年神は良いもんじゃ 暦の表紙 見えない神様 クチナワの嫁取 磐長姫の祟り 水神の祟り 田螺兵衛の出世
年神は良いもんじゃ Nothing is better than Tosi-no-kami
昔昔、山深い村に「津根Tune」と言う青年 がいました。頭の良い一人息子でした。隣村も酷い山奥で「蛍Kei」と言う 美しく優しい娘が 住んでいました。蛍は 一人娘で 頑固者の 父親がいたのです。ある年のお正月に 津根が 神社に参った折り「今年は嫁様に成る人に 出会えますように。」と お願いしていると 隣で「今年は、運命の人に出会えますように。」と お願いしている娘が いたのです。思わず横目で娘を 見て 運命のときめきを 覚えたのです。
気に成りながらも 別れ 山門を 潜り 細い参道を 南に下って行くと、さっきの娘が 鳥居の脇で 下駄Getaの鼻緒Hanaoを 切って 歩けず 蹲っていました。声を掛け 手拭いTenuguiを 破いて 鼻緒を 直してやると 恥ずかしげなのですが 嬉しそうに「有難う。」と お礼を言うのです。下駄を 履かせてやろうとした時 手と手が 触れた途端に ビビッと 電気が 脳天に 突き抜けました。緊張の余り 声も上ずり 何かを言ったのですが 何を 言ったのか 覚えていませんでした。娘も 震える声で「蛍と言います。 村の1番奥の家が 私の家です。」と 言い残して 立ち去りました。家に帰り 冷静になると「娘は自分の家を教えたのだから 娘にも 好意が 有る」と確信し「この機会を失 ったら 理想の女性に 2度と会えない。」 と思い「会いたい。」気持ちを 抑え切れなくなったのです。それでも「告白して 交際を断られたらどうしよう。」と 拒み続けるような足を 引きずり 隣村に 雨の中 出掛けました。妖怪脛曳に 邪魔されながら 娘の家にやっとの思いで 辿り着くと 娘は 以外にも 明るく 彼の訪問を 喜んでくれました。こうして 交際が始まり、二人は「結婚しよう。」と 話し合う程の仲に なりましたが、蛍が 頼んでも 蛍のお父さんが どうしても「一人娘のお前は 嫁に やらん。」と 言うのです。次の年の正月に 津根は 年始回りに 行くと 蛍の父親は「お前が 泥棒猫かぁ 正月早々に 娘を盗り に来くさって 一人娘を やったらわしの家は 潰れらぁ。いなれぇ。 正月早々 縁起もねぇ。」と ケンも ホロロに 追い返そうとするのです。何度も 汚い言葉を ぶつけられた 津根は 腹が 立ちましたが 蛍を 失いたくない一心で「必ず 幸せにする。」と 言って 耐えて 頼み続けました。その度に「必ずとは 神に誓っても と言う訳か。何の神にじゃ。何か解らん神に 誓ぅても やらん。いなれぇ。いなれぇ。いなれぇ。いなれぇ。」と相変わらず 粗い言葉を 返し 続けるのです。 ハタと「この人には 強く信ずる神がいる 」と 話題を変え「正月ぁ 良いもんじゃ 恵方様も見てくれてじゃぁ」と 言ってみると 蛍のお父さんは「じゃぁ。 年神様ぁ 良ぇもんじゃじゃ。」と にわかに 寛いだ様子に なったのです。
雪のお父さんの起源が 良くなったのに 気付いた 津根は 続けて「先祖霊の年神様 山ぁに居って 1年で年ぅ取って 爺さんに成って、正月に女見てぇに ナヨナヨ 山ぁ下って 来て、麓で待っている若ぇ年神と 交代し 、家ぇ来て 家族ぅ 守って 豊作ぅ 約束して 稲ぇ育てて 秋にゃぁ 収穫が済むと 山ぇ帰って 山の上から 里の家族ぅ守ってくれるもんじゃ。 歳神は 良ぇもんじゃ.」と 話すと 蛍のお父さんは「誰でも知っとる。しかも つまらん話し方ぁ態Wazaとしとる。 こうじく者と 自負している わしが 年神様の事ぅつまらんとは 口が裂けても よう言われん。それに 今日は正月じゃ。」と 思ったので「本真Honmaじゃ。 歳神は 良ぇなぁ。せえでどうなった。」と 言ったのです。津根は すかさず「その次の年も 年神様ぁ 山に居って 年ぅ取って 爺さんに 成って 正月にゃぁ 山ぁ下って来て 麓で 若ぇ年神と 交代して 家に来て 家族ぅ 守って 豊作ぅ 約束して 稲ぇ育てて 秋にゃぁ 収穫が済むと 山ぇ帰って 山の上から 里の家族ぅ守ってくれるんゃ。 歳神は 良ぇもんじゃ.」と 話すと うまく嵌めHamera)られた事に気付き 面白くもなく 腹が 立ったのですが「歳神は 良ぇなぁ。せえでどうなった。」と 言ったのです。そして「その次の年も・・・・・」と、話は 延々 と続けられました。どんなに 頑固と 言っても 攻めの我慢は ともかく 受け身の我慢には 限度はあります。蛍のお父さんは 思わず本音を吐いて「もう良ぇ。止めにせぇ。」と 言ったつもりが「嫁 嫁 嫁 嫁 嫁」と 繰り返し考えていたので 舌が縺れmoyureて「もう良ぇ。嫁にせぇ。」と 思ず 言い間違えました。すかさず津根が「ほんなら 蛍をもろうて 帰るが 二言はあるめぇのう。」と 言うと 元々 頑固者の蛍のお父さんは「言い間違えじゃ。」と 言えなくて がっかりして 頷きました。津根が「正月の神様の話ぁ 良ぇもんじゃのう。」と言うと、蛍のお父さんは 詰まらない 長話から 開放され 不思議に 清々しい気持になって「本真じゃぁ。良ぇ話じゃった。」と呟いたそうな。それで 二人は 夫婦になって 二つの家族を 良く纏めmatomeて 幸せに 暮らし 沢山の子を 儲けmoukeて それれぞれの家を 継がせたのです。二つの家族の1番の楽しみは 神社を詣で 歳神の話をしながら おせち料理を 食べる事だったそうです。目出度し。目出度し。