妙見神社:妙見神社(妙見宮)は 天御中主神Ame-no-Minakanusi-no-kamiを 祀ります。利益は 八方除 方除 厄除開運 福寿増益の神 安産(子宝)守護 縁結び等です。妙見菩薩Myouken-bosatuと習合しました。妙見菩薩は 常に天の中心に輝く 極星と それを護るように回る北斗七星を 神格化した尊格です。菩薩の名ですが 天部の仏尊で 尊星王Sonsyou-ou 北辰菩薩Hokusin-bosatu 北辰尊星妙見菩薩 等とも 呼びます。天空の中心にあり 位置が 移動しない 北極星は その特性から 宇宙の中心とみなし 中国では 最高神の天帝と 同一とされました。妙見菩薩は 目が美しく澄み切っていて 物事の真相を見極める力を持っているとされ 天下泰平 海上安全 立身出世 子孫安泰 災難退散 方位除 悪病平癒・特に目の病 五穀豊穣等に ご利益があります。北斗七星の内 破軍星Hagun-sei(北斗七星の柄先の星 (おおぐま座) の中国名 これを剣先とみなし,剣先に方向に 向かい 戦うと 勝ち,剣先に逆らい戦うと 負ける(吉凶を占)と されます。剣先星Kensaki-bosi とも 呼ばれます。)であることから軍神として 信仰されます。天御中主神と 習合しました。吉備中央町の加茂川地区では 昭和中期頃までは 小森天津神社 細田天津神社(久保田神社)妙見宮に 選挙当選が 祈願されました「 https://ja.wikipedia.org/wiki/妙見菩薩」「https://www.ensenji.or.jp/contents/category/believe/」が 現在行う候補は いなくなりました。
㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります
上田西 国近の妙見神社 Myouken-jinjya in Kunitika
上田西祇園山1381-3番地「飛躍の郷ひだまり」の北 の北緯34度53分3秒・東経133度47分51秒に 祇園社が 建っています。 杜の東側の茂みの中に ご神幸のお旅立ち所である 国近荒神社が 建ちます。右の石碑は 地神碑で、 左の大きい社は妙見神社と 愛宕神社で、祠の永続を祈願したのか 屋船久久迺駆大神Yahune-Kukunoti-no-ookami 屋船豊受姫大神Yahune-Toyouke-no-ookamiが 祀られます。右の小さい社は 国近荒神社です。 金太上:上田西1325番地 国近・國近:上田西1342・1492番地等 祇園山:上田西1381・1395番地等 胡摩免:上田西1396・1439番地等 平成25年(2013年)5月28日
加茂市場 神原上の妙権神社 Myuouken-jinjya in Koubara-kami
高梁御津線(31号線)の宇甘川の浜崎井堰の辺り 加茂市場清水田929-2-2番地から西に登り 加茂市場久方904番地の分岐を南西に折れ 金比羅神社の参道を登ります。その途中 加茂市場神原上Koubara-kami944番地の手前の東北に向かう取り合い道の奥 北緯34度51分57秒・東経133度45分10秒に 日名荒神社が 建ちます。付近に祀られていた 数社を集め 参詣を容易にしたそうです。社内には 五社宮が 有り 左から順に小山神社Koyama-jinjya 権現神社Gongen-jinjya 妙権神社 日名荒神社 火雷神社Ho-no-Ikadutij-injyaです。妙権神社には 天御中主神Ame-no-minaka-nusi-no-kamiと 経津主神Hutu-nusi-no-kamiが 祀られています。 明現:加茂市場708・800番地等 塚ノ段:加茂市場790・796番地等 明現曽禰:加茂市場799番地 地蔵渡:加茂市場813・819番地等 宮地ヶ谷:加茂市場859・865番地等 大師ノ上:加茂市場870番地 才ノ面:加茂市場878-880番地 城山:加茂市場888・991番地等 神原:加茂市場912・939番地等 清水田:加茂市場929番地 神原上エ:加茂市場940-942番地
