昔 大国主命Oo-Kuninusi-no-mikotoを信ずる 千家尊福の弟子の宮司が 出雲大社教Izumo-ooyasiro-kyouの教義を 布教しようと、明治10年頃 旅に出ました。そして、新山の八神稲荷神社のある地にやって来て 穏やかな田舎町が 気に入り そこに住みたいと 思いました。下働きを 募集すると 働きたいと言う者は 居るのですが、難しい理論を 教えようとするので 誰も下働きを 続けられる者が 居りません。そこへ 山奥で 貧しい生活をし 里の子供達と 遊びたいと思っていた 可愛らしい利発そうな少年が やって来ました。宮司は すらりと 背の高い 面長の少年に 人間離れした魅力を感じ 大喜びしました。宮司が「わしは 出雲大社教の宮司じゃぁ」と 名乗ると少年は「居ずも大家代 今日の偶時蛇」とは 何の事かと 尋ねるのです。宮司は「居ても居なくても 出雲じゃ 偶然じゃぁのうて 宮司じゃ 小僧ながら 教えを乞うたぁ 感心じゃ 生死一つながら幽顕一如Yuuken-Itinyoの道じゃぁ」と 言いました。少年は「少子で 一人ながら 言うけん一女の実ちゃ言うのんは 何じゃ」と 尋ねると宮司は「出雲じゃぁ 昔から人ぁ 霊止hitoなりと 言う 出雲弁で 子ぅ孕む事ぅ 霊が止まらっしゃったHii-ga-tomarassyataと 言うて喜ぶ 古事記や 日本書紀じゃぁ 伊勢神宮の天照大御神が 取り仕切る 見える世界を 顕世Utusyoと言う 出雲大社の大国主大神が 取り仕切る 見えん世界を 幽世Kakuryoとか 幽冥Yuumeiと 言う 幽契Rei-no-tigiriと言う約束がある 見える世界は 生きている世界の事 見えない世界は 死んだ者が住む 世界の事 二つの世界は 別々にあるように見えるが 同じ世界じゃ 人間は 霊止Hito 親神の産靈Musuhi 幸魂Saki-mitamaと 奇魂Kus-imitamaの恩頼Mitama-no-Huyu 御魂の恩頼Mitama-no-Huyuじゃ 先祖の霊を 人間は 引き継いでおる 小僧の霊ぁ 先祖の霊じゃ 親神と言うのんは 最初の神様じゃ 天地の全ての物ぅ造ったんじゃ 大国主命の事じゃ 結ぶの神 産の神Ùbu-no-kami 結びの神じゃぁ 神様ぁ 荒魂Ara-mitama 和魂Nigi-mitamaの姿をしておる 荒魂は 悪さをする者に 祟る時の姿じゃ 和魂は お祈りする人に 恵みをくださる時の姿じゃぁ 和魂にゃぁ 幸魂 奇魂の姿をとる時が あるんじゃぁ 幸魂は 運が良ければ 願を叶えてくれる神の姿じゃ 奇魂は 奇跡の力で 願いを叶えてくれる神の姿じゃ 恩頼と言うのんは 神様や 天皇様が 下さる恩恵や 加護や 威力の事じゃ 解ったか」と まくし立てたのです。少年は「解らん そぎゃぁな小難しい事を 言うけぇ 下働が 逃げるんじゃ ところで 働かしてくれるんか くれないんか」と 尋ねました。宮司は「そうじゃった 雛hiyokkoじゃが 飯炊きや 掃除ぁ 得意か 得意なら 働いてくれえ」と 言うので 下働きをする事になりました。 まあ その少年の働きぶりは 大変な物で、茶を求めると 湯が沸く間もなく 熱い茶が 出されたり、沢庵を見て 卵焼きの話をすると 卵の買い置きが無いのに 卵焼きが 膳に並ぶ 等 宮司が頼む事は 頼む前から用意されていて、頼まない事 でも 必要な事は 済ませているのです暇が あると 近所の子の遊び相手に成り、宮司が 暇を 弄ぶMoteasobuと 狐に化かされた人の話を 聞かせたり、語りかけると 話し相手を してくれるのです。宮司は この働き者の少年が どうして こんなに 狐に詳しいのか、何故に 不思議な力を持っているのか 知りたくなりました。宮司は 豆腐 等ないと 知っていたのに「今日は 合間食いに 京都名物の豆腐の味噌汁ぅ 食いてぇのう」と 無理な 頼みをしてみて、台所を 盗み見たのです。何やら 色々の食材を 頭に乗せては 料理している様子です。暫くして「そうおっしゃられると 思って 昨晩 京都迄 行って 豆腐ぅ 買ぅて 参っておりました どうぞ 召し上がられぇ」と 膳を 運んできました。