「三谷野呂の百怪談」 「橡の実」「長崎の鼠」等 同じことを繰り返す物語は 格好多くあります。 ある登山家が「なぜ、山に登るのか」と 尋ねられた時「そこに、山が有るから」と 答えたそうです。多くのマラソン選手は 走り終わった時「今の気持ちは?」と 尋ねられると「気持ちよく走れました。」と 答えるそうです。苦しみが 加わると 苦しみを 和らげるために 脳内にエンドルフィンと言う快楽を 感じさせるホルモンが 出るのだそうです。苦しみが 去った時 そのホルモンが 達成感と称される快さを 感じさせるのだと 言います。蛍のお父さんも つまらない話を 散々聞かされ続ける苦痛から 解放された時 快楽を 感じたのでしょう。長い挨拶や 何を言っているか良くわからない 長いお説教が 終わった時 厳粛に 快く感じた人は 多いでしょう。 平成24年(2012年)1月14日
暦の表紙に女神様が書かれる訳 Reason why goddess is drawn on calennder cover
昔、 歳神様が 子供さんやお孫さんの神様と 一緒になって お百姓さんのお米作り を手伝ってくれました。その子供や孫の神様は 「土を造る神様 土を耕す神様 外国からの新しい技術を持って来てくれる神様 外国の技術を受け止める神様 水の神様 水を蓄える山の神様 水を分けてくれる山の神様 水を撒いてくれる神様 小さい山の神様 大きい山の神様 稲を植える神様 夏の暖かい日差しの神様 稲を育てる神様 収穫の小春を齎す秋の神様 稔りの神様 稲を干す足場を造る神様 お米を食べ物にする神様 そのために煮炊きする竈の神様 竈の火の神様 作業する屋敷を護る神様 外から来る泥棒 等の悪者を退治する神様 一年の米作りを管理する神様 年神様を助ける神様 年神様を助ける若い神様 お米を買いに来る旅人を護る神様 天皇にお米を差し上げる神様 等」です。そんな多くの神様が 手伝ってくれると言っても、神様だけに 頼っていても 稲は作れません。いつどんな 作業をしないといけないか 昔の人は 良く解らなかったので 歳神様に「いつどぎゃぁな作業せんといけんか 解り易ぃ暦ぅこさえてつかぁせぇ」。」と お願いしました。年神様は 「息子の日捲りHimekuriの暦の神に 命令して こさえさせよう。」 と 約束しました。暦の神様は「解り易く米を育てる手順を 絵にして 暦を こさえよう。そうすりゃぁ 字の読めない農民にも 手順が 解るじゃろう。」と 思ったのです。暦を作って行く内に お米作りに必要な神様が 足りない事に 気付きました。これでは 暦は 完成しません。そこで 父親の年神に 相談しました。年神は「しもうた 大国主は 肥料の神じゃが 肥料作りは下手糞Hetakusoで おまけに だらずな奴じゃ。 良ぅ真面目に 働く 肥料の神様を 産ませるのを 忘れておった。そうじゃ 毎年わしと一緒に お正月に 祀られる厠kawayaの神様に 助けて貰おう。ウンコやオシッコは 良い肥料になるけえ それに別嬪Beppinnさんじゃぁ。 最初の表紙には 厠の神様を 載せてその下に 目立たんように わしを 書いてくれぇ。そうすれぁ 厠の神様も 気を良うして 喜んで 米作りにも 協力してくれよう。良ぇなぁ 憬れAkogsarenoの弁財天さんと 一緒に暦に乗るのは。」と 言いましたそうな。それで 日捲りの暦の表紙の絵には 美しい女の人が描かれているのです。「お前の爺さんの 趣味と違うのか。」と 言わないでください。だが そうかも 知れません。
日捲りカレンダーの多くでは 七福神カレンダーでの 神々の内の 蓄財の神として 弁財天が 強調されるからです。写真参照「item.rakuten.co.jp/tokucale/1000150/」 日本神話:大歳の神は 大山祇神Oo-Yamadumi-no-kamiの娘の神大市比売Kamu-Ooiti-hime(農耕紳食料紳)と 素戔嗚尊Susa-no-o-no-mikotoの間に 生まれた神です。両神の間の子には 宇迦之御魂神Uka-no-Mitama-no-kami(穀物紳 食料紳)が おられます。大年神と香用比売Kayo-himeの間の子に御年神 孫に 若年神がおり これらの神々も 穀物紳 食料紳です。神活須毘Kamuikusu-bi(造化紳)の娘の 神伊怒比売Kamu-Ino-himeの間には 大国御魂神Oo-Kunimitama-no-kami(大国主命:国土紳 肥料農薬神) 韓神Kara-no-kami(朝鮮国の神) 曾富理神Sohori-no-kami(新羅の神) 白日神Sirahi-no-kami(向日神・筑紫の神か?) 聖神Hijiri-no-kami(日知神・暦紳)が おります。香用比売Kouyo-himeとの間の子に 大香山戸臣神Oo-Kaguyamato-mi-no-kami(僅かに光る山の神)がおります。天知迦流美豆比売Ame-no-Tikarumizu-hime(高天原の水の神)との間の子に 奥津日子神Okutu-hiko-no-kami(竈の神) 奥津比売神Okutu-hime-no-kami(竈の残り火の神・竈女神) 大山咋神Oo-Yamakui-no-kami(日吉紳 松尾神:大きい山を持つ神) 庭津日神Niwatu-hi-no-kami(庭を照らす神・屋敷神) 阿須波神Asuha-no-kami(足場紳・屋敷神) 波比岐神Hahiki-no-kami(屋敷内外の神・旅人の守護神) 香山戸臣神Kaguyamato-omi-no-kami(微光を放つ山の神) 羽山戸神Hayamato-no-kami(山の麓神)庭高津日神Niwatakatu-hi-no-kami(庭を照らす神・屋敷神) 大土神Ootuti-no-kami(土の神)がおります。