昔お百姓さん達が 十人組と言う隣保組織で暮らしていた頃の事です。ある地域の十人組は 犯罪を犯した者や 彼らにとってとんでもない非常識な者(偏屈者)や 治り難い伝染病に罹った者が あると 全資産を 没収し 十人組から追放され 入会権も奪われ 交際権も奪われ 水場も奪われ 山深い所や 村境に 少しの土地を 与え 住まわせました。耕す小さい土地が有っても鍬も鎌も奪われているので石器時代のような 惨めな生活を強いられたのです。瘠せ細り骨と皮だけのような体に 死んだ獣の皮をなめした着物を造り着てその姿はまるで墓場から 生き返ったようでしたので鬼と呼ばれ蔑まれました。それでも 節分の豆まきの時だけは 鬼役として雇われ 少しばかりの銭を もらえました。鬼と呼ばれる者の一人に百目鬼doukiと名付けられた家族いました。百鬼の苫屋の脇には 立派の茶の木が は生えていたので見様見真似 で茶を作り渋い茶を 楽しむのが 百鬼の家族の 楽しみでした。百鬼の家族は 節分の悪役の声も かからないので 粗末な囲炉裏を囲ん で渋いお茶を 飲んでいました。すると そこへ お客が訪ねて来たので 急いで 戸を開けると鬼が 豆を投げつけられ逃げて来たのです。その鬼は「戸を開けてくれるんか。豆蒔いてて追い払わんのか。有り難い。一休みできる。追れて長ぅ走ったんで喉が涸れた。お茶を一杯ぇくださらんか。」と 息も切れ切れに頼むので 渋茶を注いでやりました。すると「渋くて、疲れた体に良ぇ。」と、言って感謝してくれました。そうこうしていると 又客が 来ました。やはり鬼でした。「喉ぅ渇ぇた。お茶を飲ませてくれんかのう。」と 言うので その鬼にも 渋茶を注いでやりましそして そのその鬼も「疲れた体に良ぇ。」と、渋茶の振舞いに感謝してくれました。又 又 又・・・・・・そこらじゅの鬼が、ドンドン集まって来ました。渋茶を褒めながら 久しぶりの会話に 談笑していた鬼達は 何やら相談が纏まったようで 一斉に家を出て行きました。
引き戻してきた鬼達の身体は 豆の跡だらけで 痛々しい形Nariでした。手に手に 食べ物や 酒 豆等を 持っていました。魚を持ち帰った鬼は「魚屋の家から 貰って来てやったでeぇ。 盗む 真似を してくれと 頼むので まねしてやった。わしの醜さ振りに 魚屋の坊主は 思いっきり沢山の豆を撒いた。蒔かれた豆が 美味そうだったので 拾って食べながら 玄関から 逃げてやった。「鬼が 悪さをしているのを 豆でやっつけた。」と 言って えらく喜んでいた。「息子を 喜ばしたけぇ お礼じゃ。」と 言って 店の親爺Oyajiがくれた。」と 自慢げに話しました。酒を持ち帰った鬼は「酒を 名主の家から もらって来てやった 。名主の家では [鬼が2度も追われにやって来たので もう一回豆撒きが 楽しめらぁ と 目を 目がけて 豆を蒔いたので 目を 痛がるふりをしてやると 孫が大喜びじゃた。」と 嬉しそうに 話しました。 又 又 又・・・・・次から次に 戻った鬼達は 酒や魚や甘酒を 持って帰りました。そして 鬼達は「皆で持ち寄った物で 豆撒きをして その後 宴会じゃ」「そうじゃ そうじゃ 福は内ぃ鬼も。鬼も内ぃ。」「良い気分じゃ。」「鬼は「 ハッハッハハア ハッハッハッハッハ。 酒の後の渋いお茶は 疲れも取れて 頭もスッキリすらぁ」と 歓談し 百目鬼の家は 幸せな声で 満ち溢れ(ました。鬼と友達になった 百鬼の家族は 鬼達がくちこみで 言い広めたので 渋茶が良く売れ 次第に豊かになりました。それで 節分の日には 百目鬼の家は鬼達の集会場になり 百目鬼が 買い求めた道具を借りて 助け合って百目鬼の成功を参考に 互いに共同で 耕作地を広げ ゼンマイそれぞれ特産物を作る者が現れ 共同経営を初めました。彼らの家族の節分では「鬼は内」。鬼は内。」と 掛け声をかけ 豆撒きをするように なったそうな。鬼達の成功を見て 村起こしに 苦しんでいた 寂れ行く組(村)の者達は鬼に 詫び状を書いて 村を鬼の特産品の生産に 加えてもらったそうな。村起こしに必要なのは馬鹿もん(突拍子もない発想力)余所もん(村の)保守的な発想にこだわらぬ考え) 若もん(新たな発想を受け入れる労働者)の力じゃ。「「三谷野呂の百怪談での冗談話」 平成24年(2012年)2月9日
