加能売命Waka-Uka-no-me-no-mikoto等が 登場し、祈雨 止雨 灌漑や水分Mikumari 水難等の神として信仰されます。河童Kappa 蛇 龍 等が 神として、あるいは 水神の神使として 祀られる事があります。「https://ja.wikipedia.org/wiki/水神」 仏教では 八大龍王、陰陽道では五帝五龍王が 水の神として 信仰されます。「https://ja.wikipedia.org/wiki/竜王」 Suijin or Mizu-gami is generic name of gods or goddesses related to water Because water is one of the most important factor for farming, and deficiency and excess of water influence quality of farm products and amount of harvested products, Suijins was syncretized with god of paddy field These Suijins enshrine at side of paddy field or side of irrigation channel Further, Suijins enshrine water resource ”Mikumari-no-kami/god of watershed" was syncretized with god of mountain Suijins are enshrined at the sites of well or the sites of drawing water to pray safety on sanitation of water and ample supply of water Water sprit "Kappa", snake, dragon are often enshrined as god or as the messenger of god Kura-Okami-no-kami, Mizuha-no-me-no-megami, Ama-no-Mikumari-no-kami・Kuni-no-Mikumari-no-kami, Seoritu-hime-no-kami and Waka-Ùka-no-me-no-mikoto etc. who appear in Japanese mythology , are believed as gods of rain, gods of stop raining, gods of irrigation or gods of diversion of water Hatidai-Ryuou are believed as gods of water in Buddhism, and Gotei-Goryuou are believed as gods of water in Onmyō-dō
井原 天神堂の御崎宮 Misaki-guu-of Tenjin-dou in Ihara
井原出シ上943番地より 西に 墓場を幾つか越え登ると 頂上付近・倉木池の東 井原843番地の西 約80m 北緯34度53分50秒・東経133度45分26秒に 地神搭と共に 井原天神堂が建ちます。五宮社の両脇に 一宮社が祀られます。五宮社の左より2番目の厨子が 八百万神社で、その厨子の中に御崎宮が 祀られていますです。 祭神は御崎大明神である 水象女命Mizuha-no-me-no-mikotoと 鳴雷神Naru-ikaduti-no-kamiです。 祢宜田:井原905-909番地 亀馬引免:井原921・922番地 天地ノ山:井原939-940番地 出シ上:井原943-945番地 平成25年(2013年)10月4日
上田東 塚神宮 Tukajin-guu/Mr.Tukajin
上田東柏尾Kasiwa-o1153番地の左の小道を 北に少し進むと 北緯34度53分55秒・東経133度47分56秒に 円墳があり 一宮社が2社建っています。左が 塚紳宮Tukajin-guu/Tukajin-samaで、右が 摩利志天王社です。手水鉢には「寛政○○ 月○○○」と 刻まれています。この社には「寛政の飢饉kikinの折り 村を訪れた旅の修行僧が 村の惨憺santanたる不毛に苦しむ村人を見て 哀れに思い、この古墳に 穴を掘って 入り 「我の眷属kenzokuは 摩利支天王なり。我の古 鈴の音が止んだ時は 我が力尽きた時である。我が屍Sikabaneをここに葬り給え。 さすれば 空ははれ 日光が降り注ぎ 田畑は稔りに 溢れるであろう。」と 言って穴の中に籠もって、鉦Kaneや 鈴を鳴らし 大般若経を 唱え続けました。 鈴が止んだので 屍を そこに葬り 行者を 塚神と呼び 塚神宮と 摩利支天王社を 塚の上に祀ると1長年続いた天候不順は 収まり 飢饉が 治まりました。」と 言う伝説を残しています。参詣の仕方は 神道の作法ですので 神仏習合した仏でしょう。 齋ノ免:上田東1035番地 柏尾:上田東1057・1282番地等 墓東大段:上田東1065番地 平成25年(2013年)7月20日
円城 井元に立つ地水二神 Tisui-Nisin in Imoto
