前項目で 述べたように、摩利支天は 元來は仏教の守護神でしたが 神仏混淆すると あたかも 神道の神のようになり 勝負の神 戦いの神として 崇められました。それ故に 備中兵乱や 虎倉合戦に巻き込まれた 吉備中央町では 多くの集落や 山城や 個人で 摩利支天社祀り しばしば 神道の剣の神・戦いの神である 武御雷命 経津主命と共に 摩利支天社に 祀られます。
Marisi-ten is the guardian goddess of Buddhism, but she is worshipped as a goddess of victory and a goddess of battle after syncretism of Shintoism and Buddhism So Marisi-ten is enshrined in many communities, many Ruin of mountain castles and many individuals of Kibityuuou-tyou as a god of Shintoism, with Take-Mikaduti-no-mikoto and.or Hutu-nusi-no-mikoto who are gods of sword and gods of battle frequently ㊟摩利支天社等の前に付された地名は他の摩利支天社等と区別する為に付けられていて、摩利支天社等の正式名称でない場合があります
上竹 有納魔利支天神社 Mariso-ten-sya in Kamitake-Arinou
上竹有納4388-2番地の東を通り 北に進むと 丘(鼻)の上に平坦地があり その鼻の北東に 墓場があり 輪塔 破壊された宝篋印塔 地蔵石像が 立ちなす。又 比較的大きい堂 有納堂と小さい宮社と陶器製の小社が建ちます。有納堂は三宮社で そのうちの2つの厨子は それぞれ 有納魔利支天神社 有納木野山神社です。右端のもう一つの厨子の祭神は お留守です。 ショウガン・ジョウゲン・ジョウガン・ショウガン:上竹4367・4468番地等 郷倉屋敷・ゴウクラ屋敷:上竹4385・4386番地 有納・アリノウ:上竹4384・4398番地等 平成26年(2014年)4月24日
上竹 山神摩利支天宮 Marisi-ten-guu in Kamitake-Yamagami
高梁御津線(31号線)の宇甘川が 街道から 離れる辺りの南西の 上竹石佛2085番地と 上竹石仏2090-2番地の間の 南東に向かう分岐を進み 宇甘川を渡ると 上竹モリ2598番地のY字路になるので 南側の分岐に進み 次いで上竹桑原2186番地を過ぎた所のY字路を 南東に進み 次のY字路を東に進み 次いで 南東に向かうと 空き家となっている家屋が あります。その南西の道向う 北緯34度50分34秒・東経133度40分48秒に 一宮社が 2社と 大きな拝殿を持つ一宮社が 建っています。手前の一宮社は 水天宮Suiten-guuで、奥の一宮社は摩利支天宮で、奥の拝殿を持つ一宮社は廣峯神社Hiromine-jinjyaです。 石佛:上竹2085・.2094番地等 桑原・クワバラ・桑ハラ:上竹2136・2565番地等 山神:上竹1539・1551番地等 平成29年(2017年)11月3日
上竹 信経寺摩利支天社 Marisi-ten-sya in Kamitake-Sinkyouji
高梁御津線(31号線)を 竹荘から 上竹に進むと 右手にコメリが、左手に キョウエイが有ります。キョウエイの南側の裏手の道を上ると 左手の丘の上・上竹信教寺642番地の南 北緯34度51分17秒・東経133度40分57秒の近くに 摩利支天社が 建ちます。古い墓地と 竹荘88ヶ所霊場・第75奥の院札所が 併設されています。摩利支天神社には 摩利支天の他に 経津主大神Hutu-nusi-no-ookamiが 祀られています。 信経寺:上竹588・・639(北緯34度51分18秒・東経133度40分58秒)・720番地等 コメリ・上竹宮田742-2番地:北緯34度51分15秒・東経133度40分49秒 上竹アヲギ田711番地:北緯34度51分15秒・東経133度40分53秒 ミコメン:上竹824番地 ゴリン畑:上竹828・828番地 垣ノ内通ノ下:上竹839番地 荒神ノ前:上竹856番地 堂ノ前:上竹862番地 平成25年(2013年)3月31日
上竹 月原徳次摩利支天社 Marisi-ten-sya in Kamitae-Tuki-bara-Tokili
高梁御津線(31号線)の正田橋で 宇甘川を渡り 南に進み 変則的な四差路を西に向かうと 竹荘徳次600-1番地に 出ます。その東に 分岐が
あり 600-1番地と上竹ソ子534番地の中間辺り 北緯34度51分18秒・東経133度41分65秒に 摩利支天社が 建ちます。 イワイメン:上竹524番地 ソ子:上竹534・536番地 施鬼免:上竹572番地 正田:上竹573・574番地 湯ノ上:上竹585番地 信経寺・シンキヨウジ:上竹588・720番地等 徳次:上竹600・617番地等 ババノ上:上竹618番地 平成29年(2017年)10月24日
上竹 日名加門摩利支天社 Marisi-ten-sya in Kamitake-Hina-Kamon
