ナメソウ 金巣 貢の大蛇 松茸泥棒 貢のマツタケ狩り 貢の水の事故 當病

広面廣奥 ナメソウ Namesou

広面の奥に モッコク谷という所が あって、「ナメソウ」と 言う大きな蛇の化け物が いました。ナメソウが いるので、モッコク谷は 水が涸れないのです。「吉備中央町の民話(1)」


瀬戸内海の多くの地方で ナメソは スナメリの事を指します。60Cm位の最小の鯨です。スナメリが 多いと魚が取れないと 言う噂が、またスナメリを 見た翌日は 天候が荒れると 言う噂があります。魚が取れない理由は、恐らく魚群を スナメリが追い払うからであろうし、網を破る厄介者だったでしょう。スナメリの回遊と 天候との関係は 実証されていません。岡山県の一部では ナメソは メッソウとも呼び、スナメリや シュモクザメではなく 想像上の動物だと思われています。普段は 瀬戸内海にいる怪魚(サメの一種)で、この魚に 船が追い抜かれると、 船が 切り刻まれて 沈むと されています。追い付かれない内に 鉈Nataで切り付けないといけないそうです。また他の言い伝えでは ナメソは 波間に漂う馬鹿でかい平たい貝だとも言い、漁民を 攫ったと 言う伝説があります。時々 旭川を 上ってくると 言う人もます。ナメソに似た怪獣伝説が 世界各国にあります。「広辞苑」 そのナメソと 関係するかどうかは解らないのですが、広面の奥の村に モッコク谷という所があって「ナメソウ」と 言う化け物がいたそうです。ナメソと メッソウを 混ぜたような名前です。広奥に出かけて ナメソウの事を 尋ねると ナメクジをナメゾウと言う人が どこかにいたと 答えが返って来、また怖い人や 怖い物の事を ナメゾウと言うと 言う人もいました。ところが この伝説に 登場するナメソウと言う怪物は 大きな蛇だと言うのです。霊力を 持っていて 悪さをしそうですが、自分の体が 乾かないよう霊力を 使っているだけで、人を 襲ったとする言い伝えは ありません。旧加茂川町地域では 蔵の中に住む蛇を 時に地神として 祀ります。鼠を退治してくれるので 穀物を守る神様のように 扱われるのです。

モッコク谷:広奥風神社の北から 岩目向け 野呂街道を 西北西に 砂防ダムや 小高山を右に見て 登ると 広面配水池を 回るように 道は東に 反転します、反転した先には 広面奥1714番地や 広面奥1727番地があります、このヘアピンカーブの東に 鳩の窪があり 北に向け 小川が 流れています、この小川沿いの谷が モッコク谷(北緯34度49分26秒東経133度48分53秒)です。昼でも 薄暗く いかにも怪獣が 住んでいそうです  風穴:廣奥の砂防ダムの北の岸下 水面ギリギリの位置 北緯34度49分8秒東経133度48分42秒  

ナメソウがいた所を 見たとされる岩:吉備新線(岡山賀陽線 72号線)を 429号線交差点から 岡山市方向に進み、古川集落の上の峠の辺りに 左手に 民間の墓があり、墓の岡山市側の山道を 左に10m程入ると 北緯34度48分16秒東経 133度48分53秒に 大きく幾つかに割れている奇岩が 見つかります 風神社:429号線を下加茂から72号線(吉備新線 岡山賀陽線)に向かうと 左手 に道標Miti-sirubeがあります「右だいせん 左かも」と 記されています  この道を 左に下ると 右手 北緯34度49分18秒東経133度48分35秒に 風神社が 見つかります  風の神 志那津比古命志那津比女命を祀 ります    平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が 発行されました。p54に下加茂の峠谷の頂上に「ナメッソウ」と 言う大蛇の話が載っています。 趣旨は「下加茂峠谷の頂上のへんに 大きな蛇が、十五センチ程ど 穴から メッソウが 現れると言う話です。木によく 巻きつくらしい。      平成23年(2011年)8月23日

  

金巣 Nest of money

モッコク谷の岸に 穴が有りました。一郎は「あれは、朔鼬Tuitatiと言う鼬Itatiの巣じゃぁ」と言い、次郎は「あれは、侍鰻Jimmanと 言う大鰻Oo-Unagiの巣じゃ」と 言いました。三郎は「山椒大夫Sansyu-dayuuと言う 山椒魚Sansyou-uoの巣じゃ」と 言い、士郎は「振童Sindouと言う 白鯰の巣じゃ」と 主張しました。五郎は「皆は 誤解しとる 護貝Gokaiと 言う貝の巣じゃ」と し、六郎は「轆轤Rokuroと言う 水澄ましMizu-sumasiの巣じゃ」と 言いました。