著者の祖保の弟が 著者に 悪さをしてはいけないと、昔話をしてくれました。「三谷の村外れに 亜世と言う場所がある。あの世と この世の境だ。そこから マツタケ好きの 目玉だらけの 悪を嫌う妖怪が やって来て、岩目に 住み着いた。中倉山のマツタケを 食べては、大岩の上に立って 悪をしようとする者がいるか 千里眼と 先見眼で 見張っていた。悪をしようとする人が いると 更生眼で じっと見つめた。するとその人は 誰かに 悪事を見られているような気がして、悪事が 出来なくなるのだ。だから昔は 三谷の近くに は 悪い人は 一人もいなかった。ところが 岩目翁は 翁と呼ばれるが 妖怪の仲では 男盛りだったので 村の娘と 恋をした。子供を 娘が孕むと 父親は 跡継ぎができたと 大変に喜んだ。それを 千里眼で見ていた岩目翁は 無数にある全部の目で うれし涙を 流した。うれし涙で 全部の目が 曇っているうちに、娘の父親は「妖怪の子は産ませないと 怒り 堕胎させようとし 誤って 娘を殺して しまった。岩目翁が 涙を拭くと 死んだ娘の姿を見つけた。いたたまれなく あの世に 帰りたくなって、住処の岩を持ち帰ろうとした。引っこ抜くと、勢い余って 岩ごと岩目翁は 太陽に 飛んで行って、太陽の黒目 になった。いまでも 太陽から 地球を見ているが、余りに 遠いので 更生眼の力は 届き難いんだ。それで 悪さをしようとする者を 確実には 止められ無くなった。お前もお天道さんに恥じないように生きろ。」平成24年(2012年)8月20日
昔 昔 三谷の山中に亜世Aseiと言う地が有り、あの世と この世の境を 作っていました。この世でもなく あの世でもないと 言うのが地名の由来です。そこに 穴が沢山空いた 大岩があり、この岩を 岩目岩と 村人は呼んでいました。この岩の穴が あの世の吹き出し口です。この出入り口を知っていたのは、岩目翁Irame-no-okina/Iwame-ouと言う、妖怪だけでした。妖怪の食べ物は 松茸臭Matutake-syuuのある茸Kinokoだったので、秋に 三谷の中倉山Nakkagura-yamaに松茸 白松茸Siro-matutake 馬鹿松Baka-matu 早松Sa-matu (時期違いの松茸) 椎茸Siitake 松茸擬Matutake-modoki 松翁茸(松旺子Matu-ouji))等を 食べに やって来ていました。岩目翁は 中倉山 に昼寝床 と見張り台を 作っていました。 平成24年(2012年)8月20日
岩目翁は 全身眼だらけの人の姿をしていました。だから 茸の豊富な秋には 良く肥り 大男になるのですが、茸の生えない夏は 体が 溶けて無くなった様に 縮み蜻蛉Tonboの目玉の様な 丸い塊に手足が付いている様 に見えました。それぞれの眼は 一つ一つ 異なる役割が ありました。例えば 山を透かして千里(約40Km)四方が見える千里眼Senri-ganや、赤外線を感じ 暗闇でも見える闇黒眼Mokkkoku-gnや、寝ている時にだけ働く 夜目Yameや 人が近づくと 気配を感じ その方向に顔の向きを変える人感眼Jinkkan-gan等です。この妖怪の千里眼の霊力は 人の脳に 作用します。普段は 千里四方を 見張岩に立ち 悪い事をしようとする人が 居ないか 見張っていて、悪さをしようとする者が 居ると その者を ジッと見つめます。見られた者が 誰かに見られているような第六感を 感じさせ、悪い事をするのを止めさせたのです。色々の働きをする眼が 有るので、悪者を 見逃す事は 滅多Mettaに 有りません。