吉備中央町のスピリッツスポット Spiritual places in Kibityuuoutyou

神社 仏閣 石像 古墳 等を目の当たりにすると 心が洗われ 神秘を感じるものです。ここでは そのような人工的な物も含め 自然の中で 著者が 神秘や不思議を感じさせられた構造物 或いは いわゆる都市伝説 について 取り上げます。



   天王山古代信仰遺跡              天王山古代信仰遺跡

 

高祖山岩倉・屏風岩 天王山古代信仰遺跡 川合山の岩畳 垢離取大明神

 Rock arrangement in Mt.Takazou/perpendicular cliff    Ruins of  ancient belief in Mt.Tennou    Pile of rocks in Mt.Kawai    Dai-myoujin of purification by ablution 烏泊隧道の妖怪

 

加茂市場 高祖山の岩倉 IWAKURA “DWELLING PLACE OF A DEITY” ON TAKAZOU-YAMA/MOUNTAIN

加茂市場の高祖山Takazou-yamaの福山Soe-yama 北緯34度51分18秒 東経133度45分42秒に 岩倉(磐座)が あります。高祖山の神の段には 加茂総社宮の元宮素社が 建っていたとされます。その南の高祖池と中池の間の加茂市場吉備高原都市線の駐車場の東の丘の頂上に 大きな自然石が 積み重なっていて、屏風岩と 呼ばれています。堆積物に 埋もれていますが 蓄積物を 取り除けば 壮大な岩倉が 現れると 想像されます。素社に 関る 古代信仰の場で 有ったかも 知れません。Legend has it that So-jya/shrime/Susa-no-o shrinethe former shrine of Kamo-soujya shrine was built at Kami-no-dan/step-for god of Takazou-yama mountain in Kamoitiba  There is a iwakura/natural rock arrangement in the deputy mountain of Takazou mountain      This gathering large rocks is called Byoubu iwa/folding screen rocks The rocks might be object of worship of ancient belief    備前加茂総社:北緯34度51分51秒・東経133度45分30秒 加茂市場惣社1567番地に建ちます 大国主命と天照大神が主祭神で、疫病除け 五穀豊穣 開運のご利益があります。    素社:素戔嗚尊Susa-no-o-no-mikotoが 高祖山にいた時、素戔嗚尊の重臣達が 多く住んでいた高祖山の麓の地が 神原koubaraと言われます。高祖山に 素戔嗚尊が 祀られ、素社So-jyaと省略され、転化して惣社となり、現在は 総社と呼ばれる との伝説があります。「下竹荘村史」 応仁(1467~1469年)から明応中期(1469~1480年頃)の赤松家と毛利家の確執する頃、伊賀氏は 毛利家に与くみしていました。赤松上総介政村が 松山の衣笠長門守村氏を攻めた折、素社(惣社)の神田を赤松家が奪い、惣社の建物を幣殿までも壊し、藤沢城の建築資材に充てたとされます。この時惣社が宮ノ谷の惣社(地名)に遷宮されたとされます。後に赤松家は毛利家に滅ぼされます。「加茂川町の遺跡:国只誠 笹田宏一 能勢康幸」    神の段:北緯34度51分15秒・東経133度45分43秒 高祖山:高谷との境 加茂市場高祖 北緯34度51分17秒・東経133度45分47秒 中池:北緯34度51分14.81秒 133度45分36秒 高祖池:北緯34度51分20秒・東経133度45分43秒  平成28年(2016年)4月1日

 

湯山 天王山古代信仰遺跡 ruins of  ancient belief in Tennou-zan/mountain

龍角山清水寺Ryuukakusan-Seisui-ji近くの 天王山 北緯34度51分2秒東経135度43分26秒に 古代信仰遺跡があります。  It is written in the information board that「Natural large stones are arranged in an oval shape with a diameter of 24 m as 磐境 “Iwasaka” for 依代 “Yorisiro/object to which a spirit is drawn or summoned” The five giant rocks are arranged in the Iwasaka and a pillared stone is stood on the five giant rocks and 磐座 ” Iwakura“ is composed of the stone sets  The persons had been welcomed the coming of the God of Heaven with a festival on front of the Iwakura   Even now, the persons are celebrating a small shrine called Kiyama Gongen 須佐之男命 or 牛頭天王 Near here, there is an ancient tomb during the end of the Kofun period, there is also a saying that the ruins of faith were dated to a slightly older age  Kibityuuou-tyou-Board of Education」