平成25年(2013年)1月3日
小森 天津神社 Amatu-jinjya Komori-Mineta
天津神社の旧社格は 村社Sonsyaです。北緯34度55分41秒・東経133度48分40秒 小森岑田Mineta1012番地に 天津神社が建ち 天御中神Ame-no-Minska-nusi-no-mikotoが 祀られています。宮司の連絡先は 0867-35-0380-35-0380番です。境内にキツネノカミソリ(狐の剃刀〉の群落が有ります。加茂川町史によると「建保年中(①213-1219年)の旱魃kanbatuの時、小森の星原で 郷人Satobitoが 天津神社の御神体に 雨乞いして折り 霊験Reigenを得た。」と 言われます。
天御中主神は 星原の人達にとって 産土神Ubusuna-gamiです。天御中主神は 北極星に座し 宇宙を司る神様で 仏教の妙見菩薩に 当たります。天津神社の境内末社は 左から若宮 愛宕神社 次の社の祭神は不明で 右端の社が 荒神社と 思われます。吉備中央町で 伝えられている降星伝説は 星原の星見岩 等 数説あります。星見岩は 小森トンネルを抜け 旭町に向かう途中の川岸に 突き刺さるように有り、加茂川町史では 星岩として 紹介されています。 宮下:小森982・1014番地 山ノ神:小森1095・1667番地等 堂ノ上:小森1164・1216番地等 古明見:小森1551番地 宮林:小森1702-1715番地 城山:小森894・896-898番地等 岑田・峯田:小森965・1021番地等 平成24年(2012年)6月27日
豐岡下 湯の瀬の明見社 Myouken-sya in Yunose
豐岡上小森線(371号線)沿いの湯の瀬温泉郷キャンプ場の南西の大曲辺りに 豊岡下妙見1517-5番と 豊岡下妙見1517-1番地が有ります。両家の間を北に登り 道なりに右に曲がると 突当り 北緯34度54分48秒・東経133度47分21秒に石碑と一宮社があります。石碑には 金毘羅大御神 加財大御神と刻まれており 一宮社は 明見社です。地元の人は妙見社を 荒神様と呼んでいます。 The characters of Konpira-oomikami and Kazai-oomikami are curved on the stone monument and the shrine is Myouken-sya/shrine which is called Mx.Kou-jin-sama by the local peoples 湯ノ瀬:豊岡下1508・1616番地等 ハテノ場:豊岡下1555・1586番地等 薬師堂:豊岡下1558番地 妙見:豊岡下1483・1532番地等 平成29年(2017年)4月29日
豐岡下 引撫の妙見神社 Myouken-jinjya in Hikinade
豐岡上小森線(371号線)の湯の瀬温泉の西の大曲を 曲がった所の鋭角な分岐を 真地・引撫に向かって登り 豊岡下小河内1811番地のS字カーブを 曲がり終わった 少し北の右手 北緯34度55分17秒・東経133度47分10秒に 二宮社が建ちます。左の厨子は 妙見神社で 天御中主命が 祀られ、右の厨子は 祇園神社で 疫神天皇が 祀らせます。疫神天皇は 素戔嗚命の異称でしょう。 ダイ・臺:豊岡下1788・1803番地等 矢送場:豊岡下1806・1809番地等 堂砂道西:豊岡下1817番地 祇園後口:豊岡下1818番地 平成29年(2017年)4月29日
細田 細田天津神社・久保田神社 Hosoda-Amatu-jinjya/Kubota-jinjya in Myouken
