上加茂の福原に 大森と言う人が 住んでいました。加 茂大祭の時 備前一の宮から 神主が来るしきたりでした。大藤氏の身内の神主が 福原に住み付き 大森を名乗ったそうです。大森は 相撲好きで 都藤藤士郎Miyakohuji-Hujisirouと言う力士の面倒を 見ていました。ある日 大雨が降って来たので 帰りに 藤四郎は 大森から傘を借りました。大森は けちん坊でしたので 節約令を理由に 古い傘を 貸しました。しかし その傘は 酷く破れていたので 雨が漏って 傘として殆ど役に立たなかったらしいのです。村人は「借るは借ったが 破れ傘 雨ぁ大森藤士郎」と 言い囃し 傘を借る時は「藤士郎を 貸してぇな。」と言いました。「加茂川の民俗」 都藤藤四郎の供養塔:高梁御津線(31号線)沿いの下加茂梅原260番地の西北緯34度51分41秒・東経133度47分34秒に立てられています。
聞き做しKikinasi "Animal sound mimicked with human voice"ホトトギス ある小僧が 大寺に入りました。ホトトギスが「小僧め来たかや。」とか「弟んぼ見たかや。芋ぅ食えるぞ。」と鳴きました。親元にいたい盛りの小僧は「くそ ホトトギスめ。」と思い 涙しました。朝早くから 冷たい床から 起こされ 庭掃除をさせられていると ホトトギスが 「冷ッこい冷っこい床じゃろ。小坊主掃いたか。」と鳴き、雑巾がけを していると「雑巾かけたか。」と鳴きました。辛いと休んでいると「ホット ホットギス。」と 鳴きました。きつい修行が 辛いと思っていた小坊主は「この野郎 ホトトギスめ。」と言って 辛さを 堪えていました。少し修行が進み 鳥を 追い払おうとしたら石に 躓き 転びました。「小坊主こけたか。 起こそうか。」と鳴くのです。地団太踏んで 悔しがりました。修業が進み 剃髪すると「坊んさん剃ったか。てっぺん禿げたか。」「てっぺん掛けたか。」と鳴くのです。「此畜生 ホトトギスめ。」と 腹を 立てました。一段と修行が 進み お経を読みながら唱えていると「お教読んだか。袈裟ぁ着たかや。」と鳴きました。「放っておいてよ。 ホトトギス。」と 聞き倣し しました。すらすらお経を唱えるようになると「お教あげたか。」とか「本尊かけたか。」と鳴くので「上げております。ホトトギス。かけてござるよ。 ホトトギス。」と 聞き倣ししました。そして一人前になると ホトトギスの鳴き声は自然の中の風流の一つと思えるようになりました。「京都清水寺にて聴取」
カッコウ 求愛の時には「カッコウ。 カッコウ。」と 鳴きますが 普段は 高音で「ピヨピヨピヨ」と 或いは 鋭く「ピピピピピ」と 囀る場合 が有ります。昔 親不幸な郭公が 居ました。母鳥が 餌をとって来て硬い処を食べて 柔らかい処を子に遣りました。子は 何時も お母さんが 先に 美味しい処を食べ 自分に 不味い処を 食べさせていると思い お母さんの食べている物を食べたくて 口から頭を突っ込んで お母さんの喉の中の食べ物を 取り出し 食べました。硬くて不味くて 吐き出しました。ふと見ると お母さんは 苦しみもがいて「お父さんには 決して 嘴で 突かないで。」と 言いました。子カッコウは 謝りながら 何とか助けようとしましたが 母郭公は 死んでしました。子郭公は「ガンコ―ガンコー 硬い硬い。」と 鳴きました。お父さん郭公は 親不幸な子を 厳しく叱り「お前のような奴の世話にはならん。」と 怒りました。処が 父親の背中に 虫が付き 痒くなりました。