栄子の悩み 千鳥の共鳴き 気彫りの雛人形 長尾の娘
富永 栄子の悩み suffering of Eiko
「栄子」は 遠い京都の町から 備前の片田舎に嫁いで来たのですが この地の風俗習慣を 全 く知りませんでした。18歳の時に この縁談が ありましたが「若すぎる」として 迷っている内に 19歳に なりました。すると 理由が 告げられないままに 先方から 一方的に 婚儀は延期されました。話が 途切れ 20歳の時 話がより戻されましたが 先の事も 有り 又 兄の婚儀も 有ったので 結納の時期に 迷っていて 22歳に なりました。すると 今度も 理由が 告げられないままに 先方から 一方的に 延期されました。「栄子は 知性に優れ 美貌も優れ 性格も 良く 申し分のない 良縁の 筈なのに なぜ 先方は 延期するのだろう。」と 不審に思い 栄子の両親は 先方の事情を 知ろうと 富永に 出掛けました。土地不案内で あったので 行きずりの者に 道を尋ねると「その人は 信心深うて 責任感のある良い人じゃ。この辺じゃぁ こぎゃな時ぁは 牛ぃ見せて頂戴と 言うもんじゃ。」 と 教えてくれました。それで 先方に付くと「牛を 見せてください」と言って 縁談先の様子を 伺いました。それは 喜んで 立派な牛を 自慢げに 見せてくれました。牛舎が 清潔だったのは 勿論 家の周囲の管理にも 気を遣う程の 誠実な 家族だと解りました。非の打ち所のない先方の 2度の一方的な延期の理由は 聞き難く 農家の 申し出通りの日取りに 婚儀をする 約束をしました。そして 結婚し 目出度くお腹に 子供を宿しました。栄子は 嬉しさで 心を 弾ませていました。ところが ある日 栄子は 裏山に 雷が落ち 大木が 燃えるのを見たのです。義理の母の「菊」に その恐ろしさを話すと 菊は「せぇで その時 どこう触った」。」と 尋ねるのです。栄子は「たまげて 急いで 家に戻りました。」と 答えると、義母は 安堵の表情に 成りました。ある葬儀の列が 通りました。菊は「どこにも 手で触るな。」と 言うのです。菊が 余りに 真剣な顔をしていたので「こんな 常識も知らんのか。」と 言われそうで その理由を 尋ねる事も 指示に従いました。何時 突然に 何を言われるか不安になり ボーとして竈Kamadoに 焚き木を くべようとしました。 枝向きが 逆さまだったので 入り難く 手間取っていると それを見ていた 菊が「何ぅしとる。」と 恐怖の眼をして 叱ったのです。驚いて 外に 飛び出て冷たい 夜風に当たり 気持ちを ほぐそうとすると 狐が鳴いていました。すると 菊は ピシャリと 戸を閉めて 嫁を 家の中に 引っ張り込みました。戸を 閉めた瞬間に 運悪く 飼い猫の尻尾Sippoを 戸で挟んだのです。猫は 奇怪な 鳴き声を 上げました。菊は「しもうた。猫を 苛めてしもうた。」と 言い 怯えるのです。栄子は 菊の奇怪な 言動に さらに強い ストレスを 溜めて行きました。胃が 痛くなる思いを 和らげようとして 夫が 山で捕って来た兎を 焼いて食べようとしました。すると 夫は苦労して捕って来た兎を 見て 大喜びしたはずの菊は「食うちゃぁおえん。」と 言って取り上げ 料理し 英子の皿には盛らず おいしそうに 家族だけで 食べたのです。
