天狗松 天狗の悪戯 犬猫の習性 コソコソ岩 コソコソ岩物語 妖怪カルタのコソコソ岩 鐘の穴 妖怪汚血 産怪 妖怪汚血の正体
豐岡下の正枝に 大きな松が ありました。
島根 隠岐島の大満寺山と 四国石鎚山の寺は、大変 仲がよかったのです。そこで 両寺は 神山霊である天狗を 使って 連絡を 取り合っていたので、その中間点である 正枝で 天狗は 休憩していました。羽を休めた大木は 正枝の松 白土Siratiの見ず柿 真地乢Madi-tawaの大杉等でした。天狗松は下から1.5m位の所で二股に分かれ まっすぐ伸びていました。昭和55年(1980年)頃 落雷を受け、松に赤猫が駆け上ったと言われます。昭和60年(1985年)頃 積雪で枝が折れました。付近のお婆さんが、折れた松を風呂焚きに使うと、お婆さんは病気になったと言われます。平成7年(1995年)頃 落雷が元で推定樹齢450年で枯れました。枯れる迄は 天狗がいる時は灯りが点り枝がゆさゆさ揺れたり、ゴウゴウと虎落笛Mogari-bueが鳴ったり、ドスンと大きな音がしたり、小石や雹Hyouが降ったり、ドドドドと地鳴りがしたりしたと言われます。「豊岡下政枝の村人より口伝」「岡山の巨樹」
昔 昔 隠岐島の大満寺と 四国石鎚山の石鎚寺は 山伏の修業場でした。大満寺の聖者と 石鎚山の聖者は 互いに交流し、世の中を良くしようと 相談しました。二つの聖地は 掛け離れていたので 石鎚山の天狗岳に住む天狗の法起坊に 使いを させる事に決めました。法起坊は 大天狗で 烏天狗や 木の葉天狗等の様な 小天狗より 遥かに強い 神通力を持っていました。石槌山からの眺望も素晴らしいのですが、瀬戸内海の島々 中国山脈の山々 日本海の海と 隠岐島諸島の四季折々の眺めは それはそれは 美しかったので 楽しい旅でした。しかし大天狗と言えども 二つの聖地は 余りに遠いので、行き来する途中で 休まなければ 体が持ちません。その中間点付近を 葉団扇Ha-Utiwaを羽 ばたかせ空を飛んでいて、正枝に 大きな松を見つけました。法起坊は 良い休み場所になると思い 灯を点し休みました。正枝の松の持ち主の男は 突然大風が吹いたので 驚いて庭に出てみると 天狗灯りが 点っていたので、この大風は天 狗揺すりTengu-yusuriだと 思い 急いで家に 逃げ帰りました。「悪い天狗か 良い天狗か 解りません いずれにしても 遠くから飛んで来たんじゃけぇ お腹を 空かせているじゃろう とりあえず挨拶代わりに 食ぃ物をやって 機嫌をとろう 良い天狗の好物は 餅Motiに トロロに 饂飩Udonに 豆腐 魚の目じゃと聞く 悪い天狗の好物は 鯖等の生臭物じゃそうじゃ 正月前じゃけぇ 餅は 有る」と 考えて、餅を焼いて 黄な粉を添えて 恐る恐る正枝の松の枝に 置きました。天狗は 隠れ蓑Kakure-Minoを 着ていたので 姿が見えないので 何をしているか判りません。長い長い 恐ろしい夜を 過ごしました。朝 再び大風が吹いたので 庭に出て松の枝を見ると、お餅は 無くなっていて 皿に宝貝が 残して有りました。宝貝は 安産のお守りです。良い天狗だったので 男は安心しました。
法起坊は 餅を食べ 元気が戻り 空高く飛び立つと、辺りは 深い霧の海に なっていました。深い霧の幕に 自分の大きな影が 虹色の光 囲まれ 写っていました。法起坊は 自分が 大仏になったような気がしたので、これからも 正枝で 休憩しようと心に 決めました。次の機会にも 正枝の松で 休みました。男は 天狗灯りと 天狗揺すりに気付き、トロロ飯を作って「悪天災が 起こりそうなら 教えて下さい」と 言って法起坊に 食事を振る舞いました。すると その夜 ゴウゴウと虎落笛Mogari-Bueが 吹きました。男は「天狗笑いだ 近い内に 悪いことが起こる 風台が来る 竜巻かも知れない」と 思い戸を 釘付けました。翌日 台風となり、竜巻も起きましたが 被害は 最小限でした。法起坊の去った方向から 旅の娘が 母に連れられやって来ました。母は「天狗様が 正枝の大松の男は 誠実な男なので 必ず幸せにしてくれると 夢でお告げになられました 娘を 娶っ(てください」と 頼みました。