天明年間に京都の民間学者の大江匡弼Ooe-Tadasukeは「神仙霊章春秋社日醮儀」の中で 「中国での土地の神祭りを真似て 春秋の社日に 土地の神を祭れば 五穀豊饒 国家安寧 家内繁昌 子孫長久 金銀米銭創庫充 無病息災 寿命永長等が 得られる。祭をするには その国々に応じた村郷の田の畦や路傍の清純な地に、石を五碑のように 角に切り 各々の五角石面に 五穀の祖紳 守護神 土の祖紳 即ち天照大神 倉稲魂命 大己貴命 少彦名命 埴安媛命の五神の名を 彫った搭を作り 大地があるとされる北に 正面を向けるように立てる」と 説きました。「https://townweb.e-okayamacity.jp/tatsunokuchi-r/rekishi/rekishi3/jijinsama11/jijinsama.html」
地神社の次の項目に続く Kyoto's private scholar Ooe-Tadasuke imitated the land god festival in China in his「Sinsen Reisyō Sinjyuu Syaditu Syougi" in the Tenmei era, and he preached that if the god of the land is worshipped on the Spring and Autumn Syaniti ”Day to enshrine the guardian god of the land of birth”, the people will be able to obtain five grains fertility, national security, safety of the family, Sison-tyoukyuu ”the descendants will continue for a long time and prosper for a long time”, Kin-Gin-Bei-Souko-mituru ”gold, silver and rice are full over in warehouse”, Mubyou-Sokusai ”the enjoyment of sound health”, longevity of life, etc. and when the festival is held, use a tower carved with the Oyagami “Ancestors as Gods” of Five Grain gods, Guardian and Oyagami of the Earth god on each pentagonal stone face, i.e. the Amaterasu-oo-mikami “Oyagami of Japanese Royal family”, Uka-no-Mitama-no-mikoto “Oyagami of five grains” , Oo-Namu-ti-no-mikoto “Ookuni-nusi-no-mikoto・Oyagami of Japanese land”, Sukuna-biko-na-no-mikoto ”God of nation-building・the partner of Ookuni-nusi-no-mikoto/God of medicine” and Haniyasu-hime-no-mikoto “the goddess of clay/earth”, and face the front ”Amaterasu-oo-mikami” of the tower to the north where is considered to be the earth continue to the next-地神社-item
豊岡上 鎮ヶ乢に立つ地神社 Monument of Diji of Tjin-sya in Tingatawa