夫の「剛」は 元気のない妻を見て、愛おしそうに 大きなおなかを 擦すりました。「子の動きが ぼっけぇんで 男の子じゃな。この前の正月の 最初の年始ぁ 男の人が 来たけぇ 間違いねぇ。 一番鶏の卵ぅ 食べれば 安産すると言うけぇ 明日 の朝一番に 鳴いた鶏の卵ぅ 取って来てやらぁ。」と 言って 鏡を差し出しました。栄子は なんで こんな時 鏡が必要なのか 知ろうとするとすると それを きっかけにして不思議に 夫や母の発言が 頭の中を駆け巡り絡み合ったのです。そして はっきりと この家族は 信心深い家族でなく 迷信深い家族だと 解りました。菊が した事も 剛が言うような事も 備前のこの地に 伝わる迷信だと 気付くと 悩んだ事が 馬鹿らしくなって 微笑んだのです。その微笑みを見て 剛は 安心して 栄子のお腹に 優しく手を添えながら 寝息を 立て始めました。勿論 栄子は 富永の迷信を素直に聞けるようになりました。「加茂川町の民俗」の迷信」
迷信1:19歳の縁談は 苦に繋がるので 進めてはいけない。 迷信2:22歳の縁組は 2が 重なるので 離婚して 再婚する事に 繋がる。 迷信3:縁談の相手の様子は 見に行くための理由は「牛を見せて。」と言う口実が良い。 迷信4:火事を 見た後に 最初に触った所と 同じ赤子の場所に 赤痣Akaazaが できる。 迷信5:葬式を 見て 最初に 触った所と同じ所に 赤子に 青痣ができる。 迷信6:オクドに 焚き木を 反対に入れると 次に生まれる 赤子は 逆子になる。 迷信7:狐が 泣くと 悪い事が起こる。 迷信8:猫を 苛めると 祟られる。 迷信9:兎の 肉を食べると 三口Mitukutiが 生まれる。 迷信10:胎動が 大きい時は 男の子が生まれる。 迷信11:正月は 最初の年始の人が 男の人の時は 生まれる子は 男だ。 迷信12:一番鶏の卵を 食べれば 安産する。 迷信13:鏡は 邪気を祓う。 人 生を 計る定規は 人によって 異なります。人生の 定規を 持つ人は 幸せです。持たない人は 不幸です。
平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p73~P74に岨谷の「縁組」 納地の「勘当」 竹部の「コトコト」の話題が載っています。 平成.23年(2011年)9月1日
昔、備前国の山奥に、畳)職人の家族が 住んでいました。お母さんは 女の子を 残し早くに 亡くなり お父さんは 若い後添えを 貰って 可愛い女の子が 生まれました。姉妹は 大変仲良しだったのですが まま母は 自分の子 を先妻の子より 可愛がったのです。日が経つに連れ まま子が 憎くなって行き 殺してしまいたいと 思うように なりました。お父さんが 大阪城の畳普請(Tatamihusin)に出かけ 長い間 留守をしていた ある日 まま母は まま子と ほんまの子を 連れて 隣村の 天神山の川向こうの裏の 急峻な 山に入ったのです。まま母は まま子を 大きな松の幹に 縛り付け ほんまの子の手を 引き「狼にでも 食われてしまえ。」と 言い残し 引き返しかけたのです
天神山の向こうの川を 渡り天神山の 大桜の所まで来て ほんまの子は「お母ちゃん お姉ちゃんが 憎いけん 頬玉 がまちゅうどやしてくるけぇ この辺で待っとっておくれぇ。」と 言って、山に 戻り 姉を縛っている綱を 解いてから 大桜の所へ戻りました。「頬玉叩いてちゃたら 姉ちゃん縛 られたまんまで 涙流して 泣いとった。」と 母に報告しました。まま母は「ようやった。」と 褒めました。その夜 まま母は 物音に 気付き 音の元を 探してみると、まま子の姉が 帰って来て 牛小屋で 寝ようとしていました。母は「何じゃ。生きとったんか。とっくに 死んだと思うたのに。」