小豆洗い ヌーリヒョン 大師の脛曳 見越入道 妖怪絡新婦

尾原 小豆洗い Sound of washing azuki beans

尾原に 小豆洗の名の付く 豊岡川の流れが有り、小豆洗いと言う乙女の様な妖怪が 住んでいると 言い伝えられています。夜中 その近くを通ると、ザクザクと 小豆を洗うような音が 聞こえるそうです。音を 訪ねて近づくと、小豆洗いの音は 消え、快い せせらぎの音になり、聞き惚れていると 流れに嵌り 溺死するとされます。「三谷陰地の村人のより口伝」 遠い昔の事です。尾原の大酒飲みだか 行倒れだか解りませんが  酔っぱらって 川に嵌り、溺れ死にました。川は浅く 水嵩は膝より下でしたので 小豆洗いに 引かれたと 噂されました。「尾原苅山の村人のより口伝」 

小豆洗いは 豊岡川に 備えられた飛びで 時々 ザクザクと 小豆を洗うような音が聞こえたので、村人は その瀬を 小豆洗いと 呼ぶようになりました。不思議な音がするだけで 之と言った不都合は 何も起こりませんでしたが、その噂は、尾原中に広がり 酒の席では 尾鰭が付き、見目麗しい娘が 恋を語る声だとか、正体を見抜くと 観音様の様な 嫁が 貰えるとか、見目麗しい娘の色香に 引かれ 川に嵌り 溺死させられるとか 色々のデマが  話題となりました。有る浮気者の評判の悪い男が「小豆洗いの正体を 暴いて見せる」と 酒の席の雰囲気に任せ 宣言しました。皆が 評判の悪い男の不幸を願い 囃し立て 扇動するので、後に引けなくなりました。宴が 終わると その男は 皆に小豆洗の近くまで 送られました。もう逃げ出す事は 出来ず 恐ろしさを堪え 小豆洗いの瀬に行くと、運が良いのか悪いのか、この夜は ザクザクと音が していたのです。男は 音を訪ねて 瀬に向かうと、ザクザクと言う音は 次第に 軽やかに抵抗の無い羽車の回るような音に 変わりました。コーロコーロ コロコロ コーロコーロ コロコロと 蒸し暑い寝苦しい夜の不快さを 想像させる低い音でもあり 妖怪の蠢くugomeku音のようにも 聞こえました。しかし 深酔いしている男にとって とても快い響きの音だったので、その音に吸い寄せられるように 川に入りました。音を訪ねても 音の発生する所に 辿り着かず、かといって 向う岸にも辿り付かないのです。男にとっ て 川の浅瀬を 徘徊する事は 酔いを更に深くし 過度の運動であったので ついにへたり込みました。疲れ切った体を 生温かい水に任すと、乙女に抱かれた様な錯覚となり 乙女の胸に顔を埋めるように 顔を水に埋め 密かに息を引き取りました。とても 幸せそうな表情だったそうです。 小豆洗いの飛び:尾原道下12-1番地付近 北緯34度54分25秒東経133度45分23秒の豊岡川に 架かります 上の左の写真現在の姿で、右の写真は3年前の物です  大水が来る度に、刻々と小豆洗の飛びは姿を変えています。   平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が 発行されました。p56~P57に「下土井行者堂小豆すり」「宮地小豆すり」「下尾原小豆とぎ 小豆洗い」と言う話が載っています。 平成24年(2012年)8月14日

 

神瀬 ヌーリヒョン Nuurihiyon

い遠い昔の事 神瀬に「ヌウリヒョン」と言う妖怪が いたと言います。神瀬のヌウリヒョンは 海坊主のように 頭は禿で、眼鼻のないお爺さんです。袈裟Kesaを 着ていますが、僧侶ではありません。年が暮れる 多忙な時を 狙って  勝手に とある案田の与左衛門の家に 上がり込み、かってに 茶を沸かし 飲んだそうです。それは 年末で 正月飾りや 餅搗きMotitukiや 大掃除等 忙しい時だったので、家の居間には 他に誰もいず、禿げ頭で 目鼻が有るのかないのか解ら ない  薄い着物を 羽織った老人だけが  一人 ポツンと座り お茶を飲んでいました。家族の者は  誰か親戚の者でも来て  忙しさに遠慮して 挨拶も省き、かってに お茶を入れて 飲んでいる位にしか 思いませんでした。近所の人が 通りかかっても、家族の誰かが 疲れて 休んでいる位にしか 思わなかったのです。与左衛門が 仕事を終え「誰じゃ お前ぁ」と 声を掛けても、振り向きもしません。前に廻り 顔をよく見ると 頭は 艶々と光り、鯰の様な平べったい頭で 目はあるかないか解らない程小さく、鼻は 穴が空いているだけだったのです。吃驚Bikkuriし、恐怖を感じましたが、襲ってくる風情もありません。妖怪だと 気付きました。悪行をなす妖怪か 福を齎す妖怪か 解りませんが、兎も角Tomokaku気持ち悪いのと 貧乏神を思わせる風体Huuteiなので 追い払う事にしました。竹箒Take-Boukiを 持ち出し 掃き出そうとしても、体は クニョリとしていて 手応えTe-gotaeが 有りません。ならばと 鍬Kuwaで 打ち掛かかると、体は クニュと凹み 怪我Kegaもしません。獣なら 火を近付ければ 逃げるので、火を押し付けようとしました。体に火が 近づくと、ジュウと音がして 火が消えてしまいます。何をしても お構いなく、悠然としていて からかうように お茶を楽しんでいるのです。