高梁御津線(31号線)の正力交差点・上竹ソフタ4136-2番地から 北西に進み 片山池を過ぎたX状の交差点を 西に曲がり 茶筅ヶ市の変則四差路を上竹庄司ヶ市3961番地に進み 次のT字路を右 即ち 北東に曲がると上竹マヘ3882番地に 出ます。そこの三叉路の北西に延びる道から 道なりに 山道を 山ノ神池に 向かうと その途中 北緯34度50分25秒・東経133度39分45秒に 加門の人達が護る 一宮社の摩利支天社が 建ち 経津主命Hutu-nusi-no-mikotoが 祀られています。 宮ノタワ:上竹3320番地 宮峠:上竹3322番地 才道・サイドウ:上竹3324-3330番地等 坊ノシタ:上竹3355番地 カモン:上竹3352・5417番地等 平成29年(2017年)11月6日
上竹 宮後摩利支天社 Marisi-ten-sya in Kamitake-Miyasiro
袈裟掛地蔵堂の変則的五叉路から 北に進むとY字路になるので 北西に進むと上竹アサヒナ3163-2番地が 有ります。その北の林の中 北緯34度50分44秒・東経133度39分44秒に 摩利支天社があり 経津主命Hutu-nusi-no-mikotoが 祀られています。 アサヒナ:上竹3163・3164番地 墓のマヘ:上竹3169番地 アサヒナ家ノワキ:上竹3162番地 墓ノ上:上竹3185・3188番地 菊森:上竹3202番地・キクモリ:上竹3199番地 ケサカケ原:上竹3198・3249番地等 ケサカケタワ:上竹3242・3366番地等 坊ノシリ・坊ノ尻:上竹3255・3281・3282番地等 平成29年(2017年)11月11日
北 古和田城の摩利支天社 Marisi-ten-sya of Kowada-jyou-in Kita
北古和田(北山本kita-yamamoto)の北緯34度48分55秒・東経133度41分57秒辺りが 古和田城跡・野山城跡で、石垣 土塁 郭堀を残します。北小和田353番地の民家脇から 山頂まで 直接登る 山道が あります。石垣の所から 県道を登り切った所に 大和山遊歩道(ことわざの道)があります。右折すると 直ぐに城山への遊歩道が 整備されています。北353番地から登ると 八合目付近の途中に 摩利支天が 祀られていて 摩利支天神社のある平坦地の奥は 崖になっています。 小和田:北244-325(北緯34度48分53秒・東経133度42分4秒)・362番地等 北353番地:北緯34度48分52秒・東経133度42分1秒 馬場:北379-387(北緯34度48分36秒・東経133度42分1秒)・409番地等 馬場西谷:北417-422番地
平成24年(2012年)4月11日
北 伊達弾正館摩利支天社 Marisi-ten-sya of Date-Danjyou-yakata in Kita
北奥樋okuhi1386・1388・1373番地の北の城山・伊達弾正屋敷跡が 北緯34度48分26秒・東経133度42分14秒付近に あります。手前の約3反六畝(36a)平坦地には 摩利支天社と 推測する祠が 祀られています。1段上の平坦地の間に 土塁があり 土塁上に 墓場があり 又 伊達弾正屋敷跡の標識碑が 立っています。北の斜面傍に 小祠が有ります。 才道:北1303・1330番地等 奥樋:北1333・1397番地等 城山:北1377・番地等 三門:北1427-1455番地 札場:北1456-1485番地 仁王門:北1492・1493番地 寺前:1504-1518番地 平成24年(2012年)4月11日
黒山 庄屋墓摩利支天社 Marisi-ten-sya of Syouya-baka/graveyard in Kuroyama
八幡森(松原八幡宮Matubara-Hatiman-jinjya 北緯34度47分43秒・東経133度46分6秒)の南の麓 北緯34度47分43秒・東経133度46分4秒に 3個の墓場が 有ります。その一番東の墓場が 庄屋墓です。この墓場の東端 (黒山高下kouge464番地の北東)に 摩利支天社と思われる 朽ち果てた木製の一宮社が 有ります。社の東に 富田庄屋と呼ばれる 広大な平坦地が 有ります。富田庄屋の裏山が 八幡森で 松原八幡宮が 祀られています。富田庄屋の墓場側を 除いて3方は 八幡森の中腹を切り取り造られた平坦地で 戦闘に備えるかのように 高い作壁に 囲まれています。 山ノ神:黒山419・420番地 陣ヶ野呂:黒山446・453番地等 勝負坂:黒山449番地 陣ヶ畝:黒山454番地 花屋:黒山460番地 陣ヶ野呂:黒山769番地 城堀坂:黒山658・663番地等 的場谷:黒山664番地 的場ノ谷:黒山665番地 平成26年(2014年)9月19日
竹荘 赤砂有安株丸支天神社 小林株摩利支天社 Marusiten-jinjya of Ariyasu's family and Marisiten-sya of Kobayasi's family in Takesyou
賀陽有漢線の賀陽町舎から 北上し 下市川を渡る手前の竹荘・町の後406番地の交差点で 北向きに折れ 登ると 右手に 刎田城山が 見えます。更に 北上し 竹荘サネ光マヘ4125番地や 豊野江下E末信900番地に出ると北方向に豊野江下Egeせのぶ925番地が 見上げられます。豊野900番地のやや西にある山道を 豊野925番地に向け登ると 江下と赤砂の境に 左に入る山道が有るので 山道を登ると 北緯34度52分42秒 ・東経133度41分16秒に 比較的新しい 有安株の護る 丸支天神社が 建ち 経津主命Hutu-nusi-no-mikotoが 祀られています。更に上り 鍵の手に折れると 峠付近 北緯34度52分44秒・東経133度41分18秒の岩の上に モルタルブロックで支えられた 小さな一宮社の 小林株の護る 摩利支天社が 建ちます。 赤砂:竹荘4118・4175番地等 サ子光マヘ:竹荘4124-4126番地 セノフ・末信:豊野881・950番地等 權現ノ後:豊野竹荘861番地 荒神ノ脇:862・863番地 ハカソネ・墓ノソ子・墓そ祢・ハカソ子:豊野916・919番地等 平成29年(2017年)8月17日