と 言ってそのまま 牛小屋に 寝かせました。翌日 粗末な物を食わせ 今度は まま子だけを 連れて 山に入り 谷底に 突き落としました。足が 折れて 歩けなくなったのを 確認し まま母は 家に小躍りしながら 戻ったのです。「これで 確実に死ぬる。 赤飯(Aka-manmaでも焚ぇて 娘と お祝いしょう。」と 言って 小豆を 研ぎ始めました。その頃 山では まま子の周りに 千鳥が 群れて寄って来ていました。まま子は お父さんから「千鳥は諸声Morogoeで 鳴く。諸鳴.きすりゃぁ 自分と 相手の心が 一つになる。千鳥の真似して泣けりゃぁ 千鳥ぁ 気持ぃ 解ってくれる。千鳥ぁ 大切な人ぅ 呼んで 泣ぇて 大切な人ぅ 連れて 来てくれるんじゃ。」と 聞いていたので 少女は 千鳥の鳴き声に合わせ 千鳥の鳴き真似をし 一心に 願い事を しました。すると 千鳥は どこからか 矢立てYatateと硯Suzuriを 探して持って来て、羽を 一本抜いて 少女に渡しました。少女は 傍に有った枯れ葉に 羽を筆にし 傷口から浸み出す血で 墨をすり「父ちゃん 助けて。」と 書きました。千鳥の群れは 枯れ葉の手紙を 咥えて飛び発ちました。父は 天守閣で 騒ぐ千鳥を見つけ「娘の身に 異変が起こったかも知れん。」と 感じ取ったのです。胸騒ぎを誘い 騒ぐ千鳥に合わせ父親が 共鳴きすると、千鳥が 手紙を 届けに 舞い降りて来ました。千鳥から 血で書かれた 救助を求める娘の手の手紙を 受け取ると 棟梁と 殿様から 許しをもらって 後を 弟子に任せて 急いで 帰りました。千鳥が 後となり 前になりして 父親を 先導してくれたので 娘のいる 山の中の深い谷に 辿り着けたのです。父が 大怪我を した娘を 見つけ助けると 娘は 涙して 何度も何度も 千鳥に感謝の意を 伝えました。役目を 終えた千鳥は 嬉しそうな鳴き声を 掛け合い 谷筋を 上って行きました。父親が 娘を 背負って 連れて戻ったのを見て「誰にも 知られない筈の 奥山に落とした 筈なのに深い谷だったので 確実に死んでいる筈なのにしかも 殿様の命令の仕事に 出かけたのだから 大阪から 当分帰って来られない筈なのに 夫が 娘の事ををどうして 知ったのか。なぜ 夫と娘が そこにいるのか。」と 不可解がり 得体のしれない 神懸かり的な 恐怖を 咄嗟に 感じ取り まま母は 驚き慌てて 着の身着のまま ほんまの子を 置いて 何処(に 逃げて行きました。ほんまの子は「悪いお母ちゃんじゃけど 許してやって。」と お父さんに頼みました。姉も「妹が可愛そうじゃけぇ 許してあげて。」と 頼んだのです。父は 二人の優しさに 動かされ 許してやる事にし あちこちを 訊ね探しましたが まま母は 自ら行為が 恥ずかしくて 恥ずかしくて帰って来られなかったのです。姉の足の大怪我も治り 3人は いつまでも 信じ合い 幸せに暮らしたそうな「三谷野呂の百怪談」 「加茂川町の民話(1)」によく似た「まま子とほんまの子」お話が載せられています。
千鳥の共鳴き:スポーツ応援、万歳三唱、読経 等する時 単純な言葉を繰り返すと 仲間との一体感が生まれます。洗脳の手段として 悪用される事があります。 万葉集の諸鳴きの歌: 友千鳥諸声に鳴く暁は、ひとりのねざめとこもたのもし 平成23年(2011年)7月7日
