井原摩利支天のご利益弘法大師の栗の木 枝垂れ栗 木に祟られる 谷口荒神のご利益 素戔嗚神社のご利益 ゴミ除け鳥居 牛渕のゴミ除け鳥居

井原 摩利支天のご利益 divine grace of Marisi-ten

昔 先祖が 虎倉城伊賀家配下の落人である 百姓が 井原に住んでおりました。先祖代々 摩利支天を 祀っていました。摩利支天の祠の側に 弘法大師が 村の子供の親切に 感謝してくれたの子孫の木を 植えると、栗の木は 摩利支天に 護られるかの様に 物凄い勢いで 成長し、桃栗3年柿8年と 言われますが 1年目から 実が付き始め 5年もすると 大量の実を付け 枝は摩利支天の祠の上を 覆うばかりか 傍の畑も広く 覆う勢いに 育ちました。枯葉は 堆肥と成り 畑の物も 良く育ちました。沢山の良い実が 生ったので、町で 高く売れました。しかし 畑の日 当たりが悪くなっただけでなく 毬栗(Igaguriが ボタボタ落ちるので 農作業の邪魔になり 又 近所の者からも「木の葉が 飛んで来る。」と 苦情が 出てきました。百姓は 思案の末 栗の木を 切る覚悟を 決めました。幹は 摩利支天社を 慕うように 斜めに 傾いて 生えており 枝も 複雑な形で 伸びています。最初は 自分で切ろうとし 摩利支天の祠を壊さないように 用心しながら 小枝を 切り始めましたが 伸びる勢いに 追い付けませんでした。仕方なく 亀山八幡宮の宮司に お祓いをしてもらい 植木職や 樵Kikoriを 雇って 切る事にしました。さすがは 専門家達で 綱を あちこち に張り 切込みを入れる 角度を決め 栗の木を 切り始めました。


栗の木は 思惑通り 摩利支天の祠の無い方に メリメリと 音を発てて 倒れ掛かりましたが 途中から 張っていた綱が 一本切れ 倒れる向きを 変え 栗の木が 摩利支天の祠を 直撃しそうになりました。すると 激しい旋風が起こり その煽りAoriで 木が 捻じれるように 倒れる方向を 変えました。樵が「オン・マリシ・エイ・ソワカ」と 唱えると 突然 猪が 走り回って 辺りに陽炎Kagerouのような 不思議な光が 交錯し その直後 ドドーンと 轟音Gouonnを 上げ 摩利支天の祠の上に倒れ落ちました。しかし 不思議にも 複雑な枝の張りが 支えをし 栗の木の幹が 摩利支天の祠に 当たるか当たらないかの所で 止まっていました。事件に 気付き集まった者達は 摩利支天の働きに 感心し 八幡宮の神主に 摩利支天のご利益を聞いてそれからは  摩利支天社を大切にしました。「井原の村人より口伝」

虎倉城:岡山市北区御津虎倉 北緯34度50分13秒東経133度50分2秒 天正8年に 虎倉城の城主 伊賀久隆は 主家の宇喜多直家に 暗殺されると 伊賀一族であった土井氏は 井原に 隠れ住みました。 井原摩利支天神社:北緯34度53分40秒東経133度45分21秒 亀山八幡宮:豊岡上 北緯34度53分57秒東経133度45分36秒    摩利支天王:元は風の神でした。陽炎を神格化した 仏教の守護神です。 オン マリシ エイ ソワカと唱えると 火難 水難 盗難 等の万難から守られ 護身だけでなく隠身安全 遠行安全 得財 論争勝利 等が 得られます。 隠身:周囲の風景に 紛れて 視認しなくなる事「https://ja.wikipedia.org/wiki/蓑」     平成24年(2012年)9月30日

 


