粟井谷狸太郎 化生狸弓猛 頬四郎 頬赤介 瀬四郎 四津四郎 権作爺と狸に友情 狸の友情 狸の恩返し 雲母を消した狸 鶉と狸 狸の運動会 阿波狸合戦 狸岩狸と鼓岩狐 狸の愚行 狐と狸の化較べ 猟師の気持ち 狸と狐の化較べ 狸と狐の金儲け 狐と狸の騙し合い
2017年3月31日に【岡山「へその町』の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録】が発行されました。P245~P250に狸や猿に関する民話が載せられています。 平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p50~P51に「狸だまし」「豆狸」の物語が載っています。
村の裏山に 空き家があり 悪い狸が 住み付いていました。隣村の方から来た旅人が 道に迷い この家に「泊まらせてくれるように。」と よく頼むので、狸は人に化け 上手に 旅人を 騙して お金を盗って 町に行き 好きな酒や 鰤Buriを 買って来て 悠々自適な生活を 送っていました。一人騙すと 少しだけ家を 改造し 化け直して 家の住人を 入れ替えました。騙された人が 敵討ちに来ても、よく似た家があっても その家には 別の人が住んでいたので 文句も言えず帰るしかありませんでした。ある日 相撲取りが やって来ました。それを見た狸は「相撲の親方に化け 稽古を付ける 振りをして 指南料を 騙し盗ってやろう。」と 考えました。相撲取りが おずおずと 宿を頼みました。狸は 親方に化けていたので 偉そうに「稽古ぅしっかりするんなら 泊めてやろう。」と 言いました。相撲取りが 戸惑っていると、親方は「庭に出ろ。稽古をつけてやる。」と 言って 裏庭に 飛び出ました。相撲取りが 遅れて 裏庭に出ると 親方は 既に廻しを付け 堂々と 待ち受けていました。稽古が 始まりましたが 相撲取りが 組み係り押しても 引いても 投げようとしても ビクともしません。狸は 大木を 親方に変えていたからです。ひ弱そうな親方が あまりに強いので 相撲取りは 喜び 寝食を忘れ 必死に 稽古しました。
親方が 蓄財が少なくなったので ついに 宿賃と 指南料を 請求しましたが「お金を持っていた仲間と 逸れて 1文も持っておらん。」と 言うのです。大飯を 只で 食われ 大損した狸は 腹を立てて「仕方ね ぇ。腹いせに 苦しめて 埋め合わせしちゃろう。」と 思い「ならば もっと稽古し 強くなってから 払ぇ。 出世払いじゃ。」と 言って 更なる激しい稽古を 続けさせ、大岩を 運ばせ道を 作らせたり 大木を 切り出して 薪を 作らせたりもしました。4ヶ月程して、はぐれた仲間が 相撲取りを やっと探しに やってくると、相撲取りは 大木に向かい ぶつかったり 押したり 投げたりしていました。特に 張り手の稽古は 熱が 入っていました。仲間が「狸にでも 化かされとる。ワハッハッハ。」と 大声で笑うと 相撲取りは ハタと 正気に 戻りました。相撲取りは「やはり 狸に化かされていたのか。 そう言われれば 親方の顎は 細くて 小まいしKomai-si、短足で 歯も 狸に良く似とったなぁ」と 頭を掻き掻き 戻っていきました。処が 人並み外れた激しい稽古で 贅肉Zeinikuが取れ 筋力も付き スタミナも付いたので その場所の成績は 上がったのです。稽古のコツを 身に着けた相撲取りは あの親方に感謝し 稽古に さらに 励み 幕内に 出世し 粟井谷狸太郎(Awaidani-Ritarouの四股名Sikonaを 名乗りました。得意の張り手が 物を言い アッという間に 大関になりました。張り手が 強すぎるので 怪我をする者が 続出るようになると 、張り手を 禁止されました。張り手を 禁止されても 大関の怪力に 任せた 投げ技 押し技は 人間離れしていました。余りに 荒々しい取り口でしたので「狸憑きTanuki-tukiだ 。だから狸太郎と 名乗ったのだ。」と の デマが 横行したので、横綱に 推薦される事は ありませんでした。それでも 愚直で 真正直な 狸太郎大関は 出世払いにしてくれた あの親方の家を 宿賃と 指南料の他謝礼を持って 訪ねました。親方の家と思う家は 違う家になっていて、家の主人も 別人でした。家主に 事情を話し親方の事を訪ねると「その親方なら 良く知っっておる。親しい仲じゃけぇ その内に 遊びに来るじゃろう。」と 答えたので 6日間家の前に 座って待ちましたが、親方は やって来ませんでした。相撲取りは 落胆し 謝礼のお金等を その家主に預け「親方が来た時 渡してつかぁせぇ。」と 頼み 帰って行きました。
