烏泊の妖怪 青年の交通事故 鳴滝ダムの妖精 旭川ダムの妖怪 馬の首

吉川 烏泊の妖怪 Woman ghost in Karasu-domar(U-domari・Karasuto)

天保2年(1831年)に 江戸幕府が 墓石制限令により 庶民の墓石の設置許可をする 前の烏泊は 村の人達の風葬地でした。悪性の流行病が流行った時に 死が迫った女が 病気の蔓延を 防ぐために 風葬地に 投げ打ちされ病と 餓えの苦しみの中  無数 の烏に 啄まれTuimabareながら 命を終えました。成仏するに 成仏できぬ思いで死んだ 女の霊は 烏泊Udomariを 彷徨いSamayoi 通行者に 祟りました。吉川八幡宮の神主が 祈祷すると 白い烏が8羽現れ 黒烏を追い払い 女の悪霊を 烏泊山に 封印しました。時代が 過ぎ 近世 ここに トンネル 工事が 計画されました。ところが 工事に関係する者2人が 相次いで 書類上の不始末があり 上司に 「人命に係ったらどうする。」と 激しく叱責を受けたので 2人の者は責任を 深く詫びて 死を覚悟した 鬼の形相で帰宅し 食事もせずに 床に就きました(当時の人達 は  自分の行いに  強い責任感を持ち 僅かのミスにも 重圧的罪悪を 感じたのでしょう。)。家族の人によると 2人とも 夜中に 何かに 導かれ 夢遊病者の様に 工事現場に出かけたそうです。翌朝 一人は 工事現場に引き込まれた電気コードが 首に絡まり もう1人は 工事現場に 掘られた穴に 陥落し 惨めな姿で 見つかりました。又 トンネル竣工の後 出口が見える程に 短いトンネルな のに 交 通事故が 頻繁に起こしたので 世を恨んで死んだあの 若い娘の悪霊の封印が トンネルを掘る際 重機にり破られ 、工事責任者に祟り トンネルを 潜る車の運転者を 惑すからだと 噂されました。この話は いわゆる都市伝説ですが 奇怪な現象がしばしば起こるようです。ここは 殆ど人通りは 在りませんが興味本位だけで訪ね 大騒ぎや悪戯 私有地進入するはの住民迷惑ですので お慎みくださいカラストンネル(烏泊トンネル) | 心霊スポット恐怖体験談」「烏泊隧道(カラストンネル) - 岡山県の心霊スポット」「烏泊隧道(カラストンネル) | 朱い塚-あかいつか-」「吉川 烏泊の妖怪 Woman ghost in Karasu-domar(U-domari) - okayama-yaso ページ!中国・四国地方にあるトンネルの心霊スポットランキング - 全国心霊マップ」「https://haunted-place.info/6934.html」「」「烏泊隧道(カラストンネル) 岡山県 心霊スポット 朱い塚-あかいつか-」「心霊スポットファイル1660 烏泊隧道(カラストンネル)」「【岡山心霊トンネル】有名な心霊トンネルを紹介します - 三日坊主 全力の暇つぶし」「カラストンネル(烏泊隧道) - 岡山県(吉備中央町)の心霊スポット - 全国心霊スポット調査【心霊気違(SHINREIKICHIGAI)】」「岡山県加賀郡吉備中央町の心霊スポットランキング - 全国心霊マップ」特に吉備中央町の妖怪伝説烏泊の妖怪を参照ください。   平成27年(2015年)10月17日

青年の交通事故

ある時 乱暴に バイクを運転していた若者が、この幽霊に 取りつかれ、トンネルの手前で 転倒し 運転していた若者が 死亡しました。犠牲者の家族の者が 交通安全地蔵をトンネルの近くに奉納すると、女の悪霊は 自分が供養されたと勘違いしたらしく  祟りは 弱まり 今では 交通事故は起らなくなりました。「烏泊トンネルで作業中の人より口伝」   8羽の白烏:黒山八幡宮を 吉川に 遷宮する時、烏泊に現れたとされる霊鳥です    烏泊トンネル:吉川大原2128番地の北、北緯34度47分54秒東経133度44分46秒 吉川八幡宮が黒山より遷宮した時、烏が 松に止まったとされる為 烏泊の地名が 付いたと 伝説されます。この地は かつての鳥葬地なので、死肉を求め カラスが 良く 集まったのでしょう。