だから この辺りでは 千里四方に 悪者は 滅多にいませんでした。ところが ある良く晴れた温かい日に 中倉山に 松茸を食べに来て、鱈腹(Tarahuku食べて 昼寝床で 寝込んでしまいました。普段は 夜眼 人感眼 赤外線眼 紫外線眼 等は 眠る事は 無いので 人に見つかる前に 必ず気づき、岩間Iwameや 藪陰Yabukageに 隠れました。だから これまで 人に見られた事は 一度もありませんでした。しかし この日は 違ったのです。あまりの満足に、うっかり人感眼まで 寝てしまったのです。運が良いのか悪いのか、お岩ちゃんという村娘が 茸狩りに 中倉山に登って来て、岩陰に 何か居るのを見付けました。近付くと 目だらけの化け物がいたので、身じろぎも出来なくなり 立ち竦みsukumiました。熟睡(してた妖怪ですが、固唾を 飲み込む 激しい息遣いに 人感眼ヲが 目覚めました。「しまった 人に見られてしまった」と 思いいったんは 姿を 隠そうとしましましたが、眼の前に それは美しく可愛らしい娘が 居たものですから 一目惚れしてしまい、娘を 見続けたのです。その時 霊力が働きだし、娘の良心を 動かしました。娘は「変な身なりや 怖い顔の人であっても 見た目だけで 悪者扱いするのは良くない事だ」と いつも父親から 教育されていたので 気持ちが 落ち着いて来ました。翁Okinaと言っても 妖怪の事、まだまだ若い方です。「お願いだ 嫁に成って呉れ」と 念じながら 娘の顔を 見つめました。娘に 再び霊力が 及び「人の好意を 理由なしに、無視しては いけない」と 教育されており、かつ 突然に 求婚された気恥ずかしさも 手伝って 思わず下を 向いたのです。岩目翁は 頷いてunaduite 承諾したと 勘違いし、感謝の眼差しを 向けました。またもや 霊力が働き、娘は 岩目翁を 好きになってしまったのです。二人は 岩目の吹き出し口を 新居に改造し、幸せな生活を 始めました。そしてお岩ちゃんは 身籠りMimogoriました。生み月が近づくと「里帰りして、両親に報告したい」と 言うので、岩目翁は 承諾しました。里に お岩ちゃんが帰ると、神隠しにあったと 信じていた娘が 身籠って 元気に帰って来たので 大喜びでした。岩目翁は これを見張り岩の上から見ていて「妖怪との結婚を 認めてくれた」と 思い、千里眼から 途方もない量の嬉涙Uresi-namidaが 流れ出て来ました。それを感じた 他の全ての目も もらい泣きし 涙で 目が 曇ったのです。しかし 身籠った子が妖怪の子だと知った父親は「妖怪の子供は 産まさん 産婆Sanbaぁ呼べ」と 言うのです。「岩目翁はとても優しく 良い事をする妖怪です」と 言いましたが、聞き入れられませんでした。娘は嫌がり 岩目に走り帰ろうとし 誤って石に 蹴躓keppandukiき 頭を強く打って 死んでしまいました。岩目翁が 涙を 拭い(nugui 再び見ると、そこにはお岩ちゃんの悲しい姿が あったのです。嬉涙で 眼が曇り 父親の行為を 見逃してしまった事を 後悔しました。今度は 悲しくて 涙が全ての眼から 溢れ出しましたが、目を擦り擦りkoxurikosutriして 成り行きを 見ていました。見詰められた父親は 岩目翁の霊力を 感じ取り、強く反省し「娘を大切に扱ってくれた 岩目翁に 娘を返さなければいけない」と 考えました。お岩ちゃんが 岩目で 生活していたので 岩目に 丁重に 葬りました。 岩目翁は 2人が 幸せに暮らした地に、お岩ちゃんが 葬られた事に 感謝しました。それでも、愛する妻を亡く し悲しくて 何時まで経っても涙が止まらなくかったのです。これでは 目が霞んで 世の中を 見張れません。岩目翁は あの世へ帰る事にしました。あの世の吹き出し口の岩目岩を 全 ての霊力を 集め引き抜くと、その勢いは 凄まじく 岩目翁は 大岩と お岩ちゃんと共に 天に舞い上がり 太陽に向かい飛んで行ってしまいました。そして 太陽の中に入り お陽様の眼に成ったのです。岩目岩が 引き抜かれた跡は 地中から清水が 噴き出し、とても澄んだ 冷たい水の泉になり、湧き出す清水で 雲母unmoの様な砂を 噴き上げていました。この泉は 亜世田ノ池と 呼ばれました。