弘法大師の栗の木 Chestnut tree pressennted from Saint Koubou

弘法大師が 下土井にやって来ました。下土井から 井原を 通り 富永に向かう途中 激しい空腹に 見舞われました。すると子供達が 栗拾いをし 焚火をして 焼き栗を ワイワイ騒ぎながら 食べていました。弘法大師が「栗を一つ 恵んでくれまいか」と 尋ねると 子供達は「なんぼでも拾えるけぇ 遠慮せんで 食べて行かれぇ。」と 焼き栗を 腹が潤う程に 分けてくれました。子供達が「お父ちゃんや お母ちゃんに 持って行ってやろう。」と 言って 栗拾いを 始めました。しかし 少ししか拾えず 高い処の毬栗を 落とすため 長い棒を 探して来て 叩き落そうとしましたが 思うように 落とせませんでした。それを見ていた弘法大師は「孝行な子 等じゃ。 来年来て見られぇ。 低い木になって 取り易ぅなっておろう。」と 言って 森上に 向かい 立ち去りました.次の年 子供達が 栗拾いに来ると 枝が しだれていて 簡単に 栗の実を とる事ができました。栗の木を 切ると 普通 2年後でないと 新しい枝 に実がなりませんが、この枝垂れ栗は 翌年には 実がなったそうな。「井原の村人より口伝」

 

枝垂れ栗伝説 Weeping Chestnut Legend

長野県上伊那郡辰野町大字小野5983-1番地に「しだれ栗公園」が有ります。しだれ栗森林公園の「シダレグリ自生地」は 国天然記 念物に 指定されています。普通の栗の木と 異なり枝が 垂れ下がっています。枝垂れた枝は  昔 弘法大師が 栗の実を 採取しやすいように 枝を 下げてくれたとか  栗好きの天狗が 実を採るために 腰掛けたため 枝垂れた 等の言い伝えがあります。しだれ栗森林公園 (shidarekuri.com)

 

平成24年(2012年)9月30日

 


木に祟られる BE SCOLDED by a tree

昔の事なので 三谷のどこか解らないのですが 山の中に 荒神社と山上堂が 建っていました。その脇に 大きな樫の木が 生えていて 切ると 祟られると言い伝えられていました。荒神社は 4畳半程の広さがあって 暖炉を 囲んで 祭りをし 大人は 酒と肴で 宴を開き 子供が 甘酒と 赤飯を 食べていました。荒神祭も 山上堂の祭も 廃れ 社も 祠も 朽ち果てたので 土地を利用しようとして 樫の木を切る事になり 三谷村の者でなければ 祟られないだろうと 隣村の小森の木樵に 頼んで 切って貰う事にしました。 その樵は 引き受けましたが 三谷の荒神の祟りの言い伝えを 知っていたので 心配になり 日頃から 馬が合わない 江与味の樵に 仕事を譲りました。荒神の祟り伝説 等 知らない 江与味の樵が 木を切りました。木が ミリミリと 音を 発て 思い通りの方向に 倒れかけましたが 大きな枝の先端部分が 隣の木の枝に 触れ 大きく方向 を変え 切り口が 跳ね上がり 樵の顔面を 直撃しました。顔の骨が折れ 左の眼球が 飛び出し ダラリ とぶら下がりました。それでも   命に別状はなく 外れた目も修復されました。しかし その眼の視力は 酷く悪くなったそうです。江与味の樵が 事故を起こしたので止む無く樵が 切った木を 運び出しました。すると 暫くして は 小森の樵は 酷い難聴になり 苦しみました。依頼主は 堅い樫の木が 欲しいと言う 彫刻家が 現れたので 縁起の悪い木と 知りながら 譲りました。木を譲ってもらった彫刻家は 悩める仏の像を 彫ると 胃癌になって 間もなく亡くなりました。依頼主が これで 祟りも終わるだろうと 思っていたら 納屋から火が出て 母屋を残し焼けてしまいました。皆は「荒神の木の祟りじゃ。」と言い合いました。「三谷日百怪談」平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備人出版】が 発行されました。p298~P302に「たたる木」「切られない木」「椿は家に植えない」の民話が 載っています。平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。P64~P65に「ミサキ松」「墓の木」と 言う話が 載っています。   平成27年(2015年)11月30日

