昔話伝説 Traditions  from long ago in kibityuoutyou



こき爺 The man of the fart master

昔昔 年寄り夫婦が おりました。とても仲良しだったので 子供の一人や二人はいても 良い筈でしたが 不思議な事に 子供ができなかったのです。町の子供達が遊んでいる と子供好きなお爺さんは遊んでやり それ様子をお婆さんに話してやると お婆さんは 嬉しそうに聞きました。お爺さんはお婆さんが喜ぶ姿を見るととても 幸福を感じたのです。子供達は お爺さんを始めの内 は 鬱陶しがりましたが 鬼後ごっこをしても 隠れん坊をしても お爺さんは 子供の速さに追いつけず 敗けてくれ 楽ませてくれるので 大好きになって 行きました。お爺さんはオシッコが 近かったので「チチン プイプイ」と掛け声をかけ『プップ プップ」とオナラをしながら 何度も 雪隠に行くので 子供達は「オチンチンプイプイ ピープー プップ ウンチっポイ。」と 言って 囃し 腹を抱えて笑うのです。 家に帰って お婆さんに話すと「お下品なお話ね。でも子供達は ウンチやオッシコと言うと 大喜びするものよ。なぜかしら。」と言うのです。そこで次の日は いきなりオチンコを出して「シャ シュ ショ」と 言ってオチンチンを プイプイ振って オシッコをしてみせと 子供達は 前日にも増して 腹を抱えて大笑いするのです。お婆さんに話すと「又 又 なんて お下品なこと。でも もっと子供達が喜ぶ方法があるわ。」と 言うのです。もっと子供達を 喜ばそうとして 次の日はいきなり尻を絡げ「パ ピ プ ポ」とリズムを付け オナラをして見せました。これには 子供達は 転げ回って 喜びました。それを 天守閣から 遠眼鏡で見ていた殿様は「何と よく 子供の気持ちを捉えた爺様じゃ。あの爺様の様に 民衆の心を捉え 政治を 行ないたいものじゃ。」と 言って家来に「あの爺様に 教えてもらいたい事が 有るので 呼んで来い.」と 命じました。家来に 連れられ 齢を聞かれたので 怪訝に思いながら 城に登って来た爺さんに 殿様は「どうやって 子供の心を捉えたのか。やって見せてくれ。」と 頼みました。爺さんは「大変な事になった。御手打ちに なるかも知れない。」と 思いましたが 家来も一緒になって急かすので 仕方なく 御手打ちを 覚悟し 尻を絡げ 得意の業を リズムを付け「パ ピ プ ぺ」と やってみせたのです。殿様も 家来も 噴き出して「何じゃ。ポが抜けとるぞ。ポは どうした。」と 尋ねるの で爺は  お腹に 力を入れ「ポ」と屁を拾うとひろうと したのですが 音が出ません。そこで 爺さんは根限り力を入れると「ポトリ」と何か 尻の穴か ら落としたのです。殿様が いきなり刀を抜くと 家来は 素早く何かをを爺さんに 着せました。ブシュッと音がした瞬間 爺さんは背中に 痛みを感じました。爺さんは 殿様の御座所を 汚したのでお手打ちになったと思い 殿様に平誤りし 横目で自分の背中を チラリ見ると 良く見えませんが 背中は 真っ赤に染まってるようなのです。すると殿様は「爺様のおかげで 庶民には気高ぶらずに触れる事が 大切だと言う事を 教えてもらった。お礼討ちじゃ。早う帰って婆様に手当てをして もらわれぇ。」と言うのです。爺様は 無礼打ちされたと思い込み 痛い背中を 家来に支えてもらいなが ら 家に帰ると 婆様は 嬉しそうに出迎え「お赤飯でも 炊きましょう。疲れた体を 休めなされぇ。」と 座椅子に 座らせ 背中を 愛しそうに 擦ってくれたのです。爺さんは「わしが 婆ぁをこないに 愛しているのに わしが大怪我させられたのを 喜ぶとは 非情な婆じゃ。」と 小声で言うと「還暦の祝いじゃ。お神酒を 召し上がれ。」と 盃に お酒を注いでくれたのです。家来も 婆も  ニコニコしながら 盃を傾けるのです。不思議がって羽織らされた 着物を脱いで見ると赤いチャンチャンコでした。殿様は 無礼を咎めながらも 庶民には 手の届かない 還暦のプレゼントを 呉れていたのです。爺は賢い殿様に 感謝し 祝いの杯を 傾けました。めでたし。めでたし。 令和6年(2024年)1月1日