この泉の水で育った稲は 美味しかったので、急峻な山肌に 村人は 畦だか 田だか 解らないような 小さい田圃Tanboを 沢山作りました。太陽へ行った 岩目翁と お岩ちゃんは 太陽の目(黒点) となって 地球を 毎日見詰め悪さをする人に 霊力を 働かせ続けています。だから 太陽に照らされる多くの人に 霊力は注がれますが、遥かHaruka遠くになったため 霊力は殆ど 地球に 届きません。それでも それなりの霊力が 注がれるので 地上に住む人々は 太陽の出ている時は 悪さをし難くいのです。人々は 悪さをしようとする者に「お陽様(お天道様)に 恥ずかしいと思わないか」と 言って悪さを 止めさせるようとするのは このためです。「三谷陰地 杭坂の村人より口伝」
亜世田の池跡:亜世田の池は 円城から 下土井 に向かう広域農道の左手で、三谷に 降りる道の手前 北緯34度54分6秒・東経133度47分32秒の近く にあります。岩目は 広域農道の亜世の池の反対側の下の地です。広域農道を造るために、両方の地が 半分ずつ 掘削されました。亜世田の池は 埋められ 笹薮になり 輪郭を 残すだけです。亜世の田は池の山手で 畔だか 田だか 解らない 三日月型のそれは小さい田の 棚田で、まるで 笑う時の目の形の田が 積み重なったような地形です。岩目の田は 休耕しています。岩目も 亞世田も 崩れやすい地で 蝮Mamusiが 沢山 石垣に棲息していたので、子供達が 近寄らないようにするため 妖怪伝説が 生まれたのでしょう。亜世田asedaは 正確には阿津井田ajiedaと 言います。あずるとは崩れるという意味です。砂鉄を採取するため土砂が 掘削された場所と思われる急峻地です。 文化財指定 の塚ヶ搭の古墳・見張り台:北緯34度54分23秒・東経133度47分9秒 岩目:細田1725・1951番地等 畦高:細田1733・1930番地等 畦高・あせたか:細田1733・1930番地等 阿津井田・亜世田:三谷570-575番地 岩目:三谷686-689・691・695・696・703-736番地 北緯34度54分5秒・東経133度47分29秒 墓場鬼太郎の著者 水木しげるさんが 目の付く地を 訪ねて来て、妖怪の寝床 妖怪の見張り台 岩目(三谷 細田 広面) 亜世田 鐘の穴 こそこそ岩を 視察したそうです。「三谷野呂の百怪談の参加者」「この物語の口伝者」等が案内したと聞いています。 桃太郎と温羅 Momotarou annd Onra この時の別の案内人は「鬼太郎は 桃太郎と 鬼の温羅の名の合成名で 桃は鬼が食べた。鬼太郎の3大武器である赤毛 下駄 上着Uwageが ゲゲゲの由来だ 鬼太郎は 桃太郎から 温羅の鬼のパンツを もらって チャンチャンコを 作った 温羅(矢でいられた)も 鬼太郎 も 左目(たまに右目)が 悪く、温羅は 岩屋に 住み 鬼太郎の母の名は お岩(岩子 鬼太郎を妊娠したまま亡くなる)で、艮御崎(温羅)も 鬼太郎も 墓場から 生まれ、嫁さんは 温羅(阿曽媛)も 鬼太郎(メリー) も異邦人だ」と 冗談を語られました。「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画では チャンチャンコは 幽霊族の死者の霊毛(一人につき1ッ本〉で編まれており、閻魔大王から プレゼントされた事になっています。