羽山戸神と大気都比売Oo-Ketu-hime-no-kami(穀物紳・食料紳)との間の子には 若山咋神Waka-Yamakui-no-kami(小さい山の神) 若年神Waka-tosi-no-kami(若い年神・農業紳) 若狭那売神Wakasana-me-no-kami(田植えの早乙女神) 弥豆麻岐神Mizumaki-no-kami(灌漑神・稲作紳) 夏高津日神Natu-takatu-hi-no-kami(夏日の神) 秋毘売神Aki-bime-no-kami(秋の女神・稲作の神) 久久年神Kukutosi-no-kami(稲の茎の成長紳) 久久紀若室葛根神Kukuki-wakamuro-tunane-no-kami(新嘗祭屋舎建築神)がおられます。「https://ja.wikipedia.org/wiki/年神」 平成24年(2012年)1月14日
見えない神様 Do you believe invisible god
昔 とても貧乏な 家族がいました。父親は 家族を養うために 辛い仕事も 引き受けていましたがどうに もこうにもならなくなり ついに 犯罪に手を染めました。後ろ手に縛られ 唐丸駕籠Toumaru-kagoに 入れられ 唐丸鶏のように 肩を窄め 連れて行かれました。残された子供や 親戚の者は 近所の人から 白い目で 見られました。父親がい なくなり 家計は ますます 苦しくなったのです。14歳の綾は 播磨(Harimaの大百姓の仲居に 出されました。綾の雇い主は「犯罪者の娘だから こき使っても 文句を 言う者がいない。」と して、雪の降る中 素足で 麦踏みをさせる 等 過酷な命令をしました。切るように寒い朝の広い屋敷の拭き掃除 風呂の水汲み 洗濯 等の水仕事は 綾にとって 特に辛い仕事でした。皸Akagireができ 耳や足の指は霜焼けSimoyakeができました。その痛い事。綾は 死んでしまおうと考え 色々と試みるのですが 踏ん切りが 付きません。辛い。辛い。そして 終に 辛さを忘れたく 故郷へ逃げ帰ろうと したのです。 道を急いでいると 淡島神社が 建っていました。綾は 淡島様には 女の幸せと 病気の治癒や 厄除けのご利益が あるのを 知っていたので お参りしました。階段の下で 柏手を打ち「辛い生活が 終わりますように。皸や霜焼けが治りますように。」と 拝みました。ふと 綾の頭に 名案が浮かび「辛い記憶ぅ 消してもらおう。辛い気持ちに ならんようにしてもらおう。 そうすりゃぁ 辛さぁ 感じんようになる。 辛さぁ無くなりゃぁ 楽しゅう 暮らせる。」と 躊躇わずtamerawazu淡島様に 願いを伝えました。すると、お社が 光り淡島様と 思しき)者の声が あり「お前の願いを かなえよう。 階段を昇って来なされぇ。階段を 昇り切ったら 辛さを消してやろう。 楽しい事が 何かを教えてやろう。」と 言いました。
綾は1段目に上ると 辛い記憶が蘇Yomigaeriりました。2段に上ると 辛い 今の生活が 目に浮かんできました。3段目に上ると 兄弟や母が 辛い思いをしている姿が 見えました。4段目に上ると 家族の声が 聞こえたので 耳を 澄ませ 聞き取ろうとしました。5段目に足を掛けると 家族の笑い声が 聞こえました。6段目に上ると 家に残り 1番苦労している筈の 兄の 声が 聞こえました。「記憶を無くす事は 思い出を無くす事じゃ。」と 言ってくれています。7段目に上ると弟 の声が聞こえました。「辛い事があるから 楽しい時 楽しいと 感じるんじゃ。」 と 言ってくれました。8段目に乗ると 母の声が聞こえました。「目の前の神様は 本真に 神様なんか。 神様を見た者は おらん。 じゃから 神様の姿を知る者は おらん。なぜに お前は その者を 神と思うんじゃ。」と 言ってくれました。綾は 9段目に立ち「現実を 見直させてくれて お兄ちゃん 正二ちゃん お母ちゃん有難う。 皆との思い出が 一番 私Utiを 励ます事が 解かった。 考える時間をくれて 神様有難う。もう後1段で 全部ぅ失う所じゃった。 思い出ぇ 希望にして 生きて行く。」と 言って、ゆっくりゆっくり 躊躇なく階段を 降りました。すると神様は 舌打ちし「あんな女神みてぇな 顔ぅされちゃぁ 悪さも できん わしも 本真は 善人でいたかった お姉ちゃん有難う。」と 呟いたのです。その青年は 故郷に 帰り 淡島神社を 祀りました。「三谷日名の百怪談」 唐丸駕籠:犯罪人を 運ぶ駕篭で 唐丸鶏を 運ぶ籠に似ているので こう呼ばれます。 石の段淡島神社・斎乃神社:細田石段739-2番地の北西に大小の一宮社が建っています。大きい社が淡島神社で粟 島神社太玉 小さい社が 斎神乃大神社で 斎神乃大神太玉を 祀ります 淡島神社:粟島神社の総本山は 和歌山市加太116番地 北緯34度16分25秒・東経135度3分59秒に建ちます。祭神は 少彦名命Sukuna-hikona-no-mikoto 大己貴命Oonamuti-no-mikoto 息長足姫命Okinaga-tarasi-hime-no-mikotoです。心身の病気 平癒 子授け 安産 良縁 厄除け 災難除け 諸業繁栄 等に 霊験あらたか との言い伝えがあります 人形供養 針供養 婦人病祈祷等が 行われます 平成23年(2011年)8月12日