円城郵便局と 円城小学校の間の道を 北東に 井本池を右に見て 進み 円城中屋838番地の北西隣の北緯34度53分36秒・東経133度48分33秒に 井元大社Imoto-ooyasiroが 建ちます。境内の正面には 4社が祀られます。中央の社が 荒神社で 三寶荒神が祀られ、右手の中央側の社は 大社で、手前の社は 魔利支天大神が 祀られています。荒神社の右手の石碑は 地水二神と 読めます。地水二神とは 地神と水神が習合した神です。 井元:円城816・844番地等 中屋:円城834-840番地 搭楽坊:円城853-855番地 平成25年(2013年)5月18日
尾原 新山城本丸の水神社 Suijin-sya of Niiyama-jyou
尾原和佐田505-1番地の東 即ち 尾原新山町Niiyama-Mati28-1番地の北の山 北緯34度55分8秒・東経133度45分26秒付近に 新山城跡が あります。旧新山小学校と 新山郵便局の間の細い山道を 東北に登り 途中の北に向かう分岐を進むと 本丸跡があり 更に南に下ると 大蔵谷Oozou-daniの蜂水瓶Hassuin-bin 北緯34度55分6秒・東経133度45分25秒に 水神様が祀られています。水神が 祀られる谷越しの右手に 東丸跡と砂防ダムがありそのまま下ると 大渡し橋に 出ます。言い換えると 豊岡川に架かる大渡橋から 北東に尾原土井419番地の西の谷筋を 緩やかに登った 本丸跡と東丸跡の間の谷底(麓に近いので接近し易iい。)に 蜂水瓶が あります。 城山:尾原457・494番地等 城山本丸:尾原459番地 城山西ノ丸:尾原467番地 ウドフザコ:尾原480・492番地等 御堂坂:尾原482番地 夘堂坂:尾原483・番地等 和佐田:尾原498-508番地 新山:尾原510番地 高札場:尾原511番 平成24年(2012年)1月26日
尾原 罔象女神神社 Mizuha-no-me-no-kami-sya
北緯34度54分56秒・東経133度45分35秒 尾原土井下モDoi-simo405-1番地に 出雲大社教場と共に 八神稲荷神社Yakan-Inari-jinjyaが 建ちます。拝殿と教場の中間点に 鳥居が有り 石の階段が 裏山に 登ります。この山道を ジグザグに登ると 小社が有り 大元尊神 罔象女神 五帝龍王が 祀られます。手前の小社は古く陶器製の白狐が 祀られています。 土井下モ:尾原405-407・421番地 寺屋敷:尾原408-410番地 城山:尾原457・494番地等 ウドフザコ:尾原480・492番地等 御堂坂:尾原482番地 夘堂坂:尾原483・491番地等 平成24年(2012年)7月1日
尾原 吉備の誉恵比寿神社 Kibi-no-homare-Ebisu-jinjya in Obara
落合加茂川線(66号線)沿いの尾原町中公会堂と 尾原新山町Niiyama-Mati620番地の新山郵便局の間 北緯34度55 分4秒・東経133度45分21秒に 吉備の誉恵比寿神社が 建ちます。かつて この地に栄えた吉備の誉酒造の産土神社(著者には氏神社の思えます)でした。大黒天神 恵比寿天神の像と祠の他 埴山姫神Haniyama-hime-no-kami 罔象女神Mizuha-no-me-no-kamiが 祀られています。社の軒下には 明治明治二十三年寅四月一八日に 奉納された絵馬が 掛かります。
産土神とは 生まれた土地の守護神で その人を生前から 死後迄 個人的に守護する神です。転居しても 守護します。氏神に似ていますが 氏神は 血縁関係を 基にする氏子で 祀ります。産土神は 地縁による共同体意識を持つ 氏子集団で 祀られます。産土神社では 産土詣(初宮参り 七五三参り 成年参り等)をします。産土神は 安産の神(産神Ubu-gami)と されます。尾原馬場田615-3番地の南の広場に一宮社が建ちます。神様は お留守です。吉備の誉神社の古い社と思われます。金刀比羅堂:尾原545番地 乗次:尾原603・612番地等 狼田:尾原606番地 馬場田:尾原613-616番地 新山町:尾原617-636番地 山ノ神:尾原640・700番地等 平成25年(2013年)11月11日
上加茂 鴨神社の水神社 Suijin-sya of Kamo-jinjya
北緯34度51分6秒・東経133度49分22秒 上加茂宮坂Miyazako471番地に鴨神社が 建っています。境内に金刀比羅宮があり、木山神社 地神社 川上神社 素盞嗚神社Susa-no-ono-jinjya 番神社 今宮社 系普神社 御玉神社 幸神社Sai-no-kami-sya/yasiro祇園神社 山神社 加茂神社 水神社Suijin-sya 武甕槌神社Take-Mikaduti-no-kami-sya 大山社 愛宕神社 厄神社 森神社 龍神社 神納社が 合祀されています。 宮米:上加茂408・491番地等 觀音堂下タ:上加茂412-414番地 宮坂:上加茂443・481番地等 平成25年(2013年)1月13日
上加茂 鴨神社の御玉神社 Mitama-jinjya of Kamo-jinjya
下土井 倉屋の水神群 SuijinS in Kuraya
落合加茂川線(66号線)から 下土井下加茂川線に(372号線)に進み 120m程 進むと 下土井金屋からから 北西に向かう分岐があります。 下分岐に沿って下土井倉屋507番地を過ぎ 90m程 北に進むと 左右手(東) 北緯34度52分56秒・東経133度45分42秒に 水神社を 祀る汲川があります。その少し手前に 東に向かう細道があり 陶器製の小さい社が 小さい池の近く 北緯34度52分56秒・東経 133度45分42秒に 祀られます。この社も 水神を 祀るのでしょう。汲川の少し北の右手に 先程の社と類似した 陶器製の小さい社が 畑の畦に祀られています。これも水神社と 想像します。 mmmmmmmmMk、、 堂ノ前:下土井469-472番地 倉屋:下土井477・487番地等 荒神曽根:下土井501・509番地 平成30年(2018年)3月6日