宮司は 不思議な事が出来る小僧の正体を 見たくなり「今日は 宮司の集まりがある たまにゃぁ 昼寝でもして 帰りぅ 待ちなされ 夕方にゃ ぁ仲間の宮司が 仰山Gyousan来るけぇ いつもより 綺麗に掃除して、50人分の膳を 作っておいてくれ」と 言付けました。出掛ける振りをして 隠れて見ていると 子供達と 遊びに出かけた後 夕 刻に 帰ってくると チチンプイプイと アッと言う間に 掃除を済ませ、50人分の膳を 揃えました。それでも 流石にSasugani疲れたのか グーグー鼾Ibikiを かいて 寝始めたのです。熟睡し始めると 毛が生え 口は尖り 尻尾Sippoが 生えて来たのです。宮司は「小僧は狐じゃ でも 泥団子や 馬の糞を 食わされた訳でもないし、肥坪の風呂へ 入れられた訳でもない 沢庵で 卵焼を作り 井戸水で お神酒を作った位じゃ 近所の子供の面倒見も良いので 氏子の者も 大喜びじゃ 暫く 居候させとこう」と 思い、今帰ったふりをし「小僧 小僧 今 帰ったぞ 客はこんようになった 料理は明日 子供達を集め 食べさせてやってくれ 風呂は 湧いておるか へんな臭いは せんじゃろうのう」と 言うと「お帰りなさい 柚子Yuzuと 菖蒲Syoubuを 採っておきました 香り湯を 楽しんでください」と 小僧は 言うのです。そして 年月が流れ 小僧は 凛々しい顔立ちの良い青年になりました。宮司が「お前は 本に良う気が利くけぇ 褒美に そろそろ良い嫁を 見繕ってやろう。それとも 山へ帰って嫁さんを 見つけて来るか なんなら猟師に 捕ってこさせようか 隣の宇迦御魂命ukanomitama-no-mikotoの眷属にしてもらって やろう いつから 尻尾が生えたんじゃ」と 切り出すと 少年は 慌てて尻を 探りますが 尻尾は無く 真顔になって「わしの正体を 知っていて可愛がってくれたんですか わしより太夫さんの方が ずうっと気が 利きます」と 感謝しました。そして一人と 一匹は仲良く村のために尽くし 村の子供達と 楽しく遊びました。「三谷野呂の百怪談」「https://ja.wikipedia.org/wiki/荒魂・和魂」「www.izumooyashiro.or.jp/hitobito/taisyakyo/・出雲大社教」
八神稲荷神社:尾原土井下モ405-1番地 北緯34度54分58秒・東経133度45分28秒「https://www.jinja.in/single/85643.html」秋の大祭は隣接する出雲大社教教場と共催します 昔新山地方は凶作が続き餓死する者が多く出しました。そこで旧新山城主(1772年)が 出雲の国から 八上比売命を 勧請 奉祀し 五穀豊穣の神として 祈りました 元治元年(1864年)12月社殿で火災のため類焼しました 翌2年正月に 現在地に 奉遷し 八神大明神と 称し、五穀成就 災害防除の神として 信仰されています。 昭和10年4月に 社殿 幣殿 拝殿を 改築たしました 「https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17527/」 平成24年(2012年)1月22日
和尚さんと狐 Buddhist monk and fox