清水寺前の竹藪takeyabuに向かう小道を 天王山の案内標札に 従い250m程進み 左手の急勾配を 滑らないよう注意し登り 山頂に辿り着くと 遺跡が 見られます。Go about  250m from the front of Seisu-jii temple to Tennou-yama mountain through a narrow path toward bamboo grove according to the following instructions of the a direction board     You will arrive Tennou-zan mountaiin where is at the right side 

大きな石で2重に囲まれた奇怪な組石が あります。

 There are the mysterious arrangement of rocks in double circles made with big stones  案内板には「天王山古代信仰遺跡 直径約二十四メートルの楕円形に 大型の自然石を並べ これを神域を示す磐境Iwasakaとし その中央に五つの巨石を組み合わせて その上に柱状の石をたてて 磐座Iwakuraとして 天の神が降臨するのを おまつりして迎えていました  今も木山大権現という小祠を祀っています  ここに近い所に古墳時代末期の古墳があり 信仰遺跡はそれよりもう少し古い時代に祀られた」と言う説もあります  吉備中央町教育委員会 云々」と 記されています。

北側 或いは 東側から見ると 柱状石が よく観察できます。古代信仰遺跡は昭和56年(1981年)2月に 町重要文化財に 指定されました。コンクリート製のの小祠には 増長天王 Zoutyou-tennou  “viruudhaka/ southern guardian angel” が 祀られています。ちなみに 清水寺の本堂から北に上る階段の上に 北の守護神毘沙門天王Bisyamon-tennou "Tamonten / Vaisravana/ Vessavaṇa /Vaisravana/northern guardian angel”  が 祀られています。その裏の やや南寄りの山側に 階段があり それを登ると 稲荷社と思われる社の右手に(本堂の北)西の守護神広目天王 Koumoku-tennou  ” Virupaksa/ western guardian angelが 祀られています。寺の南にある東に向かう道に入り 本堂を少し過ぎた(本堂の南)辺りの 北の岸上 北緯34度51分12秒東経133度43分378秒と 想像する辺りの 滑らかな屋根を持つ社に 東の守護神である持国天王 Jikoku-tennou “Dhtarara/easternguardian angel”が 祀られています。   

南側に 古墳があります。木山大明神は 木製の小祠です。木山大明神は 須佐之男命Susa-no-o-no-mikotoで 荒々しい神(厄神 武神 荒神 海原の暴風の神)であると同時に八岐大蛇退治や 蘇民将来の伝説 日本初の和歌(最古の和歌とスサノオの物語 | こども教室 ≪もんじゅ≫の読み手としても 知られるように 世に平和をもたらす 情深い加護の神(災厄除けの神 森の神 農業神 和歌神 女性の味方の神)として 家内安全 悪疫退散 開運招福 縁結び 勝負事 等に 御利益のあるの神です。 平成23年(2011年)10月5日

 

湯山 川合山の岩畳 PILE OF ROCKS ON KAWAI-yama MOUNTAIN

 湯山町812-2番地の西川合山の東斜面 北緯34度51分20秒 東経133度44分13秒には 大小の岩で 敷き詰まっていて その構造は 頂上まで続きます。北斜面  南斜面 西斜面に は石が 殆どありません。この石畳は御神渡りを連想させます。総社賀陽線(57号線)湯山口の新神原橋の西の山道に入ると 石をふんだんに使った墓場が 有ります。その手前の平坦地は お神原伊賀家の隠居所延福庵跡です。墓場の西の山肌には 大小の岩が目通し50m程の幅で 敷き詰められるように 岩の宝殿川合神社の元宮)が 建っていたとされる頂上迄 並びます。地主は 偶然の産物で 人工的な物でないと言います。実際に石の並びは雑然としていて、細かい石を敷く 等の基礎固めを行なった形跡は ありません。これ等のふんだんな石を 巧みに利用した墓場が 麓にあります。

 Large and small stones were spread all over an east inclined plane of Kawai-yama mountain, and the stones spreading continue to the mountain top   Namely, many large and small stones were spread in disorder all over an east inclined plane of Mt.Kawai  to the ruins of rock sanctuary on the top with the width of about 50meters glancing look as a road for gods      The landowner told me this structure was inartificial 川合神社の遷宮は 神原宗衛門吉益の元で 正徳5年(1715年)12月に 神官の藤森紀衛門満綱が 祭主として行いました。     平成28年(2016年)4月1日

 