お参りすると 神井の水を頂いて帰り 米を炊く水にしたり 飲み水としたりして 使用し、濁る等していて飲食に耐えられない時には 神棚の水として使用したそうです。祈願が叶うと 石に 自分の干支etoを 書いて貼り付け、コイ(鯉)や ウナギ(鰻)等の魚を 池に放し お供えする習慣があったと言われます。性の悩みに ご利益があった者は 木製 石製 金属製 焼き物の男根像を 奉納しましたが、現在では 道徳教育上 宜しくない風俗として 取り止められ、かつて競って納められた セクシャルな奉納物は 取り払われています。それでも 時々奉納されると言います。「加茂川町史」
真名井神社は 高谷882番地付近の5叉路を 南東に下り 道なりに 東北東に進むと 左手の道下 北緯34度51分29秒・東経133度46分30秒に 小社として 建ちます。願いが叶い 石に自分 の干支を書いて貼り付けたとされる石は 見つかりません。池は 有りますが お礼の魚を飼うには 狭すぎます。 堂ノ后:高谷575・576番地 池ノ間:高谷577番地 槙ヶ乢:高谷608・889番地等 木ノ實:高谷730・775番地等 湯谷:高谷930-934番地 堂﨑:高谷935-938・1020番地等 平成24年(2012年)7月2日
竹部 乗木天神社の杉神社 Sugi-jinjya which is a Auxiliary Shrines out of Ten-jinjya's grounds
下加茂より 臼井橋を渡り、吉備高原都市に向かう途中・鳴滝に向かう道の手前の竹部馬場1090-1番地の左(南)の田の中 北緯34度49分57秒・東経133度47分31秒に 杉神社が 建ちます。乗木天神社の境外摂社で ご祭神は 杉大明神Sugi-daimyoujinとされ、杉が植えられております。藤の木が 大蛇のように絡んでいます。付近の10軒程の家で 管理していて、天神社のお祭りの時の お旅場所です。主祭神は 天御中主神Ame-no-minsaka-nusi-no-kamiで 岡家女神Mizuha-no-me-no-kami 五帝龍神Gotei-ryuujinが 祀られます。南手に 火御崎神と 〇想社大明神が 祀られる右の小社と、摩利支天社と 田中大明神を祀る左の大き目の小社が 建ちます 岡家女神:罔象女神Mizuha-no-me-no-kamiの書き間違いでしょう 田中大明神:田中家先祖若宮三社 天照皇大神宮Amaterasu-sumera-ookami-guu/Amaterasu-koutaijin-guu 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命宮Masakatu-Akatu-Kahayahi-Ame-no-Osihomimi-no-mikoto-sya 田中家先祖宮姫宮の合祀宮です 田中家先祖宮姫宮:田中家の祖霊社なのでしょう 臼井橋:北緯34度50分0秒・東経133度47分23秒 天神社:竹部美民城1035番地 北緯34度50分4秒・東経133度47分3秒4 馬場:1090・1107番地等 杦ノ免:竹部1070・189番地等 平成25年(2013年)4月9日
竹部 竹部の木野山神社 Kinoyama-jinjya in Takebe
竹部青樹264番地 北緯34度49分24秒・東経133度46分52秒に 青樹神社が 建ちます。青樹神社の前の通路を南に >字に進むと 左(東)にコンクリート製の橋が 小川に 架かってるので、橋を渡ると 墓場が有ります。墓場の左の山道は 直ぐに右に 即ち 山の頂上に向かう道が 分岐するので 分岐を道なりに 山の8合目辺り迄 登ると 左上に向かう青樹神社への取り合い道の上 北緯34度49分13秒・東経133度46分51秒付近に 銅製の屋根を持つ 木野山神社が 建っています。山神社ですが、天御中主命Ame-no-Minaka-nusi-no-mikotoの木札が納められており 近くに落ちていた木札には 天御中主尊Ame-no-Minaka-nusi-no-mikotoの下に 罔象女神Mizuha-no-me-no-kami御本殿と手〇〇負命と五黄龍神Go-ou-ryuujinnと 記されています。後者の木札は 雨晒しになっていて良く 読み取れません。村人のお話では 現在は 青樹神社に 合祀されているそうですがb青木神社の祭神と 異なっており、乗木天神社の社外摂社の杉神社の祭神と似ているので 杉神社の間違いであろうと思います。 木野山神社:高梁市(旧津川村今津)の標高401mの木野山の頂上北緯34度49分32秒・東経133度37分3秒に建建つ木野山神社には大山祇命Oo-Yamatumi-no-mikoto 豊玉彦命Toyotama-hiko-nomikoto/Toyotama-biko-no-mikoto 大己貴命Oonamudi-no-mikoto 高寵神Taka-okami/Takaokami-no-kami 闇寵神Kura-o-kami/Kuraokami-no-kamiが 祀られています。 コンクリート製の橋:北緯34度49分21秒・東経133度46分51秒 墓:北緯34度49分20秒・東経133度46分51秒 手〇〇負命:手置帆負命Taoki-hooi-no-mikotoの事と思われます。 