三所神社は 主祭神が3柱である神社 或いは 3社が合祀される神社です。従って祭神は 熊野三所神社等を勧請した場合でない場合、 祭神は 神社により まちまちです。和歌山県西牟婁郡白浜町744番地 北緯33度41分5秒・東経135度20分32秒の熊野三所神社の主祭神は伊弉冉尊 速玉男命 事解男命です。 ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります
上田西 立石上組荒神・立石下組荒神の三所神社 Sansyo-jinjya in Tateisi
立石に 祀られていた荒神社 等は 北緯34度52分53秒・東経133度47分17秒の 共愛公民館に 集められました。かつて 神社が建っていたらしく 石柱門の遺構 があります。共愛公会堂(公民館)の館内には 一宮社が 四社祀られています。1番左の社は三宝荒神社で、次の社との間に三宝荒神社 金比羅社 祇園社 御崎社の名が示された木札と 三所神社のお札が 納められます。次の社は 三宝荒神社です。 立石:上田西876・1115番地等 小丸山:上田西1119・1899番地 免田:上田西1124-1130番地 平成25年(2013年)5月30日
大木 三所様・三所神社 Sansy-jinjya in Oogi
豊岡上小森線(371号線)沿いの 須用田橋を渡り 今比羅神社の北西の交叉点を 東に廻ると 大木臺Dai519番地の東の山の麓 北緯34度54分25秒・東経133度46分35秒に 大木三所様・不動明王堂が建ちます。荒神社でもあり 甘酒の神様である と村人は 言います。堂内には3社と1石仏が祀られています。向かって一番左の小さい一宮社には不動明王 13仏 16番神を祀ります。左2番目の最小の社には紳変加持 仏陀加持の札が 納められています。紳変大菩薩(役行者)が 祀られるのでしょう。 右から2番の社には 天津神 八百万の神が 祀られています。右端の社は 御王社です。三所様を 三所神社と言う村人がおりました。甘酒の神:木花咲耶姫 荒神(埴山姫命 奥津日子神 奥津日売神)+仙人+ 加藤源十郎:岐阜県高山市江名子町の荒神社の閏年だけの甘酒祭 甘酒様:清荒神清澄寺(本尊 大日如来) 愛宕ノマエ:大木472番地 行免:大木491・508番地等 臺: 8大木519番地 空蔵上:大木527番地 地蔵廻リ:大木528・529番地 平成25年(2014年)5月11日
天元2年(979年)または永観元年(983年)若山の地に 爆音と共に 3本の火柱が立ちました。村人は なにやら悪鬼でも出たかと思い、鶴峰の郷士17人が 清月seigetuの夜、弓を持って 駈け付けてみると 白髪siragaの老翁が立っていて 声を発し「我は熊野の三所権現なり。この地に我を祀れ さすれば 民を守らん」と言い残して立ち去りました。3本の火柱は 輝き続けたので 里人は 若山の峰に社を建立し、若宮三所権現と称し 三所権現を 祀ったのです。明治2年(1869年)社名を 三所神社と改めました。火災があった折、神体を 女性が 運び出し守ったので 今は女性を 大切にする神と されています。若山の峰の火柱の立った場所は、御供田Gokuudenとして保存されています。田の中にかつては石組の祠(グロ)がありました。毎年10月第3日曜日の前日に秋祭りを行います。「加茂川町史」
←在りし日の御供田・現在は薮になっています 加茂川町史より。
若宮の地に 夜な夜な 怪しげな光が立ち、鶴峯の豪士17人に「清月の夜、弓を以て怪しき光の主を 退治せよ」と 神託が有ったので 実行しました。それを起原に 縁由祭(的祭Mato-maturi)が 行われていました。的を 男子の氏子が 竹弓で射る祭りだったと言われます。戦後まで 行われていましたが、今は 行われなくなりました。「加茂川町史」
←父井谷・三所神社はもっと右手
