広面の山奥に とても急峻な 小川が 有りました。余りに 急なので 魚も蟹も 住めませんでした。昔 小川の下流に 蟹仲間で 評判の美しく 心優しい娘蟹が いました。若者蟹達は 娘蟹をお嫁にしたくて 毎日 入れ替わり 立ち代わり 娘蟹に 言い寄るのです。娘蟹は 見栄えが良く 口達者な男蟹より 愚直でも 誠意ある性格の男蟹が 好きだったのです。好きな 青年蟹が いたので 言い寄る 男蟹達の申し込みを 断るのですが 肝心の好意を寄せている青年蟹は 訪ねて来ないのです。仕方なく 娘蟹は 寄せ来る若者達に「小川の上の大滝の上に生えている 水桃の実を 採って来た者の お嫁になります。」と 無理難題を 言ったのです。蛮勇を振るって 若者達は 沢を登って行きましたが 途中の小滝を 越える事も 出来ず 滑り落ち 退き返して 来ました。
それを見ていた人間も 蟹仲間も その危険な場所を蟹地獄と呼びました。あの愚直な 青年蟹は 娘蟹が 自分に思いを寄せている事は 解っていましたが「娘の望みの水桃の実を 採って来て 求婚しよう。そうすれば 恋敵の恨みを 買わずに済む。」と 思い 地味に コツコツと沢登りや 岩登りの鍛錬を 計画的に 続けした。そして、勇気を 出して 蟹地獄に 向かいました。鍛錬の甲斐あって 途中の小滝を 全て乗り越え 大滝に 挑みました。何度も 何度も 滑り落ちましたが 何とか何とか 登り上流に 水桃の実を 探しに行きました。見た事が 無い植物ですから どんな実であるかも 知りません。桃の形をした実や 桃の香りのする実を 探しても 探しても 水桃らしい実は 見つかりません。青年蟹は すっかり気を落とし引き返す事にしました。それでも 下流には 生えていない美味しそうな 仙人の食べ物に 見える 水藻を 採取しました。大滝を 用心しながら 下って行きましたが 無念な 結果を 嘆き 涙で 曇った目は 足の踏み場を 誤らせました。滝の中間辺りから 転落し 甲羅Kouraを 強く打って 背中にX状 の傷が 付き 右の挟みが折れました。痛い体に 鞭打ち 蟹の村に 辿り着いた時には 瀕死の重傷に なっていました。村中は 大騒ぎになりました。娘蟹が 駆け付け 青年蟹を 家に連れて来て 水桃という実は 口から出まかせ の出鱈目(だった事を謝り 青年蟹の誠意に 感謝し 心を 込めて手当をしました。
m食欲が無く 普通の食べ物を 受け付けませんでしたが 青年蟹が 持ち帰った水藻だけは 食べたのです。すると 脱皮が 始まり 割れた甲羅と 右手は みるみる再生し 治って行きました。元気になると 2匹は結婚し 多くの子供を 育てました。不思議な 力のある水藻を増やし 食べ物にしました。それで 2匹の蟹の子孫の甲羅には X印の模様が有り 手足が捥げ落ちても再生するのです。「三谷野呂の百怪談」 平成24年(.2012年)12月28日
昔 三谷川や焼谷川は 魚が 沢山住んでいいました。釣り好きの少年は 豊岡小学校から帰ると 取る物も取りあえず 魚釣りに出かけました。時々 ガンツが 釣れました。釣れると言うよりはミミズを刺した針を 爪で挟んだ蟹が「せっかく捕った餌を 逃してなるものか。」と 離さないので 引き上げられるのです。この蟹が 美味しい事を 少年は良く知っていたので 釣れると大喜びしました。甲羅を 左右から持って鋏で挟まれないよう バケツに入れ 持ち帰りました。それを見ると いつも叔父さんが 真っ先にやって来て 料理をしてくれるのです。叔父さんと 言っても 少年とは 10歳しか 違わないので 兄ちゃんA-tyanと呼んでいました。兄ちゃんは 「お前が捕って来たんじゃけぇ 一番おいしい肉ぅ食べねぇ。 まずい味噌ぁ わしが 食べる。ヌルヌルしていて 砂も混じっているけぇ。」と 決まって いつも 同じ台詞Serihuを 言うのです。少年は 見るからに 不味そうな 味噌を 触ってみると 成る程 ヌルヌルしていて 粒粒感があり 砂が 混じっているような感触だったので 兄ちゃんの親切に 感謝しました。食べ難い 足や爪の肉を穿り返して おいしく食べました。少年は小学校を卒業すると 東京引っ越ししました。あの蟹の味が 忘れられません。蟹の出汁で 作った 味噌汁が 食べたいと いつも思っていました。