豊岡上の岩屋に 大岩を切り取って 岩山神社が 建てられています。御神体は 大岩の盤長姫命Iwanaga-hime-no-mikotoで 一生に一度だけ 願い事を 必ず叶えますが 邪心を持った願い事をすると 祟り殺されます。遣わしめは 角を持つ白蛇で 社の手前の四角い汲川を 住処にしています。「加茂川町史 土動地で村人より口伝」村に3人の娘を 育てていた お父さんが 居ました。お父さんが 田圃の水を見に行くと 物凄い数のガマガエルがいて 触る と白い汁を 吹き出し 皮膚が 腫れ上がりました。お父さんは 田植えができず困って 岩山神社に参り「毒蛙を 退治してつかぁせぇ。」と お願いしました。 磐長姫命は「解りました。わたくしの遣わしめに 命じて退治させましょう。」と 約束しました。お父さんは 喜んで帰り 田に行ってみると 大きな龍の様な 角の生えた白蛇が いて 頻りに 毒蛙を 食べていました。毒蛙は すっかりいなくなりましたが 大蛇は 水口の脇に とぐろを巻いていて 帰ろうとしません。追い払おうとすると 「ハー」と 溜め息を吹き掛けてきます。吐く息に 毒蛙の毒が 回っていたので 息が掛かると 皮膚が 腫れ上がり 吸い込むと 喉がひりつくのです。又も困り果てた お父さんは 霊験あらたかだった 岩山神社に 参詣し「神様ぁ あのクチナワぁ 退治して つかぁせぇ。」と お 願いしました。神様は「うちは2度は 願やぁ 叶えん 主義じゃ。 それにあの クチナワぁは うちの遣わしめじゃ。うちに遣わしめを 退治しろたぁ 何と言う いけずな 邪な糞 を頼むんじゃ。 邪な願いぃする者は 祟り殺すのが うちの信条じゃぁ。 祟り殺すが 良ぇかのう。」と 言うと、お父さんは 後悔して「わしの心得違いじゃ。何でも 言う事に 従がいます。」と 許しを 乞いました。すると、神様は「何でも言う事ぅ 聞いてくれるんじゃね 本来なら 祟り殺すところじゃが うちの遣わしめの クチナワぁ 恋煩いKoiwazuraiして 帰って来ないんで 困っているんじゃ。 助けてくれますか。 お父さんの3人の娘さんの内の一人に 一目惚れしたんじゃ。 遣わしめの嫁に くれるんなら 筋ぅ曲げて お父さんの罪ぅ 許しましょう。」と 言いました。お父さんは 青菜に塩で 家に帰ると「娘ぅ クチナワの嫁に せにゃぁならん事になった。誰か 嫁に なってくれんか。」 と 娘達に 頼みました。一番上の娘は「嫌yaじゃ お父さんが 祟られりゃ良ぇじゃろう。」と 言い 二番目の娘も「嫌じゃ クチナワの嫁になる位なら 死ぬる。」と 言いました。末娘は「神様ぁ 一生に 一回の願い事なら 必ず聞いてくれるんじゃなほんなら。ほんなら うちが なろう。」と 言いました。
お父さんは 余りの末娘の 優しさに「不憫じゃ。 出来そこないの お父んを 許しておくれぇ。」と 泣き出しましたが 末娘は ニッコリ笑って「明日りぃ岩山神社に 参って 神様の遣わしめの嫁にして つかぁせぇ。」と 頼むんじゃ。神様の。神様の遣わしめ 同士の夫婦なら 不幸と思わん。」と 言いました。それから 間もなく 岩山神社の蛇の住まいの汲川に 夫婦の白蛇が 楽しそうに 仲良く 遊ぶようになりました。「三谷野呂の百怪談」三人娘の嫁取の童話は「カッパのけっこん」 岩屋・岩山神社:豊岡上 北緯34度54分48秒・東経133度45分39秒 磐長姫命:大山津見神Oo-Yamatumi-no-kamiの娘で、木花之佐久夜毘売Konohana-sakuya-bimeの姉 石の神 岩の神 永遠の神 不老 長生の神の神であり ご利益は 健康長寿 縁結び 子授け 就職 入学 男女や企業間の縁結び 離縁等 クチナワ:蛇 いけず:意地悪を表す女性言葉 邪な糞・じゃなくそ・ジナクソ:悪い事 無茶苦茶な事 悪戯 平成24年(2012年)4月14日
昔 昔のその昔 下加茂に 為治と言う名前の百姓が 住んでおり 働き者で安産タイプの妻を持ちたいと思っていました。友達の弥太郎が 仲を取り持ち 円城の娘のお亀を紹介しました。親友の常佐は[円城の娘たぁ 気にいらんようになっても 離婚せられんぞ。」と 忠告しましたが 為治は がっしりした体に物を言わせ 良く野良仕事をし おまけに優しい性格だったお亀が 気に入っていたので結婚しました。数年は 平和で仲睦まじく暮らしましたが ある年 江与美Eyomiの方から 悪い風邪が 流行って来ているので「風邪送りをしようと 義太が 言い出し 小森の親戚に頼まれ 為治も 加わり 利三郎 多忠太 柳次 直平 亀吉 勘蔵 麻平 栄蔵 滝右衛門 光太郎 安三郎 幸之丞 藤五郎 源次郎 茂平治 熊吉 等が 天津神社の近くの 利三郎の家に集まり 風邪退治の気勢を上げようと 言う事になりました。皆は いつも旭の者が 小森に向けて虫送りを毎年していたので 「 旭に向けて 風邪送りを 虫送りで し返してやろう」。」と 話が盛り上がりました。風邪送りの途中 小森温泉の置屋の女将の菊納に 偶然出会って 浮いた話をし 女将の菊納も ノリノリで「只で 飲み食いさせてくれるんなら 好き者の芸子を 連れて行く。」と 言ったものだから 男達は 奇声を上げ 同意しました。しかし 当日は 大雨に成り 風邪送りは 中止され 天津神社で 芸子を交え 飲めや歌えの大騒ぎを しました。夜も更け一組 一組 カップルが 席を外して行きます。為治に お藤と言う芸子が 寄り添い 手を握って来ました。為治は お亀にはない その 張り付くような しっとりとした手や 肌の官能的な感触に 愕然としました。