 

 

下土井 谷口荒神のご利益 divine protection by Taniguti -koujin

下土井谷口の 大きなお百姓の 杭田の館に 下女が 奉公に出され 竈Kamadoの番を 任されました。真面目な 可愛い女の子でした。しかし女主人は とても潔癖な 性格の人でしたので いつも 「竈の火は 決して 絶やしちゃぁおえん。 竈を 塵Tiri一つでも 汚したまんまに しちゃぁいけん。 汲川Kumikawaに 落ち葉を 落としたまんまにしちゃぁおえんし 周りの草ぁ 伸ばしちゃぁ いけん。  荒神様の祠も 汚しちゃぁおえん。」と 言われていました。ある年の大晦日に なぜか 竈の火が 消えてしまいました。用心のため 大きな榾木Hofdagiの火種を 灰の中へ 埋めて置きましたが 予備の火種を 取り出そうと 灰を掻き分けて見ると予備の火種も 消えていて 大晦日の席の 囲炉裏の火も 消えていたのです。全ての火種を 絶えたのですから 大晦日の祝いのお茶も 料理も 追加できません。「火打ち石で 火を起すのは てぇてぇな事じゃぁない。 お正月の目出度い日なので お客に 恥を晒す事にる。 ご主人の顔に 泥ぅ 塗る事になる。 お雑煮が 食べられん。正月にゃぁ 大歳神Oodosi*no-kami様に この家が 祟られる。大晦日の席も 直ぐに寒くなる。 女将さんに 知れたら どんなに酷く怒られるだろう。どこかで 火種を 見つけて 来ないと いけん。」と 思いました。兎も角Tomokaku 家には 火の種が無いので 表に出ました。表に出て見ると 運良く灯りが 近づいて来るのです。「有り難い。あの火を貰いましょう。」と 思いました。灯の主は ザンバラ髪に 赤ら顔で 目の大きい 筋肉隆々の 強面の 見知らぬ 恐ろし気な 大男でした。たじろいだのですが 切羽詰っていましたので 勇気を持って「火種を ちょうでぇ。」と お願いすると 男は「大歳の日は 火事が 多くて忙しくて叶わん。  お前様の家の 竈の火が あまりに大きいので 火事 と間違ぅて 大事な火種ぅ 全部消した。 許せ。直ぐに 竈の火も 囲炉裏の火も 付けてやる。疲れたぁ。 ちいとばぁ 休みてぇ。誰にも見られん所を 貸してくれぇ。」と 頼み返しまた。