北緯34度53分39秒・東経133度47分6秒 細田明見1372番地に久保田神社が 建ちます。宮司との連絡0867-35-0103-35-0103です。 旧社格は無社格で 小森天津神社が 分霊されました。かつては 妙見宮と呼ばれていて 小森天津の境外摂社です。小森天津神社の主宰神は 天御中主神Ame-no-Minaka-nusi-no-kamiです。小森天津神社付近を 星原と言い 降星伝説が伝えられていて 星見岩が 有ります。久保田神社には 獅子型の狛 犬ではなく狸の焼き物が 祀ってあ ります。キュウモウ狸かと思いま したが、近所の人は「キュウモウと 地元の貉mujinaとの間に産まれた 魔法様(急毛Kyuumou) の孫達であろう。」と言います。
小森天津神社:北緯34度55分41秒・東経133度48分40秒 小森岑田1012番地 星見岩:429号線を小森から旦土Dandoに 向かい小森トンネルを抜け 大きいカーブの手前 北緯34度55分50秒・東経133度48分49秒辺りに星見岩が あります。 村人はこの岩に立って4季の移り変わりを調べ 農作の参考にしたり、雨乞いをしたり、虫送りをしたりしていたと 伝えられます 妙見山城跡:三納谷城の出城とされます。 その昔、吉備津彦命が ここにいた怪物を 弓で射たという 伝説が あります。 この辺り銅の豊富な 所です。 三納谷城跡:三納谷新屋839番地の南東東の山 北緯34度52分54秒・東経133度46分56秒 妙見:細田1362・1396番地等 妙見山:細田1391・1647番地等 明見前:細田1398・1411番地等 比社免:細田1485・1494番地等 矢柄:細田1397・1549番地等 平成25年(2013年)4月5日
三納谷 三納谷奥集会場の妙見宮 Myouken-guu in Minoutani-assembly hall
三納谷735番地の北東 北緯34度53分7秒・東経133度46分38秒辺りに 三納谷奥集会場が 建ちます。そうは見えませんが 三納谷城の出城とされている場所です。地神宮の石碑等が 構内の入り口の岸に 祀られます。集会場内の向かって 最右の社は 荒神社で 妙見様 素戔嗚様Susa-no-o-sama 御崎様が 合祀され、右から2番目の宮には妙見宮で、右から3番目の宮は三宝荒神社で 三宝荒神が 祀られており、中央の宮は 祇園社です。左から2番目の大き宮には いかなる神が祀られているか解りませんが 御崎神社と 思われます。最も左の宮は 愛宕宮です。三納谷に 点在していた神社が 管理上の理由で 集められているのでしょう。 才門:三納谷319-320・368番地 明見:三納谷710・735(北緯34度53分5秒・東経133度46分36秒)・828番地等 大師:三納谷792・806(北緯34度53分0秒・東経133度46分32秒)・808番地等 大師古屋敷:三納谷807番 平成25年(2013年)3月13日
黒山 妙見宮跡 Ruins of Myouken-guu in Kuroyama
黒山364-5-5番地の西隣 北緯34度47分47秒・東経133度46分16秒の山を妙見山と呼びます。かつて 妙見宮が 建っていましたが、完全に 破壊され鳥居の残骸と 手水鉢2個が 妙見山の東の麓に 放置されています。妙見宮には 天御中主命Ame-no-Minaka-nusi-no-mikotoが 祀られていましたが、現在妙見山には 多木神社が 祀られています。 齋免:黒山345-349番地 宮ノ下:黒山352・356番地等 妙見:黒山357・359番地等 宮ノ脇:黒山360・361番地 後谷:黒山363・373番地等 多木:黒山526・527番地
多木神社 Taki-jinjya
