杉谷の才の神 蛭の神 相撲取り谷口与三郎 槙谷川の大岩 宮相撲 三国山国太郎 女性に優しい神社

杉谷の厄病神と才の神 The god of disease and the T守護神

杉谷の働き者の青年の鉄五郎 が 野良仕事 に夢中になっていると 厄病神が それを見て耳に虫を入れました。 何とか 取り出そうとしたのですが 耳の奥へ奥へ 潜って行きました。 厄病神が 僧侶に化けて 峠を 越えてやって来たのですが 僧侶にしては 徳が なさそうなので 才の神は「通行手形を見せろ。と 言って手形を 出させ 見ました。 手形の隅に「鉄五郎の聴力を失わせる。」と 備忘録が 記されていました。 僧侶姿の者が 厄病神と判ったので 追い払いましたが 厄病神は「種は仕込み済みじゃ。わしを 追い払っても 無駄じゃ。」と 捨て台詞を 呟きながら 戻って行きました。 すると鉄五郎が 才の神に参り「耳の中の虫を 取ってください。」と 願うので 才の神は 厄病神の奴は つまらない仕込みをしたものじゃ。」と 思いました。 鉄五郎は 翌朝起きてみると 虫は ポロリと 耳から 落ちました。 その日は 穏やかに 過ごせましたが 次の日か ら 突然耳鳴りが 始まり 気が散って 仕事に 身が入らず 苦しみました。 才の神のご利益は ないと思い 山伏の祈祷を受け 薬師に見せましたが 治りませんでした。 才の神は 原因を取り除いたのに 治らない事に 不思議がりました。 ある日 耳鳴りの音が「我は 才の神なり、薪の束を 持ってもう 一度参られぇ。」と 聞こえたのです。

鉄五郎は「さいの神を もう一度 信じるべきか。」友人に 相談すると「それ位の些細な病気で さいの神に お願いするのは 勿体過ぎる。神に 叱られるだけぞ。」と 忠告されました。 友人にとっては 耳鳴りは 些細な 病気ですが 鉄五郎にとっては 苦痛の伴う 難解な病です。 杉谷乢に 小さい薪の束を 持って参り「さえの神様、負薪病Hudsin-na-yamaiで 恐縮ですが 治してください。」と へりくだり お願いすると  才の神は「薪に火をとも せ 炎の揺らぎに合わせて首や手足を動せ 耳の中を見せよ」。」と 言うのです。 お告げに従うと 炎に 耳が 向いた時に 耳から 虫が 自発的に 慌てて出てきて 耳鳴りは 治りました。 才の神は「虫を2匹も 入れておくとは 厄病神もやるものだ。」と 厄病神の用心深さに 感心しました。 鉄五郎は才の神様のご神徳と 信じ 嬉しくなって ご利益を 村の人に 説きました。 この話は ア ッと言う間に 広まり 全国から 参詣者が 押し寄せましたが 昭和の大戦の後は 日本が アメリカナイズされると 参詣する者も なくなり 社は 放置されたままに なりました。 「三谷野呂の百怪談」 杉谷のさいの神が祀られる付近の地名:祖母や祖父(そぶ 水気が多い あるいは 鉄気の大井土等) 黒(鉄Kurogane ひやけ顔) 樋(金洗場洗樋) 金 野呂(タタラで鉄を 生産した際に 生じる滓や 鍛冶鋳造に 由来する滓)等の 製鉄地名が 多く残っているので 製鉄作業中の火の粉で 目を傷めた、り フイゴの 轟音で 聴覚に 障害を 受ける人が 多くいたのでしょう。 負薪の病・負薪の憂い・采薪Saisinの憂い:自分の病気を 謙遜して言う 言葉「薪Takigiを 背負ったため 疲れKutabireが 出て病気になる。」或いは「病気で 薪を 負う事もできない程 重い病気」 負薪汲水:薪を 採り 谷川の水をくむような 生活。 自然の中での生活 負薪:薪を 背負う事。 力仕事  小さい薪の束のお供え物:杉谷の才の神は 山奥の峠に 祀られています。 森の象徴である 木の枝を束ね 奉納する事で 森を管理する人を 才の神の 眷属とみなし 感謝の意を伝えたのでしょう。 祭田:杉谷799番地 ヒヤケ頭:杉谷675番地 オウソボ:杉谷689番地 保祖母:杉谷690・757番地等    黒木:杉谷693・694・732・734・735番地    桶ノ久保:704番地    祖父ガサコ:杉谷764番地    祖母ガサコ:杉谷765番地    カ子カワチ:杉谷806-808番地    ノロノタワ:杉谷819・820番地    齋ノマヘ:杉谷816-818・822・824・830番地