豊岡上上中須賀290番地の隣の北緯34度53分58秒・東経133度45分512秒の豊岡地区農村公園内に 地神社が 建ちます。5つの厨子が 有り 愛宕神社 天神社 鎮守神社(鎮守宮) 鎮火神社 御崎社が 祀られています。軒下に「奉納 上光寺上仲氏子中 寄贈瓦一式 金森重雄」の木札が 掲げられています。衆楽倹貯〇拾周年記念碑「昭和六年」 代官榎並茂兵衛の供養塔 人数二十七人・南無阿弥陀佛の碑 地神碑 等がこの公園に有ります。 衆楽倹貯10周年記念碑:日露戦争時の貯蓄奨励政策が実施され 太平洋戦争中も貯 蓄奨励の運動が 続けられました。昭和六年と 刻まれているように 見えますので 農協の系統中央機関・農林中央金庫の設立(大正12年:21923年)10周年を 記念として 建てられたのでしょう。 農林中央機構は 国内最大規模の機関投資家と なりました。 代官榎並茂兵衛:池田光政の時代の 豊岡地域の代官で 大木に住み 土動地池Dodouti-ikeを掘り 金子水道Kaneko-suidouを 引き 豊岡上の薄の原を田に開墾し 多くの子供を藩校の紙工Sitori手習い所に通わせました。 二十七人・南無阿弥陀佛の碑:戦国時代の始め頃の虎倉城主・伊賀久隆が 裏切り者と勘違いし 優秀な部下の河原六郎右衛門等20数人を暗殺したとされる常光寺合戦の犠牲者の供養塔を 後世の人が悼み 立てたのでしょう。常光寺城は 地頭伊賀頼氏が大鶴山頂上(豊岡上別曽669番地の西の山 北緯34度54分16秒・東経133度45分41秒)に 建てたとされます。 聖岩下:豊岡上203・207番地 湯田:豊岡上215番地 鎮ヶ乢・鎭ヶ乢・鎭ヶ溺:豊岡上219・302番地等 供養石西:豊岡上224番地 地頭原:豊岡上238番地 鍛冶屋:豊岡上252・267番地等 上光寺:豊岡上289・411番地等 上中須賀:豊岡上290番地 平成25年(2013年)1月25日
豊岡上 前相模に立つ地神碑 Monument of dijin in Mas-Sagami
北緯34度54分34秒・東経133度45分60秒 豊岡上ソバ872番地と豊岡上幸槌1318番地の間の ほぼ中央の北の土手上に お堂が立ちます。堂内には 八幡宮と 三寶荒神社が 納められています。境内に 地神碑が 立ちます。 箒坂:豊岡上840-844番地 馬カ坂:豊岡上845番地 馬ヶ坂:豊岡上845-850番地 相模:豊岡上879番地 前相模堂ノ前:豊岡上889-893番地 堂東行免:豊岡上894番地 稲荷久保:豊岡上946・947番地 幸槌:豊岡上1317-1319番地 地蔵乢:豊岡上1331・1332番地 前相模:豊岡上1343・1348番地等 丸師天山:豊岡上1344-1346番地 平成25年(2013年)1月25日
豊岡下 天神山の地神碑 Monument of Di-jin on Tenjin-yama
岡下長屋下タ 276-1番地の豊岡いきいきプラザの南・豊岡川に東と南が囲まれた田の中に 孤立した 標高240m程 高さ40m程の岡が 天神山です。北緯34度54分37秒・東経133度46分37秒の天神山は 城山で「天神山城 或いは 片山状跡と 。呼ばれます。山の頂上い鎮魂碑が立っています。鎮魂碑の立つ平坦地の西南に 浅い空堀があり 下り道が続き 下り路は 豊岡上下尾倉1081番地に出ます。この側の斜面は 切り取られ 急峻となっています。その坂道の途中に地神「嘉永 酉二年吉祥日」大智明権現「天保十三寅八月吉日 施主 横部中」 地蔵菩薩「天明六丙午八月廿四年」が 祀られています。 令和5年(2023年)3月3日
豊岡下 引撫に立つ地神碑Hikinade-jijin shrine
豊岡上小森線の湯の瀬温泉の西の大曲を曲がった所の 鋭角な分岐を 真地・引撫・大師に向かって登ると、豊岡下古家敷2292番地に出ます。その南 北緯34度55分27秒・東経133度47分21秒に 引撫集会場が 建ちます。その庭に力石 仏像の他 2基の地神碑が 立ちます。地神碑の後ろにも 2尊の仏像が 有ります。オカオグルマの群落が ありました。 墓ノ下:豊岡下95番地 墓ノ下タ:豊岡下267番地 堂ノ前:豊岡下126・130番地等 古屋敷:豊岡下135・423番地等 亀納:豊岡下142・208番地等 京納:豊岡下171・206番地等 荒神下:豊岡下214-216番地 平成29年(2017年)4月29日
豊岡下 天神山に立つ地神碑 Monument of Dijin
on Tenjin-yama
豊岡下豊岡いきいきプラザの南・豊岡川に東と南が囲まれた田の中に 孤立した岡が 天神山で 北緯34度54分37秒・東経133度46分37秒に 位置します。昭和中期に 天神山は巨大古墳である との流言が有りました。いきいきプラザから 南西に大谷川を渡り 豊岡一本桜から 西南に山に登ると 頂上に墓場や 鎮魂碑があり、下り道となるので 豊岡上1081番地に向け下ると その途中に 地神碑 大智明権現 地蔵菩薩が 祀られています。かつて 天計神社の摂社の荒神社 天神社が 祀られていました。 石風呂:豊岡下1・2・4・16番地 天神宮神田:豊岡下54番地 天神原:豊岡下3・52番地等 平成26年(2014年)1月26日
豊岡下 舟堀下に立つ地神碑 Monument of Dijin in Hunabori-dsimo