吉川 吉川八幡宮の垢離取大明神 KORITORI-DAIMYOUJIN OF YOSIKAWA-HATIMAN-guu SHRIN

72号線岡山賀陽線吉備新線)吉備高原大橋から加茂川に 降り 牛渕橋を 渡り 加茂川沿いに 北東に 進み S字状のカーブの終点近くに 東に入る取り合い道が 有ります。鳴滝湖の南西の端 北緯34度49分13秒東経133度45分434秒です。入り口に石碑や 手水鉢があり 祭場の中央に 最大の岩があり大岩の周囲に多くの岩が 配置されています。中央の大岩が 垢離取大明神なのでしょう。中央下方部に石で組まれた狭い入口の室があり 中に白い皿状の容器が 多数散乱しています。

吉川八幡宮の当番祭Touban-saiは 毎年10月1日から 10月下旬まで 続ける秋の大祭で、古式豊かな民衆的な祭りです。当番祭は「訪問する最初の祭り」という意味の祭であり 八幡宮の氏子が 南北2組に別れ、互いに訪問し 両氏子の反映と その年の豊穣を神に祈り 氏子同士の絆を 深める祭りです。祭りは「当ざし」神事によって 吉川地区の10歳前後の男児を神社の南北から1人づつ選ばれます(三宝の上に 候補者の氏名を 記した紙片を 丸めてのせ、宮司祝詞を 奏でながら 御幣を用い釣り上げ 当人を決めます。)。10月第3土曜日に「当番は 垢離取大明神の前で 垢離取りし 神となります。後日当番の家の前に「ハクケ」を造り 神の降臨をあおぐための古式にのっとり諸神事を行います。第4土曜日の宵祭が大祭で 当番は 当家で着飾らした神馬に乗り 祭り行列の先頭を進み 神社に参拝し 「走り競べ」の神事を行います。大祭翌日に「はくけあげ」の神事をし 昇神すると 当番は 俗人に戻ります。昭和47年印刷の賀陽町史に「垢離取り 十月十九日 吉川河内田に垢離取大明神がある。そこの淵で、当番、当主 その他係の人々の祓いを 行ないます。またこの日当番は 神前で縄をくぐる行事をすることによって 人界より神界に入ると考えられている。」と 記されています。同様の事が 平成十六年(2004年)発行の賀陽町史 追補版にも 記されています。しかし 垢離取り場の石碑には「県指定無形民俗文化財 吉川八幡宮垢離取り場 昭和五十六年六月三十日施工 施工 片岡造園」と記されています。昭和47年には 垢離取大明神(岩崎大明神)は、加茂川の川岸(吉備高原大橋の東180m程の所 北緯34度49分6秒東経133度45分50秒)に自然石としてあり その後 洪水によって 鳴滝湖に 流されましたが、昭和56年に 現在地に 再建されたのでしょう。垢離取大明神は、祓戸四神(祓戸大神Haraedo-no-ookami 即ち瀬織津比売神Seoritu-hime-no-kami --この世〔葦原中国〕の 諸々の禍事 罪 穢れを川から海へ流す神 速開都比売神Haya-Akitu-hime-no-kami-- 河口や海の底で待ち構えていて 禍事等を飲み込む神 気吹戸主神Ibukido-nisi-no-kami-- 速開都比売神が吞み込んだ禍事等を 根の国底の国に息吹と共に放つ神 速佐須良比売神Haya-Sasurai-hime-no-ksami-- 根の国・底の国に漂う禍事等をさすらって失活させる神)です。    平成28年(2016年)4月15日

 

吉備中央町3大神霊スポット 烏泊隧道の妖怪 鳴滝ダムの幽霊 旭川ダムの妖怪

 