父郭公は 子郭公に「痒い。 痒い。 背中ぁ掻いてくれ。虫ぅ取ってくれ。」と頼みましたが、子郭公は「お父さんを 嘴で突けば 死ぬるかも知れない。」と 思って 恐ろしくて 背中を掻いて やりませんでした。痒い所に 手が届かないもどかしさに 耐え切れずに 父郭公 は自分が子郭公に言った 言葉を思い出し「頑固ー。頑固ー。」と 鳴きながら狂い死にしました。子郭公は 悲しみ 反省して「掻こうか。 掻こうか。」と 鳴きました。たった 一羽に なった子郭公を 皆は「閑古。閑古。」と 呼びました。世間に 格好が 付かなくなった子郭公は「恰好.郭公.」と鳴きましたとさ。「祖父の弟より口伝」
鶯Uguisuが卵を産むと ホトトギスが 相次いで鶯の巣に卵 を産みました。卵から 孵ったホトトギスの子は 残っている卵を 巣の外に落しました。鶯のお母さんが それを見つけホトトギスの赤ちゃんを『法法華経。法法華経。」と叱りました。 ホトトギスの赤ちゃんは仏様に祟られるのを 恐れ 残りの鶯の卵がず孵ると 弟を 可愛がろうと お母さんは 思いました。鶯のお母さんが 餌を捕まえて来ると 体の大きいホトトギスは 大きく目立つ黄色の嘴大きく開くので お母さんは思わず 先に餌を兄に遣る事が 多かったのですが 時々 兄が 餌を 弟に 譲りました。お母さんはそれを見て兄が 体の大きさに見合うよう 真配ってくれていると 思いました。それでも 子達の育ちが 違い過ぎるので 心配になって 鶯のお母さんは「弟でぇは 小まいんじゃけぇ 餌ぁ もそっと 分けてやってぇ。」と兄 のホトトギスの子に 頼みました。それからは 兄は お母さんが 虫を 取ってくると 虫の腹をを摘まんで 受けとり 可愛らしいい弟に 先に食べさせるようになりました。それを見 てお母さんは「なんて優しい兄でしょう。」と 思いました。しかし 弟は それでも育ちが悪く弱って行きました。お母さんが[ 何ぅ食ぅとるんじゃろう。]と 嘴を 弟の嘴の中に入れ 探ってみると 消化できない硬い虫の頭が 咽喉に 詰まっていました。虫の頭を 摘まんで 引っ張ると 頭は 首から千切れるので 弟は柔らかい処が 食べられなかったのです。お母さんは それからは 弟の口に 餌を入れてやるようにしたのですが 手遅れで 弟は 死んでしまいました。それで 兄は「弟でぇ食うたか。頭ぁ食うたんか。」と 悲しんで鳴くようになったのだそうです。「ホトトギス - Wikipedia」「ホトトギスの兄弟- 山形県の昔話 | 民話の部屋」「ホトトギスの兄弟- 山形県の昔話 | 民話の部屋」「ホトトギスの兄弟 鹿児島県薩摩郡の民話 <福娘童話集 きょうの百物語>」「勢和村◆ほととぎすの兄弟」「ホトトギスと兄妹(ホトトギスになった妹の話)(現代語版) - 川俣町公式ホームページ」 「岡山のへその町の民話p57」令和6年(2024年)11月20日
雨蛙の親不孝 Parents Unfilial tree frog
むかし昔 アマガエルの息子はあまのじゃく(天の杓)でした。それでも お母さん蛙は 息子が 可愛くて 一生懸命に 育児をしていました。おいしそうに熟した桑の実を 見つけると 息子に食べ物である事を 教えようと「桑ぁ喰わぁ。」と 言って食べてみせると 息子は「鍬ぁ食えん。」と 言って 鎌キリを 捕まえて 食べました。酒の席では「下戸ゲぇコ。」と言って お酒を 慎むようにと 言うと 笑い上戸の振りをして「ギャワワ 神酒 Miki。」と 騒いで お酒を飲むのです。夜になったので「帰ろけエロ。」と言うと「帰らん。