 

 

若返りの水 Fountain of Youth

昔昔 葦原中国Asihara-no^nakatukuni(豊葦原千五百秋瑞穂の地Toyoasihara-no-Tioaki-no-Mizuho-no-kuni 日本国)が できて間が無く 人口が 少なかった頃の話です。葦原中国の中央部に天辺Teppenが 天浮橋Ame-no-Ukihasi迄 届きそうな不思山Huji-no-yamaと 言う山が ありました。山の麓に暮らす 夫婦は子供ができないままに 年老いてしまいました。お爺さんは 子供が欲しかったので 若返りを 天に住むと言う 神様に お願いしようと 天迄 行けそうな不思山に 登りました。痛い足腰を 擦り擦り 山の頂上に 着くと 小さい泉があり 金色のイモリが 棲んでいて 見知らぬ人間を見て 脂汗を タラタラと流していました。お爺さんは [神様のお遣いだろう.。]と思い「若返りてぇけぇ神様に 合わせてつかあせぇ。」と お願いしました。すると 雲を 纏った 透明な姿の 神様が 現れました。お爺さんが「これじゃぁ 里から神様が 見えん筈じゃ。」と 納得し 神様を見ているイモリは 飼い主の出現に 嬉しそうに ピョンピョンと 飛び跳ねながら 神様に お爺さんの要望を 伝えました。神様は お爺さんに「泉の水を 一口だけ 飲みねぇ。」と お告げに なりました。お爺さんは「ヤモリの汗に 若返りの 霊力が あるんじゃろうかのう。」と 思い 汗臭い水を 飲みました。すると 霊験新たかで 若者になったのです。若者は喜んで「お婆さんにも 泉の水を呑んで 娘に戻ってもらおう。」と スタスタ 山を 下って 来ました。結婚したての頃になった若者を見て お婆さんは その訳を尋ねると 若者は「不思山の 天辺の泉の水ぅ 呑んだ。」と 答えると お婆さんは 娘の頃の衣装を 着こんで 不思山に飛んで行きました。暫く経って「しもうた。欲張りのお婆さんに 一口だけにしねぇ。」と 言うのを 忘れた事に 気付き 若者は「若ぇわしじゃ。直ぐに 婆さんに追い付くじゃろう。」と 思い お婆さんを追いかけました。「若返りたい。」と 思う お婆さんは 若者が考えるより 足が 早かったの 何時まで経っても追い付けないのです。 「欲張りのお婆さんが お母さんのお腹の中に 戻っちゃぁ おるまいか。」と 胸騒ぎした 若者は 走って山頂が 見える所迄  来ると お婆さんは 少女に 若返り 泉に 顔を埋めながら 水を呑んでいたのです。「思った通りじゃ。水ぅ飲み過ぎょうる。」と 走り寄って 童女になった お婆さんを 抱き上げると赤ちゃんになり オギャア オギャアと 泣き始めました。若者は赤ちゃんを抱いて「お乳も ないけぇどねぇにして 育てりゃあ。」と ボトボトと山を 降りて行くと 神様のお導きか 山羊飼いに出会ったのです。山羊飼いは 手揉みをしながら「乳売りを 手伝ってくれりゃぁ  山羊のお乳ぅ 分けてあげらぁ。」と 言うのです。「神の助け。」と 思って 早速 山羊の乳売りを 手伝い 報酬として ほんの少しの 山羊のお乳を 貰ったのです。赤ちゃんは お乳を直ぐ飲み終わり「もっと欲しい。」と 泣くので 若者は自分の田畑仕事を 手短に済ませ 乳売りに出かけました。そう言う訳で 食事を摂る時間を押して 昼夜を問わず 山羊飼いに こき使われました。 赤ちゃんが 娘に育つ頃には 若者は 痩せ衰え 萎びたヤモリの様な壮年の体に なっていたのです。子供が欲しい若い妻と萎びたヤモリでは パッション愛の情熱が 合いません。ところが モンモンとしていた妻の枕元に 神様が現れ「思った通り二人ぁ 馬が合うとらん。じゃが 男に 不思山の天辺の 泉の水ぅ舐めさせられぇ。」と告げて 消えて 行きました。山に向うと不思の山は 低くなっていました。「神様が 不埒な人間が邪な糞ぅ(悪事)願いに 天まで 昇れんようになさっとる。イモリゃぁ天真名井Ame-no-Manaiにでも 移したんじゃろう。」と 思いながら 天辺に登ると 泉は 涸れていて 物凄い悪臭のする 黒いベタベタした物が 泉の跡に 張り付いていました。不潔がましいと 思いましたが 若妻は  壮年夫に 再び若く成って 情熱的になって欲しく 舐めさせようと それを大切に持って帰りました。壮年夫は「ありゃぁ。若返りの薬ぁ汗じゃぁ無かったんか。じゃと言って イモリのばば(糞)や オシコやこう(等)を 煮詰めたみてぇな 汚げなもん 舐めれるもぁんか。」と言って 舐めてくれません。若妻は 諦め切れず 焼いたり 蒸したり工夫して 何とか舐めさそうと 試みましたが パッションの落ちている壮年夫に 通じません。ヤケクソを 起こした 妻は 蒸した汚物を 乾かし 粉イモリの糞尿の黒焼きにてして 寝込んでいる夫に振りかけたのです。すると 粉を 誤って 吸い込んだ夫は 翌日から食欲を増し体付も 若いマッチョになりパッションを取り戻したのです。パッションが一致した若夫婦はポコポコと子供を産み 子供達が成長すると葦原中国のあちこちに移住しました。だが  普通の人間とパッションが合わないので 恋人は なかなかできません。 子供達の悩みを よそに 若夫婦は 激しい愛に溺れたので 黄金のイモリの霊力を 使い果たし 急激に 老けたのです。子供達は 両親の死に目に合う為に 集まると両親は 金色のイモリの黒焼きの効能を伝え 静かに 息を引き取りました。子供達はイモリの黒焼きを 形見分けに頂いて それぞれの国に帰り 好みの異性に振りかけて見ると 振りかけられた異性と 子供達のパッションは 一致し 目出度く 夫婦になれ 沢山の子供を産みました。親からもらったパッションは 代々受け継がれましたが そうとは知らない子孫達はイモリの黒焼きの効果を信じ 野に遊ぶイモリを 捕まえ 黒焼きを作って それに頼って恋人を求める者もいて平成17年( 2005年)頃には日本の人口は 1億2千万余人にも 膨れ上がりました。しかし 普通のイモリの黒焼きには 惚れ薬としての効果は それなりにしか無く 又 普通の人との婚姻が続くと 親から受け継いだ 黄金のヤモリの霊力は 薄まって行き 子供を作る意欲が 低下して来たのです。そして 令和(2019年)の時代に入ると 日本は 少子高齢社会に 苦しむようになったのです。若返りの水 <福娘童話集 日本のふしぎ話>」「岡山のへそに町の民話17 立石憲利  キビ中央町図書館」「村人口伝」

