坊主にする狐 二本枝の剃刀狐 狐と火の玉 江戸時代の葬式 幽霊の正体 正体は枯尾花 伏見へ行ったお爺さん 大国主命と少彦名命の我慢比べ お紺の純愛 柳井田の狐の嫁入り

富永 坊主にする狐 Fox who has one's head shaved

 昔、ある山間の村に 人を 良く騙す狐が おりました。夜に 村の者が 狐の峠を 越えようとすると 必ず坊主にされました。一人の若者が「わしは 絶対に 坊主にされず 峠を越えて見せる。」と 勇んで 出かけましたが、やっぱり 坊主にされ 村人に 笑われました。「加茂川町の昔話(岡山私立幡小学校読書クラブ)」

昔 ある富永の山間の村に 人を良く 騙す狐がおりました。村の者が 夜に 狐の峠を越えようとすると 騙されて 必ず坊主にされました。一人の 山武士修業を 積んだ 若者が「わしは 狐と何回も騙し合いをした。今は 狐に騙されん。絶対に 坊主等にされずに あの峠を越えて見せる。」と 皆が止めるのも聴かずに 峠に行き、日が暮れるのを 待ちました。次第に 暗くなって 狐が 陰気な声で 鳴き出しました。「寂しそうに 鳴いておる。騙せるものなら騙してみい 。 わしの肝っ玉は 太いぞ。」と 堂々と構えていると、ガサゴソと 近くで 音がし始めました。目を凝らして 暗闇を見定めると 狐が 枯葉を体中に まぶしていました。「枯葉で 化粧か。  わしの村の別嬪のお嫁さんに 化けおった。枯れ枝に 団栗を付けて 赤子にした。」と 狐の正体を 見きわめると 自信を 漲らせMinagirase飛び出そうとした 瞬間、後ろの遠くで 狐が泣きました。気になり振り返ると 女狐の姿を 一瞬視界から消えました。再び 前を向くと 子供を 背負った若い女が 音もなく 目の前に 差し掛かったので、男は飛び出し「こりゃ 待てぇ。 化け狐がぁ。  とっ捕まえて 狐汁にしてやる。」と 掴みかかりました。女は「うちは 隣村から 嫁に来た者じゃ。孫を 爺さん婆さんに 見せに行く所じゃ。」と 言って 立ち去ろうとしました。男は「そんな嘘は 信じん。化ける所を 見ていたぞ。」と 声を荒げると、女は「うちが その狐だと言う確信はあるのですか。いけずやわぁ。」と 言い返し 里に向かって 山を スタコラ 下り続けました。若者は「確かに一時 目を放した 。わしが 邪な糞Jya-na-kusoを しているのかもしれん。」と 思いながらも、少し間を置いて 女の尻の後を付いて行きました。女は 梅の実が生る 大きな家に 着き「お爺さん。お婆さん。参りました。」と 綺麗な声で 呼びかけると、梅の実を 捥いでいた お爺さん お婆さんが 出て来て「おう。おう。可愛いいのう。良い実じゃろう。」と 赤子を 覗き込んで 梅の実を うっかり赤子に 嗅がせると、お嫁さんは「梅の実は毒じゃ。」と 梅の実を 払おうとしました。すると 赤子の顏から 団栗が ポロリと   一つ落ち 片目がなくなりました。それを見て 確認した男は「爺さん。婆さん。そいつ等は 木の葉で 化粧した狐じゃ。証拠に 着物は ガサガサじゃ。」と 女に掴みかかると、爺さんは「わし 等の娘に 何ぅするんならぁ。この娘ぁ 確かに 隣村に嫁にやった わし等の1人娘じゃ。」と 女を守ろうとしました。男は 苛立って「騙されとる。赤子は枯れ木じゃ。」と 言って、女の背負っていた赤子を 庭石に 叩き付けました。赤子は ぐったりし ピクピクと 痙攣を し始めました。お爺さんは「わしの孫に何ぅした。許せん。」と 言うので 男は「違う。違う。あんたは 騙されているのじゃ。子供の片目がなかろう。」と 反論したので とうとう大喧嘩に なりました。お婆は「孫には 目の玉はちゃんと 二つある。あんたこそ 何処に 目ぇ付けとるんならぁ」と 言うので、男は我に返り 赤子を見ると 円らtuburaな 両目 で 男を見ながら 男に抱いて貰おうと 両手を伸ばしていました。男は 無い筈の目が 赤子に有るのを知って 急に 罪悪を感じ 平伏しました。お爺さんは「婆さんの言う通りじゃ。わし等の孫ぁ危うく 死ぬところじゃった。孫に 坊主になって謝れぇ。婆さん。石鹸Sekkenと剃刀Kamisoriぅ持って来ねぇ。」と 言って、お婆さんの持って来た石鹸を 男の頭に グリグリと タップリ塗って 剃刀で ジョリジョリと 髪の毛を 剃り落としました。男は反省し 涙し、クリクリ頭を なでながら「許してつかぁせぇ。」と 詫び、お爺さんに 背中を 蹴られながら 帰って行きました。夜が明ける頃に 村に辿り着くと、心配していた仲間達に「そぅれ 見た事かぁ。良ぅ光っとるのう。」と 迎えられ 大笑いされました。岡山県に伝わる昔話 加茂川町の昔話(岡山私立幡小学校読書クラブ) 「富永の河原澄江さんのお話」 これらに似たパターンの違う話は 幾つもあります。 平成27年(2015年)6月19日