杉谷斎の神「杉谷コミュニティの守護神」の彩の神

 落合加茂川線(66号線)を井原から 落合に向かい 杉谷口で 杉谷集落方向に 坂を登ると、坂が下りになる辺りに 左に杉谷西に登る分岐が あるので 分岐を進むと 峠に出ます。 峠の手前の右手北緯34度56分37秒東経133度45分3秒の基礎部分の壊れた五角地神碑の手前に 杉谷の才の神が 祀られます。 杉谷のさえの神様は 英知に優れ 祈願を 良く叶え 道を 訪ねると 行方を示し 道理を明らかにする神様で 月経の神 下の病の神 安産子孫繁栄の神として 信仰されていました。 特に 耳の悪い人が 小さい薪の束を 供え 祈ると 特別のご利益が 有ると信じられていました。 「加茂川町史」

平成23年(2011年)10月29日。

 

杉谷 蛭の神 Goodess ot Leech 

杉谷には 蛭が ウジャウジャと いました。 田植え時期には 田に入ると足に 蛭が 張り付き 激しく血を 吸いました杉谷之の蛭の唾液)には 局所麻酔作用があるので 刺されても 痛みを感じません。 引っ張る と長く伸び ヌルヌルしているので 取りにくく 無理に引っ張ると 傷口が 大きくなって 治り難くなりました。 草 等を 束子状(Tawasi-jyouにして 擦り)取りますが 杉谷の蛭の唾には 血液が固まるのを防ぎ なかなか 止血せず、出血は 1から2時間も 続きました。 大した 出血でなくても 気が付くと 血だらけで 血の気が 引く思いを させられます。 だから 百姓達は 困っていました。ところが  高野神社に住んでい た丹生都比売神は 厄災退散 育児 不老長寿 農業 幸福への導き 五穀豊穣 財運 芸能の神様だったので 多くの願い 聞かねばならず 大忙しでした。 多忙から体調を 崩 し 便秘気味となり 自慢の美貌にも 問題が 生じてきたのです。 そんな母の体調不良を 心配した 高野御子神は 杉谷を尋ねると タラヨウの大木が 有ったので 数枚の葉を 摘んで 母を訪れ「この葉に 火を翳すと 丸い死環が 生じます。 占いに お使いください。そうすることで 長い祈祷を せずとも村人の願いを聞いてやる事が出来 体を休める時間が 得られます。」と 勧めると 母は同調しました。 息子は 男性に 相談し難い問題を 母が 抱えていると察し、タラヨウの葉を 手紙代わりにし「この葉で 茶を作りお飲みください。」と 記しました。 母は 試してみると 一定の効果が 得られたので タラヨウの葉を もっと求めようとしたのですが 日本には 珍しい木だったので 見つけられませんでした。 仕方なく生まれ故郷の揚子江に行き 木を採取して 戻ってきました。 揚子江からの長い旅で 酷く疲れたので 座るのに適した 岩に 座って休んでいました。 丁度良い木陰でしたので、転寝うたたねを してしまいました。 すると 卑しくも 蛭共が 天照大御神の妹姫の血を吸いに 足に さばり付きました。