昔 山寺に 和尚と小坊主が 住んでいました。ある良く晴れた秋の日に 檀家の法事を済ませ 帰る途中に 子狐を拾い、抱き上げても 嫌がらないので 飼ってやる事にしました。人になつき 檀家の者も 可愛がって 育てていると、突然 本寺の僧都が 訪ねて来たました。お茶や ご馳走で 持成しますが 油揚げを 食べるくらいで 他の料理には 手も付けず「御寺には 先頃から狐を飼っていると 評判だが 見せて頂けないか」と 言うのです。小坊主が 子狐を 連れて来ると 子狐は 初めての人なのに 僧都の膝に チョコンと座り、僧都も「良う肥えておる 皆に可愛がられているようじゃ」と 愛おし気に 声を掛け 頭を撫で 頬ずりまでするのです。和尚は「僧都さまは 以前に お会いした時より 何となく 女ぽいし こんなに獣好きでなかったように 思う」と 不思議がりました。すると僧都が「実は今日 訪ねて来たのは 内密な話が あったからじゃ 小坊主を 払って下され 表に文箱を持たせた従者を 待たせておる 文箱を 持って来てはくれまいか」と 言うので 小坊主を 退室させ 門前に出ました。しかし 従者達は 見つからなかったので 仕方なく部屋に戻ると 僧都も 子狐も 消えていました。いくら探しても 見つからず、障子や 座布団を 丁寧に調べると 黄色い毛が 付着していました。「やられた わしとしたことが 狐につままれた ワハッハ」と 腹を抱えましたとさ。「和尚さんと狐 - 岐阜県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)」 平成24年(2012年)1月22日
昔 美しく気立ての優しい娘が 山里に住んでいました。村の浮かれた若者達は 恋を語るのですが、娘は それに 応じる事はありませんでした。裏山に住む妖狐も この娘に 恋心を抱いたのです。狐は しなやかなスタイルの体を持ち、おしゃれも上手で その上物知りで、人を楽しませる話も上手にできるのですが、妖狐に 生まれたばかりに 人に嫌われ 人に迫害されていましたので 娘を遠くから見守るだけでした。ある日 娘が 山に山菜取りにやって来ました。雨 が降って来たので、大きな横穴で 雨宿りしました。そこは 狐の住処でした。慕う娘の訪問に 狐は踊る心を鎮め 傘を差し出し 話し掛けました。狐が 人間の言葉を話すのに 驚き 化かされると 警戒しましたが、娘は 紳士的な狐の態度に 心を許し 話し込みました。いつしか 狐の語る物語に 真剣に耳を貸していました。娘が 狐に気を許した所で、狐は「あなたの心に 私が入っても良いですか」 と 尋ねました。娘は 何を意味するのか解りませんでしたが、狐の博学振りに 感心していたので「もう入って来ているではありませんか」 と 答えました。すると狐は 霊となって 娘の脳に入り込んだのです。娘が 山から傷だらけ 泥だらけの姿で 村に戻って来ました。ところが それからは娘に奇行が目立ち始めました。
狐の簪Kiytune-no-Kanzasiを 髪に刺して 気取ったり、花壇を造って 狐之剃刀Kitune-no-Ksamisoriや 狐の孫Kitune-*no-Magoや 狐の茶袋Kitune*no-Tysbukuroを植えたり、上等のお酒を 上等の油揚げを 肴Sakanaに ガブガブ飲んだり 四つん這いで 歩いたりしました。そんな こんなで、娘の奇行振りは 村人の間で 評判に成り「狐に憑かれている あの娘の家は 狐持ちだ」と 気味悪がられました。村に 風采の上がらず 劣等感を抱く男がいました。この男は 不器用で、人付き合いが 下手でしたので、村の者は この男が 近づくと 鬱陶しがっていました。とは言え この男も 男には違いないので、密かに 幼馴染の この娘に恋心を 抱いていました。その男が 立派な柴犬の猟犬を連れて 矢喰宮に参ると 偶然に二人は 出合い、不思議な事 に 娘はこの男だけには 奇行を見せませず 親しげに 会話を交わし いつの間にか恋を語り始めました。夜になり 帰途につき 随身門を潜ると 矢喰宮の神託があったように 途端に あれ程 娘に従順であった犬は 娘に向かい 唸り飛び 掛からんばかりに威嚇し、娘は娘で 狂わんばかりに苦しみ 喚き散らし 逃げ惑いました。犬が追い掛けると何者かが 娘の身体から 抜け出し 狐の姿になりました。狐は 憔悴Syousuiし 切っていて、息絶え絶えに「わしはこの娘と夫婦になりとうて憑いた じゃがこの男の前では わしは無力だった 真の愛を この男に持っていたからじ ゃ 人間に 憎まれる狐に生まれた事が 口惜しい」と 言う と怨犠川に飛び込み 息絶えました。狐から解放された娘は 穏やかな性格に戻り 男の嫁になりました。男は 狐を丁寧に葬ってやりました。二人は 狐の霊に見守られ、田畑の作も順調で幸せに暮らしましたそうな。「三谷野呂百怪談」「 狐持ち(きつねもち)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp) 」「 https://ja.wikipedia.org/wiki/人狐」