 

三本枝のカミソリ狐 FOX WHO SHAVES THE HEAD WITH RAZOR IN SANBON-MATU昔 奥州の奥に 三本枝と言う薮が あり 狐が 1匹住み付き人を 良く騙したので、村人は  暗くなると 三本枝に 近づかないように していました。ところが 村の度胸を自慢にしていた 彦兵衛と言う男が「じれったぇ。たかが 狐が何じゃ。退治してやると。」言って 夜更けに 三本枝に来ると、優しそうな娘が 赤ん坊を背負って 麓の小屋にに 入っていきました。中には 婆がいて 愛おしそうに「おお娘じゃないか。泊まりに来てくれて 嬉しいぞ。」 と 家の中に向かい入れて 戸を閉めました。男は「わしの方を見んのに 気を注ぐように ふるもうた。赤ん坊も 石のように 息もせんで ピクリともしない。狐の奴が わしに 罠ぁしかけとる。」と 確信し、激しく戸を 開け婆に向かい「婆さん。そいつぁ お前さんの孫でも 娘でもねえ。三本枝の狐じゃ。」と 叫びました。娘と 婆がキョトンとして「何ぅ言いなさりょうる。と いぶかるのも構わず、婆から 赤ん坊を取り上げ「ほら。赤ん坊は石みてぇに重いし 動きもせん。 赤ん坊は石じゃ。」と 言って 赤ん坊を 囲炉裏の火に 投げ込みました。静かに 寝ていた赤ん坊は 激しく泣いて 直ぐに 動かなくなりまし。婆が 驚き 熱さを 堪え 赤ん坊を抱きあげた時には 赤ん坊は焼け焦げていました。婆が 傍にあった包丁を 振り上げ「わしの孫を ようも ようも  殺してやる。」 と言って 襲い掛かりました。彦兵衛は 恐れをなして「大変なことぅした。」と 冷や汗を かきながら 必死に逃げ回ると、運よく 明かりが 見えたので 助けを求め 藁をも 掴む思いで逃げ込みました。家の中には 坊さんがいて「何者かに 追われているんか。」と 言って 本尊の後ろに 匿ってくれました。飛び込んできた婆が 堂の中を 山姥のような形相で ギョロギョロ見回し「わしの孫の仇が 逃げて込んで 来んじゃったか」と 尋ねると、坊さんは「お前さんの孫ぅ 殺した悪党が おるのか。見つけたら 捕まえて届ける。」 と 答えました。婆は「必ずな。必ずな。」と 何度も 坊さんの意志を 確かめ 帰って行きました。坊さんは 彦兵衛を 前にして「終わった事は 元にゃぁもどらん。頭ぁ丸めて 赤ん坊の菩提を弔いなされ。婆にゃぁ わしが 良う言うておく。」と 言い、彦兵衛が「罪ぅ 犯したまんま 村にゃぁ帰れまぁ。」と 悟り頷くと 刃こぼれした錆びた 剃刀を 持って来て「あいにく 研いだカミソリぅきらした。」と 言いながら 頭を ゾリゾリと剃り始めました。彦兵衛が「痛ぇ。」と言うと坊さんは「人殺しの罪に 較べりゃぁ これ位の罰ぁ 軽すぎる。」と 言うので 気の遠くなるような痛さを 我慢していると 頭から ポタポタと血が 首に伝ってきました。血を見ると 彦兵衛は 気を失ってしまいました。朝 目覚めると 彦兵衛は 三本枝に 転んでいました。昨日を 思い出し 頭を整理するのですが「どこが 真で どこまでが 狐の仕業か。」理解できず すごすごと 血だらけの頭を 摩りながら 村にかえると、村人は「なんなら。その頭ぁ。狐に 剃られたんか。」と 聞かれると「狐には 合わんかったが 罪ぅ犯したんで 坊主になった。」と 答えました。村人に 腹を抱えて笑われると、その後は彦 兵衛は 自慢話をしなくなったとさ。http://onboumaru.com/017-sanbon-eda/2/  平成27年(2015年)6月19日

 