お藤も 為治の堅い筋肉質の体と 初心な性格が 気に入ったのです。そして 二人は深い仲になると 貯め治は「妻が いなくなれば 良ぇ。」と 考えるようになりました。離婚したいのですが 妻は円城の娘なので恐ろしく どうしても 離縁を 言い出せませんでした。ある時 定光寺の庄屋の浅太郎が 下加茂にやって来て 何やら悩む為治に「岩山様は一つだけの願いなら 必ず叶えてくださる。」と 教えてくれました。為治は「良い話を聞いた。」と ばかりに 取るものも取らず 岩山神社に向かったのです。道に迷うと 伊太郎や 台五郎に 道を聞いて 定光寺に向かい さらに狐穴で 豊之丞に 土動地方向に向かう道を尋ね やっとの思いで 岩山神社に 辿り着きました。断崖に 囲まれた社は 御利益を 予感させました。手と口を浄め「妻が 亡き者に 成りますよう。」と 唯それだけを 必死にお願いしました。満足し 帰ろうとすると 汲川から水音が 聞こえました。汲川を覗き込むと 石垣の間から 頭に 角が生えた 白い大蛇が 赤い目をこちらに向け 舌を 激しく出し入れしていました。為治は「使わしめが 自分の顔を確かめた。願い事は1つだけじゃった。必ず願いは叶う。」と 信じて 嬉しそうに帰って行ったのです。早速 お藤に合いに行くと お藤は 熱を出 しコンコンと苦しそうに 咳づいていました。よせばよいのに 一晩をそこで過ごし お亀の所に帰って行きました。すると 為治は3日後に 発熱し 喉を痛がり咳と 腹下しをし 始めました。お亀は 大切な旦那様が 病気に成ったので 野や山・田や畑を駆け巡り薬草を 集め飲ませました。ありとあらゆる看病を 続けましたが 葱を鼻に刺し込んだり 頭を冷やす事に 多少の効果あっただけでした。それを見ていた 親戚の網太郎と 仙三郎は「しきりに仕事中に 山鳩が鳴いとった 為治が病気になっとたんか。 何うしとるん。 祈のれ・くすれ・医者・気付け じゃ。 加持祈祷じゃ。勢力じゃぁ。名梅Nabaiの庄次郎は 木野山神社に参ってくれぇ。 尾原の栄蔵は 杉谷の才の神宮に 参ってくれぇ。 御上)さんは 千度参りをしんせぇ。」と 言って 祈祷師を呼んで 祈祷させたり 自分達も 念仏を唱え 踊ったり 歌ったりしました。祈りの効果も空しく 為治が死ぬ事が解って「医者に見せよう。」と 言って屋根職人の庄次郎 英介 亀之助 光太郎を 屋根に登らせました。医者が 駆け付け「手遅れじゃあ お死にんさった。」と 言いうと 屋根に上って待機していた 屋根職人等は 破風Hahuの前で 鉦を ガンガン叩いて 空に向かって「為治の魂。オーイ。 オーイ。 戻れえー。戻れえー。」と 叫んだのですが 魂は フラフラと揺れながら 空に飛んで行って しまいました。博労が お亀に近づき「毛替え(Kegaeせられぇ。 火替もせられぇ。」と 言い 陰陽師が「御兄弟に こんな名前はどうじゃろうか。」と 言いながら 近付いて来ました。牛を買い替える 約束をし 兄の護を 理彦とし 妹の和子を 登美子と名前を変えました。そして同い年の者が「悪い事聞くな。」と 叫んで耳塞ぎNinihutagiを 鍋蓋で しました。中には 豆を炒って食べる者もいました。僧侶の幸蔵と 桶担ぎの虎之丞 藤吉も 出番を 虎視眈々と 狙っていました。樵Kikoriの豊之丞が あちこちの山道を駆け回り 葬Souを言うと 庄吉 庄次郎 庄八 庄蔵が 話を広げ 噂を 千里に走らせたので 浅太郎にも 噂が届いたのです。浅太郎は 為治の御霊前に詣で「済まんかった。 邪心の籠もった お願をするたぁ 思わんかった。邪Yokosimaなお願をすりゃぁ 岩山様が 祟り殺すと 言う事を伝え忘れとった。」と 謝りました。喜平次は「浅太郎のせいじゃぁななかろう。為治ぁ 自分勝手な お願eぇをしたんじゃろうけぇ 仕方あるめぇ。」と 為治の妻の手を 熱い愛情を 込めて取り 励ましました。石屋の英介と 葬儀屋に 魚を売り付ける 網打ちの儀平は 嬉しそうに見ていました。風が 吹けば桶屋が もうかるからです。「岩山神社伝説」「提婆宮恨み釘伝説」「加茂川地区の迷信」「小森の風邪追い」「小森湯所村人口伝」
小森湯所村人口伝:かつて小森温泉に 置屋があり 湯所荒神祭等には 多くの芸者さんが 呼ばれました。三谷や 小森の集落の人達も 利用していました。今は 置屋もなく 芸者さんもいません。 江与味川戸小風呂:北緯34度56分41秒・東経133度48分5秒 江戸時代中期までは 庶民の墓の建立は 禁止されていました。江与味川戸の小風呂と言う所は その時代の死体の処理場です。多くの人は風葬され 一部の人は 饅頭型の塚を造ってもらえ 自然石で墓標を造られるのは 稀でした。高富 小森弁蔵 船津等の人達も ここに 埋葬されたそうです。 天津神社:小森百坂 北緯34度55分44秒・東経133度48分38秒 小森温泉:小森湯所 北緯34度54分59秒・東経133度48分8秒 常光寺:現在は 上光寺と 知名が 変わっています。 狐穴:豊岡上 北緯34度54分33秒・東経133度45分35秒 土動地池:豊岡上 北緯34度54分38秒・東経133度45分38秒 木野山神社:高谷1038番地の北 北緯34度51分49秒・東経133度46分42秒 伝染病に ご利益があります。 杉谷の才の神宮:北緯34度56分36秒・東経133度45分6秒辺り 才の神は 伝染病の村への侵入を 防ぐ神です。 円城の娘:「円城の娘を 離縁すると提婆が走る。」「加茂の提婆は 人を取る。」