竹荘 板屋信藤家ノネキ摩利支天社 Marisi-ten-sya in Takesyou-Itaya-Nobutou-Ie-no-neki
岩牟良神社から 北西に進むと 竹荘岡3321番地の近くに K字状の分岐があり 才の神が 祀られています。北に向かう道を進む と竹荘板屋3287番地の北で Y字路となるので 北西に折れると竹荘家ノネキ3280番地があります。その北の高台 北緯34度52分5秒・東経133度40分58秒に一宮社・摩利支天社・火御鋒神社が 建っており経津主命Hutunusi-no-mikotoが 祀られています。 信トウ:竹荘3018・3057番地等 ノフトウ:竹荘3035・3092番地等 ノブトウ:竹荘3036番地 信藤:竹荘3658番地 板屋:3132-3138番地 荒神田:竹荘3200番地 家ノ子キ:竹荘3280番地 墓ノ元:竹荘3284・3296番地 平成26年(2014年)4月16日
竹荘 山田摩利支天社 Marisi-tendsysa in Takasyou-
高梁御津線(31号線)の正田橋の北の細い道を 北西々に向うと 竹荘寺前1694番地に出ます。竹荘1664番地と竹荘助トシ1699番地の間の北 北緯34度51分32秒・東経133度41分6秒に 摩利支天社が 建っていますが 現在は 管理する人がなくなり 朽ちかけています。堂の北側に2棟の倉庫があります。一見 摩利支天 神社の祭具用と思われましたが 個人の方の趣味で 製作された 張子人形像の収納庫のようです。幽霊屋敷かと 思いました。 助トシ:竹荘1598・1760番地等 スケトシ:竹荘1667・1719番地等 寺ノ前:竹荘1692・1693番地 寺前:竹荘1694-1697番地 寺ノまへ:竹荘1698番地 荒神前:竹荘1767・1777番地等 平成26年(2014年)4月16日
竹荘 上ヶ城跡の経津主神社 Hutu-nusi-no-kami-sya in Ruins of Uwaga-jyou in Takesyou
上ヶ城は 丘城で 竹荘赤星628番地の東隣地 の北緯34度51分36秒・東経133度41分6秒辺りでした。城地の東側に山道が有るので 下って行くと 注連縄を張られた一宮社があり、経津主神Hutu-nusi-no-kamiが 祀られており、直ぐ奥は 作壁になっています。 上ケ城:上ヶ城は 竹荘山田切石の大きな瓢箪型(南東約90m 北東 瓢箪の首部30m 胴部 約60m)の台状地(北緯34度51分28秒・東経133度4)かも知れません。サイノタワ:竹荘1528・1529番地 車脇:竹荘1538番地 堂ノ前・堂前:竹荘1395・1551番地等 赤星:竹荘1597・1684番地等 平成24年(2012年)4月1日
竹荘 大久保摩利支天社 Maridsi-ten-sya in Takesyou-Ookubo
賀陽有漢線(156号線)を豊野小学校より 北西に進み 下市川を渡り 北に進み、井坂地蔵堂を見て 西に進み 大曲を過ぎて 大久保集落に至ると 大久保池が 道の南にあります。池の北に 北東に向かう道があり 竹荘大久保3815番地を 迂回して登ると 竹荘3815番地の北 北緯34度52分34秒・東経133度40分48秒に 三宮社が建っています。中央の厨子は 大久保荒神社で、どちらの厨子か分かりませんが 残りの厨子は 山上様Sanjyou-samaと摩利支天社だそうです。 大マカリ:竹荘3688番地 大久保:竹荘3690・3846番地等 大窪:竹荘3700・3838番地等 堂ノ峠:竹荘3717・3744番地等 堂ノタワ:竹荘3719番地 石佛:竹荘3745・3746番地 平成29年(2017年)11月24日
田土 瓜尾摩利支天社 Marisi-ten-sya in Taso-Urio
高梁御津線(31号線)を 川合神社から 西に向かうと 宇甘川が迫る所の 土生橋を渡り 大きくS字状に曲った後 ドンドン登ると 賀陽土生庭園が 有ります。西に向かう分岐は 直ぐに2つのT字路になるので 道なりに進み 田土屋シキ3700番地を 右手に見て 山道を登ると 北緯34度51分19秒・東経133度43分9秒に 地蔵菩薩像が 祀られています。左手に荒神宮の鳥居が立ち 鳥居の奥上に 一宮社が2社 建ちます。左の社は 瓜尾荒神社で 右の社のなかには 更に一宮社が2社あります。その左の社は 護王神社で 天太玉命Ame-no-Hutodama-no-mikoto 天児屋命Ame-no-Koyane-no-mikoto 天鈿女命Ame-no-Uzume-no-mikotoが 祀られており 又 経津主神社Hutunusi-no-kami-syaであり 疫神八十禍津賣神社Ekijin-Yasomagatume-no-kami-syaです。その右の社は 経津主神社です。 疫神八十禍津賣神:伊弉諾命が 禊を行った時の 垢から化成した神々である 八十禍津日神Yaso-Magatu-hi-no-kamiの事でしょう。 石仏・石佛:田土3648・3830番地等 賣尾ノ下:田土3681番地 山ノ神:田土3694・3703番地等 荒神前:田土3742番地 京納:田土3754番地 賣尾奥:田土3755・3763番地等 堂前・堂ノ前:田土3777番地 勝負坂:田土3794・3998番地等 平成29年(2017年)9月5日