三谷日名 狐と火の玉 Will-o'-the-wisp induced by fox

昭和24年の頃だったか 近所のお婆さんが 亡くなりました。葬式のお手伝いの相談があって 我が家は 穴を掘る役に 付きました。その知らせが 振れ回ったので お料理と お酒を持ってお通夜に 行きました。黒い喪服の人 と 白い喪服の人が いました。お通夜では 故人を思い出話をするのが 常でしたので、故人のご親戚の人達は「昨日の枕元にお婆ちゃんが 立った」とか「お婆ちゃんの声がした」等と 死の知らせを 競うようにして話していました。子供ながら その人達は「お婆ちゃんと 一番 自分が 絆が 深かった」と 自慢し合っているのだと 思いました。次の日に お坊さんを呼んで お経を読んでもらっていると、お婆ちゃんの可愛がっていた黒い猫が 棺桶の上に載って来ました。喪主は 驚いて「この婆ぁ猫め  火車か お前は  母さんを取る気か」と 言って猫を追い払っていました。竹の仮の門を潜り 野辺送りをし 円城の医王院に行き お経を上げてもらい葬式をしました。引導が渡されると ご遺族の方を残し、来た時とは違う道を通って 家に帰りました。埋葬した日は 解りませんがその日だったのでしょう。2か月程して お墓が 立てられました。お婆ちゃんの家のお墓は 竹藪に 囲まれていました。その頃 家での僕の仕事は 風呂の水汲みと 風呂焚きと 薪運びでした。水汲みは 辛い仕事でしたが、風呂焚きは 稲穂を焼いて「爆ぜ]を 作ったり 栗や芋を 焼いて 楽しく食べました。薪採りは 多くの場合 夜でした。薪小屋は 母屋より6m程高い 曽根と呼ぶ所の作業小屋との間に ありました。崖のような 坂を 這うようにして登り 薪小屋に 行きました。曽根の作業曽小屋は 小屋と行っても 千歯扱ぎSenba-kogiや 唐箕Toumi  唐竿Karasao 等が 保管され、それらの器具の使用場所 籾や豆の乾燥場や保存倉庫の機能を持っているので 馬鹿でかい建物でした。夜ともなると 静まり返って 妖怪が 出そうな不気味さでした。それに加え 何故か 薪採りの時間になると 狐が 陰に籠もった声で 鳴きます。心細い事 夥しいのです。しかも 重い薪を抱えては 急坂を下るのは 危険なので遠回りして帰るのですが、その途中に お婆ちゃんの墓が ありました。竹藪に向かうと 突然に 明るくなったと思うと 暗闇に戻り 青白い60㎝から90㎝程の火の玉が 音もなく 打ち上げ花火のように 2から3秒間隔で ポッ・ポッ・ポポポと 立ち上り始めました。一瞬 身の毛が 総立ちましたが、不思議な現象の原因を 知りたく 火の玉の出ている場所に 行ってみると、お婆ちゃんの墓から 出ているようでした。狐のような獣が しきりに 穴を掘っているようでした。「さてはこ奴が 火車か。お婆ちゃんの死体を 盗みに来たのか。」と 思いました。「棺を開けられないよう 厳重に 釘打ちした。」と お婆ちゃんの息子さんが 言っていたので 放って置こうと 思いましたが、飼い犬の名前を 呼ぶと「ポチ」が 飛んで来てくれ  火車に 挑み掛かりました。火車は 魂消て 飛び跳ね  暗闇に 走り去りました。次の朝  お婆ちゃんの墓を 見に行くと 墓石の右端の下に 7㎝程の穴が 開いており 奥深くまで続いていました。この時には 僕は火の玉(人魂)は 狐が出すのだと思いました。「著者の経験」       

火車:葬式場や 墓場から 死体を盗む妖怪で、年老いた猫がこの妖怪に変化すると言われます。猫又が 正体だともいう。https://ja.wikipedia.org/wiki/火車_(妖怪)」 曽根:川等氾濫などで 出来た堤防状の土地。周囲より高い地形

。「https://ja.wikipedia.org/wiki/曽根 人魂:火の玉 鬼火 狐火 ウィルオウィプス 等と 表現されます。「空中をただよう謎の炎」のことを指しています  その原因は「リンの発光」「可燃性ガス」「発光する虫」「落雷時の電磁波鑑賞性の球電・プラズマ」「落雷時のケイ素のエアロゲル性の球電 等です。https://ja.wikipedia.org/wiki/人魂」「https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E9%AD%82-120343」「https://soyokazesokuhou.com/hitodama