攻撃しても 反撃して 反撃しないと解ったので、追い払うのを 諦め「お前は 何者じゃ  どこから来た」と 妖怪の身分を尋ねました。妖怪は 嬉しそうな顔になり「よう聞いておくれじゃ  わしはヌウリヒョンと言う水母(Kurageじゃ  海神社が 勧請Kanjyouされた折り 春日大明神の荷物の神水Sinsuiの中で 昼寝していたら 牛窓から本宮山に 知らない内に連れて来られたんじゃ   蓮池でひっそり暮らしていたのじゃが、寂しゅうて叶わんけぇ 化気神社が本宮山から下りる時、神輿Mikosiに隠れ神瀬の山の麓に降りて 移り住んだんじゃ  神瀬は 滅多に人に合えん  1人で暮らしているけぇ 暇を持て余しておる  わしの茶の相手を してくれりゃぁ 豊作ぅ保証しよう  逆らうんなら 容赦をせん  悪事の限りを 尽くすぞ」と 脅すのです。与左衛門は 退治しようにも 打つ手がないので 仕方なく、お茶の相手をしました。妖怪は「又 来らぁ」と 言って神瀬に 帰って行ったのです。その年から 与左衛門の家は 旱魃(Knbtuの時も 冷害の時も 不作になる事はなくなり、年末や  農繁期の時には 不思議な老人が 居間で お茶を嗜むtasinamuようになったのです。与左衛門は 化 気神社の伊奢沙別命Isasawake-no-mikotoのご利益なのか ヌーリヒョンの妖術のせいか解りませんでしたが 豊作に感謝し、忙しい時間を 差送りSasi-okuri ヌーリヒョンの相手を したそうです。「三谷野呂の百怪談」    本宮山の海神社:北緯34度54分13秒東経133度50分44秒    化気神社:北緯34度45分19秒東経133度49分22秒    蓮池:現在は、涸れて浅い窪みになっているそうです    春日大社:北緯34度40分52秒東経135度50分53秒   

ヌウリヒョン:全国的には「ぬらりひょん」と 言う妖怪ですが、妖怪の大将とする説は むしろ過ちで、たいした悪さをしません。ぬらりとは 滑々するの意で、ひょんは 変なの意味です。ぬらりくらりとしたひょんな 掴み所のない妖怪と 言う意味で 名付けられました。岡山では ぬらりひょんは 海坊主で、瀬戸内海に住む人頭大の球状妖怪です。捕まえようとすると、浮いたり沈んだりして 人をからかうそうです。カツオノエボシや タコクラゲのような大型クラゲの化身と されます。水木しげるさんの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」では 妖怪の大将で、鬼太郎の敵役Kataki-yakuの悪者ですが、吉備中央町のぬうりひょんは、寂しがり屋の 恍けた妖怪です。https://ja.wikipedia.org/wiki/ぬらりひょん」「三谷野呂の村人より口伝」 平成23年(2011年)11月17日

 

小森 大師の脛曳 Leg  disturbing

大師村には 脛曳Sunehikiと言う妖怪が いて、雨の日の夜、山道を歩いている時に現れ、脛を引っ張り、歩くのを邪魔し脛に傷持つ者で それを隠している者は 噛みつかれ 悪人の印を 付け、行いの良い者には 福をもたらすと 言われます。雨の降る夜に 大師の山道を 走るようにして 急いでいた 正直者の男がいました。急坂に掛かると 突然脛に 異様な犬のような動物が纏わり付いて来て 着物や 股引を引っ張りました。余程 人恋しいのか 追い祓っても 追い払っても 懐いて来ます。その 鬱陶しい事  鬱陶しい事。先に進もうが  立ち止まろうが  退こうが お構いなしで、離れようとしないのです。歩き難い事  歩き難い事。攻撃的でなく、丸っこくて可愛らしく フワフワした毛のクリクリ目玉の仔猫と 見間違える子犬のような妖怪でした。性悪\な 脛に傷持つ人間だと 脛に齧り付き 言葉通り、脛に傷を 付けられるそうです。