五黄龍神:いかなる神か知りません。五帝五龍王の黄帝黄龍王 或いは 五方龍王の中央黄龍の事でしょう。 四神Sisin・四獣Sijyuu・四象Sisyou:中国の神話に登場する天の四方を司る霊獣 即ち東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武です 五行説では 中央は 黄で黄龍 を四神の長とします「https://ja.wikipedia.org/wiki/四神」。 五帝五龍王:中国神話の天地創造の神・盤古Banko(大梵天王・堅牢地神・盤牛王Ban-goou・大日如来)の子供達に 青帝青龍(春の神) 赤帝赤龍王(夏の神) 白帝白龍王(秋の神) 黒帝黒龍王(冬の神) 黄帝黄龍王(天門玉女Tenmon-gyokujyo・土用の神)がいます。「https://ja.wikipedia.org/wiki/盤古」 新三坊:竹部120-124番地 本堂:竹部130-132番地 東ノ坊:竹部133-135番地 六地蔵:竹部170-172番地 寺坂:竹部186・192番地等 山ノ神:竹部198・209番地等 牛王所:竹部202・203番地 的場:竹部204・271番地等 青樹:竹部264番地 宮ノ上:竹部265-266番地 平成25年(2014年)4月10日
竹部 阿波良に建つ水神社 Suijindsya in Awara
岡山賀陽線(72号線)のきびプラザの向かいに 阿波池Awara-ikeがあります。池の東側の道を 東に下ると 竹部阿波良2156番地が有ります。その南の田の中 北緯34度50分1秒東経・133度45分51秒に コンクリート製の一宮社の水神社 が建っています。その脇に水源が 有ります。現在 社は 見つかりませんが、平成23年(2011年)9月18日には 田の畔の木製の一宮社に 荒神が 祀られていました。圃場整備の前は この辺りは竹藪で、その中に 荒神と 水神が 祀られていたそうです。 祇園下:竹部2069-2075番地 阿波良:竹部2154・2191番地等 大草田:竹部2192-2203番地 小草田:竹部2204-2228番地等 投打:竹部2251-.2273番地等 山ノ神:竹部2283・2300番地等 鍛冶屋:竹部2377・2390番地等 寺山:竹部2491・2492番地 平成29年(2017年)7月15日
豊岡上 前相模幸槌に建つ水神社 Suijin-sya in Mae-sagami-Kouduti
金子谷kaneko -daniに沿って北上し 豊岡上狐穴762番地で 右折し 荒神社や八幡神社を過ぎると 豊岡上幸槌1318番地が有ります。荒神社と 幸槌1318番地の間に 小さい池があり、傍の汲川と 池に挟まれるようにして 水神社が 祀られています。 御供田:豊岡上1293・1294番地 御崎免:豊岡上1300-1302番地 前幸槌堂屋敷東:豊岡上1316番地 幸槌:豊岡上1317-1319番地 地蔵乢:豊岡上1331・1332番地 前田堂ノ前:豊岡上1333番地 荒神後:豊岡上1340番地 前田相模堂ノ前:豊岡上1341・1342番地 平成29年(2017年)6月16日
広面 広奥の水神 Suijin in Hirooku
広面奥1269番地から 岩目に向かう途中の道が ヘアピンカーブする手前に 広面奥1727番地に向かう山道が 分岐します。その分岐の起点 北緯34度49分237秒・東経133度48分51秒に 水の湧く場所が 窪みとなっていていて 石垣で囲われて 御幣Gohei/Staff with plaited paper streamersが 祀られています。近くから 風穴Kazaanaのある砂防ダムに向かう分岐が 南に下ります。 供養石元:広面1248・1249番地 神幸場:広面1261番地 ミユキバ:広面1264番地 神納河内:広面1262・1267番地等 奥:広面1268・1760番地等 宮ノ後:広面1271番地 ドンド:広面1277・127番地 平成29年(2017年)4月1日
福沢 ごう様の厳島神社 Itukisima-jinjya of Gou-sama in Hukuzawa
福沢西集落の西地域に 幸手橋が 猪木川に架かります。南の分岐に入ると 直ぐに Y字路となっているので 西に向かう(右・北)道に 進むと 鋭角な三叉路になります。三叉路を戻る方向に鋭く回ると 直ぐに 3叉路となるので 西に向かう山道を 進むと 左手 北緯34 度55分41秒・東経133度43分26秒に 金之神社Kanenokami-sya or Kan-no-jinjya(ごう様Gou'-sama・Mx.gou.) が建ちます。堂内には 五社が有ります。一番左の社には 神宮大麻らしき物が 納められています。左から2番目の社は 厳島神社Itukisima-jinjyaで、祭神は航海の神 美の神等である市杵島姫命Itikisima-hime-no-mikoto 海の霧の神 縁結びの神等である田心姫命Tagiri-hime-no-mikoto 航海の神 知恵授けの神等である湍津姫命Tagit-uhime-no-mikotoです。中央の社は 恵比寿大黒社で、4番目の社には 巻物と錫杖が 添えられ 社内には 大きな銅製の鏡と祭具が 祀られていま す。5番目の社は 出雲大社で、壁には 手作りされた乳房 の絵馬が 奉納されています。 乳房型絵馬の奉納は、安 産の民間信仰として伝えら れます。