豊岡上小森線(371号線)の天計神社休憩場の凡そ200m東・豊岡下舟堀553番地の 北の小台地 北緯34度54分53秒・東経133度46分48秒に 加茂八十八ヶ所霊場巡礼65番奥の院舟堀下札所 釈迦堂が 建ちます。釈迦三尊像の他 弘法大師像 等3尊と丸い自然石が両脇に祀られています。境内に 船堀下組の地神碑が 立ちます。 太鼓場:豊岡下466・495番地等 舟堀:豊岡下476・680番地等 矢納屋鼻:豊岡下339番地 城落:豊岡下355・356番地 城落:豊岡下778・782番地等 鳥居場:豊岡下365番地 鳥井場:豊岡下372・397番地等 鳥井場:753・754・776番地等 大師上:豊岡下411番地 平成24年(2012年)8月1日
平岡 正八幡宮の愛宕神社 Atago-jinjya of Syou-Hatiman-guu
上野長尾佐631-2番地から東北東に480m程 進むと 平岡と上野の境界線上に 変則的な四差路があり 四叉路より 北東に曲がり 130m程進 むと 東に向う山道が あります。山道を45m程進むと2本に 道が分岐するので 道なりに北側の山道を 東に240m程進むと北緯34度51分4秒・東経133度47分19秒に 正八幡宮が 建ちます。本殿奥の左手には 壊れた小社 地神碑と 六宮社があり、右手には 木野山神社 愛宕神社 及び地神碑が あります。千日:平岡654・865番地等 大仙山:平岡659・660番地 八幡乢:平岡921・922番地 毛宗化:465・652番地等 令和5年(2023年)5月17日
広面 風神社の拾二社神社 Jyuni-jinyja shrine of Huu-jinjya
広面奥1269番地 北緯34度49分18秒・東経133度48分35秒に 風神社Huu shrine/Wind shrineが 建っています。本殿の北側に 地神碑が 祀られています。地神碑の東に 一社宮1社と 一社宮3社が あります。一番北の小さい社が 十二社神社で 十二社大権現神霊Jyuunisya daigongennokami-no-rei即ち天神七代Tenjin-7generations・地神五代Dijin-5generationsの十二神が 祀られます。 宮ノ後:広面1271番地 ドンド:広面1277・1278番地 四十田:広面1402番地 稲干場:広面1452-1456番地 ドンドグチ:広面1467・1472番地等 重代地:広面1473・1474番地 平成29年(2017年)4月1日
広面 廣奥に立つ地神碑Hirooku-Jijin shrine
広面岩目集落の広面岩目2394番地の 南西の丘の北緯34度49分38秒・東経133度48分53秒に 地神碑が 立ちます。 岩目:広面1612・2853番地等 ミコイワ:広面1661-1663番地 サイノコ:広面1739・1764番地等 モチタ・糯田:広面1480-1483番地 堂ノ下:広面1484-1486番地 奥谷:広面1508・1516番地等 モッコク谷:広面1581・1592番地等 登尾・ノボリヲ:広面1589・1675番地等 東盛:広面1766番地 鍛冶屋敷:広面1807番地 荒神ノ傍:広面1813・1814番地 荒神ノ脇:番地1815・1818番地 平成29年(2017年)4月14日
広面 西谷金刀比羅神社の地神碑 Monument of Dijin of Konpira-jinjya in Hiromo-Nisitani
広面西谷2626番地の北方の山の頂上 北緯34度50分14秒・東経133度48分43秒に 金刀比羅神社が 建ちます。その境内 本殿の左側に 摩利支天神社と地神碑が 立っています。 荒神田:広面2820・3448番地 早稲田:広面2773番地 金刀比羅田:広面2823番地 西谷:広面2568・2942番地等 クロミ:広面2234・2529番地等 ヒラキ・開キ:広面2492・2533番地等 蜂ノ頭・ハチノカシラ:広面2534・2550番地等 カミシタ:広面2565・2598番地等 荒神下タ・荒神下:広面2774・2824番地等 鳶ヶ巣・鳶ノ巣・トビノス・鳶巣:広面2814・2845番地等 日和・ヒヨリ:広面2943・3083番地等 平成29年(2017年)4月22日
福沢 福東に立つ地神碑 Monument of Dijin in Hukutou