トタンぶきの囲いの中に 三宮社が祀られています。左の社は 提婆宮Daiba-guuです。中の社は 稲荷宮と祇園天宮と提婆宮で 稲荷大明神等が 祀られています。右の社は 今宮不動山王宮で 武甕槌命Take-Mikaduti-no-mikoto 経津主命Hutu-nusi-no-mikoto 猿田彦大神Saruta-hiko-no-mikoto 素戔嗚尊Susa-no-o-no-mikoto 奇稲田毘賣命Kusinada-hime-no-mikoto 天目一個男命Amano-Mahitotu-no-ne-no-mikotoと 不動明王像とが 祀られています。滝宮Taki-no-miya 石動社Isurugi-sya/Sekidou-sya 庄五郎御崎神社も かつては 祀られていました。
提婆宮:円城提婆宮は 円城寺境内 北緯34度53分33秒・東経133度48分20秒に 建ち 提婆天を 祀ります 。この天女の使いは 狐です。 今宮不動山王宮:今宮神社 不動堂 山王宮の総称で消化。京都の今宮神社(北区紫野今宮町21番地 北緯35度2分44秒・東経135度44分31秒)は 大己貴命Oonamu-ti-no-mikoto(大国主命) 事代主命Kotosiro-nusi-no-mikoto 奇稲田姫命Kusinada-hime-no-mikotoを 祀ります 。秩父今宮神社(秩父市中町16-10 番地 北緯35度59分42秒・東経139度4分49秒)は 八大竜王を祀ります。 不動堂は 不動明王を祀ります。山王宮は 一般に 大山咋命Ooyama-kui-no-mikoto等を 祀りますが、吉備中央町では 素戔嗚尊を 山王様とか 天王様と 呼ぶことが あります 。石動社:石動権現Isurugi-gongenは 能登国石動山Isurugi-yamaの山岳信仰と修験道が融合した神で、虚空蔵菩薩Kokuuzou-bosatuが本地仏です 明治元年(1868年)の神仏分離廃仏稀釈毀釈Haibutu-Kisyakuの時 多くは消滅し一部は 石動彦 等を 祀る石動神社 或いは 五社神社となりました 庄五郎御崎神社:いかなる神社か解りません 滝宮: 香川県綾歌郡綾川町滝宮1347番地 北緯34度14分59.秒・東経133度55分9秒の滝宮神社 即ち須佐大宮末社の主祭神は 須佐之男命Susa-no-o-no-mikotoです 香川県綾歌郡綾川町滝宮1314番地(北緯34度14分59秒・東経133度55分9秒)の滝宮/滝宮天満宮の主祭神は菅原道真です。 平成26年(2014年)9月19日
岨谷 馬越の妙見宮 Myouken-guu in Suwatani-Makosi
北緯34度46分28秒・東経133度43分40秒辺りが 馬越城跡です。道の駅かようや 妙仙寺から 妙本寺近で 槇谷に向かい 山根口 宮納 二本坂 東村の各バス停を過ぎ さらに三穂の郷ファンタジア 岡山県広域水道ポンプ場を過ぎます。すると 野俣の手前に馬越橋があります。赤の谷川渡ると南東の山 (岨谷乢ノマヘTawa-no-mae1947番地や 岨谷乢ノマエ1943番地の南南西約150m)が 馬越山城山で その頂上の曲輪跡に 妙見宮が建っています。右隅に 土塁状の構造があり 古いお社の瓦等の建築廃材が 積まれています。右奥に 古い本殿が有ります。本来 妙見宮は 妙見菩薩を 祀る寺院ですが 奥に本殿があるので 天御中主神Ame-no-minakanusi-no-kamiを 祀る 神社なのでしょう。 賀陽道の駅:北緯34度49分1秒・東経133度42分18秒 妙仙寺:北緯34度48分34度48分54・東経133度42分4秒 妙本寺:北緯34度48分32秒・東経133度42分16秒 三穂の郷ファンタジア:北緯34度47分15秒・東経133度43分27秒 岡山県広域水道ポンプ場:北緯34度46分52秒・東今日133度43分24秒 地神碑 野俣宮の案内石柱 馬越橋:北緯34度46分33秒・東経133度43分33秒 車脇:岨谷2042-2047番地 馬越:岨谷2050番地 神ノ下:岨谷2051・2052番地 才ノ乢:岨谷1944・1945番地 城山:岨谷1951-1953番地 小城:岨谷1954・1971番地 カナ場:岨谷1976番地 平成24年(2012年)4月12日