男は宝貝を天狗がくれた訳が解り、可愛らしい娘を一目で気に入り、交際を始め この年の終わり頃に 結婚し 宝貝をお守りにして 何時も腹に巻かせました。次の機会に うどんを 振る舞うと、法起坊は 水晶の礫Tubuteを バラバラ巻き去りました。男は「天狗礫じゃ 雹Hyou)が降る」と 察知し 野菜に雹除けを 備え、被害を 免れました。この時は 大雪も降り 積雪の重みで 天狗松の大枝が 折れました。近所のお婆さんが「風呂焚きの薪Takigiにするので 分けてくれ」と 言うので「神聖な松だから駄目Dameだ」と 断ったのですが、盗んで持ち帰り 薪にして燃やすと 思わぬ炎で 大火傷Oo-Yakedoしました。この年 男に玉のような子供が 生まれました。二人は 幸せの絶頂を 喜び合いました。次の機会には 豆料理をしようとすると 法起坊は 地鳴りを起こし去りました。男は「天狗太鼓Tengu-Daikoだ 近い内に 地震か山崩れが起こる」と して地震対策を施し、地震の被害を 免れたばかりでなく、山が 崩れ宝物が 掘り出され、男は 大金持ちになりました。次の機会には 法起坊は ドスンと大きな音をさせました。男は「天狗倒しだ 近い内に大木が倒れる 天狗松に 雷でも落ちるかも知れない 家族の者を近付けないようにしよう」と 用心すると、翌日 赤猫が 天狗松を 這いました。雷で真っ二つに裂け焼け落ちました。又 お婆さんが ヤケボックイを 盗みに来ると、再び 雷が落ち 感電して失神しました。男は 天狗松が枯れたので、もう天狗は来なくなるだろうと 思いました。しかし 男の振る舞い飯と ブロッケン現象の魅惑に 駆られて、天狗は 隣家の大柿の樹で 休むようになりました。法起坊は すっかり吉備のこの里が 好きになり、白土の見ず柿 真地乢の大杉等 あちこちの大木でも 休むようになりました。その後の法起坊は 大満寺でも 感謝され、屏風ケ岩の中腹の八天狗とも交流し、天下随一の天狗になり、天狗の感謝により男の家庭も栄えました。「豊岡下政枝の村人より口伝」「岡山の巨樹」「天狗の仕業:本分参照」を基にした物語 「天狗御食べ物」
隠岐島の大満寺:北緯36度15分24秒・東経133度19分50秒 四国石鎚山の石鎚寺:北緯33度46分3秒・東経133度6分54秒 正枝の松:豊岡下toyookasimo正枝masaeda1073番地 北緯34度55分14秒・東経133度46分52秒 写真の略中央の小枝が散らばる場所に 聳えていたそうです 現在は無く、寂しいのか天狗は 手前の柿の木 に時々来て、木を揺すったり 吠えたりすると言われます。 白土の見ず柿:現在は枯れて どこにあったか 解らなくなっています 真地乢の大杉:北緯34度55分30秒・東経133度47分19秒 現在は有りません 正枝:982・1210(北緯34度55分14秒・東経133度46分55秒)・1213(北緯34度55分5秒・東経133度47分1秒)1315番地等 白土:豊岡下995・1002-1004・1171・1172番地(現在住居はありません) 真地乢:豊岡下1495番地(北緯34度55分21秒・東経133度47分11秒 現在住居は ありません) 真地溺:豊岡下:1496番地(北緯34度54分51秒東経133度47分19秒) 真地:豊岡下1443・1814番地等 平成214年(2012年)12月5日
平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p58に「木を切る音」と言う天狗倒しに似た現象が紹介されています。
船津の裏山の中腹あたりの 大松Oo-Matuの近くに 小さい泉が ありました。この松は 天白tenpaku(天狗)が 住んいました。ある日 麓の村から 可愛らしい娘が、山菜取りに 急斜面の山に 登ってきました。急峻な 山肌なのでよく滑り 手足が汚れ 大汗を かいたのです。