本当の事を 言いたいのに 言い出せない狸は、自分に 初めて感謝してくれる 相撲取りの熱い思いに 胸に 込み上げるものを 感じました。本願を 果たし終えると 大関は 狸が 師匠だった事を 公表しました。すると「それ見た事か。」と 非難され「相撲を止めろ。止めろ。」の声の嵐に 従い、潔く 相撲を 止め、本業の百姓に 専念し 相撲の歴史から 名を隠しました。それを 知った狸も 大 関の潔さに 惚れ込み、自分の悪行を 恥じました。それからの狸は 人のために 化ける力を使う事にしたのです。泥棒がいると 世間話を 仕掛け 悪さ諦めさせたり、戸締りを 忘れた人の家の前で 番犬になったり、酔っ払いや 乱暴者がいると 大失敗させ反省させたり、諍いがあると 役人に化け 仲裁したり、悩む者が いれば 仏や神に 化け 心の支えになる等したのです。人々は その都度 感謝し 持て成してくれたので 衣食住に 不自由する事がなくなりました、しかしながら 悪戯好きは 治らず、兎Usagiに化け 月見団子を 盗んで 不思議がらせたり、鬼に化けて 豆撒きame-makiに 割り込み 炒り豆を食べたりする等、時々やんちゃもしました。「三谷野呂の百怪談」
粟井谷大師堂:北緯34度55分54秒・東経133度45分35秒 重箱婆:古狸(妖狸)が 重箱を持った 婆に化けて「重箱婆じゃ、ご馳走はいらんかえ。」と 言いながら 売り歩き、買おうとする人に 石のようなものを 担がせるという。「https://ja.wikipedia.org/wiki/化け狸」何で 石を担がせるのでしょう。 まさか 人を鍛えるためとは 思いませんが。 文福茶釜:茶釜に 化けたが狸が 寺の宝物となる昔話 群馬県館林市茂林寺の伝説では 狸が 守鶴Syukakuという僧侶に 化けて 寺を 七代守り 汲んでも 汲めども尽きない茶を 沸かしたとされている。「分福茶釜 - Wikipedia」 狸囃子:どこで鳴っているか解らない 不思議な 太鼓や お囃子の音の昔話。 江戸で 本所七不思議や 番町七不思議に 挙げられており、真夜中に いずれからか 太鼓の音「狸囃子」が 聞こえてくると言う。童謡証城寺の狸囃子は 證誠寺 に伝承される物語を 元に作られました。「狸囃子 - Wikipedia」 宗固狸:寺の僧に化けた 狸が 昼寝をして正体を 現したました。しかし 長く真面目に 仕えていた事に 免じ その後も 給仕させたという。茨城県飯沼弘教寺に墓がある。「化け狸 - Wikipedia」 有馬家上屋敷の大入道:武蔵国荏原郡三田町内(芝赤羽)の摂津有馬家の江戸上屋敷(久留米藩江戸上屋敷 東京都港区三田1-4)に 出没する大入道は 古狸の化けたものであったという。 袋下げ:狸が 木に登り 通行人が あると その人に 目がけて 白袋を ぶら下げるという。「袋下げ (ふくろさげ)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)」 竹伐狸Take-kiri-Danuki:山の竹藪の中に棲む古狸が 竹を切る音を立てて 人を化かすという。「竹伐狸 - Wikipedia」 負われ坂:夜中に ある所の坂を通ると「おわれよか。おわれよ か。」と 気丈な男に 声をかけてきました 男が「負うたろか、負う たろか、」と 答えると 松の太い株が 乗りかかってきました。家に 株を持ち帰り 鉈で割ろうとすると 古狸が 正体を顕わして 詫びたという。「負われ坂とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書」 赤殿中:夜中に 狸が赤い でんちゅう(袖のない半纏)を着た童に 化けて 背負ってくれと 執拗にねだるので 仕方なく背負うと 嬉しくなって その人の肩を叩くという。「赤殿中 (あかでんちゅう)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)」 傘差し狸:雨の降る夕方等に 傘をさした人に 化けて 通行人を 招に呼び止めるので 傘を 持ち合わせなていなかった人が 感謝し傘に入れてもらうと、どことも知れない所に 連れていかれるという。「傘差し狸 (かささしたぬき)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)」 首吊り狸:人を 誘い出して 首を吊りさせるという。「首吊り狸 (くびつりたぬき)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)」 小僧狸:小坊主に化けて 夜道を急ぐ人の前に 立ちはだかり通行 を邪魔すると 怒った相手が 小坊主を突き飛ばし 刀で斬ると 小坊主が 数が倍に増えるので、又切ると 倍に増え 一晩中人を化かすという。「小僧狸とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書」 坊主狸:坊主橋を 人が通ると 気付かれないように 坊主頭にしてしまうという。「化け狸 - Wikiwand」 白徳利:狸が 白い徳利に化け 人が 徳利を拾おうとすると コロコロ転がって 逃げるという。「日本各地の化け狸一覧と伝承|日本の妖怪 | ORIGAMI – 日本の伝統・伝承・和の心 (origamijapan.net)」 兎狸:吉野川沿いの小さい丘 高岡で 狸が兎に化けて ゆっくりと走り、それを見た人 は格好の獲物と 思って捕まえようと 追いかけると 高岡の周りを走り回る羽目になるという。「兎狸 (うさぎだぬき)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)」. 打綿狸:綿の塊に化けた狸が 路傍に 転がっていのを 人が 拾おうとするとすると 逃げ出し天に上るという。「打綿狸とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書」「https://ja.wikipedia.org/wiki/化け狸」 平成23年(2012年)1月4日