しかし貧し過ぎる生活だったので 蟹 等 食べられませんでした。少年は 理科の宿題で 昆虫採取をし 標本を作りました。目黒不動尊の杜は 昆虫の宝庫でしたので 杜の 隅々まで 駆け巡りました。目黒不動尊の杜の 小さな祠や 石仏や 唯の自然石に迄 お賽銭 が供えられていて それ等の辺りを探すとザクザクとお賽銭が 土に埋もれているのです。これを拾い集めて 蟹を買って 食べたいと思ったのですが 神仏の祟りが 恐ろしく それは できませんでした。そして運良く国立大学に入学できました。卒業後 ある会社の薬理研究所員になった青年は 初めて 給料をもらいました。直ぐに 中華料理屋に 入って蟹を 注文しました。上海蟹Syanhai-ganiを 店員が 持って来てくれ 迷っている青年に 食べ方を 説明してくれました。「蟹は 味噌が 一番おいしい。だから優れた技術 等の最重要点の事を 味噌と言うのだ。」と 説明され 食べてみました。肉 等比較にならない程に 味噌は 美味しかったのです。そして、祖父の法事で 田舎Inakaに帰った時 青年は 兄ちゃんに 上海蟹を 土産miyageに 持って行き 食べ方を 説明しました。兄ちゃんは「ありがとう。」と 小さい声で お礼を言いました。「三谷出身の人の実話談」 ガンツ:岡山の方言ではガンツは蝤蛑・ガザミの事ですが 三谷では藻屑蟹・モクズガニも ガンツと呼びました。 三谷川大坪の淵:三谷日名 北緯34度54分9秒・東経133度47分17秒 焼谷川湯谷橋:三谷口 北緯34度54分46秒・東経133度48分2秒 目黒不動尊・泰叡山瀧泉寺:東京都目黒区下目黒 北緯35度37分43秒・東経139度 42分29秒 平成23年(2011年)9月15日
昔 昔 鶴と亀は 仲良しでした。亀の お爺さんが 身内を 集め「兎の教え」の話をしていた時 急に「天にいる仏様に 長寿のお礼を しに行きたい。」と 言い出しました。その話を 聞き付けて 鶴の家族が 見送りにやって来ました。亀は「空を飛べない。 」ので 鶴に「羽を分けて呉れないか。」と 頼みました。鶴のお爺さんは、快くお願いを 聞いてくれました。鶴は 自分の羽を1枚抜いて 爺さん亀にやり「口に咥えていれば 空を 飛べます。けれども 口から離すと 空から落ちるので 気を 付けてください。」と 忠告しました。空を飛べると聞いて お婆さん亀も「うちも一緒に 行きたい。」と 言い出しました。鶴のお婆さんは 自分の 羽を 1枚抜いて お婆さん亀に あげました。お父さん亀 お母さん亀 子供亀 孫亀 曾孫Hinago亀 玄孫Yasyago亀 来孫Raison亀 昆孫Konson亀 仍孫Jyuuson亀 雲孫亀 雲孫の子亀 雲孫の孫亀………皆が次々「一緒に連れて 行って。」と 言う と お父さん鶴 お母さん鶴 子供鶴 孫鶴 玄孫鶴 来孫鶴 昆孫鶴 仍孫鶴 雲孫鶴 雲孫の子鶴 雲孫の孫亀弦………が、それぞれ自分の 羽を1枚抜いて 亀の家族に やったのです。何しろ亀は 千年 鶴は 万年も生きられるのですから 物凄い数の家族だったのです。お爺さん亀を 先頭に 鶴の羽を咥え 亀の家族は 揃って 天国に向かって飛び立ちました。亀の行列は ヅラヅラ繋がり 水を 振り撒きながら 進んで行く様は 地上からは 虹のように見えました。天国は 目の前で もう直ぐにでも 着きそうになった頃 お爺さん亀は 皆が 付いて来ているか心配に なり「皆 付いて来ているか。」