昔 昔 ある雨の晩 山で 木を切っていた岨谷大古屋の樵Kikori達が 森深い山小屋で 囲炉裏を囲んで 雨を凌ぎながら 世間話をしていました。その山に住 む鬼は その明かりを見つけ「何か食べとる 脅し盗ってやろう」と 思って 戸口の隙間から 中の様子を伺うと「わしが きょうてぇもんは 猪Sisiじゃ あの牙を見ねぇ」「わしは 狼Yamainuが きょうてぇ 群れで 襲ってくるんじゃもの」「わしは 熊じゃ 一撃で殺される」等 と話し合っています。一番年寄りの者が「何うぇ言う 鬼に 決まっとろう」と 言いました。鬼は ここが 出番と戸を開けようとすると 一番がっしりした男が 急に震えだし「わしは漏りが きょうてぇ こんな寒い日じゃぁ 剣に刺される程に 痛ぇ 鬼は 鉄砲で 撃ちゃぁ 何とかなるが、漏りにゃぁ 鉄砲も 屁の突っ張りにもならん ほれ漏りじゃ」と 言うと 皆も震え上がり 天井を見上げて 隅に隠れたのです。
鬼が「あの怖がり方は なんじゃ モリとは わしよりきょうてぇもんらしい」と 恐ろしさで 手が震えたので、思いがけずも 古屋の壁に当たり その弾みで 軒が壊れ上から何かが 落ちてきました。落ちてきた者は「キャキャ」と 騒ぎ 鬼の背を搔きむしりながら 駆け巡ったのです。鬼は モリに 襲われたと思い 何者かを 背に乗せたたまま 慌てふためいて 逃げ去りました。古小屋の中では「この小屋も ぼっこう古ぃ 雨漏りが 始まったと思うたら 軒が壊れて 猿の鳴き声が聞こえた 猿の奴 わし等の食べ物を 狙とったんかのう」「じゃぁじゃ まずは漏りを 何とかせにゃぁ 夜もこせん」と 話していました。「岨谷槇谷ダムでの作業員より口伝」 平成28年(2016年)10月10日
あるボロボロの農家に 爺 婆 幼子と 馬が 一頭 住んでいました。この馬を 盗もうと 泥棒が 忍び込み 梁の上に 隠れていました。その時 狼も馬を盗んで 食ってやろうと 家に入り込みました。婆が 幼子を 寝かしつけようと 昔話をしていると、幼子が「泥棒や 狼より怖いものは いるん」と 尋ねました。すると 婆さんは「ふるやのもりじゃ 泥坊や 狼なんぞ 論外の恐ろしさじゃ」と 答えました。狼も 泥棒は 自分達よりもはるかに恐ろしい「ふるやのもり」と 言う 妖怪がいるのだと 思い込み 震え上りました。やがて 雨が降ってきて 天井から 雨漏りが 始まりました。婆が「ふるやのもりが来た 何とかしてぇなぁ 爺様」と 言うと 爺は「どぎゃんしょうもあるもんか 襲ってくるぅ ワッ 冷てぇゾクゾク…すらぁ」と 大慌てして 家中を走り回りました。泥棒は「賊ぅ食うすらぁ」と 聞き間違え 驚いて足を 踏み外して 梁から狼の上に 落ちました。狼は「ふるやのもり」が 自分の上から襲って来たと 勘違いし、泥棒は 泥坊(泥んこになって)で「ふるやのもり」が 落ちるのを 待ち構えていたと 勘違いしました。狼は 山に逃げ帰り 隠れ場所を探して 走り回り、泥棒は 高い処なら安全と 思い木の枝に 飛び移にりました。ちょうど その木に 穴が開いていたので そこに 隠れようと 震える足を 穴に掛けると 足を滑らせ 泥棒は 深い穴の底に落ちてしまいました。一方狼は 仲間の動物達に「何ぃしょうるんなら はぁ落ち着かれぇ」と なだめられて 正気に戻ると「どぎゃあもこぎゃあもあるもんか もんげぇバケモンに合うた」と 話すと、「そぎゃぁなきょうてぇやつが この辺を チョロチョロされちゃぁかなえわん 追い払おうじゃぁなかろか 化け物の住むとかぁ あの木の洞しかなかろう」と 泥棒が 飛び移った木を確かめにやって来ました。洞は 深く 中は暗くて 何も見えなかったので、怪しい洞には 何も居ないと思い込んだ 猿が長いしっぽを垂らし 探索すると、底にへたり込んでいた泥棒は 木の蔓と 間違えて さばり付いてよじ登ろり 抜け出そうとしました。驚いた猿は 捕まったら「ふるやのもりに 食われてしまう」と 思い、必死に踏ん張ると その瞬間にプッとしっぽが 尻の毛ごと 切れて 前のめりに 倒れ、顔をすりむいてしまいました。れ以来 猿のしっぽは 短く、顔も 尻も 赤いというのです.
「nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=45」 「hukumusume.com/douwa/pc/jap/10/15.htm」 を基にした物語 平成28年(2016年)10月10日
猫を 殺せば 7代祟られ、猫を 苛めると 3代祟られると されます。猫は10歳を 超えると 尻が2つに分かれ 猫又になり、人の持つ能力を 獲得して その中でも 特に能力のある猫又は 神通力を得ると 言われます。ある雌の黒猫が 猫又になり、台所の戸棚を開け食べ物を 盗んだり、家の玄関の出入り口を 開けっぱなしにしたりする 等の悪さをするので 山に追い出されました。猫は 山に登って来る者に 噛みつくと、食いつかれた者は、涎Yodareを垂らし 痙攣Keirenして死んだと 言われます。村人は 山狩りし 猫を掃討しました。「吉川東苅尾の村人より口伝」
著者が 飼っていた猫はS字状フックを 取り付けた 落とし鍵付きケージの重い扉を 開け、その部屋のフック式鍵付きの観音開き式の扉を 開け、隣室のフック式鍵付き引き戸を 開け、次の部屋の換気扇の内蓋と 外蓋を開けて 散歩に出かけた事がありました。閉じ込めて 置くのがかわいそうになり 室内で 飼う事を諦めると 何者かに 殺されました。きっと どこかで とんでもない悪さをして 誰かの逆鱗に 触れたのでしょう。近所に 鶏を飼う人や 伝書鳩を飼う人がおり 隣接の公園には 20人程のホームレスの人達が 暮らしていました。犬の散歩に 付き合う可愛い猫でした。
妖怪猫又 monster cat with a tail split into two
安時代 初期に 分限者の福衛門と言う男が いて 雄猫を飼っていました。その福衛門の隣の貧しい窮衛門の家に 雌の黒猫が 迷い込んで来ると 母親が「猫を殺せば7代祟られる 猫を苛めれば 3代祟られる」と 言うので それまで 猫嫌いでしたが 飼い始めました。3日も飼うと 子猫の餌を ねだる仕草が気に入り 可愛がるようになりました。所が 猫は 気ままなもので 隣の家の庭や 畑にババ(ウンコ)をし、隣の雄猫が来ると 喧嘩し 大怪我を させました。福衛門は 雌猫を見つけると 鎌で切り掛かかり 殺そうとしましたが、猫は素早く 身をかわすばかりです。それでも ある時、鎌が尻尾に 当たり、真っ二つに 切れ 尻尾が2本にしました。すると 雌猫は 人間のする事を覚え 人間のしようとする事を 察知し 嫌がる事をするようになりました。腹が立って 福衛門は「こぎゃぁな 阿婆擦れAbazure猫は 追い出せ さもないとお前等を 村に住めん様にしてやる」と 窮衛門を責め 何かに付け 激しく 執拗に 難癖を付けました。窮衛門困り果てるのを見て 雌猫が 急に 姿を消してしまいました。福衛門は「やれやれ これで気が晴れた 家の猫も 寛げらぁ」と 喜びました。窮衛門が ある春の日 山菜取りに行きました。夢中になり 時を忘れ 夜になり 道を失いました。運の良い事に 家が有って 灯りが付いていました。泊めてもらおうとして訪ねると 美しく しなやかな体付きの娘さんが「おえぇ(部屋に)上がりんせぇ」と 招きました。娘さんは 美味しい山の幸と 山葡萄のお酒を 用意してくれ、そして素敵な夜を 若い二人は過ごしました。翌朝 二人は 名残を惜しんで 別れました。窮衛門は 又 娘さんに会いたいと思い、帰り道の木の枝を結んで 道筋が解るようにしておきました。村に帰ると 皆が心配していてくれていました。娘に合いたくて思い悩んでいる窮衛門の様子を見て、何も知らない親戚連中は「早う身を固んとおえん」と 言って福衛門の妹を 世話しました。窮衛門は 美男子だったので、福衛門の妹は すっかりその気になりましたが「好きな女子onagoがいるけぇ 堪ぇてつかぁさい」と丁寧に 断り、あの日の事を 詳細に伝えました。失恋した隣の娘は 兄に この話をし、山の娘を「おえんようにしてちょうでぇ」と 頼みました。福衛門の妹が 見張っているので 窮衛門は 山に行くことができませんでした。福衛門は「窮衛門は そぎゃぁな良ぇ思いをしたんか わしも あやかろう」と 言って、松茸狩りに 山に入りました。