と 伝説されます。円城寺の 提婆宮は 恨み釘の名所です。 山鳥が鳴く:「しきりに 仕事中に 山鳩が 悲しそうに 鳴いいている時は 親戚の者が 病気に成る 。」との伝説 祈のれ・くすれ・医者・気付け:医学知識のない昔には 岡山県や香川県の限られた地域では 人が病気すると まず 祈祷し それに効果がない時は 薬を使い それも効果がない時に 医者に見せました。 風邪のくすれ:ニンニク シソの葉 ショウガ ミカン7の皮 桂皮(辛温効果) ダイコン 味噌 菜の根 ゴボウ ナシの皮 スイカズラ 葛粉Kuzuko 菊花 ハッカ(熱放散) ヨモギ 枇杷Biwaの葉 クコ クチナシ ネギ(解熱) カキの葉 アマチャヅル カリン(鎮咳) タンポポ 卵酒 葱酒 花梨酒 マムシ酒 イモリの黒焼 勢力・助成祈祷・勢参り:四国八十八所めぐり等の遍路等 破風:屋根脇の三角形の装飾や窓 魂戻れ:死人の魂は 破風から 逃げ出すとされ 魂を呼び戻せる 場合があるとの伝説 毛替え・火替え:家の主人が死ぬと 牛を買い換える風習や 竈等の灰を取り換え 古い食べ物を 食べ尽くし 新しい食べ物だけにする習慣 名前変え:兄弟が死ぬと一人だけで黄泉Yomiの旅をするのが 寂しいの で残された兄弟を地獄より 迎えに来ると言うので 死んだ人に 兄弟姉がいないと 思わせるために 残された兄弟の名前を変 える習慣 大抵は子供の場合にするのですが 時に大人でも名前を変えました。 耳塞ぎMimihitagi/Mimihutage:同い年の者の死の時の呪法 餅や団子物 等で耳を塞ぎ「悪い事聞くな。良い事聞け。」等と 唱え 耳を塞いだ物を 川や村境へ流し 穢ぎ清める習慣 豆を炒って食べる:豆撒の時 炒り豆を 歳の数だけ食べ 正月に 餅を歳の数だけ 食べる習慣が あります。 食べる数を 違える事で 同い年でないと 見せかける習慣 葬を言う・葬使い:葬式の知らせを 受けた物が 使いに 暖かい飯と酒を 振る舞い 草鞋Waraji1足と米1升をやる習慣 「加茂川町史」「加茂川町の民俗(葬儀の迷信)」 平成24年(2011年)1月27日
明治20年頃 三谷日名中倉野呂の安蔵に 子が無く、尾原塚原の 屋号塚原の 国三郎の5男音五郎を 養子にしました。尾原では 音五郎は 「今屋」での商売の傍ら 目打銅鉱山の 組頭をしていました。鉱山作業の技術は 三谷に来て 農閑期の 砂鉄採取のための掘削工事に 役立ちました。ある時 音五郎は その技術を 買われ 円城寺の大家Taikeから「井戸が 涸れそうなので 新しい井戸を 掘ってくれまいか」と 頼まれました。その屋敷の西には 既に 深い井戸があり 水神の罔象女神Muzuha-no-me-no-kamiが 祀られていました。円城台地は 田が造れない程 水の利が 悪い地なので 乏しい水脈を探し 深い井戸を 掘らなければなりません。音五郎は 銅鉱脈探しで培った 神掛かった技で 東に移動した水脈を 探し当て 屋敷の東に 深い井戸を 掘り始めました。音五郎は 男前の上 筋肉は隆々としていましたので 屋敷の美しい娘は 上半身をむき出しにし 泥と汗で光る 力強い男の魅力を 惜しげもなく晒す音五郎に 惹かれてゆきました。
休憩の お茶を 運んで来ると 娘は 音五郎の傍を 離れませんでした。気付くと 二人の仲は 縮まり 美しい妻がいるのに 恋の成就を 化気神社に 祈願する始末でした。井戸が 完成したので「円城寺は 寺の街じゃけぇ神道の神は 相応しくない 。」との理由 で 龍王が 祀られました。始め 滾々konkonと湧いた水も 祭られなくなった 罔象女神は 毎年 祭られる龍神に 焼き餅を焼き 龍王の神徳を 邪魔すると 両神は仲違いし 互いの威徳を 貶しkenasiたのです。音五郎は 気にしていた娘を 尋ね「三谷じゃ「ぁ 米ぁ ようとれん 一緒に円城で 百姓をしよう。」と 入り婿の癖に 三谷の家族を 裏切って いけしゃぁしゃぁと 言ったのです。勿論娘に異存はなく 心を逸らせHayarase 大工に 新築愛の巣の建設を 頼みました。大工は 急がされるままに 罔象女神を 祀った井戸を 埋 立派な家を 建ててくれました。
音五郎は 嬉々として 娘の家に入りびたりで 暮らしましたが 龍神のご利益は 得られず 米は 不作続きでした。村人は「音五郎はそのうち家を 傾けるぞ。」と 陰口を叩きだすと その家は 物理的にも 傾き出し しかも 龍神の井戸が 涸れかかったので 屋敷の西側に移った水脈を 再び探し 当て 新しく井戸を 掘りました。すると 新しい井戸の水を飲んだ 音五郎と娘は 死ぬるかも知れないような 酷い胃腸炎にかかりました。この水神の祟りは 治まるには 治まりましたが 娘の親戚は「音五郎は 厄病神に 祟られている」。」と 言って 娘を 音五郎から 引き離しました。娘を失った 音五郎は「円城は 土が悪く水も悪くて 米も 穫れん。 水神に 祟られるばぁじゃ。 化気神社の食物神の伊奢別命Isasawake-no-mikotoや 森神社の稲の神の宇迦御魂命Uka-no-mitama-no-mikotoの護る 三谷の方が まだましじゃ。」と 嘯いてusobuite三谷に 戻りました。「音五郎の長男澄彦談」 井戸を潰すのは良くない:恐らく 建築安全基準が 無かった昔の頃は 深い井戸をしっかりと埋めずにいると 時が経ち 沈下したり 病原体等で 汚染された土で 埋められ 土木技術的に 衛生的に 問題を残した事から 生まれた諺なのでしょう。このような事件は 水神の祟りと されていました。 