と うっかり言って 振り向きました。付いて来ていた家族の 亀達は 一斉に「はーい。」と 答えました。口を開けたので咥えていた 鶴の羽が ヒラヒラと 落ちてしまいました。さあ 大変 亀達は バラバラと 天から 雹のように 降って落ち地 面に叩きつけられ 甲羅に罅が入ったのです。だから 亀の甲羅には 罅が 入って居るのです。梯子Hasigoを降りる時には 最後の1段を 下りる迄 気を許してはいけません。お気の毒な事でした。「https://ja.wikipedia.org/wiki/続柄」
[天に上り損ねた亀たち 岡山県の民話 <富久娘童話集 今日の日本民[hukumusume.com/douwa/pc/minwa/03/22b.html]
平成29年(2017年)3月30日
昔昔 亀のお爺さんが「わしは もう 万年も生きてきたので 子孫も 数えられない程になった しかし 間もなく 寿命も尽きるだろう。今の内に 天にいる仏様に 長寿のお礼を しに行きたいものだ。」と ポツリとつぶやきました それを 聞いた 婆亀が「お父さん 良い考えです。わたしも お 供させてください。でも鶴さんのように 羽がありません。どうやって天に行きましょうか。」と 言うと 息子亀が「親戚を 全員集めて 良い知恵を借りましょう。」と 提案しました。息子亀の嫁が 親戚全員を 集めました。始めは「何と大げさな事か。」と 興味無げに 遠巻きにしていた者も「天の仏に 一族の長寿のお礼をする相談だ。」と 解ると どの亀も自分 等の 長寿を仏に 感謝していたので 皆は口々 意見を 言いました。爺亀が「一匹ずつ話してくれ 耳が遠くなっているので 良く聞こえん 。 近くで 話してくれ。」と 言うと 皆は 意見を聞いてもらいたいので 少しでも前 に出ようとしました。すると住処Sumikaの池に 入り切れず亀 達は 折り重なりました。この様子を見て 孫亀が「皆で 塔を作れば 天まで届くでしょう.
」と 発言しました。
皆は その意見に 賛成したので 力持ちの順に 並び 一匹一匹 背中に 乗って亀の塔を作ろうと しました。殆どの亀が 塔に加わると 見事に 天迄 届いたのす。仏様が 遠くに見つけた一番上の亀が 喜びの声を挙げると 一番下の亀が「おお」 と喜びの声を上げました。すると 塔が僅かに揺らぎました。「おお」「おお」と 上に上に喜びの声が 伝わって行くと 揺らぎは 増幅しながら上へ上へと伝わって 行きました。一番下の亀は 力いっぱい 踏ん張っていないと 塔を支え切れません。その時 一番上の亀が 仏様に合えて 小躍りして 合掌しました。そのわずかな 衝撃 は下へ下へと伝わって行き、下から 登ってくる 揺らぎと 衝突すると一気に塔は 崩れ 爺亀 婆亀 父亀 母亀 子亀 孫亀 曾孫)亀 玄孫)亀 来孫)亀 昆孫亀 仍孫)亀 雲孫亀 雲孫の子亀 雲孫の孫亀………亀達は バラバラと 天から 雹のように 降って落ち 地面に 叩きつけられ 甲羅に罅Hibiが 入ったのです。だから、殆どの亀の甲羅には 罅が入っているのです。怠け者の鼈Supponnは 塔に登らなかったので 甲羅 に罅がありません。「下加茂の石材店の親亀の背中に子亀を乗せての石像」
平成29年(2017年)3月30日
寒い 寒い時期の 深い森に 修行僧(後の釈迦)が 焚火Takibiに 身を屈め お経を 読んでいました。何日も 食べ物を 食べていなかったので 死ぬ 時期を 悟り その時を 静かに 待っていたのです。その様子を 木陰から兎Usagiが 見ていて「この僧侶に 不思議な 慈悲の心が フツフツと 湧いてきている。」事を 見抜き 修行僧の側に フラフラと 出て 行ったのです。修行僧は 優しく兎 を抱き上げ 冷たく冷え(た体を擦 りながら「お前も 寒かろう 温まりなさい。」と言って 焚火に かざし 温めてやったのです。