大師の脛曳に 出会ってしまうと、もう逃れられません。無理に 逃げようとしても、立ち去る事は 出来ません。子犬や 仔猫が 捨てられていると、そのまま 見ないふりをして 通り過ぎようとすると 本能的に不道徳感を 感じるもので、それと同じ感情になるからです。人間を含め 多くの獣は 見た目が 可愛らしく 弱い者を助けたいと言う 第六感が あるからです。その第六感を 強める妖力を 持っているのです。ひたすら じゃれて 遊び飽きるのを待つか、雨が上がるのを 待つしかないのですが、大抵は1時間程で 遊び飽きてしまいます。正直者はそれを聞き知っていたので、諦め(て抱いたり、「高い高い」を したり、睨めっこを したりしてやりました。妖怪は 嬉しくて 体を擦り付け 顔と言わず 足裏まで舐めました。とても 心地良いのです。そして 腕白坊主が 遊びに飽きて 突然に走り出すように、小1時間して 突然山の中に 消えて行き 解放されました。それからは 脛曳が田畑の番をしてくれるので、正直者の田畑には、雀 鼠 猪 猿 や狸等の害獣が 近寄らなくなったそうです。「三谷野呂の百怪談」    妖怪脛擦:岡山県のあちこちに 脛擦Sune-kosuri言う妖怪伝説があります。岡山小田の脛擦は、雨の降る夜に現れる犬のような妖怪で、この犬怪Inu-kaiは 股間Kokanを擦り擦りして 歩く人の邪魔をするそうです。また井原の七日市の脛擦は 辻堂に現れる犬怪で 通行人の脛の間を潜ると言います。井原の芳井に脛転Sune-kkorogasiと言う妖怪がいます。真っ暗の夜に 足を引張って 転ばせます。他にも 悪事を働いた者は 脛を齧り 脛に傷を付ける 犬怪もいて、脛齧Sune-kajiriとか脛齧Sune-kaburiと 言います。泥を 着物に擦り付け 悪者の証として印を付ける 泥跳Doro-haneと言いと言う妖怪も います。水木しげるさんの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の中に登場する脛擦は丸っこい黄色と白の猫の姿をしています。https://ja.wikipedia.org/wiki/すねこすり」 脛曳の正体:雨に濡れた股引等は 足に貼り付き 歩く等の動きを制限します\ 大師村:北緯34度55分54秒東経133度47分60秒付近 現在人は住んでいません 岡山小田 矢掛町文化センター:岡山県小田郡矢掛町矢掛2677-1番地 北緯34度37分40秒東経133度35分14秒    井原師七日市木野山神社:井原市美星町星田3209番地 北緯34度35分24秒東経133度28分44秒    井原市芳井町吉井峠村:北緯34度38分32秒東経133度26分54秒   脛齧り: 他人 主に両親に 生活費や 学費を 提供してもらう事や そうゆう人     平成23年(2011年)11月20日

 

小森 池の原 見越入道 Mikosi-nyuudou "gradually heightening monster"