七助は「大蛇の ナメソウの巣じゃ」と言い、八助は「覇奴Hayaと 言うず どほんぼっけぇ(ものすごく、おおきい) はやの巣じゃぁ」と 話しました。九助は「九郎法眼と言う どぇりゃぁ 殿様蛙の巣じゃ」と 話を括りました。九人は、互に 意見を言い張ったので 大騒動になりました。通り掛かった 十郎と言う村長Muraosaが「まあまあ 重々 詰まらん事で、喧嘩をするもんじゃぁねぇ わしが 巣ぅ 見て来てやる」と 言って 仲裁しました。村長が 滑り滑りして 危なげに谷に 降りて 穴を確かめたのです。「鼬のかざ(におい)はしねえ  鰻のヌルヌルも残ってねぇ  山椒魚の足跡もねぇ  地震を起こそうと暴れた後もねぇ  貝殻もねぇ  勿論水澄ましの巣にしちゃぁ 大き過ぎて不自然じゃ  はや や蛙はいるが こめぇのばぁじゃ  ナメソウの巣かも知れんが 今は穴の中には ナメソウもいねぇ 今は空き巣じゃ ぼっけぇもん な―んもおらん   じゃが 箪笥(Tansuに錢が 住んでいる」と 皆に報告しました。皆は、「空き巣」とか「箪巣」とか 言う巣かと思いました。そこへ 下働きの小僧が 走って来ました。「村長様 大変じゃあ  番頭さんが 出かける度に 館のお金に 羽が生えてどこかにいんで(いなくなって)しまうと 奥様が言っている」と 報告すると、村長は「この穴は 空き巣でも 箪笥でもなくて 金携盗Kinkei-doriと 言う泥棒鳥の金巣Kinsuじゃ  せえで 錢が 住んで居る」と 言いました。「広面廣奥の村人との雑談」     平成23年(2011年)8月23日

 

上田東 貢の大蛇Large snake in Mitugi

昭和の中頃 三谷の日名の松茸山は 近在でも 有名な 良質の松茸の産地でしたので、毎日のように 秋になると 松茸泥棒が やって来ました。日名の者達は 何と か泥棒を追い払う方法は 無いかと 相談しました。元庄屋の家主は「わしの蔵には守り神の大蛇Oo-Kutinawaが 住んでおる  鼠や 鳥から 米を護ってくれておる  神通力が使える蔵の地神じゃ  口は 利けんが 人の言う事が解るようじゃ  大くちなわに 頼んで、森の番をして貰う事にしよう」と 話を切り出すと、村 人は「じゃぁ じゃ」と 大賛 成の声を 挙げました。そんな事とは知らず、貢村の女が 三谷の山に、未だ村人が 起きて来ない朝早くに 松茸を 盗みに入りました。