兎は 絶えそうな 僧 自身の命よりも、動物である 自分の寒さを 癒す事の方を 大切に思ってくれる 修行僧に 感謝の気持ちが 急流の川の波のように 渦巻き始めたのを 感じたのです。兎は 母から聞いた「命の歌」を 口遊さみ 修行僧に 聞かせました。修行僧は「兎さん有難う。人間より 優れた慈悲の心を 持っているお前に 会えて とてもとても 嬉しい。歌の通り元気に 生き続けなさい。」と 言ったのです。兎に 修行僧の体から吹き出す 慈悲の心が 前よりも 強く 伝わって来ました。兎は「このままでは この聖者の命が 絶えてしまう。この聖者が 死ななければ どれだけ多くの人の苦しみ を救ってくれることだろうか。 食べ物さえあれば この聖者を 助けられる。」と 思い[私は聖者のために 命を失う事に 悲しさは 有りません。 仮に 私が 母より先立っても 母は 許してくれるでしょう。 母の命の歌を 歌い続けてください。どうか 私を 食べて下さい。]と 言って 聖者が 止める 暇を 与えず 火に 飛び込んだのです。聖者は 死にそうな自分を 助けるために わが身を 犠牲にしてくれた 兎の言おうとした意味を 察し「有難う。 有難う。」と 言いながら 涙を堪えて 兎の肉を 食べました。すると 天より 虹色の光が 花となって降り注ぎ 何とも言えない 蜜の香りが漂い( 清々し( 風が 頬をふんわりと 撫でたのです。聖者は「厳しい苦行を 満足する程に積んで 死を恐れない程 に悟りを開いたと 確信しこれ以上の修業は 必要ないと信じていたが 先程 糧Kateになってくれ 兎は 己の悟りが 足りない事を 教えて下さった。神の慈悲の心を 伝えに現れたのだ。」 と 気付き どれまでの独りよがりの考えに 愕然とし 大いに恥じて 反省しました。すっかり 元気になると 更に 修行を重ね 本当の聖者になって 山から 里に下り 兎が 聖者に贈った命に報いるために「兎の教え」と 言う学校を造り 多くの苦しみから 民を救ったのです。そして、この聖者は 仏陀になりました。「www.st.rim.or.jp/~success/usagi_ye.html」
平成29年(2017年)3月30日
著者は 動物好きで 子供の頃から サラリーマン時代を 除き 犬あるいは 猫を 絶やさず飼っていました。15年前は ビーグル系雑種雄犬の瓢Huku 柴犬系雑種雌犬の百Momo ゴールデンリトリーバー系雑種雌犬の麻呂Maro ヨークシャー系雑種雌犬の栗Kuriを 飼っいました。2頭づつに分けて 犬を散歩させるのですが、瓢と百の散歩コースには 付近の犬に次々と 噛み殺したり 大怪我をさせていた 雄狼犬(ヨーロッパオオカミとシベリアンハスキーの雑種)の本丸Honmaruの散歩道だったので 時々 すれ違いました。本丸と出会うと百は 瓢の陰に隠れるのですが 瓢は 胸を張って狼犬の前に 立ちふさがって 百を守ったのです。
ある日 本丸が 飼い主の手を離れ 襲い掛かって来ました。瓢は 勇敢にも 立ち向かい、自宅におびき寄せ 素早い動きで 本丸の攻撃をかわし 本丸の口を 捕えました。すると本丸は 頭を 下げ腰を引き 壁際にへたり込みました。それからは 本丸は 瓢の子分として 振舞い 一緒に散歩するようになりました。著者の友人は マリアンと 呼ぶ 秋田犬の雄を 飼っていて 犬のしつけ方教室ビデオテープを 作ろうと言い出しました。そのためには 犬社会の序列を 説明する必要があり 犬の喧嘩の 勝敗の決着の付け方 則ち犬社会の縦社会のルールを 撮る事になりました。「死んでも 恨みっこなし」。」と 合意して 2匹を 立ち会わせると 瞬時に 狂暴のはずの マリアンは 頭を下げ 後ろ向きになって 知らぬ顔をしたのです。ある深く 積雪したの日 に 犬の運動場を囲っていた 2mを超す柵 を瓢が 飛び越し 隣接する公園の野球場のブルペンから グラウンドに 飛びおりました。普段ならば 名前を呼べば 飛んでくるのに 雪の広場が 余程気に入ったのか1 時間程しても 走り回って 呼び声に 応えてくれませんでした。しかたなく 翌朝まで 放置すると 余程寒さに懲りたのか 2度と野球場には 近付かなくなりました。