弓猛を慕って 天竺の与那国Dounantimaから 備中 総社の里迄やって来て 「なつ」という娘に上手に 化生して暮らしていた とても可愛らしい牝狸Mesu-dDanukiに出会うと 一目で 2匹は 恋に落ち 楽しく穏やかな 愛に満ち満ちた日々が 続きました。ところが 有能な 狐狩りの大和の犬が 備前加茂市場総社宮前(宮の前)にいて 「総社総社市の神社に 小便を掛ける 見慣れぬ狸の様な男がいる。」と評判になると その犬が 総社の街に放されました。 見た目では 人間の娘と 全く見分けられなかったのに「なつ」は その犬に 狸と 嗅ぎ分けられ 惨いMugoi事に 食い殺されて 正体を 知られてしまいました。落胆した 自分の悪癖で 恋人を失った 弓猛は 大和に来た事を 悔いて「大和の神仏に 尽くせるもんか。」と ヤケクソを 起こしたのです。すると この地の大切な物が 落雷に伴い消失 破壊 火災等(火雷神 或いは 八雷神の法術)が 頻繁に起こるようになりました。村人は 「これは 雌狸の連れの狸の祟り 否 奴による泥棒や 放火に違いない。摩利支天の法力にすがり 村を 守ってもらおうと。」摩利支天神社の前で 災難除けの祈祷をし 若宮を作り 男狸を 摩利支天の法の守護神として 祀り上げ 皮肉を込めて 魔法様と 呼びました。弓猛は 神通力を持っていたので 魔法様として図らずも 祀られたのです。悪さばかりしていた弓猛狸は 気まずくなって 総社を 離れました。元文6年・寛保元年(1741年〉黒杭Kurokuiの高見山Takami-yamaに 備中砦部の者が資本を出し 銅山開発が 始まると 藩役人 工夫 遊女で 黒杭は 賑わい出しました。すると 弓猛は 黒杭の茶屋に繰り出し 人に化生して 木の葉や 小石を お札や 銭(コイン)に化成Kasei(変化)させ 飲み食いし 女遊びを 狂い楽しみました。時に 乱心し 駆け巡り 不評を 買う事もありましたが 化けるのが あまり上手Jyouzuでなく人間に化けたと言っても 顎は細く 口髭(Kutihigeが濃く 腹が出ていて 足が短く いかにも 狸々していて 狸が 化生している事が 誰でも 解ったのです。姿を見破られ 悪さを咎められると 愛嬌のある仕草をしたり 洒落Syareた事を言ったりして 人を笑わせ「邪な糞Jya-na-kusoぅした。すまん 。すまん。」と 詫びて おどけ 事を無難に 過ごしていました。黒杭の里は 潤っていて 心理的にも 経済的にも 余裕があったので 村人は その間は 寛容だったのです。と言うよりも むしろ 他愛のない悪さや ギャグを 楽しみにし 褒美Houbiをやる等して 狸の生活を 支えてやったのです。とは言っても 栄える者は 久しからず 必ず 衰退します。明和の頃(1764年頃)に 銅山が 閉山されると 町は 当然ながら 寂れてしまいました。
すると 仕方なく弓猛は 高見山の銅山の廃坑を 住処Sumikaにし ひっそりと暮らし始め ました。人々の生活も 困窮し 弓猛の面倒を見る余裕は 無くなり そればかりか 狐や狸や貉を 捕って食べるように なったのです。それでも 神通力を使うであろう弓猛は恐ろしく 高見山に狸狩りに 人が登る事は無かったので 仲間が殺されるのを 我慢して見ていました。高見山で 得られる食料では 腹一杯に 食べるには 乏しく 空きっ腹を満たすために必要な 小銭稼ぎをする必要に 迫られました。そこで 9年間 弓猛は 化ける術に 磨きをかけ 体臭を消す術まで習得し 鍬の欠片Kakera(古先)を コンコンと打ち 良いリズムを取る練習をし 更にサンヤサンヤサニヤン サニヤンと 掛け声をかけ 踊る練習をしました。そして 犬にも覚られず旅人や村人に 踊りと歌を見聞させて 小遣いを救望Kyuumouしたり 畑仕事を手伝ったり 草取りを手伝ったり 稲刈りを手伝ったりして 労賃を救望したり 盆踊りBoni-odoriがあると 踊り子になり 又 踊りを教え お祭りが有ると 奴に化生して参加し 太鼓を叩いたり 太鼓の叩き方を教えたりして駄賃(Datinを 求望しました。村人は 求望狸が 余りにしつこいいので うっとうしがったのです。邪魔者扱いされ 小銭が稼げなくなった 求望狸は 四国修行の僧侶に化けて お布施を 求望したり 農場実習と称して 野菜や 果物を失敬したりするようになりました。牛や馬にも 餌を別けて呉れと 求望して 横取りも しました。牛も 馬も 求望狸がうっとうしくなったので 求望狸が来ると 蹴飛ばそうとしたり 角や頭で 突きかかろうとしたりしました。狸は 腹を立て 牛馬の足に 咬み付いたり 毒草を食わせたりして 村人を困らせました。一方が 憎しみを持つと 他方も憎しみを持ち 互に憎しみを 高騰させるものです。