「」令和6年(2024年)10月10日

 

狸のホロセ nettle rash of  raccoon dog

ある山奥に 猿と狸とカワウソが 住んでいました。一軒屋の離れ家で 塩と豆と座布団を 売っている人がいました。その店は 留守がちなので 狸は「あそこの店は あまり売れんけぇ 留守がちじゃ。盆が近ぇ。今日も 誰もおらんけぇ 連れのうて 塩と豆と座布団を 盗ろうじゃぁねぇか。」と 猿とカワウソを誘い 盗みを 働きました。狸は「カワウソさん。あんたは 魚捕りが得手じゃ。捕った魚に 塩を 振って 食べねぇ。  おいしいけぇ。」と カワウソに 塩を渡しました。「お猿さん。あんたは 木登りが 得手じゃ。木の上に 座布団を 敷いて 昼寝ぇしんされぇ。  気持ち良ぇぞ。わしは 一番少ない残り物の豆ぅ貰う。」と 言って猿に 座布団 をやり 狸は 豆を 持ち帰りました。カワウソは 心弾ませ 塩を 背負って魚捕りに 出かけました。川に入ると 塩は 水に 溶けてなくなってしまったのです。カワウソが「岸に置いていたら 盗まれると思ったんが 失敗じゃた。」と がっかりして 猿を 訪ねました。猿は 木から落ちていて「座布団を 片手に持って木に登っていたら 登りたがえて 幹から滑り落ち 腰ぅ打った 痛ぇ。  背負って登りゃぁ えかった。」と落ちる時に 枝に引っかかり ズタズタに破れ た座布団に 座り込んでいました。カワウソは「塩も 座布団も 役にたたなんだ。せめて 狸さんの 豆ぅ 分けて貰おう。」と 狐を誘い、狸を訪ねる事にしました。