瓢達は 一番北の 部屋のケージに 入れて飼っていたのですが いつのまにか 居間に一番近い書斎に続く 階段の下で 寝るようになりました。ケージのS字状の鍵 を外し 落とし錠を 開け 観音開きのノブ付きドアを 開け 両開き戸を 開けない とケージから 階段下に 辿り付けない筈です。どんなふうにしているのかと 隠しビデオを 仕掛けてみると 瓢がケージの鍵を 前足で明け 百と麻呂のケージを 開けてやり ドアノブを 引き 扉を体で押して開けていたのです。暫くして 瓢が ノブを引くと 百が ドアを 押し開けるようになり 遂には百 一匹でも 脱出できるようになりました。
そんな 強く賢い瓢も 年を取り18歳になると 白髪も増え 後ろ足が 震えるようになってきました。それでも 未だ 散歩も良くし 近隣の犬のボス的存在では ありましたが 瓢を頼り切っていた 百 は母親のように 瓢の世話をするようになったのです。ある日 百が 瓢の全身を いつもより 丁寧に何か 不吉な物を 舐めとるかのように 舐めてやっていました。するとその夜 いつもより 旺盛な食欲を見せた 瓢は 今まで屋上で 著者と添い寝したり 遊ぶ時以外2階に続く 階段を登った事は 一度も無いのに 階段を登ろうとして 転げ落ち胃捻転を 起こし 翌朝には死んでいました。著者に死を予感しいつも著者が 詰めていた 書斎に登って来たのでしょう。百も 瓢の死を 予感していたのでしょう。
百と麻呂は 2週間程 夜になると 遠吠えしていました。時が過ぎ、引っ越す事になりました。すると引っ越しの前日に いつもは著者と 添い寝していた栗が 百や麻呂と一緒に寝たいと 階段下から 離れないのです。麻呂は 著者の知り合いが 飼っていて溺愛され ビーㇷジャーキーを 多食していて 肝臓癌になっ成っていて 飼い主の都合で 著者が 引き取っていたのです。 大分痩せて来ていましたが 前日まで 一見元気そうな 麻呂でしたが 引っ越しの トラックに荷を 積んでいる時 8才で 苦悶の表情をして 急死したのです。栗は 麻呂の死を 予見したかのようでした。引っ越すと ビニールハウスの中に 犬小屋を作り 柵をめぐらし 木を植え木陰を作ってやりました。一匹ぼっちで 寝る事になった 百は3ヶ月程 悲し気な 遠吠えをしていました。年を取り 18才になると 朝から晩まで 犬小屋に伏せるようになり ゆっくりした散歩も 嫌がるようになり 抱っこして 排泄場まで 運ぶようになりました。ある日の夜に 栗が狂ったように 鳴きだすと 百は一度も 脱走したことの無かったのに 信じられない事に 1m半程の柵を飛び 越え脱走したのです。雨が降り 雷の鳴る暗闇の中 探すと家から2Km程も 離れている所で見つけたので 抱いて帰りました。翌朝 ケージの中で 毛布に 包まって安らかに 死んでいました。栗は 百の死を 予見し 百は 自分の死を 悟ったようでした。百が 死ぬと栗は 急に元気が亡くなり 食欲も細くなりました。血液科学的な検査をしても 超音波診断をしても歯槽膿漏ぐらいしか 異変は ありませんでした。食の細さに 手渡しで餌をやるようにしていましたが ある夜に 元気な時程の 餌を食べたので とても安心し 寝ようとする 栗は 何時もなら添い寝したがるのですが 著者の座る座布団の上で寝ようとするのです。朝起きると栗は 安らぎの顔をして 永遠の眠りについていました。栗は 自分の死を予見していたかのようです。「著者の経験」 犬は人より 優れた能力を持っています。