村人は 人間離れした 気品高い女の人がいるのにも 驚きましたが 足に 蛭が吸い付いていて 足が 血だらけになっていたので 更に驚き慌てawate木酢を 持って 駆け付けました。 村人は 丹生津姫命を 神様と知らず 揺り起しました。 丹生津姫は 卑しい人間が 血まみれの汚れた手で 触っていたので 怒りを 感じましたが、直ぐに 血だらけの自分の足を 汚がらずに 治療してくれているのに 気付き 感謝の気持ちを 持ったのです。 村人による 治療が一段落つくと 丹生津姫命は「有難う お礼をしたいが 何か 望は無いでしょうか」。」と 尋ねると 村人は「あなた様は 神様の様な高貴なお方と 察しますが 御無礼を 致しました 私共は あなた様が 被害を お受けに成られたように 蛭の被害に苦しんでいます。もしあなた様が 神様なら 蛭を退治してくださりませ。」と お願いしました。 丹生津姫命は「私の血を吸った蛭共は 私の血液に 含まれる丹で 弱っている。」と 村人に言うと 村人は「それでも 蛭は あなた様に さばり付こうとしているでは ありませんか。」と 言うので「これ 蛭共よ。 人の血を この先も 吸うと言うのなら 口を捻り潰 血が 吸えないようにしてさしあげます。」 と 言って 全ての蛭の口を 捻り潰したのです。 それで 杉谷の蛭は 血を吸えなくなったのです。 丹生津姫命が「血が出たら この草を 張りなさい。」と 言って 血止め草を 差出し旅立ちました。 喜んだ村人は 杉谷山に 蛭除けの神様を 祀りましたが 火災に遭い高野神社の祭神は 丹生都比売命Niutuhime-no-mikotoで 千光寺の本尊は 千手観音菩薩(実際は 男仏です。)で 檀家達は 同じ女性の神ならば 一緒に祀っても良いだろうと言って 千光寺の中 に高野神社を祀りました。 村人達は 丹生津姫命の座った石を 蛭の神様として 現在も 崇めています。 杉谷に 嫁に行けば 蛭の被害に合わないと言うので 今 も杉谷の村は 嫁に困らないと 言われます。 「杉谷 杉谷口の村人との雑談」を基にした物語 蛭の吸血:血を吸う蛭は 血吸蛭と 山蛭です。蛭の唾液には ヒルディンと言う 血液凝固抑制作用(ヘパリン様作用)と 又 血管拡張作用があり 出血は 1から2時間も 続きます。時にアナフィラキシーショックを  起こし  急死する事があります。 高野神社・千光寺:杉谷口 北緯34度56分26秒東経133度44分56秒 タラヨウ・郵便局の木・葉書の木:北緯34度56分23秒東経133度44分56秒 便秘等に 有効とされます。「www.kusuriya-kanpou.com/user_data/ex-kanpou2.php蛭の神様の岩:北緯34度56分22秒・東経133度44分55秒 小森に弘法大師が蛭の口を捻ったとの伝説もあります。 丹・朱砂・硫化水銀の作用:殺菌 抗菌作用 魔除け 健康運アップookuni.info/30_wakayama/009.php丹生津姫神の神徳www.buccyake-kojiki.com/archives/1021800545.html 丹生津姫の誕生地:kamnavi.jp/ny/nyutu.htm

杉谷 杉谷の蛭の神

昔 杉谷の蛭はどこの村よりも 多く住んでいました。 そんな頃 田んぼの中にある岩に女神様が降臨してきました。 丁度 夏でとても暑かったので 田圃の水で足を涼めていると 物凄い数の蛭が 波を立ててやって来て 吸い付きました。 暫くすると 蛭は女神様の神力の含む血に当たり 酷く苦しみました。 女神様は「杉谷の人の血を吸うと 私が罰を与えます。」と 蛭を諭すと、その時から 杉谷の蛭は人の血を吸わなくなりました。 杉谷生まれの娘が 隣村に嫁に行きました。 何も知らず素足で田に入ると 肌が見えない程に 蛭にたかられ 血だらけにされました。 娘を驚いて杉谷の実家に出戻りし「酷い目にあいました 2度と他の村には嫁ぎません」と 言いふらしました。 それを聞いた付近の村の娘達は 杉谷の嫁さんになりたいと 杉谷の男達を 喜ばせました。「杉谷の村人より口伝」

平成23年(2011年)10月12日

 

三谷 陰地 相撲取り谷口与三郎 SUMO WRESTLER -YOZABUROU TANIGUTI

谷口与三郎と言う 宮大工が 飛騨から三谷陰地に 流れ着きました。相撲が 大好きだったので宮相撲に出るのですが加茂川には 篠音Sino-no-oto 隅田川 小錦 尾車 旭川 等の強豪が ひしめき合っていて 思うような 成績が上がらなかったので「強くなりたい。強くなりたい。」と 毎日 毎日 相撲の事ばかりが 脳味噌を占領していました。そんな与三郎の夢に 丸支天が現れ「我は戦いの勝利の神なり。都藤藤四郎Miyakohiji-Hujisirouを 訪ねよ。」 と 言うのです。藤四郎は 宮相撲の横綱で 上加茂に住む 吉備津彦神社の神職で 鴨神社禰宜を 務める 大森家の ひいき力士でした。