乳房型絵馬を奉納する習 慣のある県内の神社としては 軽部神社Karube-jinjyaが 有名で、祭神 は 国土(床)形成の祖神で ある国常立命Kuni-no-Tokotati-no-mikoto 始めて 生殖を営んだ 結婚式の神 等である伊弉諾命Izana-gi-no-mikoto、 日本の祖神 縁結びの神等である天照大神Amaterasu-oomikami 、離縁の神 縁結びの神である事解男命Kotosaka-o-no-mikoto 離縁の神、縁結びの神である速玉男命Hayatama-o-no-mikotoです。「https://ja.wikipedia.org/wiki/軽部神社_(総社市) 」 この金之神社は 女性守護の神社であるようです。 軽部神社・おっぱい神社・王子の宮・五社王子権現:総社市清音軽部 北緯34度38分17秒・東経133度44分8秒 乳癌 breast cancer 泌乳 lactation 安産easy delivery 育児child care等の悩みの解消のご利益が得られます 御御・おご・御御前・おごぜ:他人の妻、他人の娘を敬う呼び名 女性の総称 御王神社:京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385番地 北緯35度1分20秒東経・東経135度45分31秒に建ち 和気清麻呂と 姉の和気広虫を 主祭神とします 広虫は 戦争孤児を保護しました 金之宮神社Kan-no-miya-jinjya:富士宮市淀師1381-1番地の金の宮の主祭神は 木花之佐久夜毘売命Konohana--sakuya-bime-no-mikoto(富士山の神 安座・子育ての神) 配神は 金山毘古神Kanayama-hiko-no-kami(鉱山の神) 金山毘売神Kanayama-hime-no-kamiです ごう様:吉備中央町に祀られるごう様は、子育ての習俗としてお参りする「『加茂川町の民俗 』岡山 岡山民俗学会,1990,502p. 参照はp100と321」 平成29年(2017年)4月10日
上竹 田中に祀られる水神 Suijin enshrined in Kamitake-Tanaka
高梁御津線(31号線)沿いの 上竹モリ2091番地 カヨースポーツから 北西に180m程進んだ 左手の耕作地の手前 上竹ニゴタ1185番地の南東 約90m 北緯34度50分57秒・東経133度40分25秒に 水源があり、お札が 祀られています。水神を祀るのでしょう。 There is a water source at 34 degrees 50 minutes 57 seconds north latitude and 133 degrees 40 minutes and 25 seconds east latitude in front of the cultivated land on the left-hand side which advanced about 180m northwest from Cayou-Sports/shop Co.Ltd. along the Takahashi Mitsu Line (Route 31) and a charm is enshrined 令和3年(2021年)2月13日
上竹 離小屋城の伊豆那神社 Izuna-jinjya in Ruins of Hanare-goya-jyou in Koya
高梁御津線(31号線)から 賀陽総合スポーツ公園に向かい 公園の手前の変則5叉路・カヨー中央観光バスサンデーツアーズ(賀陽自動車教習所前)を 西に下り 上竹小ヤ 5718番地の南の山を登ると 離小屋城跡 北緯34度49分25秒・東経133度39分32秒に6社を祀る建物が あります。最左の一宮社は 火之御崎神社で、次の大きな一宮社は 天神社で 菅原道真の石像神が祀られ 絵馬が2枚奉納されています。正面の小さい社は 荒神社で 丸い自然石が祀られていて、潤雨jyunuの祈願が 叶った事が 感謝されています。右手の次の一宮社は 稲荷神社で 保食大神Ukemoti-no-ookamiと豊受大神Toyouke-no-ookamiが 祀られ、その右の隠れて見えない一宮社には 如何なる神が祀られているか 解りません。その隣・左から2番目の二宮社は 伊豆那神社Izuna-jinjyaとその末社で、右端の二宮社は 稲荷神社とその末社です。 伊豆那神社・伊豆田神社:高知県土佐清水市下ノ加江3135 番地(北緯32度55分5秒・東経132度55分20秒 )に建つ神社で 祭神は 伊豆那彦命Izuna-hiko-no-mikoto 伊豆那姫命Izuna-hime-no-mikotoです。冷水の湧き水の神々で 脚気 Beriberに 御利益有ります。 ヤクシ山:上竹5611番地 大坊ジリ・大坊シリ:上竹5615-5618番地 般若坊・ハンニャ坊:上竹5629-5633番地 キョウノマヘ:上竹5634番地 小ヤ:上竹5645・5752番地等 平成25年(2013年)12月8日
上竹 宅神 水神 金神 水田神 竈神
上竹陰地地区の農家の多くは 宅地内に宅神takujin 水神 竃神kamadosin/kamadogami 金神konjinを、田に水田神を祀ります。 宅神とは 家宅の守護神・家の神・宿の神・保食神Ukemoti-no-kamiです。この村のご婦人は 祈祷師を 呼んで 宅神に 井戸(写真参照)を掘る場所と 水の出る深さを 占わせると 見事に予見が当たったと 話しました。 水神:屋敷内では 井戸 汲川 水瓶mizugame等に 祀られます。 竃神:屋敷内では 竃hettui等に 祀ります。 水田神:水神(雨の神 晴れの神 分水の神 湧水の神)と田の神(五穀豊穣の神)の性格を合せ持つ神で、田の畦等に祀られます。 平成26年(2014年)4月24日