娘が「私の寝床の 納屋でも いいですか。」 と 言うと「いつもは 石の上 に座っているけぇ 温こうて 布団に 座れるんは 夢みたいで 嬉しいのう。」と 答えるのです。「ひょんなげな 人じゃのう。 火をもらったので お茶でも 沸しましょうか。」と 言うと「お茶は 好まん。甘酒がえぇ。 甘酒をおくれぇ。」と 答えるのです。「お正月に 甘酒ですか。 菓子は要りますか。」と 言うと「火事は 要らん。」と 言うので「菓子じゃ。」と 言うと「仕事に 没頭しとるけぇ つい仕事の事かと 思うた。 油ぁ入れたけぇ 満足じゃ。 寝むてぇ。」と 言うのです。そこで 男を納屋で 仮眠させました。すると 男が寝付いている時 遠くで 火事が有り 火の子が 飛んで来ました。家族の者達は 徹夜で 大晦日を過ごしていたので 誰も 火の子が 飛んできた事に 気が 付きませんでした。無事に 正月の朝を迎え 徹夜疲れした 皆は 習慣通りの 寝正月を 決め込みました。家長が 若水を汲んで帰ると「水嵩Mizukasaが 低かった。何か 焦げ臭いぞ。」と 言うもので 皆は 飛び起き 辺りを 捜索すると 裏口の家に 凭れmotare掛けてあった 炭俵に 火が付いて 全体が 真っ黒に 燃え上がった跡が 有りました。しかし 新築の家には 殆どに 火が 付かず ほんの少しだけ 柱の一部が 黒くなっただけだったのです。家族の者達は「いや。全くの奇跡じゃ。昨夜の遠くの火事が 飛び火したのじゃろう。いつも 竈係が オクド様 荒神様 水神様を大事にしとるけぇ 神様達が 守ってくれたんじゃろう。 有り難い事じゃ。」と 話し合いながら 荒神様と水神様に お礼に行くと 荒神様のお顔は 煤Susuだらけで 水神様は びしょ濡れでした。竈掛りの下女は 全てを 悟りましたが 大歳の日の出来事は 口にしないで「皆で 荒神様やオクド様や水神様を綺麗にしましょう。 雪隠の神様もなぁ。」と 言うと 皆は 賛成しました。それからは 家人 奉公人 皆で 神々の祭りをしました。それで 火種が 切れる事もなく 火事もなく 水も絶える事なく 健康にも優れ 家は栄えましたそうな。「下土井谷 口の村人のお話」     口荒神: 下土井谷口172番地の家の裏手 北緯34度52分37秒東経133度45分27秒 三面六臂の三寶荒神が 祀られています。    谷口:下土井121・194番地等    ぇてぇな:大変な 甘酒:荒神の好物とされます。     平成23年(2011年)12月1日

 

素戔嗚神社のご利益 DIVINE PROTECTION BY SUSANOU-JINNJYA SHRINE

昔、昔 猿の群れが 村の畑に 現れ作物を荒しました。丁度良く熟れた稲や 木の実 胡瓜Kyuuriや 茄子Nasuを 取って食べ散らかしました。犬達は 猿を追い回し 村人は 棒で叩きました。それでも 猿は 粘り強く 田畑に 現れるので 山の神に 猿退治を祈祷すると 猿に死ぬものや 弱る者が 現れ ついに 猿が出なくなりました。村人は 山の神に感謝し 畑で 収穫した作物を 肴に 厄介者払いの宴を 開きました。しかし 暫くして村人が 発熱 腹痛 膿の混ざる血便をして 死ぬ者が現れ 次々に 伝染しました。どうやら 村人が 恐れていた 疫痢のようです。薬師の治療は 一向に効果を 見せず「げんのしょうこ」や「せんぶり」等の薬石は むしろ病気を 悪化させました。村人達は 如何してよいか 解らなくなって 化氣神社の宮司に 相談すると「村の山奥の山の神宮に 御崎宮が 合祀してあろう 山の神の祭神は大山咋命で 魔除けの神じゃ  。御崎様の祭神は 素盞嗚尊荒魂で 病気ぅ 流行らす神じゃ。 山の神や 御崎様を 粗末に扱わなかったんか。  幸いに村にゃぁ 素盞嗚神社が あろう。ご祭神は 素盞嗚命の和魂で 病から守り 病を治して下さる神じゃ。和田の素盞嗚神社の宮司ぅ 招き厄病退散の祈祷を なされぃ。」と 言うのです。

村人「猿を 虐めまくった あの猿達の中に 山の神宮の祭神の眷属の猿が いたかも知れん。御崎宮は 余りに深ぇ山奥に 建ててあったんで お正月に注連縄Simenawaを 代える程度しか世話ぁしておらんかった。」と 反省し 村中で 奥山に 入り参詣し 神事を行い 村の素戔嗚神社に 和田の山王様(素盞嗚尊)の宮司を 招き 厄病のお祓をしました。宮司は 松風呂に 隔離小屋を 建て 病人を 集めるよう指示しました。すると 次第に罹っても 病気の症状は 軽くなり 死ぬ者は いなくなりました。更に 祈祷を継続すると すっかり流行は 終息しました。村人は 喜び お参りし易くするために 山の神宮と 御崎宮を 原に 遷宮し大山咋命と 素盞嗚尊を讃え  山の神宮 御崎宮 素盞嗚神社のお祭りを 絶やさなかったそうな。「三谷野呂の百怪談」