烏泊山:吉川の南端 黒山との境 北緯34度47分26秒東経133度44分55秒    交通安全地蔵:トンネルの約50m吉備高原都市側 右手ガードレール向う 北緯34度48分0秒東経133度44分45秒    烏泊トンネルの都市伝説:カラストンネルで 殺人事件があって その被害者の幽霊が現れるカラストンネル(烏泊トンネル)の心霊現象&心霊体験 https://shinrei-spot.info/?p=3394 女性の幽霊が 彷徨っているという烏泊隧道(カラストンネル):岡山の心霊スポット【畏怖】 (haunted-place.info)」 殺された女性の霊が 彷徨っているらしく カメラ2台と 撮影用ライトの電源が入らず、携帯電話で写真を 撮っても ピントが 合わっず、トンネル入り口の岩肌で 赤い発行体が トンネル入り口左上辺に 幾つかの顔のような物が撮影できた岡山いろいろ情報 心霊スポット探索 烏泊トンネルwww5.hp-ez.com/hp/gurouman/page46」   著者の体験では、 トンネルは短く 出口も見通せ トンネル内は 明るく見えたので 歩いて  無灯で トンネルに 侵入しようとしたら、一瞬に 視野が失われました。トンネル内は 音が良く響き (鳴龍現象:木霊)、遠くで 鳴いているカラスの聲が、はっきりと 近くで鳴いているように 聞こえました。何度も トンネルを 出入りして見ましたが、女妖怪に出合う事は ありませんでした。   

 

   平成27年(2015年)10月17日

 

竹部 鳴滝ダムの妖精fairies in Narutaki-dum

東京から二人の若者が 吉備中央町に来 観光案内のパンフレットに従い 各所を回りましたが 神社もお寺も 何処にでもあるような物だったし 吉備中央町で無ければ 食べられない物は クサギナ掛け飯位で 左程おいしくなく 残念に思いながら 宿を探し 泊まる事に しました。二人は 其々 民宿のおばさんと 旅館のおばさんに 勧められ ヘソナリエを見に キビプラザへ来て ばったりと出合いました。全日本バドミントン大会で 対戦した仲fだったので 懐かしがり 話し込んでいると 夫婦らしいご老人が 鳴滝ダムの心霊現象について 話していました。二人は その話を聞いて 度胸騙しに 行って見ようと 話が合い 老夫婦に鳴滝ダムへの行き方を 尋ねました。するとお爺さんは「楽じゃ。直ぐそこじゃ。」と言って 道順を 教えてくれました。言われた通り 岡山賀陽線を 南に進み 吉備中央公園を過ぎ 吉備高原大橋を過ぎると 左手に鳴滝森林公園を案内する標識が 立っていました。嗚呼 やっと辿り着けると思って そのT字路に入り 直ぐに 左に向い ドンドン進むと 鳴滝牧場の裏手に 辿り着きました。仕方なく 戻って さっき曲った所を 道なりに進み 北向きに道を 進む と川(加茂川)があり 鳴滝橋と記された 橋を渡ると 鳴滝森林公園の管理棟とキャンプ場が ありました。川に沿って 山道を西に進むと 楽しいバドミントンの話しが 尽いた時分に ダムの堤下で 行き止まりになりました。もう ヤケクソになって 月明りを 頼りに 北に進む あるかないかのような山道を 手探り芦探りして 進むと やっとダムの北側に着きました。道案内の老人は「直ぐじゃ。」と教えてくれたのにもう 4時間以上 歩いていて午后九時頃に 鳴滝ダム管理事務所に 着きました。