船津の鳴滝の奥に 泉を見つけ、娘は 体を洗おうとして 衣服を脱ぎ、泉で 身を清めていました。この辺りの山は 水晶や銅が採れるとの噂が 流されていたので、山師が この山にも 入り込んで来ていました。娘は 人の話し声に 気付いたのですが、泉を出て 着物を着るのに 手間取って 山師達の目から 逃れるために 間に合わなくなりました。すると 周りの笹が サラサラと鳴り 泉に 笹の藪の垣が でき、娘は 恥ずかしい裸を見られずに済みました。また ある別の日 村の婆Babaが 登って来て、我慢に我慢しましたが 小用Koyo(小便)に 耐えられなくなって、仕方なく山師達に 見られないよう用心し 娘が 隠れたあの笹薮に 隠れ お尻を剥いて 小用を 足そうとしました。すると 笹薮が ザワザワと 大音を立てて動き出したので、小用を 漏らしながら 慌てて下着を 上げましたが 間に合わ ず 皺Siwaくちゃなお尻を剥いて 下着を濡らした 恥ずかしい姿を 山師達に 見られました。婆が 恥ずかしがりながら家に帰って見ると、可愛がっていた犬 と猫が いません。人に尋ねると 山伏のような格好の大男が 連れ出し、某地Boutiに(どこか知らない処)に 連れて行ったと言います。そこで 婆は 天狗が嫌う鯖を食い食い 鉦を叩き 犬猫を 探しました。家の中 家の外 犬猫のいそうな 思い当たる所は 何度も 何度も 調べましが 見つかりません。一ヶ月もして フツと見る、何の事はない、縁の下に白い髪の毛を 一本加えて 猫が 寝ていました。犬は いつまで待っても帰って来ませんでした。村人は「天白は 嫌いな不浄な 皺ばぁの婆の尻を 二度と 見とうのうて、犬と 猫を 天狗隠しして 懲らしめたんじゃ 猫は 鯖臭かったので 食わなかったが、犬は 食ったんじゃ」と 言い合いました。その大松は 雷に打たれ 枯れてなくなり、泉も いつしか 涸れてしまった そうです。「三谷陰地の村人より口伝」 平成23年(2011年)9月12日
犬猫の習性 Behavior of dogs and cats
「迷子の迷子の子猫ちゃん」で始まる犬のお巡りさんの歌詞では、仔猫が迷子になり、お巡りさんが困りますが、猫は 遠くに連れて行かれても 家の方向が解り 直ぐに 家に向かい出します。犬は 起点から グルグル螺旋状に回り 輪を広げて行き、自信が無いと 起点に戻り 再挑戦します。運良く知った臭いや 景色に遭うと 家に向かいます。犬は人に付き、猫は家に付くと 言います。犬は群れを作る動物で 飼い主を 群れの仲間と 思っていて 飼い主と一緒にいたがり、猫は 餌の捕れる所 すなわち餌の貰える所に 一匹で 住みたがる習性が あるからです。仔猫は例外で、母親と 一緒に住みます。ですから 家に帰る途中 競合者がなく 餌の捕れる場所が有ると そこに 住み付きます。迷子の犬も猫も帰って来ない事が多いのですが、時に途方もない遠方から帰って来る事が 有ります。従って猫は 迷子になり難く、犬のお巡りさんの歌詞は 間違いと 言う事になります。でも お巡りさんは 遠くまで仕事をしに 行かないし、仔猫では 猫の持つ前述の能力を 発揮する事は 無理かも知れないので、波風を 立てずいましょう。余談ですが 子猫が 迷子になると 多くの場合 育て親が 現れます。また 仔猫に近づくと 母親と 一緒になって 気の荒い野良の雌猫が 集団で 激しく攻撃してくる事が有ります。可愛い野良の子猫に 近づく時は 用心しましょう。「www.konekono-heya.com/myth/homing.html」「http://www.news-postseven.com/archives/20130414_181609.html」「ネコの行動学 1998/4 パウル ライハウゼン (著), Paul Leyhausen (原著), 今泉 吉晴 (翻訳)」の犬猫の習性と「三谷陰地の村人より口伝」を基にした物語 三谷陰地の村人より口伝:「昔 神瀬の奥に 枝振りの良い松があって 天白が伯耆大山から 石鎚山に飛んで行く 途中で羽を休めていました。 山で用が弾めば 野で処理するしかありません.。 