「憧れの閂部屋の都藤と 相撲を取りたい。」と 与三郎は 朝稽古を 見せて貰いました。与三郎の熱心な眼を 都藤が 見逃さず 土俵に 呼んでくれました。与三郎は 喜んで応じますが あっさりと 投げ飛ばされました。しかし 重い材木を 上げ下げして 運んでいたので 腕力に 優れ 足腰は 強靭で 梁の上を スイスイ歩ける程に 平衡平衡感覚にも 長けているのを 見抜いた 都藤は 可愛がってくれました。しかし 与三郎は 激しい稽古を するのですが たいした成績が 上がりませんでした。三谷城山の麓に 祀られている丸支天神社に参り「誰よりも 強くなった筈なのに なかなか勝てません。なぜでしょう。」と お祈りしていると、薮に居たが 物凄い速さで逃げ 可愛らしい子猫が 現れ じゃれついてきました。すると さわやかな神々しい風が 吹いてきて 木洩れ日が 揺れたのです。その木洩れ日の中の 一つに 特別に明るく 輝き 激しく 複雑に揺れるものが ありました。その 猫じゃらしのように 逃げ回る 木洩れ日に 子猫は 興味を持ち 上下左右前後に 見事な身のこなしで 追いかけ 頃合いを見て 素早いパンチを 繰り出しました。与三郎は「剛力で 猪突猛進するだけでは 勝てない 。  足りないものは この動きだ。」と 丸支天の教えに 感謝し 子猫と一緒に 陽の玉との 鬼ごっこを 楽しみました。丸支天神社の前での稽古の おびただしい汗を 三谷川から 汲んで来た水で  流すと キリリと 身が しまり 気力が 充実したのです。

宮相撲の季節になると 谷口与三郎は 丸利支天神社に 参り 三谷川の水で 垢離を取り 土俵に上がり 都藤藤四郎と対戦すると 猪のようにぶちかまし 猫のように動き回り マワシに 手が かかるやいなや 身をひるがえし 投げを 繰り出しました。その技能に 陶酔した 観衆は「都藤藤士郎も 与三郎に 掛かれば タダの トトウ-トウシロウじゃのう」と 話し合う始末です。そして与三郎も 宮相撲 閂部屋の大関になりました。気が付くと 相撲に明け暮れる余りに 大切な本職の宮大工の仕事を 失ってしまっていました。しかし 猫と猪の彫刻に 優れていたので 神社の修理があると 左甚五郎に 匹敵する腕を 振るったのです。その頃丸利支天は「あのトウシロウめ。わしは 面倒なので 何もしなかったのに 勝手に悟りおった。」と 陽炎の中に 埋もれ 笑っていました。「三谷陰地のむらびととの雑談」  三谷陰地丸利支天神社:北緯34度54分48秒東経133度47分49秒 摩利支天:陽炎の化身の天部の仏神で 日天の眷属です 本来は女神ですが 猪に乗る姿は 男性神となります 閂部屋:昭和初期まで有った宮相撲の力士部屋 藤四郎の供養碑:下加茂梅原260番地の西 北緯34度51分41秒東経133度47分34秒  平成24年(2013年)4月15日

 

宮地 槙谷川の大岩 N Big stone in Makitani\gawa river

明治19年(1886年に 回春小学校 北小学校 岨谷簡易小学校が 統合して 大和小学校と なりました。2025年度には 吉備中央町全体の小学校の 統合により 吉備高原小学校 吉川小学校 大和小学校が 統合され加賀南小小学校3 岡山県加賀郡吉備中央町竹部7520-19番地」と なる予定です。さて 大和小学校の東に 流れる槙谷川には 幅を覆う程の 大岩が あり昔から 何やら解らなくなった社が 祀られていました。雨が降る度に 付近の田に 水 が 逆流したので この社は 金毘羅神社であろうと 思いますが ともかく 村人は  神様の祟りが有るので  触ってはいけないと 信じていました。雨が降ると 水が 堰き止められるので付近の田は水を好むが 繁殖したのです。蛭による被害や 稲の不作に 苦しむ村人は 原下稲荷神社を 祀りましたが ご利益は得られませんでした。ある村人の夢に 原下古墳の埋葬者が現れ「わしは 昔この辺りの覇王じゃった。あの磐の所為で 溺れ死んだ。あの磐を 成敗してくれ。村の不幸もあの磐の精の所為じゃ。」と 頼んだのです。