三谷日名中倉野呂:北緯34度54分28秒・東経133度47分19秒 屋敷跡は ブドウ畑になっていましたが 現在は 人手に 渡りました。 尾原塚原の塚原:北緯34度55分16秒・東経133度45分2秒 庭に 古墳・哩人軍塚があります。 中倉:多くは 製鉄地にある地名です。 黒は 黒金を表すのでしょう。 三谷834・1037番地等 野呂:なだらかな地形や 製鉄地にある地名です。ノロとは タタラ鉄生産時の滓Kasuや 鍛冶・鋳造時の滓 又は 滓による埋立地 或いは 滓が生産される地なのでしょう。 今屋:尾原狼田606番地 北緯34度55分5秒・東経133度45分18秒 尾原・目打銅鉱山:北緯34度55分6秒 ・東経133度45分1秒 とされますが 実際には 坑道はありません 笹目の銅鉱山 北緯34度55分7秒・東経133度43分32秒の事でしょう。 三谷日名の砂鉄採取跡・弥太郎田:北緯34度54分21秒・東経133度47分14秒 日名地名は 陽の当たる地形 火のある所や 砂鉄の有る所に 付けられる地名です 弥太郎山:三谷880-883・919番砂 鉄採取跡・三谷原:北緯34度54分2秒・東経133度47分11秒 細田1143・1155番地等 三谷:細田1120・1163番地等 北緯34度54分56秒・東経133度46分55秒 美谷の転訛と 推測します。 雲母 或いは 砂鉄の露天掘りの地と 思われます。隣地の地名は 渋里の雲母です。 シブ:鉱物が 地表に 露出している地に 付けられる地名です。 渋里雲母:細田955・992番地等 北緯34度53分49秒・東経133度46分51秒 化気神社:案田氣喜5番地 北緯34度45分19秒・東経133度49分22秒 森神社:三谷陰地竹乢923番地 北緯34度54分25秒・東経133度47分49秒 平成28年(2016年)11月18日
昔 生真面目な 螺兵衛と言う青年が田 舎の貧しい百姓の家に 住んでいました。山に柴刈りに 出かけた時 急に ウンコをしたくなりました。丁度 良い窪みが 有ったので そこで 用を足したのです。余りに 急だったので お尻を 拭く紙を 持ち合わせておりませでした。辺りを見渡すと 白い紙が 置いて有ったので クシャクシャに 揉ん(で 柔らかくして お尻を拭きました。すると急に 雲が湧き 風が吹き出し 雷が轟き 大雨になったのです。螺兵衛は 股引Momohikiを 慌てて上げながら 松の大木の下で 雨宿りしました。松の枝の下に入ると 稲妻に合わせて ドカーンと松の木に 雷が 落ちたのです。螺兵衛は 気を失うと 心の中に 何やら神様らしい者が 現れ「こりゃ。 螺兵衛。 何であそこに ウンコしたかぁ。水神様の顔に ウンコを掛けて 御幣Goheiで 尻を拭いたじゃろう。 水神様ぁ 今 顔Kanbaseを 洗ておられる。代わりに わしら 風神と雷神が お前を 罰として螺Tubuにしてくれる。」と 言いました。気が付くと南瓜位の 大きい 田螺に なっていたのです。螺兵衛のお父さんが 帰ってこない息子を 心配して探しに来ると 水神様の祀られる所から 流れて来る溝で 大きな田螺を 見つけました。「なんとぼっけぇ田螺じゃ 。」と 感心して 大切に 田螺を 持ち帰り「螺兵衛は 神隠しに合ぅたようじゃ。」と 言うと お母さんは「なんと悲しい事じゃ。じゃが ずどほんぼっけぇ螺じゃぁ 螺兵衛の 生まれ代わりかも 知れんなぁ。」 と 言いうと、お父さんは「そうじゃ。水神様の申し子 じゃろうけぇうちで 護ろう。」と 言って 庭に 池を造り 螺太郎と 名付けました。年が暮れ 正月前になったので お父さんは 化気神社に 詣でて お札を 頂いて水神様に 祀ろうと思い 山に登りましした。水神様が 汚れているのに 気付き「水神様ぁ。 どこかの不埒者Huratimonが 汚しました。わしが 浄めますんで 不埒物を 許してやってつかぁさい。」と 詫びながら 綺麗にしてさしあげたのです。家に帰ると 直ぐに庄屋さんの所へ 年貢のお米を 運ぶために 曲がった腰で 少しの米と 粟や稗を 馬に積み始めました。螺兵衛は「辛そうじゃ 代わってあげてぇ 。」と 思いましたが 何もできません。お父さんは 庄屋さんから 借りて来た馬に 積み荷を やっとの思いで 積んだので 息が切れて 歩く事も 辛く ふらつきました。螺太郎は 思わず「あっ」と 叫びました。声が出るのに気付き「お父さんが 水神様ぁ 浄め 詫びてくれたんで 声がでるようになったんじゃ。」と 思いました。そこで 螺太郎は「お父さん 実は‥‥」 と事情を話そうと思いましたが「まだ神様ぁ 完全に許してくれておらん。」と 気付き あの時の話をしては 駄目だと 思いました。そこで「小父Ojiさん わたいWatakusiが 代わりに 庄屋さんに 届けます。」と 言ったのです。お父さんは 誰が話し掛けたのか 解りませんでしたが 田螺のいる池の方から 聞こえるように 感じました。「螺が 話何ぞ する筈が無ぇわい。」と 思って馬を引こうとすると「小父さん 小父さん わたいが 参ろう。わたいを 米俵の上へ 乗せてつかあせぇ。」と 再び聞こえてきたのです。「不思議な 日じゃあ。よう空耳が 聞こえる日じぁ。」と 思って 又手綱を取ると、螺兵衛は「小父さん。 わしじゃぁ。 世話になっとる 螺の螺太郎じゃぁ。」と 言いました。お父さんとお母さんは 田螺が 話せるのにびっくりしましたが お母さんは「螺太郎は 水神様の申し子じゃけぇ 話しが できるんじゃろう。 