烏泊隧道の妖怪 Ghost in U-domari tunnnel

天保2年(1831年)に 江戸幕府が 墓石制限令により 庶民の墓石の設置許可をする 前の烏泊は 村の人達の風葬地(鳥葬地)でした。悪性の流行病が流行った時に 死が迫った女が 病気の蔓延を 防ぐために 風葬地に 投げ打ちされ病と 餓えの苦しみの中  無数 の烏に 啄まれTuimabareながら 命を終えました。成仏するに 成仏できぬ思いで死んだ 女の霊は 烏泊Udomariを 彷徨いSamayoi 通行者に 祟りました。吉川八幡宮の神主が 祈祷すると 白い烏が8羽現れ 黒烏を追い払い 女の悪霊を 烏泊山に 封印しました。時代が 過ぎ 近世 ここに トンネル 工事が 計画されました。ところが 町職員2人が 書類上の不始末があり 上司に 相次いで  激しく叱責を受けたので 2人の職員は責任を 深く詫びて 死を覚悟した 鬼の形相で帰宅し 食事もせずに 床に就きました(当時のお役人は 社会的地位が 高いとされ 村人達の畏敬の対象だったので 強い責任感を持ち 僅かのミスにも 重圧的罪悪を 感じたのでしょう。)。家族の人によると 2人は又 相次いで  夜中に 何かに 導かれ 夢遊病者の様に 工事現場に出かけたそうです。其々 翌朝 一人は 工事現場に引き込まれ知多電気コードが 首に絡まり もう1人は 工事現場に 掘られた穴に 陥落し 惨めな姿で 見つかったそうです。又 トンネル竣工の後 出口が見える程に 短いトンネルな のに 交 通事故が 頻繁に起こしたので 世を恨んで死んだあの 若い娘の悪霊の封印が トンネルを掘る際 重機にり破られ 死を覚悟した人や トンネルを 潜る車の運転者を 惑すからだと 噂されました。いわゆる都市伝説があり奇怪な現象がしばしば起こるようです。ここは 殆ど人通りは 在りませんが興味本位だけで訪ね 大騒ぎや悪戯 私有地進入するはの住民迷惑ですので お慎みくださいカラストンネル(烏泊トンネル) | 心霊スポット恐怖体験談」「烏泊隧道(カラストンネル) - 岡山県の心霊スポット」「烏泊隧道(カラストンネル) | 朱い塚-あかいつか-」「吉川 烏泊の妖怪 Woman ghost in Karasu-domar(U-domari) - okayama-yaso ページ!中国・四国地方にあるトンネルの心霊スポットランキング - 全国心霊マップ」「https://haunted-place.info/6934.html」「」「烏泊隧道(カラストンネル) 岡山県 心霊スポット 朱い塚-あかいつか-」「心霊スポットファイル1660 烏泊隧道(カラストンネル)」「【岡山心霊トンネル】有名な心霊トンネルを紹介します - 三日坊主 全力の暇つぶし」「カラストンネル(烏泊隧道) - 岡山県(吉備中央町)の心霊スポット - 全国心霊スポット調査【心霊気違(SHINREIKICHIGAI)】」「岡山県加賀郡吉備中央町の心霊スポットランキング - 全国心霊マップ」特に吉備中央町の妖怪伝説烏泊の妖怪を参照ください。 令和6年(2024年)11月12日

 

鳴滝ダム の幽霊  Ghosts in Narutaki-dum

鳴滝ダム周辺は ダムや鳴滝森林公園  キャンプ場 吉備青少年自然の家が できる前 或いは投打の整備事業がなされる前は 木々の生い茂るいわゆる 奥山で 人の住まない地でした。鳴滝:147番地に 地理的に近い所の小字には 投打(風葬地の意味)竹部2251-.2273番地を始めとして 池ノ内(生ける・埋めるの意味:竹部583番地等 本堂:竹部130番地等 本堂:竹部130番地等 鳥池鳥葬地の意味竹部136番地 六地蔵六界を司る仏170番地 山ノ神田の神 先祖の神竹部198/2286番地等 大草田(ひどく臭いの意味)竹部2192番地等 小草田:竹部2204番地等 寺山:竹部2491番地等 墓石を立てる事が禁じられていた時代の 共同埋葬地やそれに関係しそうな小字があります。特に鳴滝は明治時代以前の自殺の名所で 度々洪水があり吉川八幡宮の塩垢離大明神なる大岩が流れ込んだり旱魃時には雨乞いされたり又近年になっても鳴滝で3名程(東苅尾のご老人のお話)鳴滝ダムでは身体障碍者の自殺がありました。それ故にいわゆる都市伝説では不吉な湖でありの女性の幽霊・少年の幽霊・動物の幽霊が出ると流言されます。しかし現在では遊歩道や公園 キャンプ場が整備され 安全は確保されており 野鳥の声が飛び交い 春は桜を 秋にはは紅葉が楽しめ 鳴滝付近の滝や清流の巨岩が良く見え自然の雄大さと神秘性を感じさせる観光スポットとなっています。著者の見る限り鳴滝は自殺できそうな危険な滝に思えません。観光を楽しみながら心霊現象 雨乞い伝説 長石伝説 1年十滑る阪を訪ねてみてはいかがでしょうか。興味本位だけで訪ね 大騒ぎや悪戯 私有地進入するはの住民迷惑ですので お慎みください。「入水者の霊? 鳴滝ダム(吉備中央町)│岡山の怪談/岡山の街角から」 「鳴滝ダム - 岡山県の心霊スポット」「吉備中央町の怖い話 | 心霊スポットスレまとめ」「鳴滝ダム - 岡山県の心霊スポット」「[心霊] 岡山県 鳴滝ダム」「鳴滝ダム:岡山県の心霊スポット【畏怖】」「入水者の霊? 鳴滝ダム(吉備中央町)│岡山の怪談/岡山の街角から」  令和6年(2024年)11月13日