その村人は 雨が降る度 村人に 磐の破壊を訴えますが 村人は「磐に憑りつく 清の祟りが 恐ろしい。」と 反対したのです。処が 昭和9年9月21日に 室戸台風が この地にも 大水害を齎したのです。最新の教育を受け 迷信など 気にしなくなっていた村人は この磐の撤去を役者に申し出 大和神社の祓いを受け 爆破しました。すると付近の田は 水落としすると 乾くようになり 蛭は 減減し 米も 豊作になるようになったそうな。現在 あの磐の有った場所はどこだったか 解らなくなっています。 令和6年(2024年)12月4日

 

宮相撲 Sumo wrestling for offering to  shrine

宮相撲は 五穀豊穣を 願い行う 年中行事でした。大正時代までは 尾原の金比羅神社 豊岡上の亀山八幡宮 上田東の松尾神社 和田の天王様 案田の化気神社 下加茂の日吉神社 尾原の重岡神社 上野の天満神社 高谷の森神社 下土井の土井神社 上田西の祇園神社 平岡の八幡神社 上田の久保田神社 加茂総社 五明の亥の子祭り 円城の亥の子祭りの他 多くの神社で 宮相撲は 行われました。下加茂 日吉神社の子供相撲は 昭和40年頃まで 続けられたと 言われます。各場所で 特徴を 持ちます。大抵の宮相撲では 朝 藁を束ねて作った土俵に 4本柱を 立て 注連縄Simenawaを 張り 神主の 安全祈願と 御祓い後に 前相撲が 行われました。子供相撲や 青年相撲です。勝者には 小銭や 鉛筆 等が 与えられ 敗者にも 小銭が 与えられる事が ありました。勝負は3番げし(恐らく3番勝負) 5番げし あるいは 勝ち抜き戦 飛び入り戦でした。いでたちに 藁で編んで 色素を吹きつけた 化粧まわし 等の工夫が 観客を 沸かせたそうです。これが 終 わると 近在の花形力士 あるいは プロの力士(閂部屋 等)の対戦と なるのですが その前に 昼食として 餅や握り飯 等の力飯を摂りました。「1かけ2掛け3掛けて 4掛け5掛け6掛け7掛け8掛け 橋の欄干rankan腰掛けて 遼Haruka向こうを 眺むれば 17・8の姉ちゃんが  筍かかえて泣かしゃんす 何も 悲しゅはないけれど、泣くや 淡竹ha-tiku孟宗竹(Mousou-dakeまで生えたのに 私のにやー 真竹が 生えぬ。 トコドシコメ。ドシコメ。」等と相撲甚句Sumou-jinkuが 歌われ 観客に 餅を配ったり 餅投げをしたりもしました。花形力士が 土俵に上がると 贔屓筋Hiikisujiが 投げ花御捻り 煙草入れ 着物 等 投げられました。こういう品物は 祭り本部が 換金します。相撲が終わると 酒が力士に振る舞われました。大正の頃の 1番の名力士は 真庭郡浅田村上山の三国山国太郎で 加茂川地区を 荒しまくりました。大活躍し 引退後 玉姿(相撲の頭取)になり、弟子は 200人を 超えたと言われます。尾原 豊岡からの弟子も 多かったそうです。名の残る力士は、尾原の前田房吉(大関キシノオト) 尾原の植木真吾(関脇スミダガワ) 下加茂梅原の都藤藤四郎Miyakohuji-Hujisirou 落合の小錦 和田の尾車 上田東の旭川でした。加茂川町に「借るは 借ったが 破れ傘。雨は 大森藤四郎。」と言う口合いが ありました。大森と言う人を 頼って来た 藤士郎が 雨の日 大森から 傘を借りましたが ボロボロに 破れていて 役に立たなかったのが 由来です。破れた傘を使う時、雨漏りする時の口合いでした。「加茂川町の民俗」