矢喰宮:現在の重岡神社 苅山城の主郭 北緯34度55分8秒・東経133度45分4秒 大屋敷・寺屋敷:苅山城の最重要拠点・太鼓丸跡 北緯34度55分13秒・東経133度44分51秒 キツネノカミソリ等:狐の付く草の多くは毒草か、食べるために役立ちません 犬の名の付く草は人の生活に役立ちません 怨犠川:現在の恩木川 恩木ダムは北緯34度56分30秒・東経133度44分30秒 平成25年(2013年)1月9日
小森 大師 狐憑き落とし Treat fox possession
昔昔 塩を肴にする大酒飲みがおりました。不摂生が祟り狐に憑かれ体麻痺し動けなくなったのです。家族の者は祈祷師を頼み 祈祷に合わし歌い踊り狂いしましたが一向に治りません。すると祈祷師は薬の力を借りなければ自分の祈祷だけでは治らない」と言って男の親友の村の猟師に頼み狐を一匹捕まえてこさせました。生け捕りにされた狐を縛り上げて咬まれないように箝口し塩と酒を鱈腹飲ませ小便をするのを待ちました。塩と酒の利尿効果はてきめんで一升瓶一杯の小便を採取すると大酒のミニ飲ませましたが狐憑きの症状は悪化するばかりで治りません。狼か獅子(ライオン)の小便の匂いを嗅がすと治る事が有ると言い出したのです。猟師は命を懸けてもこの男を助けねばと狼を10匹も捕まえてきたのです。狼の小便を嗅がせましたが治りません。すると祈祷師は物凄い量の狼の小便を集め何やら呪いをして小便の成分を抽出し腕の血管を切り開き傷口をきつい焼酎で消毒しながら注ぎ込んだのです。すると次第に大酒飲みの動きが良くなり始めました。残念ながら余計な祈祷をしたので治り切りませんでしたが何とか生活できるようになったそうな。「加茂川町「村人口伝」
狐憑き:加茂川地区では脳梗塞や脳溢血を狐憑きと言います。この場合脳梗塞でしょう。箝口:秘密を守るため口を閉ざすあるいは口を閉ざせることですが ここでは口を紐で縛る事です。ウロキナーゼ:最初ヒトの尿から単離されて血栓溶解剤です。新型コロナウイルス感染症がパンデミックし人の尿を集められなくなり現在は製材が発売されていません。
令和6年(2024年)10月10日
福沢 飯ノ山の狐 Fox in II-no-yama
昔 戦国の時代 飯ノ山を 新山玄蕃充家住から 奪い取り 兵Tuwamono達が 立て籠りました。山県三郎兵衛は その中でも 豪傑として 名を成していました。兵共を 引き連れ 山県は 山に登る途中 新山勢の兵糧に された狼の群れの死骸の側で 悲しそうになく 子狼をみつけました。哀れに思った山県は 軍用犬代わりに 育てようと 拾って可愛がりました。狼は 期待通り 逞しく賢く忠実に 育ちました。飯ノ山に 諏訪神社(祭神 建御名方神とその妃・八坂刀売神)が 勧請されると お遣いは 蛇とされました。飯ノ山に 古くから住んでいた 有能な 九尾の狐は 諏訪神社は 稲荷神社なので 自分が 御先(お遣い・先祓い)に 選ばれる自信を 持っていたので 勧請した 山県三郎兵衛を 逆恨みし いつか 仕返しをしてやろう と考えました。いつもは 家来が 護衛するのですが 諏訪神社に参詣する時は 一人になると知ると 機会を捉え 後ろから襲い掛かりましたの 大きさに分身し 再び前後から 襲い掛ったので 更に切り離すと 狐は 4匹に 分身しました。これを繰り返し 繰り返しするうちに 狐の分身の 霧が 出来上がりました。