昔 広面廣奥の東森西に 大きな屋敷があり ここに 弓の名手の武士が 住んでいました。その武士が 東森の西側の田より 弓を大きく構え 下の原の方を目指し 矢を放ち 広田の大町に矢が落とし 鍛錬していたのです。戦争では 功を上げ 狩りでは 狙った獲物は 決して逃した事が有りませんでした。その広面のモッコク谷には ナメソウと言う 蛇型の怪獣が 住み モッコク谷 を 涸らさず 視野を奪う程に 霧を起こしていました。
ある日、農民が「田圃Tanboが 荒らされて困るんで 犯人を 退治じして もらえんじゃろうか。」と 弓の名人に 頼んで来ました。名人は 人格優れており 人の困難を 見過ごせない性格だったので、快く引き受けました。田に出てみると、鼠Nezumiや雀Suzumeが 稔りを食べ 散らかしていました。[わしの弓の鍛錬の標的にしている 蛇や狸や狐を最近 見かけなくなった。わしは獣を的にしても 獣を射殺していないので 獣達が脅され 大町辺りを 避けているとばかり思っていたが モッコク谷は 逆方向だ。だとすると モッコク谷のナメソウ が鼠や雀の天敵である 蛇や狐を 食べ尽くそうとしているからだろう。 」と 推測しました。そこで モッコク谷に 分け入りました。木が茂り 辺り空気は 湿っぽく 昼とは言っても 薄暗く 足元は ジメジメしていました。生臭い臭いが 漂って来て 蛭Hiruが 忍び寄って来ます。随分と 奥に入った時 谷筋で 巨大な 生き物が うるうて 気怠そうに 蠢いugomeiていました。その胴回りは大背の男より太く 背丈は羆Higumaより高く 口は大きく目は赤く燃えていて 胴は蛇のようで 羽毛のような白い毛で 覆われており 手足は 小さく 鋭い爪が 生えていました。
名人は これが 幻のモッコク谷の水を 枯らさないと言う 怪獣 ナメソウかと 見入りました。辺りには 蛇や 狐や 鷲や 鷺等の残骸zangaiが 散乱していました。「思った通りだ。この化け物が 鼠や雀を餌にする 蛇や狐や鷲 を食べ尽そうとしたので 鼠や雀が 大繁殖したんじゃ。」と 合点しました。「こいつを退治すれば モッコク谷は 干乾び 百姓達は 困りゃぁせんじゃろうか。」と 疑問が湧いたのですが[ 吉洋渕Kityou-butiがある モッコク谷が 涸れても 稲作に 支障はないじゃろう」と 判断し 思い直して 弓をキリリと引くと 怪物は そ れに気付くや 否や 素早く横っ飛びし 名人の隙を 狙い ツチノコのように ピョンピョンと 跳ねるように走り 高々と名人の頭上に 襲いかかりました。名人は「しめた」と ばかり ヒュウと 矢を放つと 見事 怪獣の 急所を射ぬき ドウと音を立て 地面に落ちて 絶命しました。宙を飛んでいて 足が 地についていなければ 方向 と速度を 変えられないので 的中し易かったのです。人々は「あの大蛇は 足守藩の首切り場で 無念の恨を以て死んだ人を 食って巨大化した 化け物じゃた。」と 噂しました。「吉備中央町の伝説 妖怪伝説 廣奥のナメソウ」「東森西の弓の名人伝説」を基にした物語 東森西の弓の名人伝説:広面廣奥の東森西に 大きな屋敷があり、ここに 弓の名手の武士が 住んでいました。その武士が 東森の西側の田より 弓を大きく構え、下の原の方を目指し 矢を放ち 広田の大町に矢を落とし 鍛錬していました。「広面今昔物語」 モッコク谷のナメソウ伝説:広面奧のモッコク谷には 蛇の様な妖怪 ナメソウが 住んでいました。それでモッコク谷の水は涸れる事がありませんでした。アオダイショウより大きく 時々村に現れると言う。「広面今昔物語」「村人口伝」 モッコク谷:北緯34度49分20秒・東経133度48分54秒の北 吉洋池・吉洋渕・吉祥淵:北緯34度49分21秒・東経133度48分44秒 大町:広面 北緯34度49分16秒・東経133度48分26秒 足守藩処刑場:広面 北緯34度49分18秒・東経133度47分54秒 平成23年(2011年)8月27日
昔、弓の名人が 黒土松屋に いました。名人は 毎日 強弓を 引き 的山に 向け 鍛錬していました。鳥羽城の城主が その腕前ぶりを 親城の矢倉城の お殿様に紹介すると お殿様は 名人の技を一度位は見たいと 言い出しました。家来 に 弓の名人に「殿様の狩のお供をし そちの腕前を披露せよ。」と 命令しました。名人は 殿様の お願いと知って 喜んでお供をしました。
狩場に着くと、鴨の群れが居ました。殿様は 名人に「鴨をできるだけ沢山捕れ。」と 命じると 名人は「心得ました。」と 引き受け「他の者は 静かにしていて 絶対に 何もしないように させてください。」と お願いしました。殿様は 名人の言う事でしたから 家来達に「何もせず 音も立てるな。」 と 命じました。しかし 名人は ただぼんやりと 鴨の泳ぐ 池を 眺めているばかりです。殿様も 家来達も 何かしようとすると 名人に静まるように注意され 面白くない時間を 欠伸Akubiと 眠気と闘いながら 過ごしました。延々と 待たされた 家来達の 不満を見て取った殿様は、怒らんばかりの形相で 名人に「早う狩を せんか。」と 苦情 を言いましたが、名人は 目を合わせ「多少ねぇと(でぇしょうねぇと)待ってつかぁせぇ。」と 願うばかりです。