好感を持った若い娘の小用(小水)を 笹薮で隠し 人の眼から守り、嫌悪を感じた 婆さんの物陰に隠れた小用を 物陰を 取り外し 人目にさらしました」 天狗隠し・天狗攫Tengu-sarai:神隠しの一種で、天狗に関与して 子供が 行方不明となる事「https://ja.wikipedia.org/wiki/天狗攫い」 天白:天狗の旧い名前 小用:小便 某地:よくわからない土地 他国 他所者Yoso-mono 船津鳴滝:429号線を 岩見橋の手前で、右の林道を進むと、鳴滝川があり、約500m上ると 北緯34度56分10秒・東経133度49分2.秒近くに 本滝 下の滝が あります この下の滝の上流にも 下から1の滝 2の滝 3の滝が 有ります 平成23年(2011年)9月12日
細田 三谷原 コソコソ岩(1) Kosokoso-iwa "whispering-rock" (1)
昔 備前国の御津郡円城村細田に こそこそ岩が 有って、夜分 そこを通ると コソコソと言う物音がしたと 言われます。この岩は 幅5尺(約1.5m)の岩で、女性の妖精が 棲むと言われています。「こそこそ岩 (こそこそいわ)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)」「岡山文化資料」 平成24年(2012年)8月20日
こそこそ岩から 底なしの洞窟が 続き、世に害成す魔王 が荒神によって封印されていて、魔王族の青い色の血を引く 血を注ぐと 蘇えるとされ、夜に 一人で 傍を通ると 話し掛けて来て、それに 応じた者が 青い血の人間でないと解ると 脅し 威嚇を恐れ逃げると 追い掛けるとされます。逆らうと 傷付けられます。コソコソ岩の前を走って 通り抜ければ 何も起らず、話し掛けられても 知らない振りをして ゆっくり通り過ぎれば 何も起こらないとされます。「三谷陰地の村人より口伝」 平成24年(2012年)8月20日
吉備高原北部広域農道(奥吉備街道)の 細田公民館下の 三谷に下る 旧道の分岐点と 三谷集落西端の民家との 中間辺りの山側の採土で 窪んだ道より 2m程中側 北緯34度54分3秒・東経133度47分4秒の近くにコソコソ岩が有り、脇に せせらぎが 有ります。 ここは三谷に接した 細田に属し、道路脇の駐車場の奧に なります。著者が10才の頃には ここには 大きな花崗岩が 2個ありました。人の片手が 入りそうな穴 の開けられた岩は いつの間にか 無くなりました。著者の家を初め この辺りの家では 大きな花崗岩をエクステリアとして 飾りますので庭石として 持ち去られたのでしょう。湯山の大岩地域の山中に残る屋敷跡は全て距岸群に取り巻かれています。現在残っているいるてコソコソ岩に耳を当てると気象条件が良い時には せせらぎの音が 響きます。力を入れ 岩を推しながら 耳を当てると やはり気象条件が良い時には ブルブルと 響きます。ある時 この岩を 鐘の穴を掘った工夫の子孫の人が 「庭石に良い。」と言って 持ち去ろうとすると 誤って 怪我をしたと 言われます。村人が 岩のある平地を 畑にするため 発破をしかけるとコソコソ岩を破壊されず 大音響で 工夫の鼓膜が 破れたので 畑にするのを諦めたと 言われます。平成27年(2015年)10月に 三谷陰地の男が 女性に頼まれ この岩の近くの木を 切ろうとしたところ 岩を 避けるように 倒れ 撥ねた木で 顔面骨折しました。顔は腫れ上がり 片目が 飛び出し ブラリと 垂れ下がっいましたが 治療を 受けると視 力は低下しましたが 失う事はありませんでした。痛々しい姿でした。 平成27年(2015年)12月31日