小森の山奥 池之原に 見越入道と言う 狐Kituneか 鼬Itatiが 化けたとか 自分の影が 化けたとされる妖怪が いました。夜に 一人で 山道を行くと、岩の上に  弘法大師の立ち姿をして 突然現れます。弘法大師は 偉大な人なので 岩の上に現れると 誰でもびっくりし 思わず見上げます。見上げると みるみる大きくなり、大師山の半分程の高さになる迄 ドンドンと 背が高くなります。高い所から見下ろすと、だんだん背が 低くなって 見続けると消えていなくなると 言われます。又 悪戯好きで 大師山に入り 道に迷うと現れ「道案内してやる」と 言って深い山の頂上に誘い 込み 道を迷わせ 喰い殺すぞと 脅し 人が恐怖するのを 楽しみます。楽しみが 終わると 山を下り 見下ろされて 小さくなります。この見越入道は 女性ののオシッコや ウンコをする所を 見るのが 好きな困った性格の妖怪で、主に 大晦日(Oomisokaに「見越し入道 ほととぎす」と 呪文を唱えると 現われ 福を齎しMotarasiます。大晦日でなくても  時に寒い夜に現れ、女性が ポットン便所を 使っていると そっと忍び込み、「尻拭かせろ」とか「尻拭こうか」と言い、冷たい手で お尻を触ります。ただ 欠点が 有って 一人でいる時だけに  現れます。それを聞いた、腕白坊主の二人が 大晦日に 呪文を唱え 見越入道を目の前に 呼び出し 懲らしめようと 相談しました。良く 見越入道 が現れるとされる所で 1人が 高い崖Gakeの上に隠れて 待ち伏せし、1人は 少女に 化け 俄かNiwaka造りの野壺Notuboを 大岩の横に 造り入って「見越し入道 杜鵑」と 何度も 唱え 待ち受けました。見越入道は 案の定 大岩の上に現れ「尻を 拭こうか」と 話しかけて来ました。コケシ程の大きさで 袈裟kesaを着、笠を被り、杖を持った 旅の修行僧の姿でした。岩の横のトイレにいた腕白坊主が、後ろに回られ尻を触られないよう 真正面に向かい合い  しゃがんだままで 見上げて大きくしました。大分大きくなり 大人の2倍位の姿になった所で 岩の下にいた 腕白坊主は 見るのを止め、今度は  崖の上の腕白坊主が 岩陰から 姿を見せ 見下ろして 小さくしました。「面白い 面白い」と 何回も 高笑いしながら 見越し入道を 大きくしたり 小さくしたりを 繰り返しました。見越入道は「しもうた 不覚じゃ  二人 居ったのか  わしは 一人しか相手にできん  崖の上にもいるとは 思わなかった」と 悔しがりました。もう 邪魔臭い女装をする必要の無くなった 腕白坊主は 身軽な姿に 戻りました。次第高が 逃げ出そうとすると、素早くその進路を塞ました。小さくされていた見越入道 は逃げるのを諦め(、腕白坊主共の好奇心が 治まるのを待つ事にしました。

今度は 上と下から 同時に見ました。見越入道の下から見られた脚は ドンドンと長く細くなり、上からみられた頭や 手は  短くズングリとした姿になりました。色々の見方をし  色々の姿に変えて  弄びMoteasobi  散散にからかいました。腕白達は「許すのも許さないのも、お前の心得次第じゃ」と 言って、見越し入道を 焦らせて喜びました。見越し入道は「まいった まいっ た  降参じゃ  もう悪さはせんけぇ こらえてつかぁせ ぇ 見下ろし続けるか、見越入道見越したと言ってちょうでぇ  そうすりゃぁいぬるけぇ」と 懇願しました。あまりに 苦しがるので  可愛そうになり 2人は上から 見続けて 消してやりました。それからは 大師に 見越入道は 現れなくなったので 女の人も安心して、おトイレが 使えるようになったのだそうです。しかし 今は大師に人が 住まなくなったので「見越入道が戻って来た」と 言う人がいます。女の人は 大師の山で ウンコやオシッコをする時は 気を付けよう。「三谷野呂の百怪談」  大師山頂上:小森と江与味の村境   大師山トンネルの江与味側口から南西 小森天津神社の北西 遥か遠く 北緯34度56分21秒東経133度47分56秒    元大師集落:森天津神社から 西の遥か遠く 大師山トンネルか ら南南西の遥か遠く 北緯34度55分48秒・東経133度47分48秒    小森の池の原:小森トンネルの北北西の方向、遥か遠く 小森の天津神社の遥か西の山の中 北緯34度55分42秒東経133度48分2秒 池の原と呼ばれる理由は、昔 ここで死体を埋めた 共同墓地であったので、生け野原 あるいは 生贄の原と 呼ばれたのが 始まりだそです。豊野の池の原に似た伝説です  江戸時代中期までは 庶民の墓を立てる事が禁じられ、屍は 共同墓地に 葬られるか 風葬されました  埋める事や 水等に放つ事を生ける と 表現します 豊野の池の原:西波神社南側の田の原 北緯34度52分36秒東経133度44分5秒  平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。p273に「黒土の大入道」P274に2項目の「見越入道」の民話が載っています。平成23年(2011年)11月22日

 