上竹 山神に建つ水天宮 Suiten-guu in Yamagami-Kuwabara
高梁御津線(31号線)に沿う宇甘川が 街道から離れる辺りの南西に上竹石佛2085番地があります。そのお宅と上竹石仏2090-2番地の間の 南東に向かう分岐を 進み 宇甘川を渡ると 上竹モリ2598番地のY字路になるので 南側の分岐を進み 次いで上竹桑原2186番地を 過ぎた所のY字路を 南東に進み 次のY字路を東に入り 南東に向かうと 空き家となっている家屋があります。その南西の道向う 北緯34度50分34秒・東経133度40分48秒に一宮社が 2社と大きな拝殿を持つ一宮社が 建っています。手前の一宮社は 水天宮で、奥の一宮社は 摩利支天宮で、奥の拝殿を持つ一宮社は 廣峯神社です。 水天宮:東京都中央区日本橋蛎殻町二丁目4番1号 北緯35度41分1秒・東経東経139度47分6秒の水天宮の祭神は 天之御中主神Ame-no-Minakanusi-no-kami 安徳天皇Antoku-tennou 高倉平中宮Takakura-Taira-no-tyuuguu(建礼門院Kenreimon-in・平徳子Taira-no-Tokuko) 二位の尼Nii-no-ama(平時子Taira-no-Tokiko)を祀ります。 水と子供の守護 水難除け 漁業 海運 農業 水商売 又 安産子授け 子育てがご利益です。「https://ja.wikipedia.org/wiki/水天宮」 福岡県久留米市瀬下町265-1番地 北緯33度19分13秒 東経130度29分46秒の水天宮の分社です。 石佛:上竹2085・.2094番地等 桑原・クワバラ・桑ハラ:上竹2136・2565番地等 平成29年(2017年)11月3日
上竹 信教寺青木田の水神 Suijin enshrined in Sinkyoyji-Aokida
高梁御津線(31号線)沿いの 月原バス停の南に キョーエー賀陽店が 建ちます。その南の分岐を東に120m程登った処の30m程北 北緯34度51分14.秒・東経133度40分57秒に 水神が祀られています。Kyourei-Kayou-ten/store is built on the south of Tuki-no-hara bus stop along the Takahasi-Mitu line If you cross Ukai-gawa/river from Takahasi-Mitu line to the east, pass by back of Kyouei-Kayou-ten, climb along the branch about 120m, you will find a sui-jin ”god or goddess of water” at 34 degrees 51 minutes 14.seconds north latitude, 133 degrees 40 minutes 57 seconds east longitude where is the 30m north from the point 信教寺ニゴ:上竹633番地 地蔵ノ元:上竹672-680番地 寺田・テラ田:上竹691・698番地 アヲギ田・アオキ田:上竹711・718・719番地 令和3年(2021年)12021
竹荘 岩牟良神社の高龗神社 Takao-jinjya/Takao-kami-no-kami-sya in Iwamura-jinjya
竹荘馬場1074番地 北緯34度51分51秒・東経133度41分13秒に建つ 岩牟良神社の境内の本殿の裏に 地神碑の隣に 高龗神社が 祀られています。祭神の高龗神Takao-kamiの神徳は 祈晴 祈雨 家内安全 家業繁栄です。日本神話では 神産みにおいて伊邪那岐神が 迦具土神を斬り殺した際に生まれました。「古事記」及び「日本書紀」の一書では、剣の柄に溜った血から闇御津羽神Kuramituh-no-kamiと共に闇龗神Kuraokami-no-kamiがb生まれとされとされ、日本書紀」の一書では 迦具土神を斬って生じた 三柱の神の内の一柱が 高龗神Takao-kami-no-kamiであると しています。又 剣の柄から 血がしたたり 闇龗が生まれ 次いで闇山祇Kurayamadumが生まれ 次に闇罔象Kuramizuhaが 生またと されます。高龗神は 京都市に建つ貴船神社の祭神です。 荒神前:竹荘812・876番地等 權現ノ後:竹荘861番地\ ハカソネ:竹荘916・919番地 墓ノソ子:竹荘917番地 墓そ祢:竹荘918番地 馬場:竹荘969・1135番地等 加大田サイ砂:竹荘1004番地 ババ:竹荘1014・1076番地等 サイ砂:竹荘1004-1006番地 サイ迫:竹荘1007番地 鳥居:竹荘1278番地 鳥井:竹荘1280・1301番地等 宮脇:竹荘1284・1297番地等 墓後:竹荘1080・1081番地 地頭久:竹荘1083・1091番地 地トウ久:竹荘3381-3383番地 平成24年(2012年)8月11日
竹荘 石切の水神 Suijin enshrined in Takesyou-Isikiri