この不埒な奴の術に 怯えている訳にはゆかず 村人達は 弓猛を 追い払おうとして 伴天連の最も優秀な猟犬に糞狸を 追い掛けさせると 糞狸は 仕返しに 有る事 無い事 村人の悪口を 付近の村々に 言いふらしたのです。頭に血が上った村人は 不埒者の住処を 見つけ 罠を 仕掛けたり 住処の坑道の前で 生木を焚て 寝ている糞狸を 薫り殺そうとしました。「坊主憎けりゃ 袈裟まで難いものです。憎しみの対象は 憎ぇに増え「仲間ぁ殺すばかりか わしにも害をなす。 我慢)ならん。」と 糞狸は 怒って 家々に 落雷させ放火し 報復しました。村人も 正体を現した 糞狸に 最大級に 激怒し「狸憎けりゃ皮まで憎い。殺してひん剥かにゃぁ 我慢ならん」。」と 弓矢 鉄砲を 持ち寄って「求望狸狩りをしよう。」と 相談ました。村人の大騒ぎが 気になり 様子を覗っていた狸は それを 盗み聞きしました。翌朝「さあ 求望狸狩りじゃ。」と 集まってみると 高見山の周りに7つ頃 暁の2時Hutatokiばかりの間に 巨大な注連縄Simenawaが 張り巡らされていました。
これを見て 大縄を 引き回した狸 の怪力ぶりに 恐れをなすばかりか 信仰心の熱い者ばかりの村人は困りました。注連縄の張られている所は 古Inisieより 神様が おわせられる聖域と されてなので 注連縄を潜って 山に入る事が許され無いからです。弓猛は 神主に化けて 山の上から大声で村人に告げました。「我ぁ 與那国Yonakuniの長者の家に 生まれた。大和ぁ 神の国じゃと知って 海を渡って やって来た。元々ぁ 神仏に 仕えていた者じゃ。 難儀をしたんで悪さをし 村の人に 憎まれた。悔い改め 再び神仏に 仕える事にした。與那国の神々の思し召しで 年を経る程に 心が清浄となり 健康で 病知らずの身となっている。もし村人が 年に2回 腹一杯になる程の御供え物を して呉れれば 我が命は 続く。 我が命の続く限り 摩利支天の法力を以て 牛馬の難儀を助け 火難や 物盗りを 事件になる前に 村人に知らせ 我を信じ敬う者の幸せを 保証する。頼むんで 今までの悪行ばぁ 許してつかぁせぇ。 さもなけりゃぁ 祟る。」と 脅したり 賺したりSukasitariして 身勝手な事を 求望しました。村人達も このまま 高見山に入れないのでは 山菜採り 茸狩り 薪拾い 柴刈り等が できません。そこで 知識深い円城寺の御尚に 相談しました。御尚は 古い文献を調べ 弓猛が 遠い昔は 正直であった事が 解ると 山に入りました。
弓猛:何じゃ 円城寺の御尚か 和尚: 注連縄を破るとはけしからん。狸殿が張ったんじゃろうが 。大和の神でもねぇんに 注連縄ぁ 張るたぁ何たることじゃ。。 弓猛:それぁなぁ… 與那国の神 ウーン…ここぁ大和か…ウーン 正しい理屈じゃ。 許してつかぁせぇ。 御尚:先に言うた事ぁ 本真か。本真なら お前様を 日本の神様になったと 村人に告げよう。 火雷神Ho-no-Ikaduti-no-kami殿の承諾ぅ得ておる。 弓猛:「腹が空ぃても 高楊枝。戦の前の腹ごしらえ。」と言おうがぁ。 腹ぁ減っちゃぁ 力も入らん。力が入らんと 村人ぅ 助けとぅても 助けてやれん。 御尚:あい 解った。お前の申出通り 年 2回お祭りぅしてやるよう村人に 頼んじゃろう。
相談が まとまると 村に帰り 御尚は「狸は泣いて謝り 助けぇ求望するけぇ わしが 情ぅ掛け 火雷神社の神に 掛け合ぅて 狸ぅ魔法神Mahou-n-*kamiにさせてやった。狸の奴ぁ 喜んで 村人を 守ると 火雷神社の神に 誓うた。狸が 魔法神になったんじゃけぇ 供物ぅ ぎょうさん 供えて 年2回 必ず祭りをぅしてやってつかぁせぇ。」と 話しました。村人は「お尚の言う事なら 間違いはなかろう。」と 言って 化生狸を 魔法様と呼んで 火雷神社の馬喰山に 祀ったのです。そして5月4日と 10月4日に 祭をすると 牛馬を 連れてお参りする人で 大賑わいしました。
「加茂川町史」「https://ja.wikipedia.org/wiki/魔法様」魔法様 - Wikipedia」「火雷神社(魔法様)/久保田神社/魔法神社 - 伝承怪談奇談・歴史秘話の現場を紹介|日本伝承大鑑 (japanmystery.com)」「youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2015/07/16/143526」「村人口伝」を基にした物語
天竺中国与那国島長者村:ゴアの事らしいインド西海岸中部のマンドウィー河の河口の島 北緯15度29分・東経73度49分で天然の港があります。住吉神社:住吉神社の総本山は 大阪市住吉区住吉2丁目9-89番地 北緯34度36分45秒・東経135度29分38秒 煮立ちます。祭神は 底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后です。 兵庫県明石市魚住町中尾1031番地 北緯34度41分10秒・東経134度54分1秒 兵庫県内に 住吉治邪が 建ちます。は神戸市兵庫区切戸町 三田市大川瀬 宝塚市安倉 加東市上鴨川 加西市北条町 加古川市別府町 等にも 住吉神社が 鎮座します。 