昔 三谷村の少年が 加茂市場に お使いに出されました。帰る頃 三谷原に差し掛かる頃には 辺りまっ暗になりました。静まり返り 自分の足音が ヒタヒタと 良く聞こえるようになり、誰かが 後を付けているような 気がしました。確か この当たりには 狐がいて 人を化かすと 言います。遠くの狐の鳴き声がすると恐くなって、急ぎ足で 逃げるように 進みました。すると 足音が パタパタと 追い掛けてくるのです。更に 速度を上げると 足音も バタバタと 追い掛けてきます。長く早足で歩いたので 息が切れて苦しく、逃げるのを 諦めて後ろを向くと コソコソと 話しかける声が 聞こえます。可愛らしい少女が 岩の陰にいて、穏やかに 近付いて来て「青い血が欲しい」と 澄み切った声で 話し掛けて来ました。優しく 誠実そうな仕草なので 気を許し、少女の目を見ると 眼の光は 氷のように冷たく 剣のように 残忍でした。少年は 一度に 血の気を失い、顔面蒼白に なりました。少女の姿をした妖怪は「何と美しい青い顔です事 青い血の持ち主なのですね そうで あればあなたは 人間との間に生まれた 魔王様の御子です 青い血を 分けてくださいませんか」と 言って 迫って来ました。少年は「わしの血は 赤い 鐘ノ鐘の穴のゴンゴKappaは 青い血をしているそうじゃ ゴンゴから 貰ってくれ」と いうと、少女は「あれは 魔王様の卑しい眷属Kenzokuです ゴンゴの血では 役に立ちません この岩に 封じ込められ瀕死の魔王様の復活には、魔王様が この村の娘に 産ませた子の青い血でなければいけないのです ほんの少しで良いのです 魔王様に 掛けて差し上げれば、青い血の細胞を 万能細胞に変え 瀕死の魔王様の組織が 再生され 蘇生なさるのです」と 答えました。
少年は「わしには、ちゃんとした父ちゃんがおる わしは 魔王の子なんかじゃぁない」と 言うと、少女は「そんなに 自信があるのですか 本真に あなたが言う父さんが、本当のあなたの父さんですか」と 言われて、少年は 以前に悪さをした時 お父さんに叱られ「こんな腕白者は わしの子じゃぁない」と 言われた事を 思い出し、少しの不安を感じ 戸惑いました。少年の戸惑いを見た 刹那Setuna、少女が信じられない速さで 翻るHirugaeruと 手に痛みを感じました。痛い所から 血が滲んでいます。「この女子Onagoが 伝説の鎌鼬Kamaitatiなのか」と 一瞬思いました。女は 赤い血を見て「青い血では ありませんでした 勘違いしてごめんなさい 早く いになされぇ(かえれ)」と 妖怪の姿に なったのです。少年は 恐ろしくなり 逃げました。すると 妖怪が 追い掛けて来ました。「目の前から消えろと言うので 逃げているのに 何で 追い掛けるのだろう」と 思いながも 逃げに逃げました。「三谷に向かえば 親戚がるので 逃げ込もう」と 必死に走り親戚の家に 辿り着きました。母親が 余りに遅くまで 家に戻らないので 心配して 訪ねて来ていました。母親に 抱き付き 暖かい胸の中で泣きながら さっきまでの出来事を話しました。母は「おまんのお母Kanでございますー 「オマンの母 | オマンノハハ | 怪異・妖怪伝承データベース (nichibun.ac.jp)」と 妖怪の真似をしながら「あそこのあの妖怪は 魔王の秘密を暴こうとする者を 脅して追い掛けるんじゃ 何じゃ茅Kayaで手を切っとるんか」と 抱きしめてくれました。「夜泣き石 - Wikipedia」「鎌鼬 - Wikipedia」「岡山文化資料」「三谷陰地の村人より口伝」「三谷日名の村人のより口伝」を 基にした物語。 こそこそ岩の正体は 岩に盃状穴を彫る音 あるいは 蝋石坑道を掘る音や 工夫も話し声が 辺りが 静かになった夜に 聞こえたのでしょう。コソコソ岩のような 伝説を持つ岩は 全国に幾つもありますが、実際に 音が聞こえたのは このコソコソ岩だけでしょう。現在では 坑道の掘削をしないので 音はしません。 「https://ja.wikipedia.org/wiki/夜泣き石」 夜泣き岩に似た伝説は 吉備中央町では 杉谷の千光寺の観音、清水の清水寺の梵鐘、新山の子宝観音 等の伝説があります。 平成24年(2012年)8月20日