下土井    妖怪絡新婦 Monster-Jyorou-gumo 

下土井の土井神社の軒下に 元々は 美作の高田にいた 孫六女郎と言う名前の 体を痺れさせる毒を持つ 絡新婦の妖怪が 住みついていました。高田で 婿取りを試みましたが  悉く 破談していました。高田の娘が  下土井の土井次郎左衛門に  嫁いで来た時の嫁入りの駕篭に 隠れて  母蜘蛛と一緒に 下土井に来て 土井神社の杜に 巣を張って 若い男が 通り係るのを待ち受けていたのです。母子は 綺麗な乙女に化けては 若い男を騙し 娘の婿に適さないと思うと 餌にしていたのです。ある時 下土井に 若い侍が  悪行を重ねる絡新婦を退治に やって来ました。女郎蜘蛛の娘は 乙女に化け「お嫁に してください」と 言って 色っぽい品を 作ました。侍は すっかり目的を忘れ 興奮し 身体を硬直させ、色白で瓜実顔Urizane-gaoの娘に すっかり惚れて 言われるままに 娘の館に行き、夫婦の契りの儀式をする事に なりました。娘は「刀を 仕舞ってください」と 言うと、侍は 刀を床の間の刀掛に 納めました。娘は「服を着替えて下さい」と 言ったので、裸に なりました。娘は「香水を塗って差し上げます」と 言って、裸の侍に 香しい香水を 塗ってくれました。

今度は、娘が「生塩Kisio/Usioで 体を浄めて下さい」と 言うので、侍は 神棚に向かい塩で 体を浄めました。娘は 嬉しそうに微笑み 新しい薄手の衣装を 肩に掛けてくれ 体を寄せて来ました。侍は 柔らかい娘の体を 抱きしめ うっとりとしました。すると 娘は 背中に 爪を立て 首元を咬んできました。「痛い」と思ったのですが「娘の好みの愛し方だろう」と 思い 我慢しました。すると 次第に 眠くなって来て 立っていられなくなったのです。その日から その侍を 見た人は  いなかったそうです。時が 過ぎ文亀2年(1502年)に  土井神社に 玉藻岩が 祀られました。旅の剣客 土井孫六左衛門が 土井神社に 参詣しようと 参道を登って行くと 蜘蛛の巣が 顔に貼り付きました。蜘蛛の巣と 蜘蛛を 手で打ち払って 土井神社に参詣すると 足の折れた四十路のの品の良い垢()抜けした色っぽい女が 丁寧に挨拶をし「あなた様は 働き者なので 娘の婿にふさわしいと  事代主命kotosiro-nusi-no-mikoto様が 神 託されました  娘は 以前から 孫六左衛門様を お見受けして お慕い申し上げております  ぜひ娘の婿になってください」と 言うのです。付き添う娘は 惚れ惚れする程の美しさで、恥ずかし気に 初々しく振る舞いました。しかし 孫六には  恐妻がいたので 丁重に お断わりしました。すると 娘は 恐ろしい顔に変わり「母は あなたに 叩き落され  足が折れ 危うく死ぬ所でした」と 怒った 2匹の絡新婦は 挟み撃ちに  喰い付かんばかりに 大口を開けて 追いかけてきました。孫左衛門は 人食い蜘蛛だと解りましたが  逃げ場がないので そばにあった玉藻岩に 縋り付き 助けを求めました。

すると 玉藻岩から 毒霧が 湧き出し 蜘蛛共を 取り囲みました。蜘蛛達は 苦しみながら 高田に逃げ帰って行きました。孫左衛門にとっては 玉藻岩の霧は 薫り高く快い暖かさでした。慈愛に溢れた良い香りに 目を覚ますと  優しい妻が 手を取り 額の汗を 拭きながら「怖い夢でも 見ていたのですね  うなされていましたよ」と 声を掛けました。絡新婦 - 絡新婦の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書」「土井神社玉藻石」「殺生石玉藻前」を 基にした物語     真庭氏勝山の美作国高田城勝山城:113号線 北緯35度5分23秒東経133度41分35秒 玉藻宮が 祀られています。    土井神社玉井神社:下土井1746番地 北緯34度52分41秒東経133度45分52秒    玉藻岩:九尾の狐の玉藻前が 退治され 殺生石になりますが、玄翁和尚により 破壊され、破壊された殺生石は 各地へと飛散しました  その一つが美作高田に 落ちました   虎倉城の伊賀久隆 伊賀河内守に 加勢するため、美作国の高田の笹山城から 三浦源左衛門貞兼(貞勝でしょうか)下土井に 駆け付けました   この時 三浦家の鎮守の玉藻神社の玉藻前霊神を 携帯して来て、文亀2年(1502年)2月に この地に 社を建て 祀りました吉備中央町の神社 土井神社」       平成23年(2011年)11月21日