円融天皇の天元2年 当山の麓の池に 夜な夜な 光り物が現れ、人々が 怪しみ畏れ 鶴峯の強士 老翁らが 衣服を正し 身を清め 池に至り、熊野権現の神託を畏んで 若宮の峯に守護神 三所権現として 鎮め 祀ったと伝えられます。備前藩主 池田家の崇敬厚く 毎年御供米2斗1枡を 奉献されました。明治2年(1869年)三社権現を 三所神社と 改号しました。大正10年(1921年)9月、神饌幣帛料Sinsen-Heihaku-ryou供進神社に指定せられました。「三所神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 (okayama-jinjacho.or.jp)」 満月のある夜、若山の地に 大きな音がして 3本の火柱が 燃え立ちました。村人達は なにやら妖怪か鬼でもやって来たと思い、鎌Kamaや 鍬Kuwaを 武器にして 駆け付け、また鶴峯の豪士17人が「弓を以て怪しき光の主を射よ」との神託を受け 駆け付 け火柱に射掛けると 馬に乗った白髪の老翁が 父井川の支流を駆け昇りやって来て、大声で「我は熊野の三所権現である この地に我を祀り給え さすれば 民を守らんと 欲す」と言い、乗っていた馬が 脚を掛けていた岩に 蹄の跡を残し立ち去りました。3本の火柱は 輝き続けたので 里人は怖れ敬い若山の峰に 社を建て、若宮三所権現と 呼んで祀りました。父井谷に添って 三所神社に向け 舞々風Maimai-kaze(巻々風Tumuzi-kaze)が 年に十数回駆け上ります。「村人口伝」
境内には 摂末社として 本殿右奥に若宮 本殿奥の左の社として龍王宮・龍王海宮 中央の大きい社として斎宮・斎神社 本殿奥の左の社として産土神社・中尾三宝荒神社に素戔嗚命が 祀られており、その後ろに 朽ちかけた 神様がお留守の社が 建ちます。その左手 に燈明用の石の祠Guroと三所権現が 乗馬してやって来て 残した馬の足迹が 石に刻まれたとされる 馬蹄石が 祀られています。馬蹄石碑を 良く観察すると 確かに馬蹄の形をした 傷が有ります。斎神社:津山市沼430番地の斎神社の祭神は弓月の君Yutuki-no-kimi 即ち融通王Yuduu-ou 稚日孁尊Waka-Hirume-no-mikoto 天宇受売命Ame-no-Ùzume-no-mikoto 倭姫命Yamato-hime-no-mikoto 滋賀県湖南市菩提寺1305番地 北緯35度1分31秒・東経136度4分3秒の斎神社の祭神は 月読尊Tukuyomi-no-mikoto 稚日孁尊 兵庫県養父市長野字東山265番地の斎神社の祭神は 天太玉命Ame-n-hhutodama-no-mikoto 手置帆負命Taoki-Hooi-no-mikoto 彦狹知命Hiko-sasiri-no-mikoto 兵庫県姫路市実法寺214番地の主祭神は倭姫命 若山・御供田:北緯34度52分41秒・東経133度46分25秒 鶴峰・霜峯:三所神社から 美原と三納谷の境になっている道を 東に進むと 直ぐに三叉路があるので 北西に折れた所 北34度52分38秒・東経133度46分26秒付近 三所神社の東北東約150m 仁五ノ前:下土井1207・1208番地 箕口:三納谷1168・1296番地等 父井:三納谷1002・1336番地等 父井坂:三納谷1057・1066番地 装束面:三納谷1058番地 宮の鼻:三納谷1101・1144番地等 御供田:三納谷1121・1159番地等 因みに福岡市西区宮浦1157番地 北緯33度8'分33秒・東経130度13分43秒の三所神社の祭神は 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命 高知市神田御手洗358番地の三所神社の祭神は伊邪那美大神 速玉之男大神 事解之男大神 滋賀県甲賀市信楽町上朝宮1481番地 北緯34度51分20秒・東経135度9分8秒の三所神社の祭神は素盞鳴尊 木花咲耶比売神 岡象女神 和歌山県西牟婁郡白浜町744番地北緯33度41分5秒・東経135度20分32秒の熊野三所神社の祭神は伊弉冊尊 速玉男命 事解男命 平成24年(2012年)5月4日