流石の山県も 逃げ出しますが 逃げても 逃げても追いついて北ので 部御名方が 武御雷に したように 謝まり 許してもらおうとしましたが 分身共は 攻め続けたので 疲れ果て ウン伸びてしまいました。口を 大きく開き 大きな呼吸を 続けていると 回虫の幼虫程に 小さくなった狐共は 巣穴に入るように 毛穴から山県の体の中に 入り込み 血管を食い破り 肺や肝臓に 忍び込み 組織を食い荒らし 始めました。霧狐の中には 脳に迷い込む者も居て 山県は 廃人になる気配を 見せ始めると 愛犬ならぬ愛狼が 騒ぎに気付き 駆けつけ 御主人の体の全体の体臭を 嗅ぎました。すると いきなり あえいで空けている口めがけて 小便をしました。体が 不自由なっていた 山県は 無礼な狼を 叱る事も出来ず 否応なしに 注ぎこまれる小便を 吞んだのです。驚いたのは 山県に憑りついた 狐達です。山県の体が 天敵である 狼の小便の匂いで 充ち溢れたからです。狐達は 狼が 山県に憑いて自分らを 喰いに来ると 思い 山県の毛穴から 玉のような汗のように 抜け出すと 逃げ出しました。すると 鳥の群れが 小粒な狐を 啄み 砂嚢の砂地獄で 摺り潰しました。元気を取り戻した 山県が 見たのは 精魂を使い果たし 惨めにも 屍となり 横たわる 狼の姿でした。山県は 少しばかり 精神上の後遺症を 残し思考回路が 単純になっていました。毛利と 伊賀の戦争の 火蓋が 切られると 自軍の総大将 粟屋与十郎が あっさり討たれたのを知り 粟屋が 冗談交じりに交わした 禁断の友の約束を 愚直に守 り新山兵庫の陣に 単身で切り込み 傷付くと兵庫の刀を 借り受け 自害したのです。「自作物語」 回虫の生活循環 Lifecycle of roundworms :人回虫の卵は 糞と共に 排出され 感染可能になるまで 熟した時 口に入れられると 胃液で 殻が溶かされ 内腸で 幼虫となって 腸を通過し 血管に入ります。野外で 孵化した幼虫は 小さな傷名度から 皮下に入り込み 血管に 入ります。血管に入った幼虫は肝臓を経て 肺(間違って 神経 眼内に入る事が有ります。迷入と言います。)へ 移り 肺を通り抜け 気管を登り 再び飲み込まれて 腸に寄生し 成虫になります。犬回虫 猫回虫やライオン回虫も 人に 同じ方法で 感染し 肺を含め 色々の臓器に 迷入し 症状を出す事が有りますが 人の免疫力で 殺されます。人回虫を含め 他の回虫の幼虫が 脳や眼中に 迷入した場合っは勿論の事 他の臓器への迷入や寄生で有っても 症状が 激しい場合には 急いで 医療を 受ける必要が あります。かつての日本の 子供達は 定期的に検査され 治療薬を 飲まされました。アライグマ回虫が 人に感染すると 幼虫は死ににくく 脳にしばしば 迷入します。12例が 報告され た中で 3名が 死亡しています。アライグマラスカル現象があり 野に放たれた アライグマは 日本で 野生化し 増え続けています。アライグマの幼虫感染症は 日本人に見つかっていませんが 兎で 見つかっており アライグマの駆除が 求められます。アライグマは 幼獣は可愛らしいのですが 成獣になると 気が荒くなるので 飼い切るのは 難しいでしょう。アライグマを 野に放つのは 止めましょう。豚回虫は 人に感染すると 成長は悪いのですが人回虫 と同じ運命を 辿ります。
令和6年(2024年)12月27日
尾原 嘘つき狐 Fox who tells lies
尾原の少年が 旭川ダムまで 魚釣りに行くと、沢山の魚が 堰の流れに 群がっていて 良く釣れました。釣果Tyoukaに 夢中になって 釣り場を 流れに沿って あちこち変えている内に、何処Doko(北緯34度54分54秒・東経133度50分57秒)にいるか 解らなくなってしまいました。とりあえず 本宮山を 目安に南 西に向かうと、こんな寂れている所(北緯34度54分38秒 ・東経133度50分41秒)に 人等いないと 思いましたが、運の良い事に 人がいたので 道を尋ねました。