伊勢神宮内宮:三重県伊勢市宇治館町1番地 北緯34度27分18秒・東経136度43分33秒 伊勢神宮外宮:三重県伊勢市豊川町279番地 北緯34度29分14秒・東経136度42分13秒 上房郡砦部村:現在の真庭市阿口 上呰部 下呰部 この地の魔法様は 摩利支天の事で 家や 株内を鎮守する神であり 狸ではないとされます。上合寺Jyougou-ji 上合公会堂から 北に向かった地点 北緯34度58分54秒・東経133度37分32秒の近くと 予想する地点に 摩利支天社 が建つそうです。 北房村湯どの山:どの山か 特定できていません。 城山の事でしょうか。 総社魔法神社:岡山県総社市槁Keyaki字梶木 北緯34度46分2秒・東経133度39分6秒 墓石状の奉納石柱に「魔法神社 牛馬繁栄」「伯楽天王」と 刻まれており、狛犬は 見つかりません。 黒杭の高見山・銅山の廃坑跡・三納谷城跡:三納谷大師839番地の南東東の山で北緯34度52分54秒・東経133度46分56秒 三納谷城城主は 高見小四郎です。 與那国:沖縄県八重山郡与那国町 日本西端地のあるの島 北緯24度28分6秒・東経123度0分17秒 キュウモウの出身地は 天竺ともされます。 円城寺:円城寺屋敷742番地 北緯34度53分31秒・東経133度48分22秒 久保田神社・妙見神社・細田天津神社:細田明見1372番地 北緯34度53分39秒・東経133度47分6秒 境内を 妙見山と呼びます。 狸と貉のハーフが 狛犬替わりです。 火雷神社Ho-no-Ikaduti-jinjya:上田西魔法松158番地 北緯34度53分09秒・東経133度47分10秒に建ち、多くの人は「からいじんじゃ」と呼びます。 吉備中央町神瀬水谷:集落は旭川右岸にありましたが、旭川第一ダム建設により 水没しました。水谷川の支流に 地蔵滝が 有り 地蔵が祀られます 吉備中央町和田小坂摩利支天神社:北緯34度53分19秒・東経133度44分55秒 和田柏風呂1597-5番地 落合清水谷:調査中です。恐らく 岡山県真庭市関4849番地. 福聚山 清水寺の近く。 サンヤン:インドネシアのバリ島のサンヒャン踊り 月夜に初潮前の女性が 土地の安全や豊作を願って 凶因を除くために舞います「サンヒャン・ドゥダリ - Wikipedia」 両参り:円城寺提婆宮と火雷神社の魔法宮を 同じ日に 参ること 。 三参り:提婆宮 魔法宮と久保田神社を 同じ日に参ること。久保田神社の祭日は24日で 提婆宮の祭日は28日で その日に 久保田神社が 晴なら 提婆宮は 雨。 久保田神社が雨ならば 提婆宮は雨になるそうです。「円城の村人より口伝」 平成23年(2011年)9月7日
弓猛の子の頬四郎 Hohosirou who wasa the son of Kyuumou
幸福になった弓猛は 壮年を過ぎると子孫を残したいと 考えるようになりましたが、高見山や黒杭辺りには人間に食べ尽くされて狐も狸も貉もおりません。仕方なく細田迄 配偶者を探しに行くと 偶然に人間に捕まらず怯えながら暮らしていた 弓猛の体格に劣らぬ 体格の 貉の熟年雌が おりました。弓猛が「一緒に暮らそう。俺は人間にとって神様さ。神の力で お前を守ってやる。」と言うと貉の雌は嬉しそうに 跡を付いて 黒杭の銅鉱穴まで来て 弓猛と 同じ穴の貉になったのです。狸(イヌ科)と貉(イタチ科・あなぐま)の間では子供はできない筈です。しかし 弓猛は 神通力を持ち合わせていたので 神通力を操り何回かの愛の交わりをする内にに めでたく 頬四朗Hoho-sirouと言う子ができたのです。弓猛は 頬四郎を 可愛がり 全ての技を 頬四郎に伝授し終わる頃に 帰らぬ狸になりました。甘やかされて育った頬四郎は 気まぐれな性格で ある日 人に化けると遊郭に遊びに出かけ 店を挙げての大酒宴を開き 大枚の小判や銭を 遊女に注ぎ込み 帰って行きました。
ところが 店から 頬四郎の後ろ姿が見えなくなると 小判や銭は 皆 石や木の葉に変わってしました。それからは 頬四郎らしき容貌の見知らぬ人が 細田や小森に現れると 村人は その大男を捕まえ 身体検査し 狸と分かると 叩き殺そうとしました。怒り狂った 頬四郎は 親譲りの火の災いを 毎晩のように起こしたのです。頬四郎の祟りを 恐れた村人は 弓猛の様に 神として祀ってやれば 頬四郎の怒りが 鎮まるであろうと 信じ 久保田神社(細田天津神社)に 摩王宮を建てて 頬四郎を 火難の神として祀りました。すると それ以降 パタリと 頬四郎はの悪行は なくなりました。しかしながら 強欲者や 酒色に耽る者が 魔王宮を訪れると頬四郎は 自慢の大金玉の皮(陰嚢)を 思いっきり広げ 参詣者の視界を 遮って 更にパタパタと翼を羽搏くように 煽って 強烈な淫臭を 浴びせたのです。流石の悪行者も これには閉口し 態度を改めたそうです。「火雷神社(魔法様)/久保田神社/魔法神社 - 伝承怪談奇談・歴史秘話の現場を紹介|日本伝承大鑑 (japanmystery.com)」「村人口伝」 平成23年(2011年)9月7日
弓猛の子の頬四郎の孫の頬赤介 Hohoakasukke who was the grandson of Kyuumou