犬の臭覚は 人の十万倍とも 百万倍も良いとされます。聴覚は人の6倍であるとされ 5 万ヘルツの高音を 聞き取るとされます。人が 感じられないような 紫外線 等の電磁波や ごくわずかな電流や 気圧変化や 重力変化等を感知するとされます。視野 動体視力 暗闇での視力も 人と比較ができない程 優れています。人の尿から 98%の確率で癌患者を 識別できるとされます。これらの能力を 生かし 人の妊娠 出産 排卵時期 恐怖 悲しみ ストレス 活動能力 戦闘能力 緊張 敵対心 恐怖 感情(喜怒哀楽)性別 年齢 病気(糖尿病 低血糖 腎不全 肝不全 てんかん発作 等)死期(体臭 行動力 気力 血流 血色) 地震の予知 悪天,候(落雷 降雨 大風等) 飼い主の行動(お出かけ 帰宅 居場所 等)等を 性ホルモン オキシトシン ドパミン エンドルヒン アドレナリン ノルアドレナリン アセチルコリン コルチゾール 等のホルモン 等の分泌量の感知 或いは それ等の作用からもたらされる体臭 体色 筋肉の緊張 発汗等の変化を 知る事が できるのでしょう。そうであれば、百や飼い主の麻呂や栗の終末の予知は 不思議な出来事ではな く絆の強さからもたらされた 当然の出来事だったのでしょう。帰宅の予知は 飼い主の乗り物の音の聴取や 飼い主の歩く筋電 を感知するのだと言う人がいました。人におけるテレパシーを 確かめた研究は 多数あります。そこで ビデを カメラを仕掛け 瓢の様子を 観察すると自動車では 100m程離れた所で 耳を動かし始め 驚いたことに ランニングや徒歩では 200m程離れていても 反応しました。日を変えても 再現性が 確認されました。百では 著者が見える所迄近づかない と反応しませんでした。
多くの動物は体力が衰えると 敵の襲撃を 恐れ 安全な場所 に身を隠そうとするでしょう。人に置いても 死の訪れや 死を 告げに親しい人が 枕元に立つという話を よく聞きます。死間近の人の行動には 特徴があると言います。例えば「親しい人や世話になった人に感謝の言葉を言うようになる。」「親しかった人に 無性に会いたがる。」「懐かしい所に 行きたがる。」「介護している人に 気を使うようになる。」「見舞いに来た人に しっかりと対応する。」「ジッと自分の手 を見つめる。」「黒い影等を見たと言う。 死神を 見たと言う。」「影が薄くなり透き通るようになる。」「食欲がないのに 突然好物を食べる。」「性格が 変わる、・嫌いな人 を好きになる等」「顔色が変わる。」「普段やらないことをする。・部屋を掃除する等」法や秩序を順守する。」「人に見えない人が 見える。」「悪臭がする。」等 不可解で 説明のつかない現象もありまさが 医学や心理学で多くは説明できそうです。「https://believeitornot666.com/nakunaru-tyokuzen」「fortuna-fortune.com/lifestyle/2285」 死を迎えた人が 迎えに来たり、夢に出たりする現象は 極一部を除き「死の知らせを受けた人は 予めその人が危険な性格であったり 危険な作業をしていたり 死期が迫っている事を知っていたりする。」のですから、気になっていた事が 現実になっただけで 不思議な体験談として後付け て語ったものでしょう。 平成27年(2015年)1月25日
平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。P285~P292に「死を巡る話」が載っています。平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p61に「あの世からの招き「死の知らせ」P62に「恩を忘れぬ犬」p63~P64に「火の玉」p49~p66に「亡くなる前に墓地の相談」の体験談が載っています。