田土 宗金桜坂摩利支天社 Marisi-ten-sya in Tado-Munekane-Sakurazako
高梁御津線(31号線)を 川合神社から西に向かうと 宇甘川が道路に接近する辺りに 北(右)に折れる分岐があり 分岐は直ぐに 東(右)に直角に曲がり 直ぐに鋭い角度を持つ三叉路になります。戻る方向 に鋭く西(左)に折れ進むと 田土宗兼2610番地に出ます。田土2610番地の東端(右)のあるかないかの様な山道を 北に向き 頂上を目差し登ると 広い山道に合流します。頂上に 一宮社のもり神様が 祀られています。頂上から 東に降りる道を進むと 北緯34度51分45秒・東経133度43分60秒と思われる所に 一宮社が 建っていて 摩利支天が祀られています。東方の山に 桜坂城跡が あります。写真には 虫型の光・オーブが 写り込みました。 才ノ神:田土2175・2176番地 堂免:田土2178・2180番地 石仏:田土2271番地 桜坂・櫻坂・サクラ坂:田土2294・2846番地等 平成29年(2017年)9月5日
田土 宗金尾越摩利支天社 Marisi-ten-sya in Tado-Munekane-Okos
高梁御津線(31号線)を 川合神社から西に向かうと 宇甘川が 道路に接近する辺りに 北に折れる分岐があり、分岐は直ぐに 東に直角に曲がり 直ぐに 鋭い角度を持つ三叉路になります。戻る方向に 鋭く西に折れ進むと 田土尾越2462-4番地に出ます。田土2462-4番地の北側・裏手から 西北に 山道を進むと 北緯34度51分47秒 ・東経133度43分44秒に 一宮社が2社 建っています。2社とも神様は お留守ですが 摩利支天社と 思われます。 堂守北:田土2331番地 石佛南:田土2350番地 ヲ越シ・尾越・オコシ・尾コシ:田土2332-2344番地等 平成29年(2017年)9月5日
田土 川東小寺摩利支天社 Marisi-ten-sya in Tado-Kawatou-Kodera
高梁御津線(31号線)の下田土の田土下保木2677-1番地から 川東集落に向かって登り 供養石碑 地神碑を過ぎると 田土岸井殿2174-4番地の六差路に出ます。その分岐を北に向かうと 豊野と田土の境界となる 三叉路が有ります。その豊野側 北緯34度52分27秒・東経133度43分59秒に宇田源氏 小寺家の護る 摩利支天が 建ちます。 仏納・佛納:田土1940・2003番地等 物納:田土1969・2004番地等 仏尾・佛ノ尾・佛尾・仏之尾:田土1945・1977番地等 岸井殿・キシイデン:田土2016・2174番地等 平成29年(2017年)9月9日
田土 川東北谷摩利支天社 Marisi-ten-sya in Tado-Kawatou-Kitatani
高梁御津線(31号線)の下田土の田土下保木2677-1番地から 川東集落に向かって 下田土椿線沿いのの宗金大師堂を見ながら 登るとT字路となります。左に進むと 田土北谷前2370番地があり 田土2370番地の方の断りを得て 東に向かうと 細道と交差するので 北の取り合い道に向かうと 北緯34度51分54秒・東経133度43分51秒に 石碑と一宮社が2社有ります。左の小さい社は 摩利支天社で、赤い屋根の社は2厨子で構成されており 左の厨子が若宮で 右の厨子の神様はお留守です。 北谷前:田土2367・2373番地等 石佛北:田土2388番地 平成29年(2017年)9月9日
田土 桜坂荒神
Sakurazako-koujin shrine
高梁御津線(31号線)を 川合神社から 西に 土生Habuに向い下田土備北バス停近く田土下保木2677-1番地のT字分岐の近くに 桜坂城跡の案内札が 立ちます。そこから 北東に進み 道なりに 直ぐ東に 向かうと 逆Y字路に 出ます。そのすぐ東の逆T字路を 北に向い折れると 田土桜坂Sakurazako2801番地より 山道が 始まり田土2801番地の北のY字路を 右に進むと 小高い尾根 北緯34度51分40秒・東経133度44分9秒に 荒神社が建ち,他に 一社宮が2社、二宮社が1社、その手前に 小さい燈明用と 思われるグロが あります。正面の二宮社は1見一宮社に見えますが 堂内が2厨子に分かれています。この社は 朽ちかけていて 神は 祀られていません。恐らく古い宮で 隣に遷宮された マリシテン社でしょう。新しい社に 荒神が 祀られていて 布に巻かれたご神体も 納められています。布に巻かれた神体は 伊勢神宮の神宮大麻Jinguu-ytaimaでしょうか。その右隣りの小さい社には 神は 祀られていません。 川合神社:北緯34度51分28秒・東経133度44分18秒 下田土備北バス停:北緯34度51分32秒・東経133度44分1秒 桜坂城:北緯34度51分45秒・東経133度44分5秒 神宮大麻:祓い具haraiguとして用いる祓い串の御真gyosin(天照皇大神宮)を布で包んだ伊勢神宮の神札です 常盛・常モリ・ツ子モリ・常守:田土2616・2664番地等 下保木:田土2666・2677番地等 桜坂・櫻坂・サクラ坂:田土2294・2846番地等 平成25年(2014年)3月14日