 江戸時代の葬式:湯灌」故人の身体と 魂を 清めるため 僧侶が ご遺体を 入浴させ 髭剃り 死に化粧を施し、死に装束を着せ 「通夜」ご遺体に ご遺族が 一晩中 寄り添い、故人の思い出話をして過ごす。故人の魂が 迷わないよう お線香と 蝋燭が 消えないよう ご遺族が 番をします。火の番をする遺族に 近所の者が 料理を持参し 通夜振舞いをします 「野辺送り」自宅の棺桶に 読経と 焼香を行ない 竹等製の仮門を 通って 戸外に出 葬列を 作って お寺へ 向かいます。葬列は 故人が あの世へ行く 旅路ともされるので 故人が この世へ戻ってこないよう 棺桶を 外に出した後は 火を焚いたり、ご遺体を埋葬した帰りは 別の道を 選んだりします  葬列に用いる道具は 線香 ロウソク立て 位牌 しきみ 霊膳 四花 灯篭 棺台 天蓋等です。 葬列では 白色の綱(善の綱 縁の綱)を 良い処まで 故人を連れて行くために、女性が曳く地域が 多くあります。棺桶の前を 行く場合と 後ろから 綱を持って付いて行く場合が あります。縁の綱を 使うときは  故人とのお別れを 促すために 切れやすい素材の綱を 使います。白い布「手拭いのイロ」を 鉢巻代わりに 肩にかける所も あれば、頭に 被ったり、首に 巻いたり 等する地域が あります。引導寺に着くと、故人に 仏教の教えを語り、悟りを 得られるよう導くために お坊さんが 棺桶の前で 法語を読み上げ、故人が 現世の未練を断ち切り、成仏できるように 引導を 渡され、読経をして いただきます。引導と 読経が終わると、血縁者ではない人は 帰宅します。残ったご遺族は お坊さんとともに、埋葬予定の墓地へ 行きますhttp://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199805.html」 平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。p287~P291に「死の知らせ「別れに来た兄」「帰って来た弟の魂「夢の知らせ」等の民話が、P292~297に「戦死者の魂が火の球で帰る」「火の玉」「死者の霊の宿る乢」等の民話が載っています。 平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。P63~P64に「火の玉」の話が載っています。 p76に「葬式」の話題があり葬列が語られています。  平成26年(2014年)4月20日

 

 

広面 幽霊の正体 Ghost's true character

広面の牛舎から 坂道を登ると 雑木林の奥に道の両脇に竹薮があり、竹薮の手前に幽霊のような物がユラユラ揺れていたそうです。月夜の晩 傷痍軍人Syoui-gunjinらしい人が 白い着物を着て 数人をたむろしていました。雑木林を左に下りると 窪み(があり 窪みに狐に騙され人が 転げ込んでいました。竹薮を抜けると、狐に騙された男が ボケッと石に座って野葡萄Nobudouを食べていました。怖くなって お経を唱えながら藪を振り返ると、藪影に月のような光が揺れていました。朝になって行って見れば、軍人さんは枯れ木で、転んでいた人は丸太でした。「吉備中央町の民話(1)」

幽霊の正体見れば枯れ尾花 If you look carefully, it is more ordinary than it appears the ghost,when examined closely,was withered silver grass昔 ドンド口Dondo-gutiの臆病な男が 鼓田の親戚に 夜中に 使いに出されました。行きなれた道ですが 夜ともなれば 月の明かりしか 頼りにするものはありません。大きな農家の牛小屋の 脇を 通ると 何時もなら 嬉しそうに 牛達が 挨拶をしてくれるのですが 巨体の動物は 身動きもせず 無言でした。世の中が 死の世界になったと思え 恐ろしくなりました。道の先に 月の光を 遮る竹藪が 待ち受けています。暗黒の手前には 白い物が 幽霊のように ユラユラ揺れています。幽霊のような者を 良く見ると  傷痍軍人賀で 破れた軍服を 着た男達でした。腕が無い人や 足が無い人が サーベルを 抜いて 争っています。何で こんな所に 傷痍軍人が 集まって 諍いIsakaiを 起こしているのか解りません。「確か この上に 狸岩がある。狸に 騙されているのだろうか。 鼓岩の狐に 騙されているのだろうか。」と 思い「触らぬ神にたたりなし。」と 道から離れ 通り抜けようとしました。雑木林の山肌を 左に登り ソロリソロリと 足音を消して進むと 大きな窪みがあり人が倒れていました。モッコク谷のナメソウのように ウネウネとしながら「お狐様 ネズテン(鼠の天ぷら)をお召上がりください」と言って 木の葉を 頭の上に捧げています。