高梁御津線(31号線)の正田橋から 南西に420m程進むと 平の前バス停があり その60m程の南西の所から 北西に向かう分岐が有ります。分岐に入る進むと すぐ右(東) 北緯 34度51分26秒・東経133度41分1秒にコンクリート製の配水施設があり 水神と思われる石碑が 立っています。隣地は 竹荘石切1743番地で 宇甘川を渡った所は 木戸医院(竹荘助トシ584-3番地)です。 If you go toward the southeast from Syouda-basi/bridge along Route 31 about 420m, you will reach Hira-no-mae bus stop If you keep going about 60m toward the southwest, you will reach the branch that heads toward the northwest If you go along the branch to concrete water distribution facility, you will see the stone monuments in a short way from the branched point I think that the stone monuments are Sui-jins “gods or goddesses of water” The neighboring place is 1743 Takesyou-Isikiri 寺ノ前:竹荘1692・1693番地 寺前:竹荘1694-1697番地 寺ノまへ:竹荘1698番地 切石:竹荘1701・1748番地等 キリイシ:竹荘1749番地 十重峠:竹荘1723番地 平ノ前:竹荘1736・1742番地等 平前:竹荘1737番地 山ノ神:竹荘1753・1759番地等 令和2年(2020)10月29日
竹荘 前島に建つ水神社 Suijin-sya in Maejima
高梁御津線(31号線)の正田橋の北の細い道を 北西々に向うと 竹荘寺前1694番地に 出ます。竹荘1694番地の敷地内に 金神と水神が 祀られています。吉備中央町の旧家では 屋敷内に摩利支天 金神 水神 荒神 等を 祀る習慣が あります。 It is the custom of some old families in kibityuuou-tyou-Kayou area that Marisiten, konjin, Suijin and koujin etc are enshrined in the premises 寺前:竹荘1694-1697番地 寺ノまへ:竹荘1698番地 平ノ前:竹荘1736・1742番地等 平前:竹荘1737番地 山ノ神:竹荘1753・1759番地等 荒神前:竹荘1767・1777番地等 平成26年(2014年)4月16日
田土 桜坂に建つ水神Sakurazako-suijin shrine
高梁御津線(31号線)の田土下保木2577-1番地 下田土備北バス停近くのT字分岐を北東に折れY字路を過ぎ 次のT字路を北に折れると右土手下 北緯34度51分34秒・東経133度44分6秒に 水神社が立ち 内臓女神のお札が 祀られます。写真の様に 不思議な物が 奉納されています。内臓女神は いかなる女神か解りませんが 罔の字は 内に似ており 象の字は 臓と同じく「ぞう」と読むので 罔象女神Mizuha-no-me-no-kamiと 記したかったのでしょうか。 下保木:田土2666・2677番地等 下田土:田土2684・2702番地等 宮ノ後:田土2718・2741番地等 地蔵堂:田土2754番地 堂ノ上:田土2755・2759番地 荒神元:田土2770・2774番地等 平成25年(2014年)3月14日
豊野 岩村檜下の水神社 Suijin-sya in Iwamura-Ege
豊野小学校の南南を走る 賀陽有漢線が 下市川を 渡る所の東側にT字路が有ります。 T字路の北に向かう道を 登ると 江下地神碑が 立っており そこから その北の十字路を 西に向かうと 豊野寺脇1046番地に出ます。そこより南に下ると 豊野檜下Ege1066番地があり その南 北緯34度52分52秒・東経133度41秒に 水神社が 建っています。 寺マヘ・寺前:豊野1017・1041番地等 檜下・江下・桧下:豊野1036・1131番地等 ヱゲ・江下:豊野1087番地 寺䏮・寺己キ・寺ワキ:豊野1094・1108番地 寺脇:豊野1050番地等 祭田:豊野1112 家東:1113番地 大歳免:豊野1129・1210番地等 丸山下:豊野115番地 平成29年(2017年)8月11日
豊野 蜂谷地蔵堂の水神 Suijin enshrine by the well near Hatiya-Dizou-dou
尾原賀陽線(369号線)を 豊野小学校から 東豊野神社に向かうと 豊野神社の山門の手前の右手 北緯34度52分10秒・東経133度41分57秒 豊野北ヤ4238番地の南の道向に 竹荘八十八所霊場第十六番札所・地蔵堂が建ち 堂内に4尊の地蔵菩薩像が 祀られています。境内には 南無阿弥陀佛の石碑等と共に 井戸と思われる施設に 水神が 祀られています。 古宮:豊野181・203番地等 北屋・北ヤ:豊野191・277番地等 墓ノ段:豊野231-233番地 平成25年(2013年)8月28日
西 柏木の大倉神社の四天王 Si-tennou of Ookura-jinjya in Kasiwagi