田土 仁熊魔利支天社 Msarisi-ten-sya in Tado-Niguma
高梁御津線(31号線)の仁熊公会堂の東・田土苗柿3052番地の屋敷内の西北 北緯34度51分33秒・東経133度44分37秒に 摩利支天社が 建ち、魔利支天Marisi-ten 経津主神Hutu-nusi-no-kami 武甕槌神Take-Mikaduti-no-kamiが 祀られています。氏子は6軒で 毎年1月6日に祭りをするそうです。写真に写る裏山は 仁熊荒神社の建つ山です。 先宮地:田土3010・3014番地等 荒神元:田土3027番地 仁熊:田土3040・3062番地等 苗柿:田土3052番地 平成25年(2013年)12月20日
田土 神原家魔利支天神社 Marisi-ten-no-kami-sya of Koubara's family in Tado
高梁御津線(31号線)の川合橋の東の山側(北)に 北西に進む 取り合い道があります。取り合い道は 田土ヤシキ2905番地に 続きます。田土2905番地より 山道を北西に登ると 放棄された金属製の屋根を持つ社の北西 北緯34度51分35秒・東経133度44分20秒に 神原家 魔利支天神社が 建ちます。堂内には 緑青の色鮮やかな 馬の像が 祀られています。 荒神ノ元:田土2857番地 宮地:田土2862番地 ココロ:田土2877番地 仁熊ヤシキ:田土2920番地 荒神ワキ:田土2914番地 先キ宮地:田土2933番地 ヤシキ:田土2903-2906番地 仁熊:田土2915・2919番地等 平成25年(2013年)12月25日
豊野 江下高見丸支天社 Marusi-ten-sya in Toyono-Ege-Takami
賀陽有漢線(156号線)が 下市川を渡る所の東側にT字路が有るので 北に登ります。下市川と 道が添う当たりに 江下地神碑が立っています。その北の十字路を 西に向かうと 豊野奥坂1096番地に出ます。その南東の茂みの中・豊野江下ノ奥1119番地と豊野1096番地の中間点辺り 北緯34度52分56秒 ・東経133度41分37秒に建神丸支天社Takami-Marusi-ten-dsya 即ち 高見経津主社Takami-Hutu-nusi-syaが 建っており 経津主命Hutunusi-no-nikotaが 祀られています。畑の畦を伝い接近します。建神:建神の地名は有りませんし、 近くに建神の氏を持つ人は住んでいません。 建御雷神の省略でしょうか 寺脇:豊野1032・1047番地等 奥坂:豊野960・1098番地等 江下:豊野973・1134番地 檜下:1036・1037・1039番地等 桧下:豊野1131番地 祭田・祭リ田:豊野998・1112番地等 平成29年(2017年)8月11日
-豊野 中宮込山摩利支天社 Marisi-ten-sya in Toyono-Nakamiya-Komeyama
に東北に延びる 尾原賀陽線(369号線)の中宮入り口(豊野中田堂前4098-3番地の西)から 210m程北上し道なりに北東に270m、西に150m北に150m程進と 鋭く西にカーブ(豊野屋シキ2335番地の西)し、その60m程先に 西に戻る方向の 鉤の手になった分岐があります。分岐をジグザグに150m程進むと 直ぐに左手に 山に向かう竹製の手すりが設けられた 取り合い道があるので登ると 北緯34度53分5秒・東経133度42分15秒に込山株Komeyama groupの護る摩利支天社が 建っています。 立畑:豊野2401-2405番地 古ごろ・ココロ:豊野2448・2882番地等 宮ノ乢・宮のたわ・宮乢・宮峠・:豊野2406・2668番地等 天王東:豊野2646・2656番地等 彼岸田:豊野2645・2666番地等 門ワキ:豊野2678・2682番地等 天満山:2703番地 行免:豊野2716-2718番地 中宮奥:豊野2465番地 堂ノ元:4097番地 宮地オク・宮地おく・宮地奥:豊野2332・2394番地等 屋シキ:豊野2334・2347番地等 中田堂マヘ・堂ノ前:豊野4098・4102番地 地蔵ノ元:豊野4099番地 平成29年(2017年)8月11日
納地 大和山神社の経津主命社 Hutunusi-no-sys shrine of Oowasan-jinjya in Nouti
道の駅かようの北 約850m 305号線に沿った納地舞地冠の丘 北緯34度49分22秒・東経133度42分31秒、納地南ノ風呂130番地に 大和山神社が建ちます。拝殿の左手には一宮社が5社建ち 地神碑が4基 立っています。最左の一宮社には いかなる神が祀られるか分かりません。大きな次の一宮社は 大和山宮です。隣には 2尊の石仏が立ち 陶器製の一宮社が建ちます。その隣に 一宮社を挟んで、石グロと 地神碑が 4基立ちます。左の一宮社は 経津主命社で 右の赤い屋根の社に祀られる神は いかなる神か 分かりません。 的場:納地546・552番地等 宮ノ後口:納地569・591番地等 下堂ノマヘ・下堂ノ前:納地574587番地等 荒神ノマヘ:納地739番地 才ノ前・才ノマヘ:納地590・598番地等 冠・カンムリ:納地606・886番地等 南ノ風呂:納地130・131 平成24年(2012年)8月19日
宮地 塚原摩利支天王社Tukabara-marisiten shrine