田土 宮後の妙見宮 Myouken-guu in Miya-no-usiro
31号線(高梁御津線)の川合橋の西北 田土宮の後Miya-no-usiro3109-3-3番地に 町立下竹荘保育園が建ち その西 北緯34度51分32秒・東経133度44分17秒に英霊の碑が 立ちます。その北の山裾 北緯34度51分3133度44分17秒に 妙見宮が 祀られています。妙見宮の裏山には 沢山の狭い石垣を伴う平坦地が並び 一部は 墓場になっており 歴史を感じさせる墓碑が 立ちます。多くの石垣は 崩れています。平坦地群の北側の山肌には 幅およそ10mの自然石jinensekiを敷き詰めたような 石畳構造があり 頂上に向い30m程 伸びています。それより上部は まばらに石が 点在します。この山を 麓から見上げるとその山の姿は エジプトのピラミッドを 連想させます。地元の人は「お握り山」と 愛称しています。 荒神ワキ:田土3073番地 ココ路・コ々ロ・ココ路:田土3104・3461番地等 宮ノ後:田土3109番地 寺坂:田土3134・3147番地等 平成25年(2013年)12月25日
田土 北野坊・行者堂の北辰妙見宮 Hokusin-Myouken-guu of Gyoujya-dou/Kitano-bou
高梁御津線(31号線)沿いの 下田土の田土下2677-1-1番地から 川東集落に 向かって 下田土椿線の 宗金大師堂を見ながら登ると T字路となります。左に進むと 田土北谷前2370番地があり、田土2370番地の方の 断り 得て 田土2370番地の庭の東で 南に進むと 北緯34度51分52秒・東経133度43分49秒に 行者堂が 建っています。堂内には5社が有ります。左側に小さい社が3社あります。祭壇の中央の大きい社は 本尊である聖観音堂ですが、提婆宮 比𫝕妙見宮(北辰妙見宮でしょう)等でもあります。 堂守北:田土2331番地 石佛南:田土2350番地 北谷前:田土2367・2373番地等 塚ノ元:田土2417・2442番地等 平成29年(2017年)9月9日
西 妙見大士の清正大神宮 妙見神社 鬼子母神宮Seisyou-ookami-guu, Myouken-jinjya and Kisimojin-guu of Myouken-daisi
484号線を道のかようから 高梁市に向い 岡山自動車道を潜ると 直ぐに 加賀工業団地が 南に臨められる 十字路があります。その右側手前に 妙見大士の宮に 向かう階段があり その上 北緯34度48分22秒・東経133度40分55秒に 妙見大士の宮社が 建ちます。拝殿内の奥に二宮社とその右に小さな一宮社が有り、二宮社の左の厨子には 清正大神祇Seisyou-daisingiが祀られ、右の厨子には清正公 妙見神社Seisyoukou-Myouken-jinjya 鬼子母神Kisimojinが 祀られています。
右の小さい一宮社に 祀られている神は鬼子母神と 思われます。天井近に2枚の絵馬が 収められています。近くに 松山藩の山学問所の立て札 が建ちます。 清正公祇Seisyou-kougi・加藤清正Katou-Kiyomasa:加藤清正は 安土桃山時代から 江戸時代初期にかけての 肥後熊本藩初代藩主です。母は 羽柴秀吉の生母である大政所Oomandokoroの従姉妹とされ 秀吉の小姓として仕え その後も 生涯秀吉に 忠義を尽くしまし。。 寛衛9年(1632年)加藤家は 改易となりますが、新たな肥後熊本領主・細川忠利は 清正を敬い 清正が深く信仰していた 日蓮宗の本妙寺に 寺領を寄進されると 清正信仰は 高まり「日乗様」「日乗居士」 と 呼ばれていた清正の異称は「清正公」「清正神祇」と 尊称され 神格化されました。 