けぇらん。」と 駄々を こねるのです。喉が渇いただろうと「水 uぅ飲みぃ。」と 言って器を 差し出すと[ミミズぅ見ず。」と言って 蚯蚓を 肴に 塩水を呑むのです。何を言っても 反対の事をする息子の育児に 疲れ果てた母蛙は 食も進まず 痩せ衰え 今にも 死にそうに なりました。流石の息子も 最後だけは 母の願い叶えて やろうと決意しました。そんな言とは 知らぬ 母は 死んだ後 は墓を 森に立ててもらおうと思い 態と「この天邪鬼Ama-no-jyakuが。うちが死んだら 心地えぇ水音のする川岸に 葬っておくれ。」と 言い残して 帰らぬ蛙に なったのです。すると息子は「わしゃぁ 天邪鬼じゃねぇ。森雨蛙じゃぁ 。」と 言って 遺言を守ったのです。雨が降ると せせらぎの沢は 水嵩を増すので 母の墓が流れそうになり それが心配で 雨が降りそうになると 息子蛙は「母が流れる。墓が流れる。」と 鳴くのだそうです。「村人口伝」「雨蛙の親不孝 - 岐阜県の昔話 | 民話の部屋「雨蛙不幸(シマグチ混じり)」 | 作家紹介 | 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)」「雨蛙不幸(共通語) | 作家紹介 | 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)」「鳶不幸 - 静岡県の昔話 | 民話の部屋」[岡山へその町の民話p58] 言われてみれば 雨蛙の鳴き声は「母が流れる。親がながれる。」と鳴いているように 聞こえます。ちなみに 著者の長女は 何処で どう聞き間違えたのか「オタマジャクシ」の事を「オタマジャマクシと 呼んでいました。それが 可愛くて 笑ってやると 嬉しそう にジャンプしたり スキップを踏んでいました。 令和6年(2024年)11月21日
著者の知る聞き做し
ウグイス:法法華経 ホウジロ:一筆啓上つかまつり候 源平ツツジ・白ツツジ ホトトギス:特許許可局・行々子・天辺欠けたか・包丁欠けたか 弟見たか・芋の首食うたか おっさんコケたか・起こそうか コノハズク:仏法僧 サンコウチヨウ:月星日ホイホイホイ コジュケイ:チョット来いチョット来い アオバズク:坊主来い坊主来い コノハズク:仏法僧 ヒバリ:利ぃ取る利ぃ取る日ぃ一分 ツバメ:土食って泥食って口ぃ渋ぃ・歯ぁ渋ぃ歯ぁ渋ぃ 嬢ちゃん赤いママにトト添えてさぶさぶわしゃ虫ぅ食う土ぅ食う渋ぃびぃ センダイムシクイ:焼酎一杯グビー カラス:阿呆阿呆・馬鹿ぁ馬鹿ぁ フクロウ:五郎さんホーホー・ぼろ着てホーホー・五郎助ホーホー・糊付け包せ ボロ着て奉公ボロ着て奉公・ 糊付け干ぅせ ツクツクボウシ:法師ぃ着く着く法師ぃ着く着く・突く突く帽子尽く突く法師爺ぃ クマゼミ:爺ぃ爺ぃ婆ぁ爺ぃ爺ぃ婆ぁ爺いー ネコ:寝よ寝よ アマガエル:親が流れる・親が流れる トノサマガエル:行こうか・行こうか・ござらばござれ 鳥の聞きなし 「www5f.biglobe.ne.jp/~tsuushin/sub8.html」「goo ブログ 無料でブログを作成 - 聞きなしhttps://blog.goo.ne.jp/toshi08126/e/16f5d324ec819700b13b094e9a5002cf」「atky.cocolog-nifty.com/bushou/2010/02/post-7473.html」 平成29年(2017年)3月30日
こぢんぽ おえるんか Are your penis useful?