藤四郎の供養碑:下加茂 北緯34度51分41秒東経133度47分34秒 尾原の金比羅様:廃止 所在不明     豊岡上の八幡宮:北緯34度53分59秒東経133度45分35秒    上田東の松尾神社:北緯34度53分33秒東経133度47分45秒    和田の天王様・素戔嗚神社:北緯34度53分31秒東経133度44分50秒    案田の化気神社:北緯34度45分19秒東経133度49分22秒    下加茂の日吉神社:北緯34度51分46秒東経133度49分25秒    尾原の重岡神社:北緯34度55分08秒東経133度45分6秒    上野の天満神社:北緯34度50分48秒東経133度46分44秒    高谷の森神社:北緯34度51分32秒東経133度46分45秒    下土井の土井神社:北緯34度52分41秒東経133度45分52秒    上田西の祇園神社:北緯34度53分3秒東経133度47分51秒    平岡の八幡神社:北緯34度51分24秒東経133度47分54秒    上田の久保田神社:北緯34度53分39秒東経133度47分6秒    加茂総社:加茂市場 北緯34度51分51秒東経133度45分30秒    五明の亥の子祭り:北緯34度55分13秒東経133度48分54秒    円城の亥の子祭り:北緯34度53分44秒東経133度48分59秒  平成24年(2012年)5月5日

三国山国太郎 Kunitarou Nikuniyama

昔 加茂川地区は 加茂総社を 筆頭に 各神社の宮相撲が 盛んでした。真庭郡浅田村の百姓 三国太郎少年は 相撲が大好きで 村の年上の少年と 毎日 相撲を取って遊んでいました。「好きこそ 物の上手なれ。」の 例え通り 見る見る上達し 余りに強くなったので「怪我を させられちゃぁおえん。」と 言って誰も 相手をしてくれなくなりました。「誰か 相手をしてくれる者は 居らんかのう。」と  物知りの村の宮司に 尋ねると「ゴンゴと言う 妖怪がおって ぼっこう 相撲が強い そうじゃ。 三谷の大坪や 尾原のごんご淵に おるそうじゃ。 河童に 稽古uぅつけて貰やぁ良ぇじゃろう。 行ってみなされぇ。」と 言うので ごんご淵に 出かけ 淵を 覗き込んでいると「相撲しょうや。」と 何処からか 身の毛のよだつような声が 聞こえて来ました。大抵の人間は この気味の悪い声に 驚いて 逃げ出すのですが 相撲の稽古を したい気持ちで 一杯の太郎は「どこじゃ。早う出てこられぇ。」と 言うと ガッソの中から 青い肌をした 小柄の化け物が 2匹出て来ました。太郎は「お前 等が 河童か。小めぇが 本真に強いんか。」と 尋ねると ごんご淵の化け物は「そうじゃ。小んめぇ 思うて 侮っちゃぁ おえん。 わしも この三谷のゴンゴも 人間に負けた事ぁ 一度もねぇ。 釘貫部屋の大関の 旗幟音Kisi-no-otoも 関脇の墨田川も 挑んで来たんで 投げ飛ばしてやったんじゃ。 それからぁ 挑んでくる人間は おらん。ひっさ 人間と 相撲を 取っとらん。」と 笑い掛けて来ました。太郎は 滑ったnumetta肌や 生臭い臭いを 我慢し「相撲の稽古を 付けてくれぇ。」と 言うと ごんご淵の河童等は「ねんごう言うもんじゃねぇ。わし等に 勝にぁ こねぇな岩を 片手で 放うれる位で なけりゃぁおえん。」と 言って 猪の2倍程もある岩を 持ち上げて見せました。太郎は「この岩を 持ち上げたら 稽古付けて呉れるんか。 せわぁねぇ。」と 言って 岩に手を 掛けましたが ビクともしません。太郎は 無口になり 頭を下げて 小さい石から 持ち上げ 毎日 淵の石を 運び 河童の住処を 広げてやりました。熱心さに 好意を 持ったゴンゴが 呉れた頭の皿の水で 乾いた喉を 潤すと みるみる 筋骨隆々に 成り あの岩を 持ち上げられる迄に なりました。すると 河童等が 相撲の稽古を 付けてくれました。ゴンゴ淵の河童は 四つ相撲の業師wazasiでした。河童の技の豊富な事。素早い事。切れの良い事。圧倒されました。もう1匹の河童は 大坪の鐘の穴に住む河童で 突っ張りを 得意とする押し相撲に 長けていました。太郎は 河童の仕掛ける技を 一つ一つ覚え 河童と5分の力を 付けました。河童達は「わしの教える事ぁ もうねぇ。仰山gyousan 相撲ぅ 取らせてもろうて嬉しかった。有難う。」と 言 い三国山国太郎と言う 四股名Sikonaを 付けて呉れました。意気揚々と 加茂総社の宮相撲に 参加しましたところ 国太郎の実力は 驚きの評価を受けました。国太郎が 強くなった事情を 知った 下加茂梅原の都藤藤四郎 落合の小錦 和田の尾車 上田東の旭川も 河童の指導を受け 国太郎に 迫る実力を 付けました。尾原の金比羅様 豊岡上の八幡宮 上田東の松尾神社 和田の天王様 案田の化気神社 下加茂の日吉神社 尾原の重岡神社他 多くの神社や小社で 名力士達は 引手数多amataで 招待され 名勝負を 繰り広げました。それで加 茂川の宮相撲は 栄え 日本中の評判に なったのです。当時 角界の一番手の釘貫部屋の力士達は巡業で 江与美に来た折「加茂川の百姓共の方が 強い。」と 言う評判を 聞いて 誇りに傷つけられ 我慢ならず 大勢で 加茂川にやって来ました。しかし誰が 三国山か 解りません。牛を引いて田を耕す 逞しいそうな男を 見付け「三国山の家は どこかのう」。」と 尋ねると、その男は 牛鋤usisukiを 軽々と 片手で ヒョイと 持ち上げ 指し棒代わりに かざして「この山のずっと遠くの浅田村じゃ。」と 言って 山の向うを 指しました。その鋤は 力士でも 片手で 差し上げるには 大き過ぎる程でした。牛は 働きたくて 鋤を引こうと 暴れるのを 宥めるため その男は 子犬を抱えるように慈しみ 牛を抱き上げ 話を続けるものですから 釘貫部屋の相撲取り共は 舌を巻いて「この男より 三国山は強い。」と 察し 礼を言って スタスタと 頭を垂らしながら 帰って行きました。三谷野呂の百怪談