昔、昔 貧しい家に やさしい兄と 目の不自由な 妹が住んでいました。近所の分限者の家では 雛祭り を盛大に送っていて 大勢の子共 が 雛荒しに 押し寄せて来て、「綺麗kitrei」「美味しoisii」と 歓声が 流れて来るのを 聞いていました。雛荒しに 出かけたくても 目が見えないので 出かける事も出来ず 行けたとしても 綺麗 な雛飾りを見る事も 出来ません。妹は 兄に「私も、雛祭りをしたい。」と 呟きました。貧しいので 雛を買える筈が ありません。お兄さんは「わしが、内裏様を 作ってやる。」と 言って 木の枝を切って来て 小さいコケシの様な 男雛と女雛を 作って 飾ってやりました。妹は 嬉しくて 2体のお内裏様を 手に取り 雛の姿を 確かめました。雛達は 大きく目が開いていました。菱餅も 白酒もなかったので 黍団子を 食べ清い水を 楽しみました。それでも 二人にとっての 初めての雛祭りは 幸せその物でした。[仕舞うのが 遅れて 妹の婚期が 遅れてはいけない]と 思い、翌日 早く お内裏様を 片付けようとして 兄は女雛の眼Manakoを見ると 眼が潰れ(ているのに 気が付きました。兄は 女雛が 妹の病の身代りに 成ろうとしているのだと 思いました。
兄は「流し雛をしよう。」と 妹に提案しました。妹は 兄が精魂込めて作ってくれた女雛を 川に流すのが 惜しくて しっかりと握り絞め「嫌々。」と 首を振り 泣き出しました。兄は 女雛を 握りしめる 両手を 優しく両手で 包み「女雛を 流せば きっとお前の眼が 見えるようになる。男雛は大切に 仕舞って おこう。そうしたら 来年は 二人で 女雛と3人官女を 作って雛祭りをしよう。」と 言いました。妹は 肩をひくつかせながらも 承諾すると 兄は 妹を川に連れて行き 木の葉で 船を作り 女雛を 乗せて「女雛様。目が見えるようにしてください。」と 祈りながら 川に流しました。すると、妹の眼は 次第に治って行きました。翌年 雛祭りが 近付いて来たので 女雛と 3人官女を彫りました。妹は 喜喜としてお 内裏様と 3人官女を 飾り 桃の花を 活けました。雛祭りの日が 来ました。妹は 分限者の家の 5段の雛段飾りを見て 自分たちの 雛段のみすぼらしさに 愕然とし失望しました。子供達が 雛荒しに来て 雛段を見られるのが嫌で 雛祭りが 終わると 急いで 仕舞おうと 思いました。女雛思えば 例え 細工が悪いと言っても 絶対に捨てられません。妹は毎年 1日だけ飾り翌日には 仕舞ったのです。分限者の娘は 5段飾りの雛段が 自慢でしたので 少しでも長く 飾って置き 友達に自慢話をしました。この二人の娘が 年頃になると 分限者の娘に 隣村の庄屋の息子との縁談が 持ち上がりました。庄屋の息子は 縁談相手の下調べに来ると いそいそと 雛とは思えないような みすぼらしいコケシ雛を 愛しそうに 仕舞っている 継ぎ接ぎtugihagiだらけの着物を 着た 貧 乏な娘の姿 を見ました。その娘の 清楚で 澄んだ瞳に 今まで知っている娘にはない 慈しみを感じ 心打たれました。分限者の娘は 確かに 評判通り 色白の別嬪Beppinさんでしたが 友達を集め鼻 高々に 大はしゃぎしていました。鼻に付く思いを感 じ 挨拶を交わすだけで 早々に 逃げるように 隣村に帰って行きました。次の日 貧しい兄妹の家に 庄屋の使いが 突然に訪ねて来て[御無理を申し上げる事を お許しください。実は庄屋様のご子息が 妹様に好意を抱いております。縁談をお考えくださいませんか。」と 兄に丁寧に願うのです。左程( 美しくもな く 日焼けした妹に とんでもない縁談が飛 び込み 兄は たまげました。とりあえず 返答を待っていただき 庄屋の息子の素行調査をしました。