殿様は不 思議がり 名人の眼を何気なく見ると その真剣な 眼光に 気が付きました。名人の視線の先を見て 殿様は 名人が 何で 何もしないでいるか その理由に気が付きました。殿様は 騒ぎ出しそうな 家来達に 目配せし 忍耐を求めました。家来達は 殿様の意味する所が解らず 不貞寝する有様です。殿様が「好機じゃ。」と 感じた時、名人は 弓をキリリと 引き絞り 矢をヒュウと 放ちました。1本の矢で 5羽の鴨を 撃ち貫きました。勿論の事 他の鴨は 驚いて全部 飛び立ち 逃げて行きました。殿様は 名人の 経験深さに 感心し 褒美をやったそうです。 「黒土空の村人より口伝」一本の矢で多くの獲物を射る射手の伝説は「江与味の五葉猟師」等多くあります。
的山・鳥羽山・鳥羽城跡跡:黒土1147・1166番地等 北緯34度51分3秒・東経133度42分20秒
松屋:黒土1491番地 北緯34度51分34秒・東経133度42分2秒 的場:黒土1492・1535番地等 1517番地:北緯34度51分2秒・東経133度42分0秒 鳥羽ノ鼻:黒土914-927・932-935・937・956・959番地 カモ田:黒土954番地
平成23年(2011年)8月30日
追い剥ぎOihagiの被害を 防ぐ方法が あると言います。広面の千升峠Timasu-touge)持畑に 追い剥ぎ が出ました。火を焚いて 大股を 開き睾丸Kintamaを だらりと垂らし 悠然構えれば 追い剥は 襲わないと 伝えられています。「手づくり ひろも今昔物語」
この伝説は 一見意味不明な 伝説に思えます。この伝説について なぜにこのような 仕草で 追剥の被害から 逃れられたのかを 考察してみました。 1. 既に 身ぐるみ剥が された格好をしたので もうそれ以上 盗れないと 思わせた。 2. 豆狸は 関西以西に多く 生息する 犬程の体格で 知能が 高い 空想上 の狸です。陰嚢を 八畳程に 広げ 息を吹掛け 幻を 見せたり 別の者や 物に 化けたり 取憑いたりする 言われます。よく見られる 焼き物の置物では 傘を被り 徳利を 片手に持ち 僅かな 衣服を着て 直立した姿で 表されます。その豆狸 そっくりの姿をした 裸の男を 豆狸が化けていると 勘違いした 盗賊は 豆狸に化かされるのを恐れて 近寄らなかった。
3. 道祖神は道端に祀られる 中国の神で 旅の安全の神です。日本の 流行病や 外敵から 村を 守る 才神 と多くの場合 習合しており 天鈿女命と猿田彦命夫婦とも 習合している場合が あります。天鈿女命は 天照大神が 素戔嗚命の悪行を反省させるために 天の岩戸に 隠れますが その時 岩戸の前で 裸踊りした女神です。天孫降臨の時は 天八街Ame-no-Yatimataで 待ち構え 高天原の武神を なぎ倒し 天照大神の使者を 追い返そうとした 猿田彦命を 帯を解き 衣服を はだけ 魅了させました。この姿を見た 猿田彦命は 掌を返し 高天原の神々の 道案内を し葦原中国Asihara-no-Nakatu-kuniに 導きました。そして 高木神に 頼み 鈿女命を 妻に乞いました。この神話に 示されるように 生殖器には魔除けの霊力あるとする信仰が 古代よりありました。金精神が 道祖神と混同されたり 習合している場合もあります。それ故に 盗賊は 裸の男を 道祖神と 間違え祟りを恐れた。以上の理由が考えられます。 千升峠:国道429号線と岡山賀陽線(72号線 吉備新線)の交叉点の南 北緯34度48分37秒・東経133度48分25秒 即ち 429号線と吉備新線の交叉点を岡山に向き 右に向かい、廃品販売店を 過ぎた所に 峠が 有ります。昔は 寂しい山道だったようですが、現在は山が 削られ 緩やかな 傾斜の太い道が 造られ 見通しが 良くなっています 盗人馬場:広面1015ー1017番地 千升:広面755-780(北緯4度48分34秒・東経133度48分27秒)・781番地 平成23年(2011年)8月30日
昔 千升峠は細い道しかなく 寂しい処でした。盗人馬場に追剥が住み付いていて 千升峠に旅人が 夜更けに通りかかると 襲い 身ぐるみを剥いでいました。ある夜、廣面の男が高梁にに出かけ しこたま飲んで フラフラ千鳥足で 千升峠に差し掛かると 追剥が現れました。「へたに抵抗して 乱暴されては叶わん。」と 思いサッサと衣服を脱いで 追剥が身ぐるみを持って行くのを 恐れもせず 提灯で足元を照らし悠然と構えていました。その姿を見た追剥達は 豆狸や裸踊りの真ねをしながら 何やら相談をし始め 逆に何を勘違いしたのか 逆に怯えだし コソコソ逃げ出しました。男は広面に無事につくと「追剥に合わない方法を見つけた。大股を 開き睾丸Kintamaをだらりと垂らし 提燈の火で照らし 睾丸を悠然と見せればいい。」と 大言(大口)を叩きました。するとお上さんは「」もしかして昨日のキュウリ揉みのせいかしら。」と言って 脱ぎ捨てた 褌を 急いで 隠しました。 キュウリの断面は 徳川将軍家の家紋の三つ葉葵に似た 模様になります。追剥は ふんどしに 三つ葉葵の紋が 付いているのを見て「こんな百姓みたいな男が将軍家の血筋の者である筈がない。」でも もしかして。」と思い 恐れをなして逃げたらしいそうな。 平成23年(2011年)8月30日