昔は、夜這Yobaiと言う事が 良く行われていました。勿論 親も認める真面目な夜這いが 主流ですが、時には 若い男達が 性に大らかな娘の家に 単独あるいは 集団で夜に 忍び込む事も あったようです。祭の酒の席で 夜這いの話になった折り、老人に「どれ位の年で夜這いに行き始めたんか。」と聞いて見ると、老人は「こぢんぼが おやす(おおきくなる)位になると仲間に入る。」と 答えました。また小森の暗い所で、少し年上の娘に手を出した 青年が「こぢんぽ、おえるんか(やくにたつのか)」と 言われたと 言われます。「加茂川の民俗」
こ:強調の「こ」で「この野郎」等に使われる「この」の意味です。同様な使われ方には「こ堪えられない」が 有りま 口合い:気の効いた駄洒落Dajyareの事です。 吉備中央町では「「こんな勉強秋田県 滑って転んで大分県」、「エッチ スケッチ ワンタッチ お風呂に入ってアチッチ」「阿呆 糞馬鹿 チンドン屋 お前の母ちゃん出臍」「様ぁカンカン河童の屁」「みっちゃん 道々ババひって 紙がないから 手で拭いて もったいないから嘗めちゃった。」等が知られています。「一つ左に禿Hageがある 二つ双子の禿が有る 三つ醜い禿がある 四つ横にも禿が有る 五ついつもの禿が有る 六つ昔の禿が有る 七つ斜めに禿が有る 八つやたらと禿が有る 九つここにも禿が有る 十でとうとう禿げ頭」等と 言う数え歌もあります。 岡山藩の倹約御触書:安政3年(1856年)に発行さた岡山藩の倹約御触書では 穢多(相撲取 芸人等)の者は 傘の使用が 禁止されていました。 下加茂福原:梅原の間違いでしょうか。該当者の大森氏の末裔の人は 梅原の藤士郎の供養塔近くに 住んでいます。 小森温泉:小森温泉旅館は北緯34度55分2秒・東経133度48分7秒に建ち、最盛期には 芸者さんの置屋を 兼ねていたようです。 平成24年(2012年)2月3日
嘘を付くと 尻に松が生える
「嘘を付くと 松が 尻に生える。」「 嘘を付くと 背なに 松が生える。 」「嘘を付くと 肩に 松が生える。」とも 言います。「一度嘘を付くと その嘘を隠すために 新たな嘘を付く必要に迫られ そして又 それ等の嘘を隠すために 新たな嘘を付く必要に迫られついには 嘘を隠しきれなくなくなります。 そうなると 世間の批判を 受けることになり 信用を失い 人生に大きな支障をもたらすことになる」との意味です。ここで使われている松は 松明Taimatuの事で 松とは 岡山の方言で「火の明かり」を意味します。尻や背中に火のついた松明が生えるのですから 自分には 松明が見えませんが 他人からは 丸見えです。まり 悪事の目印を付けて歩いているようなものです。嘘を重ねると ついに言い逃れの種も尽き 抜き差しならぬ状態になり にっちもさっちも行かなくなります。「尻に火が付く」から発生した言い回しでしょう。「尻に火が付く」とは「 「事態が差し迫って 追い詰められ 逃げ場を失った状況になる。 あるいは 物事が差し迫っていてどうしてよいか解らず 慌てふためいている状態になる。」 と 言う意味です。 平成29年(2017年)3月30日
シジュウガラは言葉を持つ Tit have language
鈴木俊貴(京都大学生態学研究センター研究員)等の研究によると、シジュウガラは 蛇が近づくと「ジャー・ジャー」(蛇じゃ)と鳴き、カラスやネコが近づくと「ピーツピ・ピーツピ」(用心しろ。)と鳴き、猛禽類が空を飛ぶと「ヒー・ヒ―」「スヒー・スヒー」(上空に敵がいる。)と鳴くそうです。ジ・ジ・ジ・ジ」と鳴いている時は「集まれ」と会話しているそうです。「ピーツピ・ジ・ジ・ジ・ジ」と鳴く時は「敵が近くにいるので用心して集まれ。」と言っているのだそうです。鳴き声を 合成し「ジ・ジ・ジ・ジ・ピーツピ」と 聞かせても、反応しないので シジュウガラの会話には 文法 があるのだと言います。すると「ピッツイ」と聞こえた鳴き声は 鈴木らの言う「ピーツピ」で「敵かも知れない用心しろ。」と 「スピーチ・スピーチ」と聞こえた鳴き声は「スヒー・スヒー 山の上に敵がいる。」と 言われていたのかも知れません.。「www.kikukawa-dent.jp/article/15385206.html」