484号線と長屋賀陽線(78号線)の交差点の南に 鋭角なY字路があります。その南南東に向かう分岐を240m程進み 道なりに東に曲がると 西今砂Imazako2197番地があります。そこのT字路を南に 90m程 進むと 北緯34度48分12秒・東経133度40分26秒に 柏木公会堂があります。堂内には 三宮社があり 中の厨子に 大和神社の護符が奉納され、大倉大明神Ookura-daimyoujin 南無妙法蓮華経・四大天王・爲悦衆生故現無量神力所(衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう。) 大元尊神・罔象女神・五帝龍王と 記された護符が あります。軒には半鐘が吊るされており 境内には 堅牢地神が 祀られています。 大倉大明神:吉野郡 吉野町南国楢 大蔵神社の祭神は 大蔵姫命(下照姫命) 鹿葦津比売命(木花之開耶姫)です 。 奈良県御所市古瀬377番地の大倉姫神社の祭神は 大倉姫命(下照姫命)です。 四大天王:須弥山の中腹の四天王天の四方に住み 仏法を守護する4護法神、即ち 東方を 守護する持国天・提頭頼吒Daidura-ta 南方を 守護する増長天・毘楼勒叉Birutroku-sya 西方を 守護する広目天・毘楼博叉Birubaku-sya北方を 守護する多聞天・毘沙門Bisysamonで、四大天王 四王 護世四王とも 呼ばれます。「https://kotobank.jp/word/四大天王-520348」 大元尊神:国之常立神とされ、天地形成時に現れ 常久に無限の力を発揮し 不断に万物の生を養い 造化育成を司る 天地の大元霊Mioya-ookamiです。「ontakesan.net/御祭神/」 柏木:西2084・2232番地等 今砂:西2116・2228番地等 金仕場:西2259・2277番地等 炭釜:西2303・2304番地 平成30年(20187年)3月15日
宮地 大和神社市杵島神社 Itikisima-jinjya of Yamato-jinjya
宮地宮谷445番地 北緯34度47分47秒・東経133度45分7秒に 大和神社が建ちます。明治43年(1910年)に 大和村北 西 岨谷 宮地にあった35の小社が 村社八幡宮に合祀され 一村一神社となし 大和神社と 改名されました。その合祀された小神社に 大字岨谷小迫の龍王神社(志那津比古命Sinatu-hiko-no-mikoto 志那津比女命Sinatu-hime-no-mikoto) 龍王山の市杵島神社(市杵島媛命 多岐理姫命)が 含まれます。「賀陽町史追補版」 岡山神社庁の示す由緒によると「建久年間(一一九〇年―一一九八年)の創建と伝える。明治四十三年四月十四日大和村大字宮地字宮谷鎮座八幡神社に同村大字宮地字東ヶ市鎮座御前神社、同村大字西字湯原鎮座(龍王山 市杵島神社だろうか。)、同村大字岨谷字岩山、岩山神社と同村内無格社三十一社を合祀して大和神社と改称し、一村一社とした。」とされます。 宮乢:宮地432・481番地等 黒田:宮地274・446番地等 小迫 「コザコ・コサコ・小迫」:岨谷734・3442番地等 山ノ上:宮地1149 ・1327番地等 大向:西1028-1041番地 龍王山:西2935・2949番地等 平成16年(2004年)8月24日
湯山 小谷城下の水神社 Suijin-sya under Odani-jyou
484号線(総社賀陽線・57号線の延長))が 吉川川に 接近する辺り・湯山香路木Kourogi551番地の南の分岐を 湯山口に向い 左(南西)に入り 道なりに 西に向うと 神原簡易水道浄水場があります。そこから 道なりに南西に進むと 左(南東々)に進む無舗装の分岐があるので 分岐に進むと 直ぐに 右手に 石垣で囲まれた 水汲み場があり、その手前に 水神の小さい社が 建ちます。この南の 広大な平坦地を 安藤屋敷(横部殿屋敷)と 呼び 小谷城城主の森大蔵の屋敷跡でしたが、神原惣右衛門が 大蔵を滅ぼし その後に 伊賀久隆の子の伊賀太郎次郎を 住まわせました。 辻堂:湯山483・494番地等 塚ノ鼻:湯山503・504番地 茶屋:湯山507-509番地 カウロギ・香路木:湯山511・555番地等 平成25年(2013年)12月25日
吉川 千木の祇園社 Gion-jinjya 御園宮 Misono-guu 祇園天王宮 Gion-tennou-guu
吉備中央公園から 西に向い 2番目の大きな十字路(吉川掛坂5099番地の近く)を 右(北)に折れると 千木川Sengi-gawaに沿って 道は西に曲がります。久兵衛橋を渡り 橋供養碑を左に見てT字路を右(北)に進み 直ぐY字路を右に折れ 次のY字路を右(東)に進むと 直ぐに左手に細い分岐が上るように別れるので 登ると 墓場が有ります。墓場の奥の北に向かう細道を登ると 直ぐに石垣と石段に護られるように 吉川道ノ下6829番地や 吉川西道ノ下6855番地の西に 一宮社が 建っています。祇園宮(祇園天王宮、社内には2柱の神が祀られます。)で、 天御中主大神社Ame-no-Minaka-nusi-no-ookami-sya 五帝龍神 罔象女神mizuha-no-me-no-kamiと 記された札が 納められています。 吉備中央公園:吉川日の上 北緯34度49分57秒・東経133度45分38秒 吉川5099番地:北緯34度49分38秒・東経133度44分54秒 橋供養碑・久兵衛橋:北緯34度49分59秒・東経133度44分38秒 千木祇園社:北緯34度50分29秒・東経133度44分44秒 丸山:吉川4914-4943番地 城:吉川4940・4972番地等 掛坂:吉川5047・5100番地等 猩々:吉川5079・5294番地等 古城:吉川5199・5263番地等 平成26年(2014年)8月9日