辺りは 薄暗く、冷気に気を 締めながら、一歩一歩、松茸坊主で 盛り上げられた 樹齢20年程の赤松の周の落ち葉の膨らみを 探しました。

急峻な山を 登って歩いていると、急に 生暖かい風が 吹き 何者かに 見張られているような気がしました。突然 バッと 山鳥が足元から 飛び発ちました。女には 何が起こったのか解らず、肝を潰し 慌てawateteて山を駆け降り 助けを 無意識に 求めたのでしょうか、人気を察した方向に 走りました。何やら柔らかい筋肉質の物を 踏ん付け転ぶと、眼の前に 大くちなわの口が 有り 不気味に 舌を出し入れしています。女は 腰が抜けて 立てないので、払い除けようと 両手をバタ付かせ 大くちなわの攻撃を防ごうと 足掻いたのです。払う手で 頭を何度も 叩かれて 大くちなわは怒り、カーと息を 吹き掛け脅すと、女は 真面Matomoに大くちなわの吐いた毒気を 一気に吸い込み 目が暗み 意識が薄まり ヒョロどきました。女は 何処をどう通ったか 解らないまま、這う這うの体Houhou-no-teiで 家に逃げ帰りました。家に着くと ふら付きながら、布団に潜り込み 出て来なくなったので 家族の者が 心配して顔を覗くと、顔は 青ざめ 呼吸も乱れ 今にも死にそうで、どうやって 険しい山から 逃げ帰られたのか 解らない程に 衰弱していました。この話は アッと言う間に 近在の話題となりました。この噂は 三谷の者達にも伝わり 大大くちなわの毒気で 女が歩けない程に 衰弱している事が知れました。村人は 思わぬ大くちなわの働きの副作用に 驚き、大くちなわに「充分に効果は有った  ヒョロヒョロになった女が 気の毒じゃ  女を毒気から 解放してやってくれ」と 頼みました。大くちなわは 了解し、嵐の過ぎ去った日の月の無い夜中、そっと女を 助けてやろうと 貢村に 向かいました。人目に触れないようにしたかったので、新月の日を 選んだのです。しかし 運悪く 女の夫が「大雨で 崩れたかもしれない」と 田の畦を  見回りに出て来ていたので 1尊と 一人は 遭遇しました。夫は 大関かと思えるような力士姿で 自信たっぷりに 妻の敵とばかりに 持ち合わせていた鍬を 振りかぶり 襲いかかりました。大くちなわは 相手に 傷つけまいとし ヒラリと 体を躱そうkawasouとしたのですが、思いの外 男の攻撃は力強く かつ早く 想定外の技だったので 対応しきれず、誤って吐息が 力士の眼に 当たりました。吐息には 荒神としての霊力があったので 一瞬 目が暗み、勢い余って田に 転げ倒れました。 持っていた 提燈Tyiutinは 不幸にも 水に浸かり 力士男は 明かりを失いました。慌てて田から 畦に戻ろうとしましたが、辺りは 真っ暗で 大くちなわの僅かに光る眼以外は 何も見えませんでした。貢村の田は 膝迄浸かる程の深さだったので、足を取られて もがけばもがくほど  足の自由を失いました。

「攻撃し続けないと 食われる  大くちなわを 仕留めるしかない」と 思い、残る手段である 光る眼を 目がけて 鍬を無我夢中で 打ち振るいました。大くちなわは 安全な方向に 男を導くのですが、男にその意図は 通じず 意図を阻もうと 誘導に 応じませんでした。次第に疲労し  終に身動きできなくなる程になって 泥に沈み 溺れ死にました。大蛇は 思い掛けない出来事を 悔やみながら、男の屍Sikabaneを 畦に引き上げ「せめて女の病を 治してやらねば」と 女の部屋に 忍び込み、女から毒気を 抜き取ってやりました。翌朝 女が目を覚ますと、すっかり病は 癒えていました。天井から床に掛け 大くちなわの這った跡が  残っていたので、女は 大くちなわが 罪を許しにやって来た事を 覚りました。さて 力士男の話しにもどります。大くちなわの跡は 田から 畦に 続いていました。跡を辿ると、田には 大くちなわの這いずり回ったような跡が 無数の孤(Koをなし 遥か向こう迄 続いていました。畦には 銀の毛を持つ3本尾の大狐が 息絶えていました。女は 押し掛け婿が 悪狐Akkoであったと気付き、化生狐の子を 産まされずに済んだ事に 感謝しました。貢の村人に この話をすると、村人は 村の荒神社と 愛宕神社と さえの神に参り祭をしました。すると村は ますます平和になりました。この村の平和は 大くちなわの村人への貢物です。この物語は、「三谷野呂の村人より口伝」「巳地神」「貢の村人より口伝」   平成25年(2013年)6月17日

 

  三谷  松茸泥棒 Matutake thief

三谷中倉野呂の裏山(塚ヶ塔山・塚が乢山)は 子供達が豊岡小学校の通学中 踏み潰し崩れる感触を 楽しんで遊ぶ程に 良質のマツタケが 良く生えました  朝5時頃 空が白む頃 採りに行くのですが、その頃には 松茸泥棒が 一仕事終えた後でした.。 それでも 山深い百姓にとって 貴重な現金収入が 十分に得られました。  しかし 盗られるのは 悔しく 野呂の少年は 泥坊の正体を知りたく 暗い山に入り待ち受けしていると 20才代の女がやって来て 山肌に倒れ込むようにして 手探りで 松茸を探し始めました。その姿は 暗闇の中で 大蛇が体をくねらせ 獲物を狙うように 見えました。マツタケは 毎年  同じような所に生えるので その場所を知っていれば 月明り位の光を頼りに 採取できるのです。少年は 後ろにそっと近寄り脅そうとすると、山犬が不気味な声で 鳴きました  この頃 狂犬病は 未だ間然に撲滅されていず、山犬 等に  咬まれないよう役所から注意されていたので、女は その声に怯え 辺りを 見回しました  人の気配 を感じたらしく 身を屈めた所で  少年がワット声を  掛けると、女は 魂消て 逃げ出しました  少年は女の足を足で払うと 顔から倒れ、もうなにも見ず 無我夢中になって山を 転げるように 木にぶつかりながら 下って行きました  少年は 面白がって追いかけると 貢に向けて走り去りました  貢の女が2週間ほど 寝込んだと言う噂が 届いたそうです 「三谷野呂の村人より口伝」  平成25年(2013年)6月17日