その人は 親切そうに「雲行きが怪しい 雨にならないうちに帰りんせぇ 尾原に行くにゃぁ 右に行きなされ」と 教えてくれました。右に行くと 足音が 後ろから聞こえ 次第に近付き「魚ぁくれぇ」と 言うのです。恐る恐る 後ろを見ても 誰もいません。気持ち悪くなったので 言われるままに 魚を一匹 道に放ると 足音は 立ち止まりました。又 暫くすると 足音が 追い付いて来て、また「魚ぁくれ 魚ぁくれ」と 言うのです。また魚を 放ってやり 急いで 暫く道を進むと、また、足音が 追いかけて来ました。又 又「魚ぁくれ 魚ぁくれ 魚ぁくれ」と 言うのです。こうしている内に、全部の魚が なくなりました。「お爺ちゃんが 言うとった 狐ぁ好物の魚ぁ 持っとると 盗むそうじゃ 狐が 出そうな処じゃけぇ あの人ぁ 狐が 化けとるんじゃ無えかのう」と 不安になりました。
雨も降る事はなかったのですが、先に進む道が 行き止まり(北緯34度54分48秒・東経133度50分28秒)になって しまいました。仕方ないので引き返しましたが、先程 投げたはずの魚が 見当たらず、食い散らかされた 骨が 所々に 散らばっていました。迷い迷い やっとの事で 元の所に戻ると、さっきの人がいて「悪ぃ うっかり反対方向を 教えてしもうた こっちへ行きゃぁ 三谷の方じゃ その先で 誰かに 道を聞きなされ」と 言うのです。ゴンゴン行くと 人に会う事もなく やっぱり道(北緯34度54分33秒・東経133度50分32秒)が 途切れてしまいました。「狐ぁ 道ぅ隠すと お爺ちゃんが 言うとった あの人ぁ きっと狐じゃ」と思 いながら 道に 迷った元の所に戻り 右に 旭川ダム湖に沿って 進むと 途中 左に 橋が ダムを 渡して架かっていました。「なんだ旭川ダムに 戻ったじゃぁないか 川に沿って進もう」 と 思いましたが 自信がないので、止む無く 元の迷った所に 帰って見ると またあの人がいて「橋があったろう 渡りゃぁ 三谷の方向じゃったのに」と 言ったのです。戻って 橋を渡り 旭川に沿って 南東に進むと 村(北緯34度54分26秒・東経133度51分55秒)があったので そこにいた人に道を 尋ねると「三谷や 尾原方向は 反対方向じゃ」と 言いました。「あの男は 嘘ばかり付く」と 気付いたのです。「狐の言う事を聞けば 化かされる」と お爺ちゃんが 言っていた事を 思い出しました。「彼奴は 狐じゃ 彼奴の言う事の逆をしょう」と 考え、もう1度 狐に 道案内させようと 決め 橋に戻り 元の所に帰ると あの人が居ませんでした。再び本宮山を 目安に進むと まだ行ってない道(北緯34度54分27秒・東経133度50分39秒)がありました。その道を 進んで見ると 字路(北緯34度54分28秒・東経133度50分31秒)があり 左に向かう枝道がありました。そこには 煙草Tabakoを 燻よらしてKuyorasiteいる 姉さん被りの目の切れ上がった 細身の女がいて「右の道には 妖怪がいます 牛も 馬も 犬も 恐ろしくて良う動きません」と 優しく言うのですが、良くお姉さんを 観察すると 人間離れして 顎が 細いのです。「優しさに 騙されちゃぁいけん」と 思い、その言葉を 無視し 左に 曲がりました。神瀬Kanse辺りと思われる所で「新品の青畳は 良いのう」 と 話し合いながら 小便臭い酒に 馬糞臭い肴(Sakanaで 酒盛りし 温泉気分で 泥田に入っている 遍路姿の老人達が 騒いでいました。農婦が 現れて「見なされぇ 狐に騙された哀れな人達じゃ こっちの方向にゃぁ 大入道が待っている 今度の田圃の畔を 左に行きなさい」と 言うのです。中年肥りの農婦にしては 腰回りの 括れが美し過ぎです。無視して 直線の道に 進む と三叉路(北緯34度54分16秒・東経133度50分43秒)が あり 毛むくじゃらの 修験者らしい格好をした男が、石に座っていました。杖を 掲げて「尾原なら 大山道の道標Mitisirube通りに 右に行きなされ」と 指図するのです。