その頃 狸は 豆の上に 倒れ込み 体をこすり付け 豆を 毛の間に埋 め込んでいました。カワウソと 狐が それを見つけ「何をしとるんなら。豆の上で のたうっておって。」と尋ねると 狸は 見つかった事に 驚きながらも「助けてくれぇ。あの豆ぅ食ったら 体中に 豆みてぇなホロセが できたんじゃ。 痒ぃの痒ぅねぇのそりゃ-モンゲ-痒いーーい。」と 答えました。落ちている 豆を カワウソが 拾おうとすると「おえん。そりゃぁワシのホロセじゃ。触るとホロセがうつるぞ。」と 脅すのです。カワウソと 狐は「きょうてぇ事じゃ。 狸さん。すらんこうの様じゃが おいとまさせてぇな。」と言って 走って逃げ帰りました。すると狸は「うまい塩梅(に 騙せた。うめぇ。うめぇ。」と 豆を拾い集め 一粒 一粒 おいししそうに食べたそうです。「富永の村人の物語より」加茂川町の昔話(岡山私立幡小学校読書クラブ)によく似たお話が載っています。 ホロセ:蕁麻疹の症状の一種で痒みを伴う膨らみや瘡蓋Kasabuta状の吹き出物  すらんこう: がめつい 無責任な 人情に欠ける まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - かわうそと狸と兎  平成28年(2016年)8月1日

 

モグラとお日様  Mole and the sun 

昔、とても我儘Wagamamanaな土竜Mguraがいて「昼には 太陽が 出ているので 背中が 照らされ 熱うて敵わん。」と苦 情を 言いました。土に 潜れば 良いのですが 得意とは言え 硬い土を 掘る作業を 面倒がりました。「なんとか ならんもんか 。」と 物知りの山田の案山子Yamada-no-Kakasiに 尋ねると「萩の大木で 弓をこせぇて 矢で射りゃぁ 良ぇが。」と 教えてくれました。さっそく天までも 届きそうな 萩の大木を 切り千鈞の強弓Senkin-no-goukyuuを作り 萩の大枝で 作った矢で 太陽を 射抜来ました。貴い弓で 射られると お日様に穴 が空き 中身が 抜けて萎んで  消えてしまいました。土竜は 涼しくなったので 大喜びし 自由に 気持ちよく 地面を思う存分に 散策しました。お日様は 穴を 繕い 中身を補う と 再び照りだしました

プンプンに 怒っているお日様は 身勝手な土竜目掛けて 強い光を当てたので 土竜は 哀れにも 焼かれて死んでしまいました。仲間の土竜達は お日様を 傷付けた 土竜の仲間として 管理不行き届の罪で 共同責任を 問われ 地下で 生活させられました。それで 土竜は 太陽の日に 当たると死ぬようになったというのです。大木だった 萩は 土竜に幹や枝を摘ま(れたので 大きくなれず せいぜい 2m位にしか 成長できなくなりました。太陽には モグラに 撃たれ 爆発した傷跡が 今でも 黒染として 残ります。「村人口伝」「太陽を射るモグラ」等よく似た者話が 各地にあります。