 

 

三谷 貢のマツタケ採り Matutake mushroom picking by the woman in Mitugi

昭和の中頃 貢の女性が 山にマツタケ採りに 出かけました  この日は日頃に 増して沢山のマツタケが 採れたので 山に深く深く入って行きました 喜んで帰ろうとすると 道を失った事に 気付き ともかく 下に下にと 下っていると 大クチナワを 踏んでしまいました  クチナワはハーと息を吹きかけたので 逃げ出しました。 どこをどう通ったのか 解りませんが 何とか うちに辿り着くと 顔は青ざめ 恐怖 で気を違えたようで 2週間程 寝こみました「貢の村人より口伝」 

上田東 貢の水の事故 Victims  of water accident in Mitugi

昭和の中頃 ある台風の日に 大雨が降りました。 ある男が 田の畦の決壊を恐れ 水の流れを 提燈の光を頼りに 見に行きました  足を ぬかるみに 捕られ 転ぶと提灯の火が消えて 倒れ 泥に顔が 漬かりました  急に視野を失った男が 慌てて畦に戻ろうとしましたが、反対に進んでしまいました  立ち上ろうとしても なぜか立ち上れず 視野を 泥で失ったまま 田の中を這いずり回り ついに 溺れ死にました。 村人が 駆けつけると 田には 大クチナワが 這いずり回った様な 跡が残っていました。  その男が 這いずり回った後です。「貢の村人より口伝」 貢荒神:上田東貢 北緯34度54分7秒東経133度47分55秒    貢愛宕神社:上田東貢 北五34度54分6秒東経133度47分49秒        平成25年(2013年)6月17日

 

 豊岡下 當病 Toubyou

昔昔 山の中に暮らすお爺さんと御婆さんの夫婦が住んでいました。擦ると卵から孵ったばかりの白い体で首に金色の模様のある蛇がやってきて餌を探していました。老夫婦は「何と綺麗デ可愛らしい珍しい蛇だろう。」と言って捕まえました。見ると今にも死にそうな程に病気に罹り瘠せ衰え 助けを求めるように見つめ返すので可愛そうになって昼食の残り物をやりました。「未だ餌の獲り方を知らないのだろう。」と思えたので 當病と名付け 素焼きの瓶に入れ 床下で 飼ってやることに した。世話をしている内に 素焼きの瓶が 気に入り 後を付い て散歩する迄に 懐きました。夫婦は 貧乏なため 卵等は遣れずにいたので 3尺程にしか 成長しませんでした。次第に 狭い松山に 松茸が生え始め 小さな田畑の収穫量が 増え始めました。」年追う程に 松茸もの収穫量米も 増え 終には 大分限者に成ったのです。お金が 有ると人が 寄ってくるものですが お客達は 奇妙な名前の 見た事のない蛇を 気持ち悪がり「蛇を殺してしまえ。」と 言い 夫婦の家から遠ざかったのです。このままでは 蛇が 誰かに殺されると 思ったので「すまないが 暫くどこかに 隠れていてくれ。」と 言って 瓶から當病を 野に放ったのです。當病は 名残惜しそうに 何処かに 消えて行きました。すると 松茸も米も 次第に採れなくなって 終には 元の貧乏に戻ったのです。そればかりか 瀬戸内海 にナメソと言う名の 當病と同じ模様をした大蛇 が暴れて 行く船を 困らせたのです。夫婦は 瀬戸内海の恵を食べ 大きくなった當病の怒りだと 信じ 怒りを鎮める為に 當病神社を建てる と瀬戸内海の平和も 戻りました。夫婦が 貧しさに堪え 守り続けた 山や田畑も 夫婦が無くなると 荒れ果てて行ったそうな。令和6年(2024年)11月22日