湖面が良く見えなかったので 引き返して ダムの堤に 向きを変えると 木々の幹や 枝のスリットの向こうから 少年らしき数人の影が近付いて 来ました。二人は「スハ 少年の妖怪だ。」と ドキリとして 立ち止まり 身構えると 少年の妖怪も 警戒して一旦 立ち止まり 気を取り直して ゆっくりと 進み始めました。揺れる湖面で 反射する月明りに 少年の姿は ユラユラと 素れているように見え 木々のスリットを越える度に 揺れ具合は 凄みを増すのです。否応なしに 人間であると 解ったので 互いに 夜の挨拶を交わしました。少年達は「肝試しですか。僕らもです。吉備青少年自然の家に 泊まっています。規則を破って 宿を抜け出しました。先生には 内証にしておいてください。」と 正直者らしく 頼んできました。 ホッとして ダムの堤に 辿り着くと 暗闇に大きな穴があり その向こうに 登って来た山道が ありました。「成程。身投げの名所だけあるなあ。」と 呟きながら 湖面を見ると 辺り一面の気嵐でした。壮大な 景色を見渡すと 数人の女性が 気嵐の中を 泳いでいるように見えました。泳いでいた女性達が 若者に 気が付くと スーッと 宙に舞い上り 天の羽衣を揺らせ 若者達を見ながら 手を振り振り 空に 棚引く雲に 登っていったのです。bakaミントン三昧の若者達は 幻想的な自然現象に 妄想を膨らませ 好意を抱いて天女達が手を振ってくれたと 勘違いし 頬を赤らめ 初心Ubuな顔を 見合わせました。二人は 幸せにさせてくれた 現象が終わると やっと 帰り道を 辿りました。管理事務所より西北に進と 右に向う細い分岐が 有ったので 進んでみると 吉川八幡宮當番祭垢離取りがあり 巨岩が 積み上げられていました。岩群の 中央部の最大の巨岩の下部には 人がやっと入れるような入口の室があり 中に 白い平たい盃のような物が 乱雑に置いてあり 光る眼を持つ動物が 盃用の皿を 嘗めていました。「やっぱり三つ目の動物の妖怪も現れた。」と二人は満足して「メリークリスマス」と 挨拶を交わしながら それぞれの宿に向かう頃は 空が 白んでいたそうな。「若者口伝」

鳴滝湖の妖怪:鳴滝湖は 昔より 入水自殺が しばしば aったとされ 女性や少年や獣の幽霊が 出ると伝説されます。吉備中央島の神秘地吉備中央町3大神霊スポット 烏泊隧道の妖怪 鳴滝ダムの幽霊 旭川ダムの妖怪 を参照ください。楽じゃ。直ぐそこじゃ:「手間暇がかからず簡単に行ける―ほんの少しの所だ。」の意味ですが 加茂川地区のご老人の中には 極端に大げさに 表現する人がいます。この場合「無理して歩けば やっと行ける。」の意味に成ります。滝森林公園を案内する標識:34度北緯34度48分53秒東経133度46分27秒  ダムの東端の北側:北緯34度49分24秒・東経133度46分18秒  筒にの北側に四角い穴があり 入口は閉ざされています。 ダムの堤下:北緯34度49分22秒・東経133度46分17秒 鳴滝辰伝書の遺構があります。 滝ダム管理事務所:竹部3050-4番地 北緯34度49分25秒・東経133度46分17秒 吉備少年の自然の家 宿泊棟: 敷地の東北端  北緯34度49分26.秒東経133度45分578秒 吉川八幡宮垢離取り場: 北緯34度49分15秒・東経133度45分43秒の大岩を組み上げて 造られた祠で 潮垢離大明神が 祀られています。 空に 棚引く雲:飛行機雲   令和6年(2024年)12月26日

 

 

神瀬 旭川ダムの妖怪 Ghosts of  Asahigawa dum

 旭川ダムは旭川の岡山県岡山市北区建部地域町鶴田と岡山県加賀郡吉備中央町大字神瀬を 跨ぐように 北緯34度54分49秒 東経133度51分23秒に 建設されたダムです。昭和29年(1954年)1月31日より 貯水を開始した旭川湖周辺には 多くのが植樹されており 春の行楽のスポットです。しかし これ程の規模の大工事に付き物は 建設中の作業員の事故死で 30人の殉職者を出しました。湖畔には昭和29年(1954年)に慰霊碑が建てられました。それを根拠にダムの近くに男性の幽霊が出るとか黒いもやが湖に立つとの流言が囁かれ始めました。すると霊に導かれるように家族4人が乗る乗用車がダム湖に転落し1乗員全員が死亡する事故が起こったのです。その事件以降からは[ 夜中に 男性の声で「おい!」と 呼び留められ  停すると 誰もいないのに 車のドアを ノックされる。]と 言う噂が 立ち始めたそうです。 著者は何度も 旭川ダムに 行きましたが 黒い霧や靄が 立つのを 見た事が ありませんし 幽霊に 逢った事は ありません。停車していて「おい。」と 声を掛けながら ノックされ 警察官に 車の移動を 求められた事が 有ります。「停車違反を犯したのかな。」と思い ドキツとしました。

。吉備中央島の神秘地吉備中央町3大神霊スポット 烏泊隧道の妖怪 鳴滝ダムの幽霊 旭川ダムの妖怪 を参照ください。  令和6年(2024年)11月15日

 