赤痢・血屎:赤痢菌よる 感染症で 発病人の糞尿等が 付着した食物や 水等を 口にする事等で伝染します。猿は 人と同程度の感受性を 持ちます。現在「Shigella sonnei(D群赤痢菌ソンネ赤痢菌)」の感染例は  激減し  発症しても  軽症ですが 昔「Shigella dysenteriae(A群赤痢菌・志賀赤痢菌)」は 疫痢となり 高熱で始まり 腹痛や下痢が 続きました。膿粘血便(便の形は無く 膿 粘液 血液の便) 溶血性尿毒症症候群や 敗血症(血液中での細菌繁殖) 中毒性巨大結腸症 痙攣Keiren 血圧低下(顔面蒼白 意識障害)等を 起こすと 短時間で 死亡する事がありました。現在では  赤痢や 疫痢感染が 確認されたなら 速やかに 保健所に 報告する義務があり 拡散を 防止の為 隔離入院されます。菌株により異なりますが 30~70%の者が 免疫を 獲得した 集団では 流行が終息します。このような 病原体 に起因する下痢 に 下痢止めを使うと 病原体の排泄が 妨げられ 病状を 長引かせたり 悪化させたりする事が 有ります。https://ja.wikipedia.org/wiki/赤痢」 山の神宮・御崎宮:北緯34度55分30秒東経133度49分27秒    柿山素戔嗚神社:高富i中曽根2088番地の西北緯34度55分33秒東経133度49分47秒 化気神社:案田氣喜5番地 北緯34度45分19秒東経133度49分22秒 食物神伊奢沙和氣神Isasawake-no-kami 武神武甕槌尊Take-Mikaduti-no-mikoto 剣神經津主命Hutunusi-no-mikoto  祝詞の神天兒屋根尊Ame-no-Koyane-no-mikoto 比賣大神 Hime-no-ookamiを 祀りま。  和田素戔嗚神社:和田青木山129番地 北緯34度53分31秒東経133度44分50秒 通称を 山王様と言われ 建素戔嗚大神Take-Susa-no-o-no-ookami 稲の神櫛稲田毘売大神 Kusi-Nada-hime-no-ookamiを 祀ります。   祇園山:高富2663・2670番地等 松風呂:高富2504・2607番地等 雪森谷・行森谷:高富2349・2422番地等 サイノタワ・齊の乢:高富2243・2450番地等 荒神素戔嗚神社のご利益: 明治18年(1866年)に 柿山で 赤痢が 流行し 村人の多くが 感染しました。高い熱が出 激しい腹痛と 膿の混じるベットリとした血便となり 子供2人と お爺さん1人が 亡くなりました。一人が かかると その2~5日後に 家族の者に 次々に伝染しました。村人は 村に祀られていた 素戔嗚神社に 集まり 病魔退散の祭りをすると 流行が 治まりました。明治27年(1894年)にも 赤痢が流行し 大きな被害を 出しました。この時も 素戔嗚神社で 病魔退散のお祭りをすると 流行が 止まりました。それからは 毎年素戔嗚神社の祭りを 欠かさなくなると 赤痢が流行っても 重症になる者はいなくなりました。「柿山のご老人の話」  平成26年(2014年)8月16日

 