何とか 竹藪を抜け 野呂街道に 戻ると、石に腰掛けた男が 石だか 切り株に 腰掛け 恍惚として 遠くを眺め、野葡萄をジャリジャリと 種ごと食べています。その男の手元を よく見ると 狐の最後っ屁の匂いのする 小石の塊を 持っています。その横には 二人の尖った耳の男女が 人目を 忍ぶように 身を低くして 声を潜め 抱き合っています。「狐がいる。騙されるものか。」と 眉に 唾を塗り お経を唱え 恐々と 竹藪を振り返ると 月の様な明かりが 提燈のように 竹の枝に 引っ掛っていました。「宙狐かも」と もう恐ろしく 無我夢中で 鼓田の親戚の猟師の家に 逃げ込みました。その話をすると 猟師は「馬鹿馬鹿し気な話だ。正体を 見に行ってやる。」と 言って、翌朝 家に送ってくれました。石に 腰掛けていた男は 小枝の付いた切り株で 窪みは 大木が 根ごと倒れた後の穴で ナメソウは 倒木で ネズテンは 木の葉でした。薮に来ると 折れた大木や 数本の枯れ木が 風に揺れていました。猟師は 臆病男を 笑い飛ばしました。臆病男が「竹に掛かった提灯は なんじゃろう。」と 話題を 変えると、何度見ても 昼間は何も見えません。次の夜に行ってみると ユラリユラリと あざ笑うように 輝くのです。猟師 は優秀な猟犬を飼っていたので 連れてくると、猟犬は 尻尾Sippoを 股に挟んで 身を強張らせ 尻込みするのです。すると 猟師は 途端に青ざめ 震えだし「宙狐火じゃ」と 呻くように呟いて 腰を抜かし 2週間 も寝込みました。「吉備中央町の民話(1)」を基にした物語     ドンド:広面広奥1277・1278番地 ドンド口Dondo-guti広奥1467・1468・1471・1472番地 狸岩:北緯34度49分27秒東経133度48分44秒 昔 叩くとポンポンと 狸の腹鼓のような音がしたそうです。     鼓岩:北緯34度49分9秒東経133度48分48秒    牛舎:現  牛を飼う人は 広奥に居りません。    ナメソウ:モッコク谷に 住むと言われる 蛇型の妖怪    ネズテン:鼠の天婦羅 豊川稲荷の狐の好物とされます。   モッコク谷:広奥 北緯34度49分20秒東経133度48分54秒の北    平成24年(2012年)5月4日 

 

 

伏見に行ったお爺さん The old man who went to Hushimi

昔 門太夫屋敷があって その南側に 通用門があり 東側に 身分の高い人の訪問や 結婚式や 葬式 等特別の時にしか 開けない御門が ありました。その屋敷に 代々使える年齢も 出処も解らない下働きのお爺さんが 居り、時々山に 薬草を採りに行く位しか 外出しませんでした。しかし 広い知識や 技術を持ち備えていて 病気に成ったり 諍い事等が起こった時には 爺さんに頼むと 快く聞いてくれ 何事も 難なく助けてくれました。だから家中の者達は 気兼ねなくお爺さんを 頼り 大切にしておりました。ところが ある真夜中に 伏見の方向の山 に 宙孤が沢山現れ、何かの合図をするように 点いたり消えたリしました。それからは お爺さんは ソワソワと 何やら衣装や 身なりを整え始めました。7日目に 今までよりも 宙孤が 沢山で出た日に 爺さんは「門太夫様。この度 よんどころ無い事が ありました。お暇をくださりませ。」と 申し出たのです。門太夫も 家の者も「お爺さんが 居ないと困る。いつまでも ここにいてくれ。」と  拝み倒しましたが お爺さんの意志は固く 申し出を改めませんでした。根負けした門太夫が 暇を取る事を許すと、お爺さんは「出立には 東の御門を 使わせてくださりませ。」と 願い出たのです。長年の非の打ち所の無い奉公に免じ 門太夫は それを 許しました。次の日 東の御門が 開かれると 門前には それは きらびやかなお加護が 用意され 立派な神職姿や 侍姿の者達が 跪坐して 待ち構えていました。あまりの光景に 皆が呆けにとられていると、お爺さんが いつ どうやって 用意したのか解らないような高貴な衣装で 身を包み 堂々とした 若者のように 籠に乗り込みました。「お立ちぃ」と 声がかかると 爺さんは 手を振り「お世話になりました。束の間でしたが 幸せでした.でも帰れば もっと幸せになれそうです。」と 言いながら 名残惜しそうに 去って行きました。門太夫は「しまった。お爺さんじゃない。薬草取りは 逢引きだったのか。あの方は 伏見稲荷の狐の若様だ。祝言を 上げに伏見に お戻りなさったのだ。数々の無礼を お許しください。」と ひれ伏しました。それからは 屋敷に 異変がある時には 伏見に向かってお願いすると 必ず 宙孤が 現れ苦難を 救ってくれたそうな。nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=270」    平成24年(2012年)5月4日

大国主命と少彦名命の我慢比べ Patience comparison between Oo-Kuninusi-no-mikoto and Sukuna-bikona-no-mikoto