加茂市場落合線(66号線)を 北上し 福沢東で 有漢町方面に曲がると 福沢石立358番地付近 北緯34度55分42秒・東経133度44分36秒に 福東公会堂が建ちます。その脇に 観音堂(大師堂)と 地神碑が 祀られます。地神の洞では 岩を樹の根が貫いています。 堂屋敷西:福沢322番地 墓ノ下タ:福沢331番地 宮ノマヘ:福沢349-351番地 石立:福沢352・359番地等 蟻ノ久保:福沢379番 地蟻ノクボ:福沢380・383番地 ミ子神ソ子:福沢399・456番地等 神子神曾祢:福沢465番地 金毘羅曽祢:福沢439・458番地 地藏乢:福沢506番地 平成25年(2013年)3月10日
細田 高平に立つ地神碑 Monument of Dijin in Takahira
円城下土井線(下土井下加茂線 372号線)高平バス停(高平札所近く)から北東に 高平集落に入り 270m程進んだ所 細田ナカヤ1748番地と 細田西1769番地の中間点 から東に大きく曲がった後 90m程 南西に進んだ 左上の墓場の近く 北緯34度53分51秒・東経133度47分16秒に 荒神社が 建っており 三面六臂の三宝荒神が 祀られます。右の社は 金比羅宮(金比羅大権現宮konpira-daigongen-guu)と祇園宮です。傍に 地神碑が 祀られます。 高平:細田1665・1906番地等 タカヒラ:細田1770番地 高ヒラ:細田1904番地 日ノ詰:細田1674・1710番地等 風呂屋谷:1675・1678番地 フロイ谷:細田1676番地 狐岩:細田1720・1763番地等 荒神マヘ:細田1778・1785番地等 荒神前:細田1786・1899番地等 ナカヤ:細田1748・1749番地 西:細田1769番地 荒神前:細田1786・1899番地等 平成26年(2014年)7月3日
細田 坊の乢に立つ地神碑 Monument of Dijin in Bou-no-tawa
細田ドウノ上272番地の東 即ち 円福寺Enpuku-ji西の吉備高原北部広域農道(奥吉備街道)の山手側の北緯34度53分43秒・東経133度46分24秒付近に八大荒神社が 建ちます。その境内に 地神碑が 立ちます。 ドフノ上:細田272番地 坊ノ乢:細田277・366番地等 ホフノ乢:細田276番地 ボウノタワ:細田350番地 坊ノタワ:細田353番地墓等 墓廻リ:細田299・302番地 塩谷頭:細田310・339番地等 阿彌陀:細田320・398番地等 アミ田:細田381・396番地等 狐ヶ鼻:細田330・331番地 祇園:細田340・348番地等 殿山:細田372-374・397番地等 平成24年(2012年)12月20日
細田 乢に立つ地神碑Tawa-jijin shrine
吉備高原北部広域農道 即ち奥吉備街道Okukibi main road 沿いの細田乢Tawa829番地(才の乢 下土井下加茂線の交点から480m程南西)の北に 地神碑が立ちます。立派な燈明用の石ぐろと 常夜灯と 思われる石造りの塔が 有ります。 三王乢:細田821・827番地等 山王乢:細田825番地 乢:細田829番地 三王:細田716・805番地等 サンヲフ:細田759番地 山王:細田803番地 野路マヘ:細田727番地 墓ノ西:細田728番地 石段:739番地 美瀬:742番地 美セ:細田747番地 大将軍脇:細田775番地 大セフクン上エ:細田776番地 平成28年(2017年)1月10日
溝部 溝部下に立つ地神碑 溝部上札所の地神塔 Monument of Dijin of Mizbe -kami-Pilgrimage site in Mizobe simo and Tower of Pentagon-Dijin
落合加茂川線(66号線)を 尾原から 溝部に入り 豊岡川に沿って Y字路を 左折し 恩木ダム方向に向かうと 直ぐに中渡橋があり、その西の溝部中田299番地と 溝部屋敷341番地の間の細い道を 西に行くと 北緯34度56分17秒・東経133度44分29秒に 加茂八十八霊場巡礼40番溝部下札所の聖観音堂が 建ちます。近くに 地神碑が 有ります。更にその西奥右手に 金刀比羅神社と五角地神塔が 建っており 奥正面に五社が建っています。 堂ノ後:溝部265・266番地 中田:溝部290・306番地等 湯カミ:溝部304・307番地等 丸山:溝部313・326番地等 堂マヘ:溝部328・337番地等 宮ノマヘ:溝部336・344番地等 宮ノ前:溝部345番地 屋敷:溝部341番地 三寶山・三宝山:溝部346番地 平成29年(2017年)6月23日
三谷 森神社の地神碑 Monumenta of Dijin of Mitani-MOri-jijya