枝の結びを 訪ねて行くと 確かに 家が有り 若い娘が現れたので「泊めてくれぇ」と 言って家に上がり込み、食事とお酒を強請りNedariました。すると 娘は 突然に毛むくじゃらの山婆Yamanbaに変わって 宙を駈け、福衛門の手に 咬み付いたのです。恐れをなして 逃げ出し 村に帰ると 福衛門は 気が触れたように「化け物じゃ 猿みたいな婆じゃ 食い殺される 空を飛ぶ」と 訳の解らない事を言って 家に閉じ篭もりました。大した傷でもないのに 傷は膿んで 大きく腫れあがり 涎をたらし痙攣し ついに死にました。村の者達は「山姥は 窮衛門の猫爰Nekomataに 違いねぇ じゃが 福衛門の敵じゃ」と 言って 山狩りしました。木々を 飛び渡る 尻尾2本の大猫を 大勢の人と 犬で 追い詰め 仕留めました。窮衛門と母は 涙して大猫を葬り 墓を立てました。その年は 大旱魃となり、窮衛門の家以外は 酷い不作でした。村人は この山を 猫山と言っていましたが、何時の頃からか 猫山が どこにあったか知る人はいなくなりました。「東苅尾の村人との冗談話」
猫:芸者を猫と言うのは、愛用の楽器に 猫の皮が張ってあるからです 猫山:猫又山 大猫山と言う山が富山に、猫魔ヶ岳と言う山が福島に あります 不忍通りには 猫又坂と言う坂が あります 猫又の物語には「鍋島の猫」 「岡崎の猫」「有馬の猫」等が あります「www.ne.jp/asahi/yama/neko/nekoyama/nekoma.html」 猫橋:湯山1157・1160-1165番地 猫の豆知識:猫の記憶力は 犬に比べはるかに高く、何処に 高い木があり、何処に 抜け穴があるかを 直ぐに記憶します それらに変化がないか 毎日点検する程の用心深さです 猫は人間と生活している内に 人間の行動を観察し 真似をします 大方の猫は10年もすると 木戸を開けたり、冷蔵庫の扉を開けたりするようになります 猫の瞳は 縦長で 眼光に凄味がありますし、毎日徘徊し、身勝手で 孤独を好み、死者の腐臭を好み、年を取るに従い 人の行動に似た行動を 次第に身に着けて行く様は 人にとって 奇妙な動物に見えます それで 猫又伝説 死者の蘇り伝説 三毛猫伝説 油舐め伝説 等が生まれたのでしょう 猫の繁殖期は冬至から夏至です そのため春先の猫は 体を押し付け触られる事を好みます 雄猫を交尾に誘う行動の代償行動です 夏至から冬至の間は繁殖をせず、野性的な性格の猫はそっけない態度をとり、単独でいたがり触れられたがりません「https://nekochan.jp/cat/article/2932」 山菜取りは 春で、松茸狩りは 秋に行いますので、この物語で 春(人工照明が無ければ 猫は 日が長くなる時期 即ち 冬至から夏至に発情します)に山に入った男 が 歓迎され、秋に入った男が 犠牲になった事は 猫の繁殖生理上 理に叶った筋書きです 猫や兎の排卵は 人や犬と違い 交尾刺激で 起こります 猫又・猫股: 中国で仙狸Senriという山猫の妖怪が伝わっており、歳を重ねた山猫 が 神通力を身に付け 美男美女に化けて 人間の精気を抜き取るとされます 日本の猫又伝承は 仙狸を起源とすると 考えられています「https://ja.wikipedia.org/wiki/猫又」 猫跨病:山猫から移される病気に 涎をたらし痙攣して死ぬ病気には 狂犬病が あります 狂犬病に 感染すると人が感染するとほぼ100%死亡します 猫の咬傷:猫に引っ掻荒れると 猫引っ掻き病に 掛かる事があります 犬猫の口の中には パスツレラ菌が 生息しています 猫に咬まれると 傷口が 小さな刺し傷程であっても 高い確率で 咬み傷は 激しい化膿を起こします 人が咬まれる確率は 犬の方が遥かに多いのですが、パスツレラ菌感染症は 猫に咬まれた時の方がはるかに高いので、小さい傷であっても 猫に咬まれたら直ぐに 病院を訪ねましょう。「https://ja.wikipedia.org/wiki/パスツレラ症」 平成24年(2012年)3月14日