幸福になった頬四郎は 壮年を過ぎると父と同じように 子孫を残したいと 考えるように なりました。この 頃には 細田に狸も 戻って来ており その中に 屋島太郎の末裔の 大雌狸が 頬四郎の噂を聞いて 伴侶になりたいと思って 遥々 やって来ていました。2匹が出会うと一目で惚れ合い 頬赤すけ せ四朗 よつ四朗と言う名の3匹の子を儲けました。子供達が成獣すると 頬頬赤すけは 水谷に せ四朗は和田に よつ四朗は落合の清水谷に住みました。頬赤介が 住み着いた 加茂郷水谷には 水谷往来があり その往来は 水谷川に沿っていて船乢迄続きその先は化気神社迄伸びていましたので 観光客(案田稲荷神社や化気神社参詣)や 高瀬舟(物資運搬(水谷街道:郷からは米 炭 野菜煙草等を岡山城下に 岡山城下からは 魚 潮 i菓子 衣類等が 郷に)が 頻りに 往来していました。
頬赤祐は 芸術派で 石や岩 を往来道や 水谷川の岸辺にに バランスよく 積み上げ(バランスロッキング)上げ 塔を作り 楽しんでいました。これは 旅行く人にとって 芸術鑑賞の 一時の喜びでは ありますが 先を急ぐ人にとっては 障害物となったのです。まして 高瀬舟を 川上に引き上げたり 荷物を運ぶ牛馬にとって 邪魔臭いだけでしたので 塔を蹴飛ばし壊しました。頭に血が上った 頬赤祐は水谷川の急峻な支流にある 3段の滝に向う 急な山道を作り おまけに 崩れ易いように組んだ 石組みや 滑りやすい木の葉を敷いた通路や 蔓等で作った罠を仕掛け その上 偽の道標迄も 作ったのです。偽の道標を信じ 道に迷わされた人や牛馬は 頬赤祐の思惑通りに 次々に 遭難したのです。水谷往来を熟知している 鉄炮の名人である村人が その原因を 調査すると 狸然とした大男の所為だと 判り 弾丸を放って退治しました。
それでも 退治され筈の 頬四郎は 怨霊となり 悪事を働き続けたので上田村の篤志家が 地蔵(才の神に習合した地蔵菩薩像 旅の安全保護や病魔等の邑内進入を防ぐ神)を 彫って立て 円城寺の和尚が 供養したところ 頬四郎の怨霊の悪事は収まりました。そして村人は 何時からか 水谷川支流の3段の滝を 地蔵滝と 呼ぶようになりました。「火雷神社(魔法様)/久保田神社/魔法神社 - 伝承怪談奇談・歴史秘話の現場を紹介|日本伝承大鑑 (japanmystery.com)」「村人口伝」 水谷:旭川ダム湖の水底 高瀬船に川戸北緯34度55分16秒・東経 133度50分48秒 船乢 船ヶ乢:上田東2273番地2285番地等 高瀬舟の終点上田東舩ガ溺2279番地野北 水谷地蔵:旭川湖から400m西南 北緯34度54分53秒・東経 133度50分11秒 地蔵滝:地蔵の立つ所から 右の山手に 沢を少し進むと18mの曲流する「下の滝」が 見え 沢の右手の山道を50m程登ると 比較的小さい「中の滝」があり その上の15m程の所に「上の滝」が あります。 平成23年(2011年)9月7日
弓猛の子の頬四郎の孫の瀬四郎 Sesirou who was the grandson of Kyuumou
せ四郎は 和田村の青木山に 住み着きました。和田青木山には それは立派な 鷲林寺(鷲山寺 宗林寺)と言う 素盞嗚神社の別当寺が 建っていました。せ四郎は 祖父の弓猛のように 信心深くありたいと思い 修行僧に化 け鷲林寺に 弟子入りしました。先輩の修行僧は 間抜けそうな猫背の狸面の せ四郎を 小馬鹿に扱い 仏道の修行をさせず 掃除ばかり させました。それでも せ四郎は熱心に 仏像の埃を払い 物 欲しそうに 見惚れていました。いつも 仏像を 拝んでばかりしていた瀬四郎が 八畳岩に 一人で 修業に出ると その隙に 鷲林寺に 仏像泥棒が入り 大切にされていた聖観音像 が 盗まれたのです。先輩の修行僧達(僧兵)は せ四郎が 頬四郎の子であると とうに 見抜いていたので「狐の子は頬白Turajiroじゃ。 瀬四郎が 仏像を盗んで逃げた」と 勘違いし 捕まえようと 追いかけました。殺されそうになった背四郎は 捕まらないために故意に 茨の茂る所を選んで 必死に 逃げ回り 成仏谷迄来ると 力尽き 倒れ 動けなく なりました。僧兵が それを見つけ「狸の死んだふりか。せぇとも 狸寝入りか。狸の肉は臭うて 食えんそうじゃ。革ぁ剥いでも 茨で 傷だらけじゃぁで 売り物にゃぁならん。」と 獲った狸の皮算用をし 一旦は帰って行きました。
村人達が てんてこ舞いで 消火している どさくさを利用して 暫くの間は 逃げおおせて いましたが万策尽きて 終に退治されました。しかし せ四郎の怨念によって 落雷の被害は続いたのです。これを畏れ慄いた 近在の村人達は 天王様(和田の素盞嗚神社(素戔嗚神社)の祭神である素戔嗚命:牛頭天王)に 縋り お祓いをし せ四郎を火災の守護神として素盞嗚神社の境内に 火雷神社を建て 祀りました。すると せ四郎の怨念は 鎮まりました。「火雷神社(魔法様)/久保田神社/魔法神悪人社 - 伝承怪談奇談・歴史秘話の現場を紹介|日本伝承大鑑 (japanmystery.com)」「村人口伝」 青木山:和田127-129番地(素戔嗚神社 北緯34度53分12秒・東経133度44分5秒) 狐岩:和田163・931番地等 宗林寺:和田144-146(北緯34度53分14秒・東経133度44分43秒)-159番地等 イヤ谷:和田215・216番地(北緯34度53分13秒・東経133度44分39秒) 八畳岩:豊野6536・3537・6540番地 八畳岩山の頂上付近 北緯34度53分16秒・東経133度43分45秒 豊野6813番地に大岩があります。 青木渡:和田217-219番地 平成23年(2011年)9月7日