村の美しい娘達に 尋ねれば、素行の良し悪しが 解るだろうと 考え話掛けました。娘達は「働き者で 賢い人です。浮いた話は 聞いた事が 有りません。」と 口を 揃え告げたのです。兄は 情報をもらうと 紳士的に礼を 言って深く お辞儀をしました。今時 珍しく礼儀正しく誠実な妹思いの男が 現れたので 村の娘達は大騒ぎでした。妹の 縁談を進めようと 心に決め 村を去ろうとした時 引き留める者が ありました。振り返るとあの庄屋の 使いの人でした。二人は 偶然の出会いに 微笑み合い 互いに 信頼の表情を浮かばせていました。使いの男が 照れくさそうに「もう一つ縁談を申し上げます。庄屋様の娘様が あなた様に 好意を寄せています。ご考慮頂きたいのですが。」 と 頼むのです。信頼する者同士 反対する理由は ありませんでした。そして 二組の夫婦は 仲よく助け合って 家を支え 名庄屋の名を 上げました。さて分限者の娘は「庄屋の息子に振られた」と 評判が立ち 婚期が 遅れたそうです。「三谷野呂の百怪談」
雛祭り: 雛祭りは 雛遊Hiina-asobiとか 桃の節句とも言い 女の子の 健やかな成長を 祈う節句の行事です。和暦の3月3日 現在の4月頃に行います。明治6年(1873年)の改暦以後は 一部の特殊事情のある地域 或いは 旧暦を大切にする地域等を 除き 新暦の3月3日に 行うのが 一般的です。桃の節句と言う理由は 新暦の3月が 旧暦の4月頃 即ち 桃の咲く時期だったからです。 雛祭りのタブー:雛祭りは 毎年行わないと 目が潰れます。 雛飾りを 仕舞忘れると お嫁に行けなくなります。自分の成長を 守ってくれた人形を 粗末にすると不幸になります。古くなった人形は 感謝の気持ちを添えて 供養しなければ 祟られます。 勿論 これらは 女性のたしなみを 諭すための 迷信です。飾り方のタブーを 知りましょう。婚期の遅れ: 雛飾りを 祭が終わると 直ぐに片付けないと 嫁に行けないとか 婚期が 遅れると 言われます。「早く片付けない事は だらしない性格の女を 予想させ 男性に 敬遠される。」と 親達が 恐れ 女の子に 整理整頓の躾Situkeを求める事によって 生まれた迷信とされます。「https://ja.wikipedia.org/wiki/雛祭り」「tashlouise.info/通年行事/雛祭り/530.html」 雛流し:神事や 呪術によって罪 穢れ 災厄 病気等 の不浄を 祓った人形(形代Katasiroを 海や川に流した 風習の名残りです。「https://kotobank.jp/word/雛流し-611895」 雛荒らし:3月3日の節句に 子供達が 雛祭りをしている家庭に 供え物を もらいに行く習慣です。 平成24年(2012年)12月30日
富永長尾Nagaoの風呂山の ケンゾウ寺と言う地の娘が 岡山城に 奉公に 上がりました。その頃の少し名がある家では 若い娘達は 嫁入り前に「行儀作法の見習い」と 言って 武家屋敷に 奉公に 上がったのです。お殿様が たまたま 甲斐甲斐しく働く 美しい娘を見て 見初め 嫁に欲しいと 思いました。お殿様は 家来に命じ 娘に 承諾を得ようと 努力しましたが ガンとして 娘は応じません。お殿様 は殿様の嫁に成る事は お百姓の娘にとって 玉の輿の大出世で 贅沢も できるのに 下働き如きが 大名の申し出を 断る事に 合点が行かず 焦れに焦れて 娘に直接会い 断る訳を聞きました。娘は「長尾に好いて好かれる婚約者が おるけぇおえんのです。」