吉川 西庄田 馬の首 Head of Horse

 昔 昔 西庄田上厩Umawariに 馬引(馬子 馬方)が 住んでいました。伯耆大山Houki-Daisenの牛馬市から 馬を買って来て 吉川八幡宮に 神馬を 奉納する役目を 担っていました。ある時 賢く美しく力強い馬を 手に入れ、大変気に入ったので 奉納せず 大切に育てていました。しかし 馬は年を重ね 年取り 歩けなくなり 寝たきりとなりました。床擦れができ その痛さに苦しむ愛馬を 見るに 耐えられなくなり、泣く泣く首を切り 手厚く葬り小社を 建て 祀りました。村人は 小字 寺屋敷の馬の首の葬られた 一角を「馬の首」と 呼びました。寺屋敷の直ぐ近くに 寺子屋があり、寺子屋の庭は 子供達にとって 格好の遊び場でした。夜遊びが 過ぎる 子供達の躾Situkeに 困っていた寺子屋の師範は、ある夜 竹藪Takeyabuに 馬の首の様な 馬魂が 立ち上る 要に仕組み、次の日 子供達に「夜 馬の首に 近付くと 妖怪が出て 追い駆けてきて 噛み付き 病気をうつす  だから夜遊びは 止めよう」と 諭しsatosiました。

この話を 馬鹿にして 師範の嘘Usoを 暴いてやろうと 思った少年が  夜遅く馬の首に出かけると、意に反し 側に有る竹藪の竹に 馬の首が 巻き付いていて 少年の前に 転がり落ちました。少年が 驚いて 逃げ出すと 馬の首は遊んで欲しいのか 嬉しそうに追い駆けて来ました。少年は 咬まれると 思って慌てると 足が縺れて 転び 溝に嵌り 不幸にも 死んでしまいました。両親は 悲しみ 地蔵を立て供養しました。これからは 夜遊びする子供はいなくなりましたが、時が過ぎ 寺も滅び 馬の供養塔と 少年を悼む地蔵菩薩を 残すだけになると 馬の首の妖怪はでなくなり、昭和の頃には 再び子供達が 夜遊びするようになりました。「吉川 西庄田の村人よ」  伯耆大山:鳥取県大山町 琴浦町 江府町等に跨る山(北緯35度22分16秒東経133度32分24秒)で、博労座Bakurozaと言う牛馬市が有りました  西庄田の高台から見晴らせます。  上厩Uamari・上馬屋 下厩Sitsamari・下馬屋:伊賀氏伊賀家久の子孫)が 吉川八幡宮の祭に 神馬を育てていた事に 由来します。現在は 西庄田に上前(北緯34度49分33秒東経133度45分2秒) 下前(中倉屋敷 北緯34度49分34秒東経133度45分3秒)の屋号として 名を残します 。 

馬の褥瘡Jyukusou馬は体重が大きいので 寝たきりになると 人の力では 寝ている向きを 変えられず 床と 接する部分は 直ぐに 床擦れ(褥瘡)が でき 皮膚組織が 崩れ 化膿し 肉蠅の蛆が湧き 馬は苦しみます  治療したくても 褥瘡面を 表にできないので、苦しみから 救ってやる方法は 安楽死しかありません。競馬馬等の大型動物が 脚 等を骨折すると  殆どの場合殺処分されます 馬の首:馬引きの馬が 東の寺子屋後の藪の中に 埋められたとされます  その薮を 馬の首と 呼ぶそうですが 小字を含め 馬の首の行政地名は ありません  吉川ソ子3578番地の東(寺山 北緯34度49分29秒東経133度45分1秒)と 道を挟んだ 寺子屋跡で、馬の首の祠と  川べりから移された 地蔵があります

寺子屋後: 吉川ソ子3578番地の北(北緯34度49分29秒東経133度45分0秒)と道を挟んだ 東の地域を 寺子屋跡と 呼ばれます。北側は 石垣で 仕切られた3段の平坦地があり、池の跡が 有ります。 馬魂:動物が死んで 腐敗が進み 骨が剥き出しになると、骨に含まれる燐と 空気中の酸素が 結合し 淡い青色に光ります  骨が光っている場合を 狐火と言います  ガスとなって 空中を 浮遊する場合を 魂Tamaと言います  魂は 無風であれば 打ち上げ花火のように ポッポ ポッポと 大小の火の玉として 立ち上ります。土葬されていた時代  墓場から人魂が しばしば 立ち上りました。  珍しい現象でないので 著者は 何度も 狐火や 人魂を観察しました。      平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p57の「古庵坊主」の中で「馬の首」が紹介されています。  平成26年(2014年)8月6日