弓猛の子の孫の四津四郎Yotusirou who was the grandson of Kyuumou
そして 清水谷Seisui-daniに住み着いた 四津四郎は 福聚山清水寺(真庭市関4849番地 北緯35度0分13秒・東経133度40分19秒)で 夜な夜な泣いている梵鐘之声(夜泣の鐘)に哀れを感じ この梵鐘の 由縁を調べると「 この鐘は慶長12年(1607年)この寺の境内から発掘され 初代津山藩主森忠政が 津山城内の時の鐘にしていましたが 寛永12年(1635年)家老の関成次の夢枕に白髪の老人が現れ 鐘を元のお寺に戻すべきと望んだので 垂水村の農民達が 清水寺に返した。」ものと知りました。「さてはこの鐘は本来の目的に沿って撃たれなかった事が無かったことを悔やんでいるのだ。」と思った 四津四郎は ある夜 十一面観音菩薩に化生し神の心を以て一つ鐘を突きました、清浄な鐘の音は近在の村々に響き渡り この音色聞いた善男善女は 心に仏の徳をしたため 沢山の供物を持って 清水寺に 参詣したのです。この夜は鐘は泣くことをせず 静かに夜を過ごしました。これを見ていた一匹の悪狸は「御供物ありつけるならばと 邪念を抱き 四津四郎に弟子入りを求望したのです
純粋な四津四郎は疑いもせずその悪狸に化生の術と参詣者の煩悩の消し方を伝授しました。その悪狸は「楽をして 食べ物が得られる。」と仲間の悪狸に振れ回りよつ四郎への弟子入りを勧めました。最初の内は寺も栄え 和尚は大満足でしたが その内に清水寺の梵鐘を一つ突けば徐難され 二つ突けば徐病され 三つ突けば繁盛し 四つ突けば出世し・・・・と噂され始めると 善男善女の姿は寺から消え 強欲共が 豪華な供物を抱えて参詣するようになりました。次第に 増えた 色々の観音菩薩に化生した 性悪狸達も付け上がり欲を求めて 鐘をむやみやたらに ガンガンと 突き 意味不明な読経を大声で唱え 参詣者に 牡丹 柏 紅葉 桜御所車 般若湯歎仏Tanbutu等を 強請り毎夜 大宴会を開いたのです。 寺の境内は 狸の糞尿で 不衛生となり 夜は煩くて 村人は 眠れなくなりました。問題に気付いた僧兵や善男善女は 清水谷の綱紀粛正を唱え 性悪漢音菩薩共を 追い払おうとしました。
漢音菩薩をを始めとする 仏尊に守護された僧兵軍と魔法術 火雷術を使う悪狸軍の戦争が始まったのです。事の始を理由に よつ四郎は 狸軍の大将にされました。しかし 和尚が「殺生や虐待は 相ならぬ。」と言うので 弓 鉄炮は使えず犬追いもできず 法術を使う狸の群れの追放に 開戦直後は 苦労しましたが 供物を失い 兵糧が不足すると 空腹に耐えられず又 四津四郎が 話し合いによる解決ばかりを 唱えるので 失望し 戦意を失い 戦線から離脱する者が 続々と現れて 元々 烏合集団であった 狸軍は 総崩れし 清水谷から 追放されました。空腹を抱え 悪狸達は 食べ物になる物を求め 人の集まる村に行き 残飯等を漁ろうと思いました。通谷kaidan(旧旭町に合併 現在は旭ダムの湖底です。旭町西川)は 旭川(旧名は西川)支流の通谷川流域で 北に 奥山手村とと中山手里Naka¥yamatesato村がありました。そして 南に西垪和Nisi-haga村が立地しました。西川は 川湊Kawa-minatotoとして栄え 諸施設が置かれ 人家Jinkaも 商家も多かったのです。
人が多くいれば 中には悪人もいます。悪狸共は 悪人を取り囲み脅して奴隷にしようとすると 悪人は近在から悪人を呼び集め 俄か軍を組織し 刀や槍 弓 鉄炮を携え 猟犬を連れて 抵抗しました。開戦時は悪人軍が断然有利でしたが よつ四郎はこの際 町の壁蝨dani 共を 一掃する好機と 捉え 最前線で 戦うようになると 巨大な神々しい金玉(精巣)を揺らす姿に 悪人達は当時性器崇拝が盛んであったので 慄き 四津四郎を 崇拝するようになると 悪人軍は解散し 更生を目指しました。ところが 調子に乗った 悪狸共は 四津四郎に気付かれないように 更生しようとしている 悪人達を再び 脅したり 煽って 強盗や詐欺等の悪事に 走らせ 人家や商家から 金品や 食べ物を 手に入れ 豪遊したのです。清水谷で 不衛生に暮らし 数々の病気を 隠し持っていた 悪狸達は 下品にも 田畑の野菜を栽培している 田畑を 自分達の物にするため 糞を垂らしマーキングし 川や井戸に 小便を垂れたので 村々に病人が増えたのです。そればかりか 流行り病が 流行り始める と感染した元悪人を 酷使し人家に 忍び込ませ 家人に 伝させたのです。それによって 手薄になった民家に 悪狸達は忍び込み やりたい放題の悪事を 働きました。困り果てた村人達は 小山善覚坊を以ってしても 神力を制御不能であったとされる 木山善覚稲荷社のお告げを 求めると 上山の大久保陸奥守という社司に 祈祷蟇目の儀Hikime-no-giを行ない 退治しなさい。」とお告げがありました。お告げどうりにすると悪狸共は 全て退治されました。四津四郎は善覚稲荷に祟られませんでしたが「自分の未熟さによって始めた 夜泣の鐘に示した慰めが 思わぬ犯罪に発展し犯罪者である 悪狸を 同族であると 言う事だけで 罰する事が出来なかった 不甲斐ないさ。」を 恨んで 罪に苛まれ 自害しました。 平成23年(2011年)9月7日