ある時、大国主命少彦名命が 国土を開発するために 所々を 廻っていましたが、なすべき仕事が 見つからず ただ歩くだけだったので 退屈していました。それを見ていた 大山咋神Oo-yamakuhi-no-kamiが「暇を持て余す位なら 我慢比べをしてごらん。」と 提案しました。大国主命は「わしは 今ウンコをしたくなった。。ウンコをするのを我慢する。おい  一寸法師。お前は小さい体だが 力持ちだ。土を山2つ程担ぎ 地面に下ろさないよう運んで見ろ。」と 言いました。少彦名命は「承知した。わしの事を一寸法師と呼んで侮ったな。本真は大男で 小さい振りをしているだけだ。」と 応じました。心の中で「大国主命よ。あんたは馬鹿か。便意を我慢するのがどんなに辛いと思っているんじゃ。勝負にならんが 兄貴分に恥も掻かす訳にもいかん。」と 密かに思いました。しかし 神様同士ですから 我慢比べの決着は いつまでも付かず、飲まず食わず 延々と続いたのです。少彦名命の予想通り 大国主命が3日後に波自賀村Hajika-no-muraに差し掛かった所で 我慢できなくなって ウンコをしました。大国主命が用を足した時に 慌ててお尻を剥いて ウンコをしたので、運悪く笹がウンコを弾かせ(波自賀せ)服をウンコで 汚しました。ウンコの量は 溜めに溜めていたので 山の半分位になりました。すると 少彦名のは「わしも疲れた 我慢できん。」と ドーとばかりに 大国主命のしたウンコの上に 2山分の土を 一気に降ろし 埴岡Haniokaを作り、勝負を引き分けにしました。少彦名命は 先輩思いだったのです。そして 大国主命が 土とウンコを混ぜるあわせ始めると その大音に驚き 駆け付け 村人が集まって来ました。大国主命は 村人に「この土で作物を育てなさい。」と 言って、ウンコ混じりの土を お百姓に分けてやったのです。使い切れなかったそのウンコ交じりの土は 大岩になって今も残っています。分けて貰った大国主命のウンコ交じりの土で 野菜を作ると 立派な野菜が採れて お百姓は感謝し、神様のためにお宮を造って差し上げました。www.eonet.ne.jp/~naito158/siseki/tsuruisiseki2/」   平成23年(2011年)7月4日

 

 

美狐 お紺の純愛 Pure love of beautiful fox named o-kon

昔昔 日照りに悩む村が ありました。雨を降らせるには 龍神様に 生きた女狐を 奉納しなければなりませんでした。隣村には お紺と言う化け上手な女狐が 住んでいて、働き者で正直な武蔵に 淡い恋心を 抱いていました。武蔵と 夫婦になりた く途方もない美人に化け 隣村の庄屋で 下働きをしていました。時々 村役に頼まれ 隣村に出かけていた武蔵も お紺の眼差しに気付き 恋心を抱いたのです。それを知った村一番の切れ者の五郎兵衛は 隣村に出かけ 庄屋と談判し お紺と武蔵に 祝言を上げさそうと相談しました。お紺の気持ちを 知っていた庄屋は  大賛成でした。祝言が 始まり たけなわとなった頃から 五郎兵衛が 荒縄や 檻を用意し始めました。その怪しい仕草に 気付い武蔵は「罠だ。お紺。龍神の生贄にされる 逃げろ。」と 外へ連れ出そうとしましたが お紺は「初めから 知っていました 。大好きな武蔵さんや  武蔵さんを愛する村人の皆さんのためなら 死んでも良いと 思っていました。少しの間だけでも 武蔵さんと 夫婦になれただけで幸せです。」と 言って逃げませんでした。村人達は お紺の心を知ると 祝言を滞りなく済ませました。祝言が終り 初夜が終わると お紺はすすんで五郎兵衛に捕まり 龍神様の雨乞いの生贄に なりました。神主が 雨乞いの祝詞を上げ終わると 満天の空には  雲一つないのに お紺の涙が 大雨となって 村は 旱魃から脱したのです。武蔵は 嫁を取らず お紺の霊を悼み続けましたとさ。https://99bako.com/1033.html」   平成23年(2011年)7月4日

 

 

三谷・大木 柳井田の狐の嫁入り Fox's wedding in yanaida

昔 狐山に 住む狐が 村人を騙し 村一番の美人を 嫁に捕りました。立派な 嫁入り行列は 柳井田(Yanieda Yanada Yanaida)の池を 三周して 狐の嫁入りの中 狐山に 消えて行きました。祝言に参加した者は なぜか追う事ができませんでした。「著者の父より口伝」