と 答えました。聡明で 民に気を配る お殿様でしたので 娘の気持ちと 婚約者の気持ちを重んじ 自らの欲望を 捨て 娘を郷の婚約者に返す事にしました。身分の低い百姓の婚約者に 最高の身分の大名が 遠慮(したとあっては まして 恋争い に負けたとあっては 大名としての面子が 立ちません。家来は 殿様の面子を重んじ 思案を重ね「娘が城中で 不始末をしたので 郷に返す。 勝手に処分しねぇ。」と 父親に 伝え 郷に 送り届けました。娘が 事情を 話しましたが 長尾の者達は 娘が 命惜しさに 嘘を言っていると 思い 娘の言う事を信じようとしなかった のです。 「処分しろ 。」と言う 家来の言葉を「殿様に反抗的だった罪で 殺しなさい。」と言われたと 勘違いし 家来の言葉通りに 受け止めました。五人組が 長尾神社Osao-jinjyaに集 まり 娘の死刑執行人の人選をし「殿さまの怒りを 鎮めるには 婚 約者が 適任である」。」 と 結論を出し 法大寺の組頭は 重い心を内に忍ばせ 婚約者に 娘を殺せと命じました。婚約者 は 娘を信じたく て 断ったのですが 侍にましてや お殿様に逆らう事は 絶対に許されません。そんな事をすれば 村全体の者の共同責任のお咎めが 有るのが 当たり前の時代でした。だから 5人組の組頭は 婚約者の申し出を 招致してくれませんでした。婚約者は 泣く泣く 愛しい娘を 殺しました。すると翌日 家来の者が「お殿様の心遣いである。」と 言って 婚約の祝いの品を届けに やって来ました。村人達は 早まった行いを恥じ 不憫な娘を 悼み 長尾大師堂の近く に墓を立て 輪番で お祭しました。「加茂川町史」
長尾神社Osao-jinjya:北緯34度52分47秒・東経133度44分53秒 長尾大師堂Nagao-Daisi-dou:北緯34度52分46秒・東経133度44分58秒 法大寺:富永73・86番地 建曽寺:富永85番地 賢蔵寺五輪塔:北緯34度52分31秒・東経133度44分53秒近く 長尾の娘の墓の有力候補でしたが「一祐善心墓 寶暦11年辛巳7月24日建 土方氏」と 刻まれています。 善心は 地頭土方衛兵衛の子で 鉄砲組の隊長格でありましたが 病死しています。次男 小三郎が 跡目相続しました。「加茂川町史」
悲劇の長尾の娘の墓:長尾公会堂より 北に向き 福谷川を 渡り 150m程進むと 左手上方 北緯34度52分45秒・東経133度44分55秒(富永前場268番地のみなみ90m程)に「寛延三年 午年 妙清禅定尼 位 三月二●三日」と 示された 墓石が 立っています。悲劇の長尾の娘の墓とされます。寛延三年(1751年)の時代は 桃園天皇 徳川家重の治世の頃で 岡山藩の若殿は 宝暦2年(1752年)に藩主となった 池田宗政です。幼少の頃から 聡明として 名を馳せました。禅定尼(禅定門尼・禅門・禅尼)の戒名は 仏門に入って剃髪した女性を指し 武士階級や 商人等にあっては 藩に関わる仕事に 就いた女性に 付けられます。 この時代は 大名 等の特権階級の者以外 墓を立てる事が 禁止されていた時代ですので 戒名の付いた墓 しかも女性の墓は 特例です。侍や 庶民が 墓を建てられるようになったのは 天保2年(1831年)の「墓石制限令」により 庄屋や 豪商等が 法を破り 巨大な墓を 建てていたのを 取り締まるようになってからです。長尾集落には 特異な事に 何も刻まれていない墓石が 並べられた墓地が 幾つもあります。 平成23年(2011年)10月26日)