 

旭川ダムの妖怪 Ghosts of  Asahigawa dum

 旭川ダムは旭川の岡山県岡山市北区建部地域町鶴田と岡山県加賀郡吉備中央町大字神瀬を 跨ぐように 北緯34度54分49秒 東経133度51分23秒に 建設されたダムです。昭和29年(1954年)1月31日より 貯水を開始した旭川湖周辺には 多くのが植樹されており 春の行楽のスポットです。岸田吟香の胸像が あります。しかし これ程の規模の大工事に付き物は 建設中の作業員の事故死で 30人の殉職者を出しました。湖畔には昭和29年(1954年)に慰霊碑が建てられました。それを根拠にダムの近くに男性の幽霊が出るとか黒いもやが湖に立つとの流言が囁かれ始めました。すると霊に導かれるように家族4人が乗る乗用車がダム湖に転落し1乗員全員が死亡する事故が起こったのです。その事件以降からは[ 夜中に 男性の声で「おい!」と 呼び留められ  停すると 誰もいないのに 車のドアを ノックされる。]と 言う噂が 立ち始めたそうです。

旭川ダムができたと言うので 豐岡小学校の生徒達は 旭川ダムに 遠足に行きました。ダムの堰の水門近くに ハヤ(若いオイカワに 似た魚が ウジャウジャと 集まっていました。釣り好きだった著者は 「ここで釣りをすればどんなに沢山のハヤが釣れるだろう。」と思いました。夏休みの終わり頃 思い切って 旭川ダムに 釣りに行ったのです。往路では 何の問題も無く ダムに 辿り着けました。早速 ダムの川下で 釣り糸を垂れると カヤススキの枯れた茎で 作った浮を 魚が突く程に 魚が集まって来ましたが 不思議な事に 一匹も 釣れなかったのです。日が暮れない内に 帰らねばと 思い 泳ぐ魚を 見ながら 未練んがましく 帰途に着きました。処が打っ立てUttateから(最初から)道に迷ったのです。足元から 飛び立つ山鳥に 脅かされ 遠くで 鳴く狐の追い掛けてくるような鳴き声に 怯えながら「 本宮山の狐は騙す。」と祖父から聞いていたので「狐に今は騙されている。騙されてたまる物か。」と 道を急ぐのですが 直ぐに又  道に 迷いました。著者の他に 狐に化かされている人達が 沢山いると思うと 沢の呟き 草の囁き 樹の騒めきが 狐に騙された人 達の 諦めの忍び泣き 驚きの悲鳴 恐怖の絶叫に聞こえてくるのです。狐に化かされた人達の姿を想像している内に「置いてけ堀」の話しを 祖父の弟から 聞いていたのを思いだしました。[ 魚を 狐に遣れば 狐は 付いてこないのに.]と 思いましたが あいにくバケツは空です。 仕方なく 元気を取り戻すために 空バケツを振り振り 月の明かりを 頼りに 試行錯誤で 帰り道を探索を 繰り返しながら 足を速めるしか ありません。それでも 何とか 本宮山を過ぎ 案田の毛気神社に向う道に出て 二川から椿乢に辿り着き これで 家に帰れる自信が付き 安堵しました。処が あの遠足を境に 雨降りには 山道を 登る程にいた鰻が 釣りに出かけても 川でも池でも 釣れなくなったのです。今のなって思えば あの旭川ダム下流の ウジャウジャしていた魚は 支流に向かえなく成った鮎(ミミズを餌にした釣りでは釣れません)で 旭川の支流域で 鰻が釣れなくなった理由は 旭川ダムニに 遡上を 阻まれた為だと 分かりました。そうであるならば[ 故郷を失った 鮎や鰻は さぞ無念だっただろう。]と思い 又 旭川ダムの黒い靄は[生態を奪われた 鮎や鰻や 釣りの楽しみを奪われた著者の怨念のなせる自然現象だ。]と 思う 今日この頃です。少年で有って知識が無かった為に ダムからの急な放流を 恐れず 足元を見失うような茂る川岸に 近寄った事を 反省しています。  令和6年(2024年)11月15日