総社賀陽線(57号線)から 大和大橋を渡り 岡山自動車道賀陽橋を潜り 宮地乢640-1番地に出ます。田和中東のバス停留所の東の丘の頂上 北緯34度47分45秒・東経133度41分53秒に 妙見社が建っています。その丘の南西の麓 宮地塚原後tukabara-usiro 北緯34度47分43秒・東経133度41分50秒に(宮地田上512番地の約130m西) 摩利支天社が 建っていて 摩利支天王命Marisi-tennou-no-mikotoが 祀られています。 宮乢:宮地432・481番地等 塚原:宮地513・566番地等 塚原後:宮地567・657番地等 宮谷:宮地445番地等 田上:宮地456・528番地等 平成29年(2017年)6月6日
湯山 御北神原家摩利支天社 Marisi-ten-sya of Okita-Koubara's family in Yuyama
31号線(高橋御津線)から 宇甘川の川合橋を渡り 直ぐに 吉川川の下竹公民館橋を渡り 湯山1069-8番地で 右に折れて進むと 湯山安陳防990番地に着きます。湯山990番地の西 北緯34度51分18秒・東経133度44分26秒に 既に廃墟状態になっていますが 御北神原家屋敷Okita Koubara houseが 残ります。敷地の北方に 稲荷神社が 祀られています。稲荷神社に向かう道から右に進むと 分岐の先に 陶器製の小社の摩利支天社が 建っています。 河原庵陣坊:湯山986・987番地 安陣ボウ:湯山988・1007番地 安チンボウ:湯山989番地 安陳防:湯山990番地 安ヂン坊:湯山991番地 宮ノ前:湯山998番地 鳥居段:湯山1000・1012番地等 油免:湯山1003・1004番地 シブリ谷・仕フリ谷:湯山1058・1119番地等 平成25年(2013年)12月25日
湯山 大岩魔利支天社 Marisi-ten-sya in Yuyama-Ooiwa
484号線から 大岩集落に西に登って行き この地域の最高位置の民家の上から 北に曲がり 山道を登ると 変則的な五叉路に成ります。道なりに向かうの道は やや細くなり 墓場に至ります。登って来た道と同じ太さの道は 東に向かっていて 墓場を迂回するように登ります。途中に 組石のように見える岩群が 数個あり その近くに墓場を見ます。山を ドンドン山頂まで登ると 北緯34度50分38秒・東経133度44分33秒と想像する地点 (湯山ですが、近くに目標となるものは在りません。)に 摩利支天社が 建っています。摩利支天社の 両側にあるやや大きい石製の祠には 御幣と 何やら判らない物が 祀られています。右手には 燈明用と思われる祠(グロ)が ズラリと 多数あります。堂内には 三宮社があり 天照大神Amaterasu-oomikamiと魔利支天Marisi-tenが 祀られています。この山の頂上付近には 石垣や平坦地が 幾つも有り 城山を連想させる構造です。東側に回り1段低い平坦地には 石で囲まれた不思議な構造物が有ります。 小ウロキ:湯山2757番地 後山:湯山1758・1764・1796番地 御崎山:湯山1760番地 荒神ノ本:湯山1762番地 コロリ田:湯山1891番地 小古呂:湯山1894番地 ココロ:湯山1896-1899番地 大岩向山:湯山1895番地 神辻:湯山1962・1965番地 平成25年(2013年)8月30日
湯山 茶屋摩利支天社 Marisi-ten-sya in Yuyama-Tyaya
総社賀陽線陽(57号線)から 484号線の湯山橋を渡 り 湯山川に沿い 南西に進むと 坂本バス停の南西に 湯山六地蔵504番地が有ります。そこより 南東の湯山川の茶屋香路木橋を渡ると 北緯34度50分41秒・東経133度43分53秒に お杜O-Huro 地蔵堂が 建っています。境内には 手水鉢の奥の地神碑 灯明等の手前に 摩利支天社が 建ち 一番奥に 猿田毘古神社・荒神社が 建ちます。 六地蔵:湯山604・633-637番地等 向田荒神:湯山655番地 神子田:湯山660-665番地 平成29年(2017年)8月24日
吉川 菅野城跡の摩利支天宮 Maridsi-ten-guu in Ruins of Sugano-jyou
吉川南正行城ノ下4094番地の南の山 北緯34度49分16秒・東経133度45分184秒付近の山が「菅野城跡」です。頂上の平坦地の最奥に 社が建ち 摩利支天Marisi-tenと経津主命Hutu-nusi-no-mikotoが 祀られています。 城ノ先・城ノ崎:吉川3980・3994番地等 城ノ元:吉川3966・4002番地等 京免:吉川4091・4101番地 千蔵坊:吉川4115・4385番地等 城ノ下・城下:吉川3926・4124番地等 荒神マヘ:吉川4161番地 平成28年(2016年)4月16日
吉川 北正行摩利支天宮 Marisi-ten-guu in Yosikawa-Kita-masayuki
吉川高尾4528番地の隣地に 地蔵堂が 建ちます。そこの道向の山道を 東に登ると三宮社が 建ちます。左の厨子は 敷鎮大神宮で 〇日女が 合祀されています。中の厨子と右の厨子は 摩利支天社で いずれも経津主命Hutu-nusi-no-mikotoと建御雷命Take-Mikaduti-no-mikotoが 合祀されます。 更に上ると 素盞嗚尊宮Susa-no-o-no-mikoto-guuが 建ちます。〇日女:〇の字は示偏に隹となっていますが 稚日女命Wakahiru-me-no-mikoto(天照大神amatersu-oomikamiの幼名 or 丹生都比賣大神Niutu-hime-no-ookami)の事と思われます。 地蔵堂:北緯34度49分41秒・東経133度45分19秒 摩利支天宮:北緯34度49分42秒・東経133度45分24秒 素盞嗚尊宮:北緯34度49分42秒・東経133度45分25秒 石塔:吉川4447・4789番地等 正行:吉川4251・4840番地等 神崎:吉川5013番地 高尾:吉川4516・4534番地等 平成28年(2017年)3月10日