妖怪カルタの 読み札には「こそこそと話し声する岩の中」と 記されています。説明の概要は「岡山県御津郡円城村にあった巨石で、夜に近くを通ると こそこそと 話し声が 聞こえたと伝えられます。あの名高い 芭蕉の俳句が彫ら れています。ある時から、コソコソ岩の近くを通ると 不思議な事に 話し声が聞こ えてくるという噂が 立ちました。岩に刻まれる字を 詳しく調べると「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の「蝉」 の字が「人」になっています。「www.gunmanet.or.jp/takotubo/karuta.htm」 三谷原付近の岩は 花崗岩しか 見つかりませんが 写真の岩は 花崗岩に見えません。持って行かれたこそこそ岩には深い穴が空けられていたとされるので穴のないこの岩は本物のこそこそ岩でないでしょう。水木しげるさんはコソコソ岩や岩目を訪れていると聞いています。 平成24年(2012年)8月20日
細田 鐘の穴 Kann-no-ana
河童の住処とされる鐘の穴は 日名の集落より西西南に登り広域農道に向かうT字路を左に下り橋に出た所を三谷川に沿い、農道を100m程登った所の左岸、北緯34度54分3秒・東経133度47分10秒の近くにあります 元文の頃(1740年頃)銅山を探し試掘された穴でしたが 動向脈波見つからず蝋石が採掘されたそうです、、縦坑は 縦坑約100m、横坑約200mが こそこそ岩に 向けて 掘られているtとされ 深く、底なし感が有ります。 かつては岩盤に四角い穴がはっきり見え 何やら文字が岩の壁面に刻んでありましたが、現在では堆積物が覆い 被さっています。文字は 苔がむしていて、どこがどこだか解り難くなくなっています。ここが河童の住処とされますが 子供達が近づくと危険なので、妖怪(ゴンゴ・河童)が住んでいる事にしたのでしょう。著者が著者が少年の頃には周囲に蝋石が有って道や庭に 絵や S合戦 ケンパ等の遊びの 陣図等を かいて遊びました。旱魃Kanbatuの時には、鐘の穴に溜まった水で 辺りの田を潤したそうです。とても冷たい水が、尽きる事がなかったそうです。この坑道が利用されて居た頃では この坑道での掘削音や 作業員が会話ばコソコソ岩辺りでは くぐもった得体の知れない音として 聞こえたと思われます。 平成24年(2012年)8月20日「三谷日名の村人のより口伝」 平成24年(2012年)8月20日
妖怪汚血は 子供が生まれる時の産血のお化けで 蓑Minoを纏ったMatotta 亀の様な姿をしており、赤子が 生まれると 這いだし、縁の下に 逃げようとします。すぐ捕まえ殺さないと 妊婦の下に入り込み 爪で刺して 母体を殺してしまうと 言われます「三谷日名ノ村人口伝」
産怪 Monster that gives birth to strange children
医術の発達していなかった昔は 逆子や 巨大児で 難産すると母親は 死亡する事が多かったのです。昔の人は 医学的知識が無かったので、妖怪の悪戯Itazuraであると 思ったのです。生まれた子が 発生初期の流産であったり 奇形児だったり 発育不良児であったりすれば 退治の姿は 魚や 大きなオタマジャクシや 猿の様であったり 蛭子や 奇怪な妖怪の様であったりするので、異種動物との交雑の児であったり 妖怪を 産んだと 思ったのでしょう。ましてや 羊水が 腐敗しているような 感染症を伴う出産や 流産では、悪露Oroが床に流れる程多く、色合い 臭い等の性状から とも不快でおぞましく思え、母親の命にも 関わったでしょう。昔の人は 子供が生まれるのは 人間 等に備わった能力と言うよりも、天や神からの授かりものでしたので、流産も また 天あるいは 神のなせる業であり、奇異な 形の胎児も 悪しき神や 妖怪のなせる業に 思えたに違いありません。そこで 産怪と言う妖怪信仰が生まれたのでしょう。出産の準備が遅れたり 出産の準備が不足したりする時に、正常の赤子に 代わり 産まれるとされます。岡山県に伝わる 汚血と言う産怪の見かけは、亀のようで、背に蓑毛があるとされます。産怪 が生まれると、床を 這い出し家の縁の下へ 逃げ込もうします。すぐ捕まえて殺さないと 妊婦の下に入り込み、爪で刺して 母体を殺してしまうと 言われます。「https://ja.wikipedia.org/wiki/産怪」 埼玉県の隣地東村山に住んでいた頃「嫁がケッケ(血塊)を 産んだと」いう人に 出合いました。