昔 昔 狐山の狐岩に 住み付き塚塔Tuka-ga-touと 言う弥生時代の古墳群のある山を 縄張りにした嘘八Usoooatiという名の狐がいました。長生きをして 神通力を身に付け 人に 化け人の言葉を話せるようになっていました。その古墳群のある山の持ち主は 弥太郎という者で 可愛らしく美しい娘が いました。弥太郎は 娘を 良い処に 嫁がせようとしました。そのためには お金持ちにならないといけないのですが、その方法が 判らず困っていました。魔利支天様は 願いの妨げになる悪い事から守ってくれる仏と 知ると、魔利支天に 毎日 お参りしていました。狐の嘘八は この娘を 気に入って嫁にしたいと 邪Yokosimaを 起こしていました。弥太郎の魔利支天詣でを 見つけ、何を 魔利支天に お願いしているらしいので 願いを記した お札を 盗み見ました。弥太郎が お金持ちになると、娘が良い家系の嫁になる事を 知りました。弥太郎を 貧乏にして 自分の嫁にしようと企み、魔利支天の祠hokoraの後ろの石グロ(弥生時代後期の古墳と思われます)に 隠れ 岩蔵が詣でるのを 待ちました。弥太郎は いつものように やってきて 必死に 魔利支天に お願い事をしたので、狐は 厳かな声で「われは魔利支天なり。慈愛を尽くし 願いの富を与え 妨げる者を打ち払ってやろう。」と 言いました。仏の声に 驚き 有り難さに 恐縮していると、嘘八は「何が 起こっても  われの指示を 努々Yumeyume疑う事なかれ。」と 告げました。その頃 三谷城の殿様の山脇民部は 山を開墾する事を 村人に勧めていました。村人は「あねぇな山の頂上付近にゃぁ水も 湧く 筈がねぇ。田畑ぁ造っても 損をするばぁじゃ。」と 見向きもしませんでした。嘘八狐は 弥太郎に 無駄働きMuda-batarakiをさせ 大損させようと思って「あの山の土は 一寸法師が 運んで来た土じゃ。あの山を 開墾せよ。殿様が 喜び 褒美をくれよう。」と 摩利支天の護符をくれ 開墾を勧めたのです。弥太郎は それを信じて開墾を進めました。大金をはたき 開墾しましたが 水が足りないので 作物が育ちません。嘘八は 池を掘るよう 勧めましたが 池を掘っても水が 湧きませんでした。すると「もっと大きな池を掘れ。水が出るまで掘れ 。必ず水がコンコンと湧き出る。」と 言うのです。さすがに 弥太郎も 魔利支天が 自分を 破産させようとしていると感じ「これ以上 無駄なお金を使うと、無一文になります。」と 抗議すると「私は仏である。 嘘等は 絶対につかん。疑うなら祟る。」 と 荒神のように言い返すのです。

弥太郎は 掘れども掘れども 水は出ないので 腹立ち紛れに 嘘八のよこした 魔利支天の姿絵を堀の底に敷いて 突きん棒で 突きに 突きました。すると 嘘八の仕掛けの結界が 破られ 清水が 噴き出し 堀は 見る見る水が満ち 立派な池になりました。摩利支天のご利益に 感謝し 水の豊かな地になったので 柳井田と名付け、この池の水で 稲を育てると 育つは 育つは 毎年豊作で 弥太郎は 使ったお金以上に儲かったのです。三谷城の殿様は 城の肥え溜めが一杯になって困っていました。弥太郎の作るお米が 美味しいので 侍達が 沢山食べ  沢山ウンコをしたからです。殿様は 肥え溜めの糞尿を汲み取ってくれる者を 探していました。嘘八は「弥太郎 。汲み取ってやれ。 三谷城で 大国主命(Oo-Kuninusi-no-mikotoが ウンコをしたそうじゃ。 少彦名命Sukuna-hikona-no-mikotoの運んできた土の田畑に 混ぜれば 作物がよく育つ。 昔から大国主のウンコは良い肥料になるというぞ。」と 耳打ちすると、弥太郎は 摩利支天を 信じ込んでいたので 汲み取り 畑に撒きました。村人は「弥太郎は 気が触れたか 狐に取り憑かれたぞ。作物が 採れても 臭くて食えるものか。」と 陰口を たたきました。嘘八は「今度こそ 弥太郎は 破滅じゃ。ず っと お城の肥え溜めの掃除をさせられ 貧乏になるぞ。」と 思いましたが「おお臭い。我慢 我慢 。 魔利支天様のお告げじゃ。」と 野良仕事に 励んだので、その年の弥太郎の田畑では 今まで以上に 作物が育ち 町で売ると 見栄えも良く 味も美味しかったので 高値で売れ、弥太郎は さらに 大金持ちになりました。殿様は 無理な願いを叶えてくれた 弥太郎に 感謝しました。弥太郎に 褒美Houbiをやろうと お城に招きました。弥太郎は 娘が美しく気立ても良いので 殿様が一目惚れすると自負して 娘を連れて お城に上がりました。殿様は「これ弥太郎。褒美を取らす。何なりと申せ。」と言うので、弥太郎は「勿体ないお言葉です。 娘の美代をお殿様のおそばに置いてください。」と 願い出ました。しかし殿様には 豊富な企画力と実行力を持ち 民部の政治を支える事に欠かせない 美しい奥方が居りました。しかも その奥方は 須勢理毘売命(Suseri-hime-no-mikoto程に 嫉妬深い カカア天下でしたので「それだけは 勘弁してくれ。」と言って 褒美に大金をくれました。がっかりして 親子は 帰宅し 魔利支天に報告し  先々の事を 相談しました。嘘八は やっと思惑通りになったので「何を迷うか。わたしは お前の娘が好きで お前を支えてきた。娘を わしの嫁にくれ。さもないと祟るぞ。」と 上から目線で脅して 要求しました。弥太郎は 仏の怒りが 恐かったので「娘を お娶りくだされぇ。ははー。」と 頭を地面に付け 承諾しました。嘘八は「供を 連れて 明日迎えに参る。その時に たっぷりの結納を 届けよ。」と 偉そうに言いました。