確かに 道標らしき物が あるのですが、刻まれた文字は 風化していて読み取れません。「ただの石じゃないか 狐は 三叉路があると 騙して 池や川に落ちる道を教える」と おじいちゃんから 聞いていたので 用心すると その道はどう見ても 本宮山に向かっているように 思えました。お爺ちゃんから「狐は 山に誘い込んで 同じ道をグ ルグル回す」と 聞いていたので「こいつも狐じゃ 深山に 誘い込もうとしている それに 左に直進する道は 旭川に向いている」と 思い、これも 又 無視して 後戻りし 元の二股に 分かれた所に出、未だ 行っていない西に 向かう道に 入りました。右手の先で 何者かが騒いでいます。竹井直定らしい恰好で 軍配をしきりに 左に振って 部下達に 新山城突撃を 命じています。「あの裏切り者め きっとそいつ等も 狐じゃ」と 思いそのまま進むと、新山兵庫の恰好の男が「摩利支天のお告げじゃ 右に輝元がいる 隆景がいる 元春がいる」と 繰り返し言っています。成る程 摩利支天社らしき小社が そこに祀られています。「そうか ここは舟ヶ乢(北緯34度54分17秒・東経秒133度49分40秒)じや ここからは 左へ回ればよいのか」と 思って進みました。すると化気神社への道標が ありました。狐も うまく騙せなくなったので「嘘を見抜かれている それなら本当の事を 教えて 嘘と思わせ道に 迷わそう」と 思ったので、狐は 本当の事を言い出しました。道標のお陰で 進むべき方向が 解ったので 狐の作戦変更に 気付き 不安な分かれ道に出た時は、狐の言う事を 聞きました。円城に 向かってると 猪が掘った穴で ヌタうつ修行僧や 田の上を燕になって飛んでいるつもりの少年がいました。円城から 上田に向かうと 道端の二股の枯れ木に 必死にお祈りしている婆さんや 常夜灯と 藤八拳Touhati-ken(狐拳)に 興じているお爺さんがいました。上田から 三谷に向かうと 切り株を挟んで 囲碁だ か 将棋だかをしている若者達や 独り相撲を取っている力士がいました。大木に 抱き付き愛を語っている娘や 豊かな胸とお尻を出して腰を振って歩いている小母(obaさんや 集団で 太鼓や 笛や 踊りや 歌に没頭している 集団 等がいました。いずれの人も 幸せそうにしているので、怖さ等なく 可笑し)みを 以て見ていられたのです。それで 新山に無事に帰れました。「多数の狐に化かされた話 それぞれの地区の村人より口伝」を 基にした物語 本宮山:神瀬 上田東北緯34度54分13秒・東経133度50分44秒 旭川ダム:建部町鶴田 北緯34度54分49秒・東経133度51分24秒 新山城:北緯34度55分8秒・東経133度45分27秒 化気神社:案田化氣山 北緯34度54分19秒・東経133度49分22秒 毛利輝元 小早川隆景 吉川元春:毛利両川・一毛両川 毛利元就の3本の矢 竹井直定:備中松山城戦で三村氏を裏切り毛利軍を城内に誘導しました。加茂川合戦に参戦し、加茂崩れした毛利軍の勝山城に在番しました 新山兵庫:加茂川合戦の折りの毛利軍本陣を 壊滅させた虎倉城方勝利の第一の功労者ですが 戦後なぜか新山城から有漢に追放されました
平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備人出版】が、2019年3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 日宝綜合製本株式会社】が発行されました。狐に騙された話が多く載っています。P220~P274に「油揚げを取る「」魚を取る」「ローソクを取る」」「提灯を消す」という物語が載せられています。 平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p43に「違う道を教える」と言う記事が載せられています。p47~P48に「油揚げを取られる」の記事が載っています。 平成23年(2011年)10月21日