三谷日名集落から 三谷川を渡り 二川に向うと、峠と橋の中間辺りに 道標が有ります。ここより 東に登る山道を 登り 道なりに 南 東 南 南東と 順に 進むと 上方の中央に 鳥居と階段が見えます。階段を昇ると 北緯34度54分25秒・東経133度47分49秒に 森神社の境内が あります。階段を 登りきった所の左に 灯明搭が有ります。拝殿の後に 本殿が 有り 拝殿の左に 一宮社・2社を祀る小屋と 中央に一宮社・2社を挟む三宮社と 四宮社(九宮社)」が あり、地蔵菩薩と思われる石像 一宮社 石碑 地神碑が2石碑 一宮社 3組の灯明祠と思われる金属製の社が 順に並びます。地神碑は 三谷日名と三谷陰地のものですが、どちらが 日名のものか 解りません。女郎久保:三谷312・316番地等 森脇:三谷336・342番地等 隠し田:三谷344-374番地 正上木・セフフ木:三谷409・470番地等 廣堂:三谷436・452番地等 春番田:三谷477・481番地等 秋番田:三谷488番地 タンコ免:三谷607・637番地 たんご免:三谷631番地 平成24年(2012年)6月29日
三納谷 父井辻堂の地神碑 Monument of Titii-Wayside hall
下土井下加茂川線の(372合線)の幸元大師堂の南・下土井幸元808-1番地から 細田川を 渡り 東に向いて 八社池の北を通り 63m程進むと 下土井と三納谷の境で 円城寺と加茂総社宮に 向かうT字路に なります。その境界線に沿って 総社に向かい 12m程進んだ交叉点 下土井野呂1223番地の北東に 加茂八十八霊場巡礼88番奥の院下土井野呂札所が 建ちます。そこで 東に折れ 6m程進むと Y字路となり そこ 三納谷父井1334番地の西 北緯34度52分50秒・東経133度46分25秒に お堂が 建っています。建物の右手に「三納谷西 出荷工房 コスモス 食品衛生管理者〇〇〇〇」と 記された看板が 掲げられます。境内に 地神碑が 立ちます。 大師古屋敷:三納谷912番地 金ヶ市:三納谷942・1054番地 装束面:三納谷1058番地 父井:三納谷1002・1336番地等 宮ノ鼻:三納谷1101・1144番地等 御供田:三納谷1121・1149番地等 御供田尻:三納谷1123-1124番地 金糞:三納谷1145・1165番地等 平成30年(2018年)3月12日
和田 素盞嗚神社の地神社 Dijin-sya of Wada-Susa-no-o-no-jinjya
吉備中央町和田青木山129 番地・林道宮の谷線の終 点の北緯34度53分31 秒・東経133度44分 50秒付近に 素盞嗚神社が 建ちます。その摂末社の中に 地神社が あります。穀物の神である保食神Ukemoti-no-kami 土の神である埴安姫命Haniyasu-hime-no-mikotoを祀 ります。 鳥居向:和田104・106番地 髪総:和田105・117番地等 青木山:和田127-129番地 宮ノ後:和田130-141番地 宗林寺:和田144-159番地 平成25年(2014年)3月25日
和田 薬師堂の地神碑 Monument of Dijin of Yakusi-dou in Wada
下土井から 和田川に沿い 北上し 和田板屋433番地の北の和田川支流に沿い 西に向かう と 和田大畑671番地に 出ます。和田大畑671番地の北を 即ち 和田上之畑692番地の東の取り合い道を 北に登ると 北緯34度53分45秒・東経133度44分18秒に 地神碑と薬師堂が 建ちます。 板屋:和田351・434番地等 大畑:和田670・691番地等 常佛谷:和田677-681番地 常仏谷:和田682番地 上之畑:和田692-696番地等 二番乢:和田697・830番地等 貳番乢:和田699・832番地等 平成29年1月3日
和田 江羅に立つ地神碑 Monument od Dijin in Wada-Era
和田宮田1420番地の西の道を 北に登り 山道を 東に 進み 山道の交叉点を 左に曲がると 右手奥・和田久元1569番地の やや西に当たる 北緯34度53分17秒・東経133度44分56秒に 祇園社が 建ちます。元に戻り 和田宮田1420番地を 北に登った交叉点の西の山道を 進むと 和田和田社1428番地の北西 北緯34度53分16秒・東経133度44分44秒に 地神碑が 立っています。 エラ:和田1213(北緯34度53分34秒・東経133度44分41秒)・1221番地等 恵ら:和田1215番地 エラ川:和田1219番地 和田社:和田1369・1431番地等 地神:和田1432番地 宮田:和田1420(北緯34度53分10秒・東経133度44分43秒)-1422番地 太歳:和田1500・1608番地等 祇園前:和田1562・1570番地 荒神田:和田1577番地 法師龍之段:和田1581番地 久元:和田1569番地 平成25年(2013年)8月16日