和田 女性に優しい神社 Kindly shrine for women

 吉備中央町和田青木山129番地 和田青木山に建つ 素盞嗚神社Susa-no-o-no-jinjyaには 素盞嗚尊Susa-no-o-no-mikoto 稲田毘売命Inada-hime-no-mikoto が 祀)れています。素戔嗚尊は 子供の頃は 死んだ母伊邪那美尊Izana-mi-no-mikotoに 会いたくて 泣いているばかりの 泣き虫でしたが 青年の頃には 心の荒ぶ 乱暴者となりました。

 泣き虫の素戔嗚尊は 死んで根の国に 住む母に会いたくて 高天原に住む 姉の天照大神に 出立の挨拶に 行きました。姉 は弟を侵略者と 疑いますが 弟は 占いで 姉を 説得し 高天原で 過ごす事になりました。高天原の仕来たりを 次々に 破ると 姉は天の岩戸に 隠れ 弟に 反省を 促しますが 悪行は 激化するばかりでした。ついに 姉の 堪忍袋の緒が 切れ 罰として 素戔嗚命の 活力の源である 髪の毛と髭と手足の爪を 切り取り 高天原から 追い出しました。活力を 失った素戔嗚命は 葦原中国へと 腹を空かし ボトボトと 幽霊のようになって下って行くと 優しそうな 大気津比売神に 声を掛けられ 美味しい御馳走を 振る舞われました。その御馳走を 頂くと 髪も髭も伸び 爪も生えて 活力を 取り戻しました。そこで 不思議な神通力を持つ 調理法を 知りたくて 調理室を覗くと ご馳走の 材料は 大気津比売神の吐物や 尿や 糞でしたので「不潔なものを 食わした。」と 怒って 斬り 殺しました。すると 大気津比売神の目から 青い草が芽を出し 稲穂となり 耳からの芽は栗が 鼻からの芽はあずき 腹からの芽は麦に 足からの芽は大豆に 頭から生じた卵は蚕に 育ちました。大気津比売神は 自らの体や 排泄物を 肥やしにして 食べ物を育てていた 事 に気付いた 素戔嗚尊は 自分の罪の重さを 反省し ハラハラと 涙を こぼしました。素戔嗚命の涙が 大気津比売神に 注がれると 大気津比売神が生き返り 再び調理し 新米を使った料理を ご馳走してくれました。心から感謝した 素戔嗚命は 新米から 優しい心と 知恵を授 かりました。斐伊川 に着いた 素戔嗚命は 娘を挟み泣く 老夫婦の神に 合いました。老夫婦の神は「私達は蛇神の和魂Nigimitamaですが 正義の戦いも 空しく 自らの荒魂Aramitama八俣大蛇に 負け続け 寳剱 天叢雲剣Ame-no-Murakumo-no-turugiも 奪われ 抵抗する力も なくなっているのです。稲を 護る田の女神を 産み育てると 直ぐに 八岐大蛇に 飲み込まれるのです。この娘 奇稲田姫が 8人目の娘です。今夜 八岐大蛇 が 娘を 飲み込みに 来るnoです。」と 言うのです。