吉川 丸山城跡の摩利支天社 Marisi-ten-sya of Ruins of Maruyama-jyou
重森三玲生家跡の約210m北 吉川小茂田Komoda丸山ノ墓4936番地の約180m東 吉川古城5227番地の約180m西の館城fortified mansion が 北緯34度49分54秒・東経133度45分1秒付近にあります。「丸山城跡」です。そのに最奥に 摩利支天社が 建ちます。 丸山:吉川4914-4943番地 城:吉川4940・4972番地等 猩々:吉川5079・5122番地等 せうせう・猩々:吉川5523・5294番地等 古城:吉川5199・5263番地等 平成28年(2016年)4月16日
吉川 椎木摩利支天社 Marisi-ten-sya in Yosikawa-Sii-no-ki
吉川椎の木1419番地の民家の庭の北西に すだ椎の巨木が 有ります。吉川1419番地と吉川屋敷1417-1番地の間から 山道を北東に進む と町指定天然記念物に指定されている (洞を利用し梟Hukurouが巣を営む )すだ椎の巨木が 立ちます。巨木から 所司屋敷Syoji-yasikiに向かう途中の右側に 椎木荒神社が 建っています。境内には 常夜灯と 小さな社の魔利志天宮が 併設されています。 町指定天然記念物のすだ椎:北緯34度48分47秒・東経133度44分54秒 所司屋敷・辻屋敷・辻堂:椎の木山と呼ぶ山を 城山と呼び、その頂上 北緯34度48分480秒・東経133度44分50秒を 所司屋敷と呼びます。 椎荒神社・辻堂荒神社:北緯34度48分480秒・東経133度44分55秒に建ち 猿田彦命を祭ります。 才ノ鼻:吉川1373-1375番地 椎木:吉川1377・1457番地等 ハナヤ乢:吉川1399-1400番地 辻:吉川1401番地 屋敷・ヤシキ:吉川1417番地 平成26年(2014年)10月6日
吉川 西庄田魔利志神社 Marisi-ten-sya in Yosikawa-Nissyouda
吉川道ノ下3576番地や 吉川稲納屋3824番地や 90m南の 西庄田公会堂・西庄田生活センターの南に鋭い角度の三差路の狭い幅の道を進み、吉川二本木3538番地の東(右)の山道を北に向い、吉川3538番地の北を廻るように進むと 北に向かう辺りに分岐が有り、分岐の奥に廃屋(物置小屋)があります。その東側の奥手に魔利志神社が 建ち 摩利天神Marisi-no-kamiを 祀ります。分岐に戻り北に向かうと 摩利志天社 と 呼ばれる 西庄田荒神社に辿り着きます。 西庄田荒神社:北緯34度49分26秒・東経133度45分56秒 西庄田公会堂:北緯34度49分25秒・東経133度45分0秒 西庄田魔利志神社:北緯34度49分25秒・東経133度44分56秒 二本木:吉川3491・3538番地等 神主:吉川3539・3606番地等 西庄田:吉川3557番地 西庄田:吉川3686・3702番地等 神主乢:吉川3582番地 山ノ神:吉川3583・3623番地等 ソ子:吉川3563・3578番地等 稲納屋:吉川3807・3869番地等 平成26年(2014年)8月8
周囲に 石組みが2基あります。複雑な石組みが 才の神でしょうか。吉川史によれば 若宮と 魔利支志天社が 障塚に祀られているとされます。又 吉川史には 松原八幡宮を 吉川八幡宮に遷宮する時 神主が烏帽子ebosiを 下厩Simomariの西に 置いたとされる烏帽子岩が 岸下に転んでいる とされますが 見つかりませんでした。障塚Syou-dukaと書く場合「さえのつかSae-no-tuka」と一般的には読むので 才の神(塞の神)の事で 疫病や災害(敵襲等)を 邑(むら)内に 持ち込む悪神や悪霊を 防ぐとされます。 吉川八幡宮:北緯34度49分11秒・東経133度45分07秒 吉川苅山3932番 山ノ神:吉川3583・3623番地等 中倉:吉川3622・3749番地等 神ノ木ハナ・ハナ:吉川3697・3715番地等 若宮:吉川3720番地 中倉東ノ下:吉川3724番地 塚ノ元:吉川3726・3741番地等 平成26年(2014年)8月8日
吉川 布郡前谷魔利支天宮 Marisi-ten-guu i Yosikawa-Hugouri-Maetani
布郡集落の西端近く吉川南5935番地の北の藪の中に 魔利支天宮と大歳神社Ootosi-jinjyaが 建っています。魔利支天神社は 一宮社で 魔利支天Marisi-ten 経津主命Hutu-nusi-no-mikoto 武甕槌命Take-Mikaduti-no-mikotoを 祀ります。大歳神社は 石を組み合わせた祠で 大歳神Ootosi-no-kamiを祀ります。 吉川南5935番地:北緯34度49分57秒・東経133度44分1秒 布郡:吉川5918・6200番地等 若狭向:吉川5919番地 南:吉川5935番地 平成26年(2014年)7月30日
吉川 布郡中谷魔利心天神社・大嶋権現社 Matrisinten-no-kami-sya/Oosima-gongen-sya in Yosikawa-Hugouri-Nakatani