弓猛のひ孫達 Great-grandchildren of Kyuumou
㊟以下については 18才以下の人は読まないでください。
頬赤介に息子が瀬四郎には娘がいました。 二匹の子狸は「子供にして 体長3m程と2m程 の巨狸だったので 大人になっても 野に遊ぶ 普通の狸を 伴侶にする事ができる筈がない。」と思って いました。そのため 二匹の従兄従妹itokoは 自ずと 互いに 将来の伴侶と 意識し 他の者の目を気にせず お医者さんごっこを しながら 育ちました。幼児期を 備前国で 特に悪事を働かず 恙なく暮らし 身の丈6mと4m程の若獣になると2匹は [備中国の大和山Oowasannに 涸れることのない泉があり龍神が住んでいる。]と 聞くと 幼いながらもその龍神に仕えようと 大和山に ラブラブと手を繋ぎ 登り 竜王の泉を 向いにして 住み着きました。その当時は 泉には滔滔と 澄み切った清水が 涌き流れ出して いましたので 竜王の噴水と 呼ばれていました。
成長すると 性ホルモンの導くままに愛の営みは激しくなって行きました。 竜王の噴水に 聖水を頂きにに 又 雨乞いや止雨を願に 訪れる 参詣者の目は 気になりはしましたが 体格に優れ過ぎているが故に 隠れる事も 出来 猿田彦命と天鈿女命の様に堂々と竜王の噴水の奥で 絡みあったのです。すると 参詣者は 目を覆って指の間から2匹を見ながら 泉に向って 祈りを 捧げるのです。若い過ちと気付かず 龍王を崇める作法は 目を手で覆う事だと 2匹は 思いました。目を覆わない参詣者が来ると雄狸は 自慢の大金玉袋を広げ 作法を守らぬ不埒物の目に 被せたのです。物凄い悪臭に 参詣者が鼻を摘まむと 目を覆う作法をしたと勘違いし満足し泉の奥に戻りました。この匂いが大好きな雌狸は 雄狸にしがみ付くので 2匹の行為は 再開されました。金玉袋で覆っても 鼻を摘ままない参詣者には 金玉袋を更に広げ 顔を覆って 作法を促すのですが ほぼ 視野を奪われた参詣者は 押し倒され 急峻な山肌 を転げ落ちました。狸達は 不埒な参詣者が 龍神の罰を 受けたと思い 満足しました。
雄狸が 不埒な参詣者に 反省を求めている間 雌狸は 龍神の巫女に 化生kesyouし 雄狸の働きを 助けたのです。龍神の噴水が 淫獣臭を放つようになると 龍神 は狸の住む所の地下の 水脈の流れの向きを 変えました。すると 噴水量は半減したのです。村人は狸の悪さに 怒り 「これ以上成長すると 手に負えなくなる。少年少女の内に 若狸夫婦を 退治しようと 弓 鉄炮を繰り出し 射ち掛りましたが 雄狸は 金玉袋を全開し 鋼の様に強い盾に化成kaseiさせ 岩に化生した 雌狸と 我が身を矢や弾丸から 守ったのです。矢も弾丸も通じないので 村人達が困り果て思案投げ首していると どこからか ひょっこりと 土肥 実平Sanehiraと言う豪傑の亡霊が 現れ 山に駆け上がると 傍にあった大岩を小脇に抱え 狸の金玉袋 目掛けて 千切っては光速程の 豪速の石礫を投げ 千切っては 投げ付けました。さすがの 大狸の大金玉の盾も 次第に綻び始め 終に ドサリと 千切れ落ちました。その瞬間 雄狸は 粉々に砕け散り 退治されました。千切れ落ちた金玉は八畳程もあったので 金玉から化成した岩を 八畳岩と 村人達は 呼びました。その時の 衝撃は凄まじく 雌狸は 岩に化生したまま死に絶え 巫女岩と呼ばれるようになりました。。巫女岩の近くに 中央部分が凹んだ 岩が あります。その凹みは 実平が 掴み千切った跡と されます。時が過ぎ 誰が言いだしたか分からないのですが その八畳岩で 恋する男女が 愛を営べば 「抜か六」の ご利益があると 伝えられます。「大和山の八畳岩と巫女岩 | 岡山県の真ん中の町、吉備中央町から自分の好きな事を書いてみる。 (ameblo.jp)「村人口伝」
これによって 弓猛の子孫は 絶えました。それでも弓猛の一族は 村々の屋敷の庭や 辻々に祀られていましたが 天皇を最高権力者とするとする明治政府にとって 弓猛信仰は 天皇制を 支える神道と 関わりが無いので その多くは 廃社させられたそうです。又 頬赤介 瀬四朗 四津四朗それぞれ 不思議な 術で 人々を 驚かしましたが それなりの善行が 認められ 妙見山Myoukenzannに 魔法様として祀られました。「岡山「魔法宮」に祀られるキュウモウは狸か狐か、南蛮の錬金術師か!?/高橋御山人|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム (web-mu.jp)」「村人口伝」 令和3年(2021年)9月8日