何のことか 解りませんでしたが、岡山県の「オケツ」のことらしく 思え 会話を合わせました。埼玉県や 神奈川県の一部での産怪を「血塊ekkai」と呼び 言う モジャモジャ逆毛で 二枚舌の牛頭妖怪伝説が あるようです。ケッカイが 産床から逃げ出し 産婦が寝る 縁の下に滑り込むと 産婦の命が危ない(出血死する程の 多量の悪血が流れたためでしょう)と 言われます。埼玉の浦和には 出産時に 縁の下に屏風を敷いて 結界を張る 風習があると 高砂に住む 大学の先輩が 言っていました。これは血塊が 縁の下に 潜り込むことを 阻むためとされてい,ます。これには血塊(けっかい)に結界(けっかい)をもじった意味もあったようです。 Wikipediaによると「神奈川の足柄郡三歩村では、産み落とされた血塊は 血まみれのまま すぐに動き、囲炉裏の自在鉤を 昇り出す。こうして血塊が 逃げ切ると 産婦は死んでしまうと 言われていたため、前もって しゃもじを用意して 自在鉤に 括りつけておき、血塊が 出現して 自在鉤を昇り始めたら すぐさま、しゃもじで 打ち落としたという。「https://ja.wikipedia.org/wiki/産怪」 平成23年(2011年)11月19日
昭和の昔 人里離れた家人は20人程の大家族に 子が産まれようとしていました。父親が 不埒にも留守にしている上、1月とは言え 生暖かい湿度の高い日が 続いていて 汚血が生まれそうな 恐ろしい雰囲気でした。この家族にとって 牛は家族の一員であり 神聖な動物であったので、牛小屋に 再生の神 すなわち 農耕の神 安産の神 荒神等の神々を 祀っていたので 神のご加護を信じ、また 牛小屋は母屋Omoyaとは 別棟で、2階は 牛当番の寝所で 寝所の床の下は 広々とした空間があり 運悪く汚血が 床下に 逃げても 捕まえ易いので、汚血を逃がさないために 牛小屋の上で 出産させる事にしました。莚Musiroや屏風Byoubuで 床の下 床の周囲を 囲んで 結界を張りました。出産が始まると 家族の者は 床を囲んで 汚血の出現に備えました。家族の者は 汚血は 亀の様な姿で 蓑を着ていると 聞いていましたが、誰も 汚血を見た事が 有りませんでした。陣痛が 始まると 大慌てで 産婆を呼び、お湯を沸かし、莚や 屏風の周囲の囲みを 正しました。案の定 異常な出産で 早期に破水し 汚血と思しき物が産まれそうな 夥しObitadasiiい 出血があり 血液は 床下に滑り込んで行きました。する と亀の様な形の 未だ 見た事のない小さい生き物が 現れました。これが 噂の妖怪汚血かと お爺さんが捕まえようとしましたが 搔い潜られました。お婆さんの方へ逃げて来たので お婆さんが捕まえようとしましたが 躱さKawasaれました。伯父さん 叔母さん 従兄弟達 兄妹達 親戚の者達が、捕まえようとしましたが、素早くて 捕まえられませんでした。
騒ぎを 聞きつけ 犬達が バウバウ ワンワン キャンキャんと 吠えましたが、小さい生き物は あざ笑うかのように 結界の隙間に 潜りました。猫の手も借りたい状況になりました。すると 屋根から 猫がパッと飛び出し ピッと 踏ん付けると 小さい生き物は ポッと弾け あっけなく死にました。「亀と言うより 田亀みたいじゃのう 亀と田亀を 聞き間違うたんかのう」「いんや 亀じゃと 確かに 聞いた じゃが その蓑毛が 無い 汚血じゃぁあるめぇ」等 と 言い合って、不思議な生き物を 突っつき合って 正体を調べていました。そこ 出産があると言う話を 聞き付けて 都会から赴任して来たばかりのお役人が 悦Etuを 言いに やって来て「これぁ 確かに 田亀に似ておるが ゴキブリと言う虫じゃ 都会では 当たり前のように 台所に 仰山おる」と 教えてくれました。「何じゃ お役人が 都会から連れて来たのか 人騒がせじゃのう」 と 皆は 役人を囃しHayasi立て 笑いました。汚血騒ぎが 治まると オギャアオギャアと 産声が聞こえ 玉のような可愛らしい男の子が 生まれました。「三谷日名の家族の体験談」 平成23年(2011年)11月19日