吉川乢6224番地の西の 布郡集落の北に 大前田和池が あります。吉川6224番地の北に 中谷魔利心天神社が 前と右にある大岩に護られるように祀られています。大嶋権現社もあります。 大前田和池:北緯34度50分7秒・東経133度44分11秒 大嶋権現社:布郡大島株の守護神なのでしょうか(次項目参照の事)。ちなみに 大三島大明神(大山積命)は 愛媛県今治市美汐マ宮浦327番地 北緯34度14分52秒・ 東経133度0分21秒の 大山祇神社の主祭神です。吉川乢6224番地:北緯34度50分8秒・東経133度44分51秒 オノ乢:吉川6199・6203番地 向カジヤ:吉川6215番地 コオロキ・カウロキ:吉川6201・6279番地等 コウロキ:吉川6282-6287番地 コウロギ:吉川6288・6336番地 乢:吉川6224番地 花尾乢:吉川6292・6392番地等 平成26年(2014年)7月30日
吉川 布郡後谷魔利支天社 Marisi-ten-sya in Yosokawa-Hugouri-Usirotani
布郡後谷(北谷)の吉川コ子ギ6351番地の向かいに 阿彌陀堂と 荒神社が 建ちます。南に下り西に 曲がる地点に 南東に入る山道が 分岐します。分岐に進む とY字路が有り 左に登ると 大嶋家の墓場が 有り 右に進むと 大嶋家の墓場の南に当たる辺りに 大岩が 組み合わされています。大岩を進行方向側より回り込むと 大岩の間に 石組みの祠が 有ります。この辺りに 墓場以外に信仰に関わる遺構が無いので 村の古婆の伝えてくれた 後谷の摩利支天社と 想像します。 吉川コ子ギ6351番地:北緯34度50分7秒・東経133度44分14秒 西に曲がる地点:北緯34度50分5秒・東経133度44分14秒 石組みの祠:北緯34度50分4秒・東経133度44分16秒 才ノ乢:吉川6332・6362番地等 コ子ギ:吉川6351番地 堂ノ前:吉川6356-6358番地 ナル:吉川6381・6382番地 平成26年(2014年)7月30日
吉川 伊賀魔利支天社 Marisi-ten-sya of Iga's family in Yosikawa-Nissyouda-Nakagura-mae
吉備新線(72号線 岡山賀陽線)を 吉備中央公園に沿って 東・賀陽インタ-チェンジ方向に廻り 2つ目の大きな十字路を 左に曲がります。左側2軒目の家 吉川中倉前3756番地の北の小道を進むと 左手に小さい社が有ります。その社の前を 通り過ぎ 小高い丘の北緯34度49分3秒・東経133度45分1秒の 伊賀家の護る 魔利支天社に 摩利支天神Marisi-ten-no-kami 経津主命Hutu-nusi-no-mikoto 武甕槌命Take-Mikaduti-no-mikotoが 祀られます。女人の参詣は 禁止されていました。摩利天社の隣に 小さい社が有りますが いかなる神仏が 祀られているか 分かりませんが 携帯用の摩利支天神社かも 知れません。 中倉前:吉川3753-3776番地 稲納屋:吉川3807・3869番地等 宮坂:吉川3870・3895番地等 平成25年(2013年)6月12日
吉川 千木摩利支天社 Marisi-ten-sya in Yosokawa-Sengi
千木集落の北端・吉川屋敷7086番地と吉川奥7170番地の中間点辺りに 北に向かう山道が有るので入り道なりに竹藪の中を東に進むと 手水鉢が有り 次いで摩利支天社が建ち 更に西に火の御崎神社が建ちます。摩利支天社内には摩利支天王Marisi-tennouが 祀られ 古い社が 左手に 置かれています。 火の御崎神社、摩利支天社:千木集落の北端 吉川7086番地と吉川7170番地の中間点辺りの北の竹藪の中 北緯34度50分10秒・東経133度44分54秒 疫神ノ前:吉川6880番地 屋敷・屋シキ:吉川6904・7145番地等 寺ノ后:吉川6912番地 奥:吉川7159・7174番地等 平成26年(2014年)8月9日
吉川 千木虎倉山摩利支天皇社 Marisi-tennou-sya in Yosikawa-Sengi-Kokura-yama
吉川槇谷線(307号線)の新千木橋の西の道を 北西に上り 2つ目のT字路(次の十字路には人差し指の刻まれた道標があります)を 右(北)に向かうと その先で 道はなくなりますが 沢に沿った畔を 北東に進み 沢を渡ると 吉川 虎倉山の山道が 始まるので 道なりに 北西に進むと 左右に 小祠への取り合い道があります。右の取合い道の奥 北緯34度50分15秒・東経133度45分10秒付近に 石組みの祇園神社が 祀られています。道向かいの取り合い道の奥に摩利支天皇社が 祀られています。摩利支天皇社には 健御賀豆智大神Take-Mimaduti-n\o-ookami 經津主命Hutu-nusi-no-mikoto 天御中主神Ame-no-Minakanusi-no-kami が 共に 祀られます。 新千木橋:北緯34度50分5秒・東経133度45分20秒 人差し指の刻まれた道標:北緯34度50分11秒・東経133度45分4秒 虎倉山:天正9年(1581年)に御津虎倉城を 捨て 逃れて来た伊賀家久が 隠れ住んだのでしょう。 水野御女:吉川7016・7061番地等 堂ノ元:吉川7057・7125番地等 薬師堂:吉川7120-7122番地 イモジャ:吉川7156・7198番地等 平成27年(2015年)11月16日