恩ある大気津比売神の齎した 稲を護る 稲田の女神を 見殺しにできない。素戔嗚の命は 八岐大蛇を 退治をする事にしました。奇稲田姫を に変 へ 知力の源の髪に刺し 奇稲田姫の知恵に従い 八岐大蛇を退治し 天 叢雲剣を 取り戻しました。奇稲田姫を 伴侶とし 出雲の須賀に 館を築き「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と 詠いました。歌の意味は「雲が 湧き立つと言う 出雲の国に 新居を 立てたら 新居の周りに 雲が 湧き出し 幾重にも 取り囲んだ。妻を 守るために 八重の垣を 造ったが それにも 負けぬ 八重の雲の垣が 妻を 守ってくれる。その八重の雲を 称 え 感謝する。」で 新妻を 大切にしたいと 言う 素盞嗚命の気持ちが 込められています。この後 妻の勧めで 民の暮らしを思い 船を作りましたがないと不便なので 素盞嗚命は 髭を抜い て植えて杉に、胸毛を抜いて 植えて檜に尻毛を抜いて 植えて槙に 眉毛を抜いて 植えて樟Kusuに して これ等を 増やし森にしました。「杉や樟は 浮宝(船)にし 檜は 宮殿の材料にし 槙は 人々の棺桶の材料にすれが良い。」と 言い 残しました。二人は 仲良く 幸せに 暮らしましたとさ。「富永の素盞嗚神社の女性の氏子さんより口伝」「https://ja.wikipedia.org/wiki/スサノオ」    素盞嗚神社の氏子衆より口伝:「和田の素盞嗚神社は 女性を 大切にする 女性のための 神社である。」と 言い伝えておりますが 女神を大切にする素戔嗚命と 女性の願い事に優しい奇稲田姫を 祀るので 和田の素戔嗚神社は 女性に優しい神社として 敬われるのです。 和田の素盞嗚神社:北緯34度53分12秒東経133度44分5秒 素戔嗚の命・素戔男尊・須佐乃袁尊等:荒ぶる神の祖神 農業紳 疫病神 武神 和歌神 海原の暴風の神の神 稲田毘売命・櫛稲田姫命・奇稲田姫命等:霊妙な 稲田の女神 夫婦円満の神 祇園社の后神 超絶美麗巫女守護神Tyouzetu-birei-Kannagi-me-syugo-no-kami(美しい巫女を 不埒者から守護する神) 対巫女娘恋愛成神Taimiko-musume-Renai-jyoujyu-no-kami(可愛らしい巫女と信者の縁を 取り持つ神)で、素戔嗚の命の妻 縁結び 良縁成就 夫婦和合 子授と安産等がご利益です。  八岐大蛇:山神 水神ですが 多くの場合 悪神として語られます。    足名椎・手名椎:奇稲田姫命の両親で 足の無い蛇Dutiの神・手の無い蛇の神、浅稲Asaine(晩成の稲)の神 等 の意味を もちます。   天叢雲剣:草薙剣(蛇の匂いのする剣) 水の神 造船の神 雨の神         平成23年年(2011年)8月2日