米ぅ運ぶてごTetudaiぅ 頼んでみたらどうじゃろうか。のう。 お父さん。」と 言うと、お父さんは「そうじゃった。螺太郎は 水神様の申し子じゃった。 甘ぇさせてもらおう。 行っておくれぇ。」と 言って 螺兵衛を 俵の上に 乗せ手綱を 持たせ 馬の尻を押したのです。螺太郎は「ハイドウ。ハイドウ。 シイシイ ホイホイ。」と 声を掛け 馬追い歌を 澄んだ声で 歌いながら 山や谷を越え 庄屋の家に 向かったのです。道行く人は 馬が 歌いながら ズンズン進むものですから「馬子も居らんのに 俵ぁ運んどる。 えれぇ馬も 居るもんじゃ。」と 不思議がりました。もっと 吃驚Bikkuriしたのは 庄屋でした。俵の上の 田螺が「開門。開門。 山の上の螺兵衛の 親爺様に代わって 螺太郎が 年貢の米ぅ 運んで来ました。納めてつかぁせぇ。」と 大声を出したからです。庄屋は「螺太郎と名乗るなら 何処)ぞに 螺でも 居るのかのう。」と 思って 馬の背を 探すと 大きな田螺が 俵の間に 挟まっているのを 見つけたのです。庄屋は「この珍しい螺が いつ迄も 家Utiに いてくれたなら 国中の評判になって 商売繁盛するじゃろう 。」と 考え どうしたら良いか 思案しました。「田螺が 人の言葉を話せ 丘の上でも死なないのは 神様が乗り憑いtuiているからじゃろう。娘の婿Mukoになってもらおう。」と 思い付き「螺殿。わしの娘の婿になってくれんかのう。」と 尋ねました。螺兵衛は 真顔になって「有り難い話しじゃが わしぁ 唯の螺じゃ。 娘さん達ぁ 承諾しましょうか。育てのお父 お母にも 聞いて見ないんと おえん。」と 答えました。庄屋は「育ての父と母と わしの娘にも 気を 使い 自分の現状の立場 を弁えwakimaetaた 立派な物言いじゃ。」 と 言い 螺太郎を 抱いて 小作の家へ 出掛け「螺太郎を 婿にくれぇ。どうしてもくれぇ。」と 頼んだのです。小作の夫婦は「本真かぁ。 螺太郎は 螺でぇ。庄屋さん所にゃぁ 男の子は おらんけぇ 螺太郎を 跡取りにする気かぁ。螺太郎を 螺兵衛の成り変わりじゃと 思っているんじゃ。 見下したりしないんなら 承知じゃ。」と 答えたのです。庄屋は「当たり前じゃぁ。こぎゃぁな立派な神様のご加護がある男螺は 他にゃぁ おらん。 きっと いつかぁ神様が 人間にしてくださる。 三人の娘ぅ 連れてきておる。誰が良ぇか 決めくれ。」と 言うと、娘達は「そぎゃんな良い人なら 嫁になりたい。」と「せんばりぇぇこ」ぅする 始末でした。小さい螺太郎が 娘達に押し潰されそうになった時 末の娘は 身を 引きました。螺太郎は「痛い。 痛い。」と 言うのに 姉達は 螺太郎が 欲しくて 争い続けたのです。お父さんは「決まった。螺太郎の嫁ぁ 決まった。」と 言い、お母さんも「そうじゃ。 末の娘さんが良い なぁ。 螺太郎。」と 言ったのです。そうすると 二人の姉は「熱意が 足りん 末娘ぅ 何で 選んだんじゃ。末娘ぅ嫁にしても 身代Sindaiは 貰えんのに」。」と 抗議しました。螺太郎は「末の娘さんが 良ぇ。わしの気持を思いやって せんばり合いこから 抜けてくれたけぇ。小作の嫁で 良けりゃぁ。わしの 嫁子になっておくれぇ。 良美さん。」と言ったのです。末の娘は「なんで うちの名前を 知っとるんかしら 。末長ぅ お願ぇします。」と 素直に 答えました。庄屋は「違う。 婿に欲しいと言ったんじゃけぇ 螺太郎はわしの息子にする。そう言う 約束じゃったよのう。」と 言って 螺太郎を 庄屋の家の婿に したのです。お嫁さんは お婿さんを 大事にして 螺太郎のお父さんやお母さんにも 親切にしたのです。その年の暮れに 水神様のお祭りを すると言うので お嫁さんは お婿さんを 大事に懐入れ 螺太郎の家に 道々 話をしながらやって来ました。道行く人は 独り言を言う 美しい娘さんを 振り返って訝りibukariました。水神様の前に 来て お嫁さんは「素敵な お婿さんをくれて 有難うございます。螺太郎さんは きっと何かの不始末で 水神様のお怒りを受け 螺に されたんでしょう。 私は 好な螺太郎さんと一緒に この水を守ります。どうか 祟りぅ お解きくだされぃ。」と 深々と頭を下げて 詫びました。すると 水の煙が 立ち込め 虹が周りを 取囲み 螺太郎の姿が 消え失せたのです。「もしや このどさくさに 烏か鯰(Namazuに 食われたんかも 知れんわ 。 田圃Tanboの泥に 埋まったのかも 知れんわ。」と 思い 草原や藪の中 田圃の泥の中を「螺殿。 螺殿。」と 声を嗄らしkarasiながら 一張羅Ittyouraの宮参り着を 泥塗れDoro-mamireにし 探し廻りました。その時 後ろから 優しく肩を抱く者が ありました。温かい手を 感じ「さあ 家へ帰ろう。お前のお蔭で 元の螺兵衛に 戻れた。」と 言う 透き通るような声を 聞いたのです。お嫁さんが 振り向くと 瞳を潤ませて 後光を頂いた じょうとこの若者が 立っていたのです。お嫁さんは 全てを 理解し ニッコリ笑うのでした。庄屋さんは 立派な息子が できて大喜びし 螺兵衛を 跡取にしました。この美談は 国中に広まり 押すな押すなと 訪ねて来る人が 増え 家は栄え 二人の姉に 立派な分家を出してやり 一族は ますます栄えたのです。「岡山地方に伝わる(田螺の婿入り)hukumusume.com/douwa/pc/jap/10/12.htm」「田螺長者 - Wikipedia」「三谷日名の澄彦談」 平成24年(2012年)3月7日