儒学者 頼山陽をして「勇猛は 夜叉の如く、慈悲は 菩薩の如し。」と 絶賛いたとされます「https://ja.wikipedia.org/wiki/加藤清正」。 清正公祇は 勝負の神で、清正祭りには 花菖蒲が 供えられます。 道の駅賀陽:北緯34度48分59秒・東経133度42分19秒 加賀工業団地・西矢城子152番地:北緯34度48分8秒・東経133度40分56秒 庚申山:北緯34度48分10秒・東経133度41分13秒 山ノ神:西1699・1865(北緯34度48分33秒・東経133度40分50秒)・1866番地等 代官給:西1781-1785番地 妙見渡:西1786-1790番地 荒神前:西2025・2042-2055番地 平成27年(2015年)11月13日
宮地 乢の妙見社 Myouken-sya in Miyati-Tawa
総社賀陽線(57号線)から 大和大橋を渡り 岡山自動車道の賀陽橋を潜ると 宮地乢Tawa640-1-1番地に出ます。田和中バス停留所の東の丘の頂上 北緯34度47分45秒・東経133度41分53秒に 妙見社が建っています。1月9日に 祭りをします。堂内には 二宮社と 一宮社が 2社 納められています。左の二宮社の厨子は 仕切りはなく つながっています。中央の一宮社には 妙見菩薩が 祀られます。 宮乢:宮地432・481番地等 宮谷:宮地445番地 塚原:宮地513・566番地等 乢・タワ:宮地576・755番地等 平成29年(2017年)6月6日
宮地 大和神社の妙見社 Myouken-sya of Yamato-jinjya
宮地宮谷445番地 北緯34度47分47秒・東経133度45分7秒に 大和神社が 建ちます。明治43年(1910年)に 大和村北 西 岨谷 宮地にあった 35の小社が 村社八幡宮に合祀され 一村一神社となし 大和神社と改名されました。その合祀された 小神社に 大字岨谷小迫の龍王神社(志那津比古命Sinatu-hiko-no-mikoto 志那津比女命Sinatu-hime-no-mikoto) 西の大向の妙見社(経津主命) 龍王山の市杵島神社(市杵島媛命 多岐理姫命)が含まれます。「賀陽町史追補版」 岡山神社庁の示す 由緒によると「建久年間(一一九〇年―一一九八年)の創建と 伝える。明治四十三年四月十四日 大和村大字宮地字宮谷に 鎮座していた 八幡神社に 同村大字宮地字東ヶ市に 鎮していた 座御前神社と 同村大字西字湯原に 鎮座していた 〇〇?(龍王山の市杵島神社でしょうか。)と 同村大字岨谷字岩山に 鎮座していた 岩山神社と 同村内無格社三十一社を合祀して大和神社と改称し 一村一社とした。」と されます。 宮乢:宮地432・481番地等 黒田:宮地274・446番地等 小迫 「コザコ・コサコ・小迫」:岨谷734・3442番地等 山ノ上:宮地1149 ・1327番地等 大向:西1028-1041番地 龍王山:西2935・2949番地等 平成16年(2004年)8月24日
吉川 吉川八幡宮の黒山妙見社 Kuroyama-Myouken-sya of Yosikawa-Hatiman-guu
北緯34度49分11秒・東経133度45分07秒 吉川苅尾3932番地に 吉川八幡宮が建ち 多くの小神社が 合祀されています。その中に黒山妙見宮・妙見社(祭神:天御主命Ame-no-Mi-nusi-no-mikotoが あります。 天御主命:天御中主命Ame-no-Minakanusi-no-mikotoでしょう 黒山妙見:黒山357・359番地番地等 妙見番木:黒山2-7番地 齋免:黒山345-349番地 宮ノ下:黒山352・353・355・356番地 宮ノ脇:黒山360・361番地 平成24年(2012年)7月7日