太陽に当ると モグラは死ぬ:実際は 太陽光に 当たるだけでは 土竜は 死にません。 体温が上昇し過ぎる程 の太陽光に当たれば 熱中症をおこし 死にます。大食漢なので 餌を 122時間んも 食べないと 飢え死にします。    千鈞強弓:大変重く 千人で 引かねば 引き切れないような強弓です。 山田:山の田圃では ありません。田は区切られた地の意味で 山田とは山の中の地の意味です 山田の案山子:田の神  農業の神  土地の神であ る久延毘古Kuebikoの事で 山の田の中に立つ シシオドシ(鳥脅し)の案山子では ありません。 足が 悪く 一本足で 歩きますが 世の中の事 神の世界の事で 知らない物が無い程の 博学者です。 ボロボロの服を 常時 着ているので崩彦Kuzure-bikiとも 呼ばれます。伊弉諾命が 妻に 追われて 黄泉の国から 逃げ戻った時に 使っていた杖を 投げだす と杖彦が 生まれます。 杖彦が 訛つ て久延毘古に なったとも言われます。https://ja.wikipedia.org/wiki/久延毘古」        平成23年(2011年)12月12日

 

茶栗柿麩 Tya-Kuri-KAki-Hu"Tea-chestnut-persimmon-wheat gluten baked"

昔 とても 頭脳に 問題のある子がいました。親は 何もさせず 遊ばせてばかりいるのでは 困ると考えました。物売り位は 出来るだろうと 思い、畑で採れた茶と 山で採れた栗と柿と 自家製の麩Huを 売らそうとしました。息子は 商品を 持って 売り歩き始めました。子は品 物を一つ一つ 呼ぶのが 面倒だと思い、縮めて 一気に「茶栗柿麩 茶栗柿麩」と 売り声を掛けて 売り歩いたのです。売り声を 聞く人にすれば 何の事か解らないので 一つも 売れませんでした。息子が ふてくされた顔で 大きな荷物を 大儀そうに持ち 帰ると 親は なぜに 一つも売れないのか 不審仁思い 息子に「どんな売り方を したのか」と 尋ねたのです。

息子は「茶庫裏垣布 茶句鯉花器釜 と売り声を 上げて 売り歩いた。」と言ったのです。親は「ハハハ  ほんまに 馬鹿じゃのう。そねぇな 売り声じゃぁ 売れるはずなんぞなかろう。 品物ぅ くっ付けて呼んじゃぁいけん。 茶は茶で 別に 栗は栗で 別に 柿は柿で 別に 麩は麩で 別にして 売り声ぅ上げて売りんせぇ」と 教えました。次の日 息子は「今日はぎょうさん売っちゃるぞ。」と 勢い込んで「茶は茶で 別々に 栗は栗で 別々に 柿は柿で 別々に 麩は麩で 別々に」と 売り声を 掛けて売り 歩きました。今度も、誰も 何の事か 解らないので 買ってくれる者は いなかったのです。親は[ なぜ 売れんのか。」と尋ね、売れない理由がわかると「馬鹿に付ける薬ぁねぇ。」と 言いました。すると、息子は「付ける薬が ねぇなら、飲む薬でも 良ぇから くれぇ。」と 言ったそうな。「北村人より口伝」 似たような物語は「相生市の昔話(06)-茶・栗・柿・麩 (ふ)」等 岡山を含め各地有ります。「【茶栗柿麩 【デジタル絵本】】 - デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク (pref.okayama.jp)」「茶・栗・柿(ちゃくりかき) 吉四六さんのとんち話 <福娘童話集 きょうの日本昔話> (hukumusume.com)」  平成23年(2011年)9月7日

ちゃっくりがきぃふ TEA-CHESTNUT-PERSIMMON-WHEAT GLUTEN BAKED

茶栗柿麩 パッピ プッペ ポ チャンチキチ―ン ドドォ―ン」「茶栗柿麩 パッピ プッペ ポ チャンチキチ―ン ドドォ―ン」「ちゃっくりがきぃふ ぱっぴ ぷっぺ ぽ チャンチキチ―ン ドドォ―ン」「ちゃっくりがきぃふ ぱっぴ ぷっぺ ぽ チャンチキチ―ン ドドォ―ン」「ちゃっくりがきぃふ ぱっぴ ぷっぺ ぽ チャンチキチ―ン ドドォ―ン」「ちゃっくりがきぃふ ぱっぴ ぷっぺ  ぽ チャンチキチ―ン ドドォ―ン」楽しいね。楽しいね。楽しいね。楽しいね。ちゃっくりがきぃふ / 桂 文我【話】/梶山 俊夫【絵】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア (kinokuniya.co.jp)」  平成23年(2011年)9月7日