ゴミよけ鳥居 SHRINE GATE FOR RESTRAINT OF  ILLEGAL DUMPING

平成の初め頃 下土井の細田川ダムの有る辺りは 塵Gomiの不法投棄の名所でした。片付けても 片付けても 繰り返して どこの村の者か解らない者が 村人が 知らない内に トラックにゴミを積んで来て 捨てて行くのです。臭い事 。汚らしい事。 蠅Haeが ブンブン飛び回り 御客として訪ねて来る者も 途絶え 村を逃げ出す人も 現れ 村は 寂れて行きました。警察に 対応してもらっても 役所に 頼っても 立て札や 幟Noboriを 立てて 啓蒙しても ダミーの監視カメラを 設置しても 巡回見回りし 注意しても 大した効果を上げませんでした。平成15年(2003年)頃 困った村人は 対策を 相談しました。神社や野仏の前に ゴミを捨てられるのを見た事が無いので トイレの神様の弁天様や 三宝荒神を 祀ってみましたが 大した効果が ありませんでした。「きっと 塵が無いと 生きて行けない魔物が 住み付いたに 違いない。その魔物が 塵を呼び寄せているに 違いない。」と 考え 以前 延命寺の住職をしていた僧侶を探し出し 相談すると 大自在天の昔話を してくれ「この村には 不動明王が まします。 その塵の好きな 魔物は 不動明王に 征伐される事が 恐くて 近付くの者が 嫌になる位の 悪臭のする 不潔な塵を 周りに 敷き詰め 結界Kekkaiを 張っているのじゃろう。不動明王に 頼み 烏枢沙摩明王Ususama-myououの お出ましを 願おう。トイレの明王が 塵を 食い尽くしてくれたなら 不動明王が 魔物を 退治してくれよう。」と 言いました。住職の 言うようにすると 次の日から 塵は 少なくなりましたが 全部亡くなるが 無くなる事は ありませんでした。住職を 再び訪ねると「烏枢沙摩明王の食欲にも  限度が あろう。もう 腹が 潤うて 食えないのじゃろう。物凄ぇMongee 魔物じゃ。塵が なけりゃぁ 不動明王は どんな魔物も 退治できるのじゃが おえん。 諦なされ。」と 言う 有様でした。ある時 物知りの村人が 旅から帰って来て「山の中のぼっけぇ 塵の山が 金神様を 祀ったら 無うなったそうじゃ。艮の金神様Usitora-no-Konjin-samaは 汚い物が大嫌いじゃ。塵を捨てりゃあ 祟って 七殺するそうじゃ.」と 言いました。それなら「艮の金神様を祀ろう.」と 相談がまとまりました。そこで  塵除け鳥居と言う 呪いが有るのを知って それに似た 鳥居を造り 艮金神を祀った事にして 立てた所 塵を捨てる者がやってこなくなったそうです。 下土井のゴミ除けと鳥居:平成の初め頃、下土井の細田川ダムの有る辺りは 塵Gomiの不法投棄の名所でした。片付けても 片付けても、繰り返して どこの村の者か解らない者が 村人が 知らない内に トラックにゴミを積んで来て 捨てて行くのです。見苦しく、悪臭が酷いので、警察や役所が 警告板や幟を立て「ゴミ捨て」禁止を 啓蒙しましたが、大した効果が ありませんでした。「どこかで ゴミヨケ鳥居を立てたら、ゴミ捨てが少なくなった」と言う話を聞いてくる者がいたので、手製のゴミヨケ鳥居を立ててみました。すると、ゴミ捨てがパタリと亡くなりました。「下土井 雲母付近 村人のお話」  細田川ダム:下土井幸元 北緯34度53分11秒東経133度46分10秒    弁天様:音楽 弁舌 財富 知恵 延寿を司る女神・トイレの神    烏枢沙摩明王:便所の清めの仏神 烈火で不浄を 清浄と化する 仏神。  胎内にいる女児を男児に変化させる仏神。  下半身の病に霊験あらたかです。    神宮大麻:伊勢神宮の神札・天照大神宮と 記されたお札 地鎮祭:土木工事や建築等する時 その土地の神(氏神)を鎮め、土地利用の許可を得る儀式