翌日 家来を 揃えsoroe、嘘八狐は 花嫁を迎えににやってきました。大きな日除け傘や 毛槍に 幾つもの長持ちが 揃えられ、まるで殿様の行列のようでした。長持ちには 言うまでもなく 弥太郎が財産を叩いた 美代の結納金が 満載されていました。美代は 白馬に 乗せられ白無垢の嫁入り姿で 柳井田の池を一回りすると、行列の者は 弥太郎達を 帰らせようとしました。弥太郎が「婚儀に 出してもらえないのですか。」と 尋ねると、嘘八は「仏の嫁取りの儀式に 不浄な人間が 同席できる筈 等なかろうが。ここで 引き返されぇ。」と 高飛車に 言うものですから、弥太郎は「ごもっともです。」と 立ち止まり、嫁入り行列が 狐山に入ってゆく光景を見ていました。すると摩利支天や 家来衆に尻尾Sippoが 生えて来て 馬も細くなり 狐色に変って行きました。狐に騙されていた事に気付き「とんだ事になった。」と 後悔しましたが 後の祭りです。狐の行列は 狐山深くに 消えてしまいました。

涙が ポロポロと弥太郎の眼から流れました。「分限者になり、娘ぅ 玉の輿に据えようとしたんが 間違いじゃた。心の隙ぅ 狐に突かれた。子供を自立させるんが 親の務めじゃった。神仏に頼らず 可愛い子に 旅ぅさせるべじゃった。」と 厳しい反省をしました。すると良く晴れているのに、弥太郎の流す涙が 天に上り 雨となって 降ってきました。人々は 晴れているのに 雨や雪が降る気象現象を「狐の嫁取り」とか「狐の嫁入り」とか 言うようになりました。

 「著者の父より口伝」「大国主命」「三谷城」を基にした物語     吉備の里の三谷や 細田付近は 狐の嫁入りの多い地域です。雨や 雪の約半分位は 狐の嫁入りです。大山辺りで 降る雨や 雪が 風に流され降るからです。また 弥太郎の様にお金持ちになりたい人々は、狐を祀るようになったと 嘯くUsobuku者もおります。    狐の嫁入りsudden rain from a blue sky雨雲が速いスピードで通り過ぎると 降った雨は雲が通り過ぎた後に 地上に届きます。強い風が吹くと 遠くで降っった雨が 流されて来ます 塚ヶ塔の弥生時代の古墳群:北緯34度54分27秒東経133度47分16秒 塚ノ乢tuka-no-tawa:北緯34度54分22秒東経133度47分7秒    塚ヶ乢tuka-ga-tawa:三谷日名中倉 北緯34度54分28秒東経133度47分19秒    町指定文化財塚ヶ搭:日名弥太郎田の北 北緯34度54分24秒東経133度47分9秒   塚ヶ搭塚ヶトウ:大木922-925番地   塚ヶ搭田東:大木926-929番地 塚ヶトフ:大木930番地 弥太郎田:人の名前に 由来する地名かどうか 判りません。冬季の砂鉄採取のための季節労働者である 穢多と 関係するのでしょうか。 弥太郎山:三谷880-883・919番地     三谷日名摩利支天社:日名塚ヶ乢の南 北緯34度54分27秒東経133度47分19秒    柳井田の池:大木柳井田 やなぃぇだと発音するより やなだと 発音した方が 地元の人は 理解し良いでしょう。北緯34度54分16秒東経133度47分1秒 三谷城跡:三谷陰地 北緯34度54分51秒東経133度47分48秒    狐山:三谷 大木 豊岡下の境の山 北緯34度54分38秒東経133度47分28秒  江戸中期まで 墓石を立てる事 が禁止されていた時代の共同墓地であろうと 推測します 三谷899-900・902・903番地      大国主命の妻問:八千矛神yatihokonokami(大国主命)は 高志国kosinokuni(新潟)沼河比売Nunakawa-bimeを 娶ろうとすると 后の須勢理毘売Suseri-bimeは 激しく嫉妬しました。怖くなった八千矛神は 出雲国から大和国に 逃げようとしましたが、須勢理毘売は 許さなかったので 2柱は今も 一緒に鎮座しているのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/大国主の神話」    平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町』の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録】が発行されました。P230~P231に「狐の嫁入りの火」「狐の嫁入り」が載せられています。 平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p47に三谷の「狐の嫁入り」の話題が載せられています   平成23年(2011年)7月4日