延命寺:下土井426番地付近から山道を少し登ると北緯34度52分10秒東経133度45分15秒に建ちます 住職は亡くなり 息子さんは 他の寺に 移ったと言われ その息子さんも 今は 仏になられました  不動明王像は 既に無く、同じ天台宗の 円城寺に 移されたと言われ、檀家の方々 も円城等に 移ったそうです  現在は 荒れ放題です。   加茂八十八ヶ所霊場の一寺でした。     不動明王と自在天の戦い:大日如来が 宇宙の真理を知り尽くし 宇宙の真理を 操れるようになり 悟りきって 如来になった時  一人 を除き3界の全ての生き物が お祝いに 集まりました  その無礼者は 三全世界の王と 自負する大自在天Daijizai-ten(摩醯首羅ヒンドゥ経の最高神のシブァ紳)でした。 自在天は 大日如来の使者の夜叉明王Yasya-myououが インドの魔法を 駆使して 暴力を使ってでも 仏教に 帰属させるために攻めてくると 予測していました。持明者(インドの魔法使いの精霊:この場合夜叉明王 即ち 不動明王が 不浄を 嫌う事を知っていたので 不浄物 を幻術で作り出し、身の周りに 敷き詰 め 持明者の接近を 防御しようとしました。これで 不浄の結界を 持明者が 乗り越えられないので、持明者の明術も 無用の長物になる と信じました。不動明王が 大自在天を 呼び出そうとしましたが 不浄の結界に 阻まれ 近寄れませんでした。不動明王は 不浄金剛Hujyou-kongou 即ち 烏枢沙摩明王を 呼び出し 不浄物を 残らず 食い尽くさせました。不動明王は 大自在天を 易々と捕え 大日如来の前に 引き出しました。大自在天は「我は三全世界の王なり 汝らが夜叉なり。」と 繰り返し 抵抗し 逃亡を 繰り返したが 不動明王の力に屈し 続けました。ついに 大日如来は 堪忍袋の緒を 切らせ「断罪すべし。」と 三面六臂Sanmen-Roppi降三世夜叉明王に 命じました。明王は 大自在天と その妃の烏摩妃Uma-を 踏み殺しました。其の後の処置を 大日如来に尋ねると「生き返らせよ。」と 命じたので、法界生真言を 唱えると 大自在天は 蘇生ました。生き返えらされたので 大自在天は 大変喜び「この夜叉は いかなるものか。」と 尋ねると 大日如来は「諸仏の王である。」と  教えました。仏は 尊いのにその上に 更に尊い主の仏が いる事に 大自在天は 驚き その上 大自在天を 仏にしてくれる約束を 不動明王がしてくれた事に 感謝し 仏門に入りました。https://ja.wikipedia.org/wiki/大自在天    巨旦調伏の祭礼:貪欲な 巨旦将来の精魂の抜け殻は  武塔天神に よって 5つに 引き裂きました。1月1日----紅白の鏡餅(巨旦の骨肉)3月3日----蓬の草餅(巨旦の皮膚)5月5日----菖蒲のちまき(巨旦の髭と髪)7月7日----小麦の素麺(巨旦の筋)9月9日----黄菊の酒(巨旦の血)を 摂れば 金神の祟りが 及ばないと されます。    平成24年(2012年)10月18日

 

吉川牛淵のゴミ除け鳥居

吉備新線岡山賀陽線72号線)の 吉備高原大橋の 岡山側より 加茂川に 向かう分岐を 下ると 加茂川の手前の右の道脇 北緯34度49分2秒東経133度45分48秒に ゴミよけ鳥居が 祀られています。橋には 毎年 花が 植え替えられ 橋の袂には 毎年 案山子が 展示されます。鳥居の梁は 上の方が 短いので 正式なごみよけ鳥居です。従ってただの忠告を示す標識であって 神は祀られていないでしょう。   平成28年(1017年)1月8日